山村智美の「ぼくらとゲームの」
連載第160回
【最終回】いつでもずっとそこにある「ぼくらとゲームの」の話
2019年4月24日 12:00
この連載は、ゲーム好きのライター山村智美が、ゲームタイトル、話題、イベント、そのほかゲームにまつわるあれやこれやを“ゆるく”伝えるコラムです。毎週、水曜日に掲載予定。ちなみに連載タイトルは、本当は「ぼくらとゲームの間にある期待の気持ち」。新しい体験の、その発売を、いつでも楽しみにしている期待の気持ち。そのままだと連載タイトルとしては長すぎたので……「ぼくらとゲームの」。
平成の終わりと共に最終回です。
約3年ちょい続けたこの連載ですけども、いざ最後ってなると何を書こうか悩んじゃいますねー。
まぁ最後だからこそ、いつも以上に好きなように書きますけど。
「海の上のピアニスト」という映画に、
「何かいい物語があって、それを語る相手がいる限り、人生は捨てたもんじゃない」
という台詞があるんですけど、その言葉が好きなんですよ。
僕らゲーム好きにとっての“いい物語”っていうのは、言うまでもなく面白いゲームのことでしょうね。
楽しみにしていたゲームが発売されて、それをプレイしたら期待以上に面白くて。その気持ちをゲーム好きの友人に話してみる。
ここで大事なのは、こっちのテンションを押しつけ過ぎないことですよね。
たまに「これをやらないなんてダメだよ!こんなにすごいのに、あーもったいないなー!」みたいに、気持ちが乗りすぎちゃってダメ出しのような伝え方になっちゃってる人いるよね。ハードル上げすぎ&押しつけ空気の嫌気で、相手はその作品からむしろ遠ざかってしまうことも。
そうじゃなくて、相手と同じ目線と気持ちからスタートして、もしくはそれより低いところからスタートするぐらいにして、「いやぁ、ボクも最初は『前評判はいいけど、本当に面白いの?』なんて疑ってたんだよねー。だけど自分でやってみたら結構おもしろくって。気になるところもあるにはあるけど、良いところが勝ってるって感じでさ。もし、気になってるならやってみたらいいんじゃない?」ぐらいの感じがベターかなって。
そうして友人がそのゲームをプレイし始めて、数日後に「このゲーム面白いねー」って聞かせてくれたら……。そんなに嬉しくて楽しいことって、なかなかないよね。
自分の好きなものを伝えて、それに共感してもらえるのは、どうしてそんなに嬉しいんだろう。なんでだろうね。
ボクがこの連載を書くときの基本的な姿勢も実はそこにあって、「友達に伝えるように」という気持ちで書いていたんですよ。
「今プレイしてるこのゲームめっちゃ良いよー」とか、「この前、こんなイベントがあったねー良かったよねー」とか。
そんなたわいもない、ゆるいお話。
こんな連載の記事に、「ここに書いてあるのが本当にそうで」とか、「分かるなー」とか、Twitterで反応頂けたりして。嬉しかったですねー。嬉しかった。
自分の書いた記事に反応頂けることに限らず、ボクはゲームが好きな人達がたくさんの期待の声をあげている、盛り上がっているっていうシーンが好きで。え? あ、ゲーム好きなら誰でもだいたいそうですか。
で、今週だと、メガドライブミニの収録ソフトがさらに10本公開されましたが、その発表に盛り上がるポジティブな流れが、とても嬉しくて、どこか懐かしいような。そういう光景でした。
ボクも放送とともにTwitterのタイムラインを追っていたのですが、誰もがみなゲームが好きなんだだっていう気持ちに溢れていました。
まぁ、ボクのTwitterがそういう界隈で喜ぶ人ばかりというだけのことなんですけど(笑)。
いつの間にか、そういう光景を見るのは簡単ではないということを知る大人になってしまいましたが、それを簡単に、いつも見られるように、味わえるように。そうして、「やっぱりゲーム好きだな」っていう気持ちを思い出してもらう。
この連載は終わりますけど、いつでもそういうことをしていけたらいいなって思いますね。
話は変わりますけど、
先日の4月21日でゲームボーイは30周年を迎えたということですよ。
ちょうどゲームボーイは平成元年生まれだから、数えやすいですね。
今、40歳代以上の人向けな古い思い出話になっちゃいますけど、
当時の僕らは、ファミコン、メガドラ、PCエンジンに夢中だったけど、ご家庭にテレビが何台もあるような時代ではなくて。リビングのテレビを占拠してしまう据置ゲーム機っていうのは、遊ぶにしても家族の目がなかなか大変だったわけです。だもんで、自分の部屋にテレビがある友達の家に集まるようになったりしてね。
そこに颯爽と現われたのが、「携帯できるファミコン」の触れ込みで登場したゲームボーイ。
これはもう当時のゲームキッズにとって新時代の訪れ、銀河の歴史がまた1ページ。
今で例えると自分のスマホを初めて持った、みたいなことに近いと言えば近いでしょうか。
公園などの外でゲームボーイを楽しむ子供達という光景がたくさん見られました。
ゲームボーイはモノクロ液晶に160×144ドット。それを単3乾電池4本で動かすというのですから、今からすれば、とてもとても小さなハードですよね。
でも、当時の特に小学生ぐらいの子供達にとっては“自分だけのいつでもどこでも楽しめる宇宙”だったわけです。うちゅー。
あれから30年です。たった30年でここまで変わるかっていうぐらい、全てが進化しましたねー。
ゲームセンターで「V.R. バーチャレーシング」を初めて見て、「なんかカクカクしてるけど、これはすごく未来だ! 未来そのものだ!」と驚いていた1992年頃のボク(後に「バーチャファイター」の登場で新宿のゲームセンター「スポット21」へ通うようになる)に、
「私は2019年からやってきたお前だ。2019年にはその『バーチャレーシング』が携帯ゲーム機の中で8台分が同時に動くようになるぞ」
と伝えても、さっぱり意味がわからないって突っ返されることでしょう。
ずいぶん遠くまで来た気がしますね。
でもね、たまに思うんですよ。
「100年後のゲームってどんなんだろう」って。
来年で2020年だから、そこから80年も経ったら2100年です。
その頃にも、形は変わっているかもしれないけどゲームの系譜から繋がっているものってあるでしょう、きっと。
見てみたいしプレイしてみたいよね。
でも、さすがにもうそこそこいい年なボクは、80年後は見られないですね。寂しい。
今10歳代ぐらいの人だと、ぎりぎり目撃できますかね?
すんげー超~おもしろいゲーム出てたらどうしよう。
プレイしたいけどできないんだよね。
それこそ2500年とか、3000年とか。その頃には、今の僕らには全く想像ができない、とてつもなく面白いゲームが生まれてるかもしれない。けど、そんな遠い未来のゲームは僕らには遊べないよね。悔しいなぁ。
でも逆に、そんな遠い未来の若者が僕らが生きている今の時代のゲームをなんらかの形で遊ぶことだって、あるのかもしれないよね。
「移動の間ヒマだしゲームやろっ」なんて言って、宇宙空間を進む船の中でゲームボーイの「ウィザードリィ外伝」のキャラメイクをいそしむような変わり者だって……いないとは言い切れないかもしれない。
月の裏で「マリオオデッセイ」の月の国。
宇宙船で「エネミーゼロ」。
遠い星で地球生まれのゲームを楽しむゲームキッズ。
「昔のゲームって独特な味があってそれがいいんだよ」とか、
なんだかゲーマー気取りなこと言っちゃったりしてさ。
かっこいいな、そいつ。もし会えるのなら、飲みもののひとつでもおごってやるのに。
あぁ、もうずいぶん長いこと話してますね。
そろそろ終わりにしましょうか。
平成も終わることですしね。すごいよね、ひとつの時代が終わるんですって。
時代なんていう単位を使うこと、他になかなかないからね。貴重な瞬間を生きているのかもしれない……なんてことを思ったりする。いや、本当はどんな瞬間だって貴重なのかな。
まぁ、時代が変わったって、変わらないものもありますよ。
映画「千と千尋の神隠し」に、
「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで……」
っていう言葉があって。
人生が忙しかったり、大変だったりして、ふと気がつけば昔は確かにあったはずの大切な気持ちがいつの間にかどこかへ消えてしまったような。そんな風に感じる時もあるかもしれないけど、
思い出せたときに、「あ、ずっと変わらずにそこにいたんだ。自分の中に」っていう気持ちになれるはず。
僕らも、ゲームのことをあまり考えなくなるような時もくるのかもしれないけど……まぁ来ないかもしれないけど(笑)。もしそうなったって、ゲームが好きな気持ちといずれは再会して思い出すよ、きっと。
やっぱり僕らって、いくつになってもゲーム好きだよねって。
では、お別れです。
また新しい時代が始まっていきますよ!
ゲーム機のスイッチを入れる。数分の後、僕の目の前に小さな世界が広がっていく。
創造力に溢れている光。音はいつも聞こえてる。何かが変わる気がした。
ゲームの中に冒険があって、ひとつ終わってもソフトを入れ替えればまた別の物語が。
終わりのない夢。続いていく世界。
それでもひとつひとつには終わりがあって。冒険の終わりを予感すると、先へ進むことを躊躇するときもあった。終わらせたくなかった。終わりがこないことを、その世界の永遠を望んだ。
ラストバトルのなか、心の中で「この旅も終わるんだ、終わるんだ」って呟きながら、剣を振るった。勇者も、魔王も、寂しそうに映った。
最新は、いつでも気がつけば時代遅れへと変わっていく。
あれだけキラキラしていたのに、いつの間にか色を失っていく。ゲーム機もパソコンもいつも何か言いたげだった。
夕暮れの中、友達とひとつのゲーム画面を見つめた。あの頃の景色。
いつしかゲームキッズは大人になって、無邪気さを失い、純粋さの意味もわからなくなり。
ゲームをプレイしても「もう、あの頃のような気持ちにはなれないのかな」そんな気持ちになることもあるかもしれない。
だけど、驚きを与えてくれるゲームはいつでも突如として世の中に現われて。ゲーム好きが口々にそのゲームについて語り合い、そこからまた新しい何かが生まれていく。
そんなゲームと出会う度に、ゲームに夢中になれたあの頃の気持ちは、ずっと自分の中にいたことを思い出せます。
大切なことは何も変わっていない。それを気づかせてくれます。
僕らはいつでも、そういうゲームがやってくる日を待っていますよね。
いつでも待ちわびて期待して、日々を過ごしてる。
ぼくらとゲームの間にある期待の気持ち。
ゲームが好きだっていう気持ち。
それを、ずっと大切に。
ぼくらとゲームの。