山村智美の「ぼくらとゲームの」
連載第126回
あと2日で閉店を迎えるゲームセンター「みとや」で「ファイティングバイパーズ」の思い出に再会した不思議な運命の話
2018年8月29日 12:00
この連載は、ゲーム好きのライター山村智美が、ゲームタイトル、話題、イベント、そのほかゲームにまつわるあれやこれやを“ゆるく”伝えるコラムです。毎週、水曜日に掲載予定。ちなみに連載タイトルは、本当は「ぼくらとゲームの間にある期待の気持ち」。新しい体験の、その発売を、いつでも楽しみにしている期待の気持ち。そのままだと連載タイトルとしては長すぎたので……「ぼくらとゲームの」。
今週の金曜日、8月末日。1980年代から都心部を中心に展開してきたゲームセンター「みとや」の最後の店舗となった、「ゲームinnみとや鶯谷」が閉店を迎えます。
僕は今月こちらの「ゲームinnみとや鶯谷」に何度か足を運んだのですが、そのきっかけはTwitterで1件のリツイートが流れてきたことがきっかけでした。
告知し辛いですがゲームinnみとやは誠に勝手ながら8月31日(金)夜22時をもちまして営業を終了することとなりました。夕方オープンとか火曜定休等はちゃめちゃな営業時間ですが31日まで元気に営業していますので空いた時間がございましたらお気軽にご来店ください^^
— ゲームinnみとや鶯谷~N.Y~ (@gnetmitoya2)2018年8月13日
それは、都内の山手線鶯谷駅にある唯一のゲームセンター「ゲームinnみとや鶯谷」が8月末に閉店するという内容でした。
20年以上も昔ですが、僕は鶯谷の周辺に住んでいたことがありまして。「このゲーセンはもしかして、あの場所にあったあそこのことかな……?」といった感じで、あやふやな記憶をほじくり返しつつ興味を持ったんですよね。
そんな「ゲームinnみとや鶯谷」のTwitterを定期的に見ていたら、ある日「ファイティングバイパーズの対戦会を開催します」というツイートが。
「バーチャ」はまだナンバリングタイトルが高田馬場のミカドさんをはじめ各所で楽しまれていますが、「ファイティングバイパーズ」で対戦会みたいなことをしているのって今ではかなり珍しいんですよね。
その珍しさにますます興味を持った僕は、対戦会をするというその日に「ゲームinnみとや鶯谷」へ。店内に入ってみると、数人が「ファイティングバイパーズ」の対戦をしていました。
「ファイティングバイパーズ」と「ラストブロンクス-東京番外地-」がブラストシティ筐体2台での対戦台で置かれていて、この2タイトルが対戦台形式で設置されているだけでも珍しいですし、その脇には当時のプレイガイド本やムックも完備。なんだか想像していたよりもずっと、この2タイトルに愛のある雰囲気です。
(後から伺ったところ、こちらには「ラストブロンクス-東京番外地-」が好きな人もよくこられていたそうです)
とりあえず当時にプレイした記憶を探り探りながら対戦してみたところ、何戦かした後に対戦相手の人から「いやぁ強いですねー!」っと笑顔で話しかけてもらいました。
この“対戦後に相手から話しかけられる”っていうゲーセンの醍醐味みたいなコミュニケーションが、もうとにかく久しぶりで、懐かしくて嬉しかったんですよねー。
(思えば昔、秋葉原セガのバーチャ常連に同じように対戦後に話しかけられて、それをきっかけにそこの常連になっていったことが、今もこんな連載を書いたりしている僕の人生の転機だったのだなと思います)
そんなこんなでワイワイやっていると、「ゲームinnみとや鶯谷」店長の武井幹夫氏が話しかけてくれたので、いろいろとお話を伺ってみました。
この「ゲームinnみとや鶯谷」は、元々は1980年代に上野にあった「ゲームセンターみとや」が始まりで、ルーツを辿るともう40年近いのだとか。
その流れとしては以下のようになります。
・1985年(昭和60年)~
上野にあった「ゲームセンターみとや」が、渋谷のライブハウス「屋根裏」や「キャバレーロンドン(楽しいロンドン)」が入っていたビルに移転して「ゲームinnみとや渋谷店」に。
・2006年(平成18年)~
鶯谷へ移転して「ゲームinnみとや鶯谷店」に。(1980年代のテーブル筐体を並べた喫茶店的なスタイルから始まり、2000年頃まで続いていたゲームセンター「みとや鶯谷店」が閉店した場所へ、「ゲームinnみとや渋谷店」が移転してきて入ったという形)
・2012年(平成24年)~
鶯谷の別ビル内に移転。(ゲームセンター「UFO」や「ゲームメイト鶯谷店」があったビルの2Fへ)
・2018年(平成30年)
8月31日(金)22時に閉店して、営業を終了予定。
……というわけで、渋谷のゲームセンター「みとや」が移転してきた店舗だったんですね。
渋谷のみとやは、1980年代から2000年代までのアーケードシーンが最も熱かった時期に、今のスクランブル交差点の正面にあるTSUTAYAの裏あたりにあった、渋谷駅から最も近くにあったゲームセンター。当時から都心部で活動しているゲーム好きの人なら1度は行ったことのあるお店かと思います。
ちなみに、「ゼビウス」や「ドルアーガの塔」などなどを手がけた伝説的ゲームクリエイターの遠藤雅伸氏も、自身のblog「ゲームの神様」にて、渋谷「みとや」閉店について書かれています。(渋谷みとやにて、遠藤氏が「バーチャファイター2」でブンブン丸氏と対戦したエピソードが綴られています)。
ちなみにゲームinnみとやは、数年前に錦糸町店と千束店が閉店し、この鶯谷店が最後の店舗。この連載が掲載されてから2日後の8月末を持って、みとやグループのアミューズメントセンター事業は幕を下ろしてしまうことになるそうです。
店長の武井氏はというと、1990年代に1人の格闘ゲーム好きとして「ファイティングバイパーズ」や「ラストブロンクス-東京番外地-」などのいわゆるセガ3D系格闘ゲームを楽しんでいて、後にみとやグループに入社し「ゲームinnみとや鶯谷店」の店長になったそうです。(いわゆる渋谷FV勢の1人だったそうです)。
そこでお店のコンセプトとして、「ファイティングバイパーズ」や「ラストブロンクス-東京番外地-」を対戦台で設置。大会や対戦会を開催してきたということなんですね。
さらに店長の武井氏から、お店で保管していたという「ファイティングバイパーズ」関連グッズも見せて頂きました。
その中には、1996年に開催された「ファイティングバイパーズ」セガ公式全国大会ペプシジャパンカップの資料があって、そこには僕の名前も。
まさか1件のリツイートをきっかけに訪れたゲームセンターで、自分の名前も載っている20年以上前の資料が出てくるなんて思いもよらなかったです。
他にもたくさんの当時のグッズがあって保存状態もとても良い。ものすごい愛を感じます。
グッズの数々は「ファイティングバイパーズ」が好きな名古屋の人が長年保管されていたものだそうで、みとやさんに寄贈されたものだそうです。
このグッズは「ゲームinnみとや鶯谷」が閉店後は行き場がないということで、僕がお預かりすることになりました。僕から責任を持って、セガゲームス(の中でもセガ作品復刻シリーズ「SEGA AGES」に関わる、クラシックタイトルへの造詣が深いあの人)へお渡しする予定です。
……20年以上もファンの人によって大切に保管されてきた当時のアイテムが、渋谷を経由して鶯谷に移転してきたみとやさんに贈られ、昔に鶯谷に住んでいたことのある僕が閉店の1週間前にそこを訪れてそれと出会い、そこに自分の思い出とも再会しつつ、それをセガさんに渡すということでお預かりした……というわけです。
流れ流れて、いくつかの細い糸が繋がって、最後にセガへ戻っていきます。
運命というのは本当に奇妙で、面白いものですね。
店長の武井氏からは、ここには書ききれないほどの当時のお話などをたくさん伺いました。
長年続いてきた「ゲームinnみとや」の最後の店舗がもうすぐ無くなってしまうこと。
鶯谷界隈にはゲームセンターがなくなってしまうこと。
1990年代当時に格闘ゲームを楽しんだ仲間の話。
「ファイティングバイパーズ」や「ラストブロンクス-東京番外地-」が好きな人が集まれるアーケードの店舗がなくなってしまうことへの寂しさ。
大切で大好きだったあの頃の季節。
平成最後のこの夏は、この数十年を彩ってきたいろんなものが終わってしまいますね。
どんなこともいつかは終わります。新しい何かがいずれ始まるときのために。
この連載の1記事程度がどこまで届いてくれるかはわかりませんが、
都内のいずれかの「みとや」でアーケードゲームを楽しんだことがあるという人、そこでゲーム仲間ができた人、かつての仲間との思い出がある人、
「ファイティングバイパーズ」や「ラストブロンクス-東京番外地-」が好きな人。
「みとやと言えば、こんな思い出があるなぁ……」ということのある人はTwitterでそれを伝えてあげたり、
「ゲームinnみとや鶯谷」へ直接行ける範囲にお住まいの人はぜひ、8月31日の最後の日に足を運んであげて欲しいなと思います。
お疲れ様やありがとうを伝えてあげてください。
ではでは、今回はこのへんで。また来週。