レビュー

劇場アニメ「パリに咲くエトワール」レビュー

「バレエ」と「パリ」、2つのテーマにかつてないアニメーション表現で挑む意欲作

【パリに咲くエトワール】
3月13日より全国公開

 松竹は劇場アニメ「パリに咲くエトワール」を3月13日より全国の劇場で公開する。本作は明治時代後期、20世紀初頭のパリを舞台に画家を夢見るフジコ(継田フジコ)と、武家の家に生まれ、薙刀の才能を持ち家を継ぐ運命を持っていながらも、バレリーナになりたいという夢を持ってしまった千鶴(園井千鶴)の2人の少女の成長物語だ。

 圧巻は本作の「パリ」と「バレエ」への情熱。PVでの「かつてない魔法のような映像体験をあなたに」というキャッチコピーは偽りでない。本作は綿密な取材と、描き手たちの情熱によって、パリが細部まで描き出される。そして非常に踏み込んだ形でバレエをアニメーションで表現するという挑戦が行われている。アニメーションの技法や演出といったポイントも見逃せない作品なのだ。

 “夢を自分の力で実現したい”、どんな時代でも人が求めるこの願いは、明治時代、そしてパリという異国の地ではより一層叶えることが困難だ。しかしフジコと千鶴は手を取り合い、周囲の温かな人々に支えられながら夢を諦めず、挑戦し続ける。ぜひ劇場で見てもらいたい作品である。今回は試写での感想と見所を語りたい。

【劇場アニメ『パリに咲くエトワール』長尺予告】

フジコと千鶴、2人はパリで夢に向かって進んでいく

 フジコと千鶴は幼い頃横浜で出会っている。フランスの長い伝統を持つ国立バレエ団「パリ・オペラ座バレエ」の日本公演を2人はそれぞれの両親に連れられて、見たのだ。フジコは小さな頃から絵の大好きな女の子。フジコは初めて見る「バレエ」に感動する。そしてオペラ座公演を見ながらも、その姿をスケッチしていく。父や母はそんなことをするフジコをたしなめる。

パリで画家になる夢を叶えようとする少女・フジコ

 公演が終わった後、ロビーでフジコと千鶴の両親は談笑する。千鶴は「忘れ物をした」と観客席に一人で戻る。フジコは自分も忘れ物をしたことに気づき、再び劇場に入る。そこでフジコは見たのだ、バレエの感動に突き動かされ、見よう見まねで舞台の上で踊る千鶴の姿を。千鶴はまだ本物のバレエを知らない、しかし、その憧れが手足を動かすのだ。その千鶴の姿に心動かされ、フジコは思わずスケッチをしてしまう。千鶴が踊る姿は舞台袖でオペラ座のバレエ団も見ていた。その視線に気がついた千鶴は顔を真っ赤にして舞台を降り両親の元に逃げる。千鶴の踊る姿は、フジコの脳裏にすっかり焼き付いた。

 フジコは画家になりたかった。しかし上流階級に生まれた彼女は両親から「よき妻」になることを強制的に決められていた。千鶴もまた武家に生まれ、薙刀に才能を持っているために、「家を継ぐ」ことからは逃れられない。どこかから腕の立つ婿を迎え、家を継ぐということが決められている。2人の少女は明治という時代と、女であることで運命に縛り付けられていた。

武家の娘であり、薙刀の名手である少女・千鶴。幼い頃のバレエへの憧れを秘めており、フジコの助けによってバレリーナへの道を歩み始める

 それから数年がたち、フジコはパリにいた。山っ気たっぷりなフジコの叔父・若林忠は、パリで日本から持ってきたものを売りさばく商売を始め、その助手としてフジコをパリに迎えることをフジコの両親に承認させたのだ。フジコはパリで絵の勉強ができると、張り切る。

 フジコはパリのアパルトマン(アパートのフランス語)での生活を始める。そこで彼女は何人もの知り合いを得る。明るいフジコの周りには裕福ではないが、優しい人々が集い、フジコの生活を助けてくれる。そんな日々を過ごしていたフジコの前に、千鶴が現れる。千鶴の両親はパリに道場を構え、自らの武術を広めようとやってきたのだ。そしてフジコは千鶴の中に「バレリーナになりたい」という強い思いが秘められていることを知る。

 フジコには“あて”があった。同じアパルトマンに住む音楽学校生・ルスランの母・オルガが元はロシアの有名なバレリーナであることを知っていたのだ。オルガは革命が起きたロシアからこのパリに逃れてきて、ルスランを音楽学校に通わせるため、キャバレーで踊っていた。オルガはパリのオペラ座でのバレリーナになることを目指すも、それがかなわず、キャバレーで踊り、生活を支えていたのだ。

 オルガに教われば、千鶴はバレリーナになれる! しかしオルガは最初はその願いを拒絶する。それでも千鶴のまっすぐなバレリーナへの憧れ、薙刀の稽古で鍛えられた体幹の良さ、体の柔らかさ、彼女の中にある“才能”を認め、バレエを教えることとなる。練習は粗末なキャバレーのステージで、千鶴に与えられたのはオルガの使い古しの稽古着、ボロボロのバレリーナシューズ。そしてオルガの教え方は非常に厳しかった。

 それでも千鶴は初めて“本物のバレエ”を学べることのうれしさに、必死でオルガの指導を実践していく。バレエを学んでいることは両親には言えない。それでもバレエへの憧れは消すことができない。その夢はオペラ座のバレリーナとなることだ。フジコも彼女を応援する。

フジコと同じアパルトマンに住む音楽家の青年ルスラン。彼女の母オルガはバレリーナであり、今はキャバレーで踊っていた。フジコは千鶴にオルガを紹介、千鶴は夢に向かって進み始める

 しかしそのフジコの運命は激変する。叔父はフジコをパリに残したまま失踪してしまったのだ。彼がやろうとしていたパリでの事業はすべて失敗し、お店はもぬけの殻。フジコは生活の支えを失ってしまう。それでもフジコはパリで絵の勉強をすること、千鶴のバレリーナへの夢を応援することを諦めなかった。アパルトマンからより安い部屋に引っ越し、昼はレストランで皿洗いをして生活費を稼ぎながら、彼女はパリでの生活を続ける。

 さらに千鶴にも、そしてパリにも試練が訪れる。フジコ達がパリにいる時代はこれから第一次世界大戦へと向かっていく。ドイツがイギリスに爆撃を始め、パリでも戦争の影が忍び寄ってくる。そして千鶴の両親の武術学校は失敗、千鶴を連れてパリでの生活を諦めると彼女に語る。フジコと千鶴の夢はどうなるのだろうか?

「バレエ」と「パリ」、2つのテーマにかつてないほどの熱情で取り組んだ作品

 「パリに咲くエトワール」では千鶴の夢であるバレエとバレリーナの動きの表現に並々ならぬ力が注がれている。アニメーターの手書きである2Dと、CGで制作された3D画像を効果的に使い、「どうすれば美しいバレエの魅力を映像で表現できるか」というテーマに果敢に挑んでいる。

 バレリーナは複数で舞台を動く。一糸乱れぬ動きで、時には中央で円を作り、時には横に広がる。手を伸ばし、足を高く上げ、つま先で立ちバレエならではの歩き方で移動する。指の先、首の向き、顎と腕がつくるライン。止まっていても、動いていても美しい。そんなバレエならではの動きをアニメーションで表現するには並々ならぬ労力が必要だ。

 「パリに咲くエトワール」では振付師による演出を込めたバレエ、それをモーションキャプチャーし、3DCGで描き出した後、その映像からアニメーターが絵を描き出しているという。さらにオルガによる「ロシアバレエ団のバレエ」と「フランス・オペラ座のバレエ」はそれぞれの振付師がプロのバレリーナを指導し、モーションキャプチャーを行っている。

バレエシーンは本作最大の注目ポイント。本作のバレーシーンはオルガや千鶴の1人のものから、教室でのレッスン、舞台での踊りといった複数のものまで、非常に細かく、精緻に描写されている。このシーンを描き出すために本作ではプロのバレリーナの動きをモーションキャプチャー、3DCGで起こした後、その映像をアニメーターが3DCGから絵を描き起こし細部の表現を調整していくという。オルガはロシアのバレエ団に所属していた。本作ではロシアとフランスそれぞれの振付師が起用され、リアルで美しいバレエシーンを作り出している

 しかも3DCGモデルでは表現しきれない指先、表情などはアニメーターによって描きこまれ、キャラクター達の動作1つ1つに踊り手の意思や想いを加えている。そしてそれらの映像は「バレエ作画監督」によって本作ならではのバレエシーンとして演出される。これだけの手間をかけて本作でのバレエシーンは制作されているのだという。

 これまで実際のバレエを収録した映像は多数あるし、バレリーナをテーマとした実写映画、ドラマも多い。それらは実写ならではの“生の迫力”があるが、「パリに咲くエトワール」では、バレリーナたちの動きを表現するだけでなく、映像ならではの演出、実写では不可能なアングルやディテール表現がなされていると感じた。さらにバレリーナの動きからそれを見ているフジコが受け取る幻想的な映像に切り替わるなど、アニメならではの映像表現、演出がなされている。本作は「バレエをいかにしてアニメーションで表現するか」というテーマに挑んだ作品である。この挑戦がしっかり伝わる作品となっている。

 そして「パリ」だ。「パリに咲くエトワール」は「これほどまで強く熱い情熱でパリを描いているアニメーション作品はないのではないだろうか?」と感じた。まずはPV「『パリに咲くエトワール』×緑黄色社会「風に乗る」コラボレーションミュージックビデオ」を見てほしい。ここで描かれたシーンを題材にその情熱を紹介したい。

【『パリに咲くエトワール』×緑黄色社会「風に乗る」コラボレーションミュージックビデオ】

 PVは最初にこの時代に活躍した様々な画家の作品、さらに日本の浮世絵も登場する。そしてフジコと千鶴の運命を決定づけた横浜でのオペラ座の公演シーンなども盛り込まれているが、特に注目してほしいのが“パリのロケーション”である。

 1分5秒「私はここにいる」という歌詞が映し出され、フジコが勢いよく走って入る門には「Passage Jouffroy(パサージュ・ジュフロワ)」と書かれている。パサージュとは「アーケード付商店街」のこと。フジコが走って行く通りには様々な店があるのが確認できる。フジコの叔父もここで店を構えていた。現在でも人気の観光スポットだ。

フジコが走って行くパサージュ。パリの町並み、店の雰囲気、ロケーションなど綿密な取材がなされているのがわかる

 そして1分17秒「羽ばたく」というシーンに高い柱の上にある金の像は「アレクサンドル3世橋」のオブジェクト。1分27秒の「思いを馳せて」の次のシーンでフジコがくるりと回る背景に大きく写っているのは、ルーブル美術館周辺の建物だ。PVからでもパリのロケーションを綿密に設定し、そしてしっかり描かれているのが確認できるだろう。

 ロンドンはドイツによって爆撃された。ベルリンは米英軍とソ連軍によって壊滅した。東京は米軍によって火の海にされた。パリはそういった被害を受けなかった街だ。第二次大戦末期、パリはナチス・ドイツに占領されており、ヒトラーは降伏寸前にパリの破壊を命ずるが、パリ防衛の司令官コルティッツ将軍はその命令を無視し、連合軍に降伏する。命令に従わない司令官にしびれを切らしたヒトラーが放った「パリは燃えているか?」という言葉は、映画や曲の題名にも選ばれている。パリは戦禍を免れた、歴史的建造物が現代でも数多く残る街なのだ。映画の時代は20世紀初頭だが、映画に登場するロケーションの多くは、現代のパリでも見ることができるのである。

 映画に映し出されるロケーションは非常に細かく設定されている。感心させられたのは叔父が失踪し、フジコはより安いアパルトマンに引っ越すシーン。以前のアパルトマンは壁紙も貼られ、装飾の入った暖炉のある建物だったが、新しい部屋は古びた飾り気のない木造の建物で、部屋にの備え付けの椅子も足が折れているような場所。しかし窓を開けるとパリを一望できる素晴らしい景色が広がる。

 このパリを一望できる場所は「モンマルトルの丘」。丘の頂上にはサクレ・クール寺院がある。その周辺の街にはピカソや、ルノワール、ゴッホといった画家も住んだ芸術家が集う場所だったという。本作が描かれた時代、フジコの住んでいる場所の周辺に彼ら偉大な画家達もいたのかもしれない。映画では説明されないが、フジコが引っ越したのは未来を夢見る芸術家達が多く集う場所なのである。こういう背景がわかると、改めて制作スタッフの綿密なロケーション設定に感心させられる。

叔父が失踪し、フジコは生活が維持できずより安いアパルトマンに引っ越す。しかしそこの窓からの眺めは素晴らしかった。この絶景こそが「モンマルトルの丘」の魅力の1つ。映画を見た後、そのロケーションを現地で探す“聖地巡礼”も行われるのではないか

 さらにPVでもわかるようにパリの町並みやディテールを一枚絵で描いて挿入する手法もとても印象に残る。それだけではない。ドイツのイギリスへの空爆や、パリ市内で行進する兵隊、戦場の風景のスケッチなどこの時代が徐々に大きな戦いへ向かっていくことも描かれる。あらゆるところで綿密な設定がなされていることがわかる作品なのである。

 もう1つ、「パリに咲くエトワール」では様々な名画もシーンの切り替わりなどで挿入される。モネの「印象・日の出」、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」、ミュシャの「四季」の一つ「夏」など様々な名画が挿入される。これらは映画の時代に制作された作品だ。映画では叔父が日本から持ってきた浮世絵に喜多川歌麿の「山姥と金太郎」があったりする。この時代、浮世絵をはじめとした日本文化はパリに生きる作家達に大きな影響を与えた。そういった「この時代のパリ」を名画を挿入することでも印象づけている。

【映画に挿入される名画たち】
モネの「印象・日の出」。これら劇中に登場する名画はすべてオリジナルを撮影したのではなく、当時の雰囲気を再現するために制作された複製(レプリカ)作品なのだ
ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
ミュシャの「四季」の一つ「夏」。映画の時代、様々な作家が多彩な表現を追い求めていっているのもわかる。この時代だからこそ「パリに咲くエトワール」という物語には特別な意味があるのだ
喜多川歌麿の浮世絵「山姥と金太郎」。日本文化はパリの芸術家達に強い刺激を与えた

 「パリに咲くエトワール」の時代は、パリを中心に花開いた「ベル・エポック(美しき時代)」の終盤にあたる。ベル・エポックとは最もパリが繁栄した時代を指し、その頂点にはエッフェル塔が建ち、世界にパリという街の素晴らしさを喧伝した「パリ万国博覧会」がある。歴史的に大きく輝いた時代のパリが舞台なのだ。

 ちょっとだけ付け加えれば、本作の監督を務める谷口悟朗氏はインタビューで「意図的にきれいなパリを描いた」とも発言している。現実のパリの情景を追い求めるだけでなく、「希望に燃えるフジコと千鶴が見たパリ」であることも意識したいところであり、だからこそ一層強く「美しいパリの情景」が心に残る作品となっている。

 今回は試写室という比較的小さなスクリーンで「パリに咲くエトワール」を見たのだが、本作で描かれるパリの風景、躍動感のあるキャラクターの動作、そして何よりもバレリーナ達の圧巻のバレエは大きなスクリーン、そしてリッチな音響で楽しみたいと感じた。「パリに咲くエトワール」は大きな劇場でこそ本当の魅力を感じさせる作品である。ぜひ劇場で楽しんでほしい。

美しい映画だからこそフジコの成長ももっと描いてほしかった

 「パリに咲くエトワール」はアニメ作品としてストーリーももちろん注目だ。明治時代という現在よりもはるかに女性が抑圧されている時代、しかもパリという東洋人であるだけで差別的な視線を向けられる世界で、フジコは明るく前向きに千鶴を支えていく。

フジコに助けられ、千鶴はバレリーナになる道を歩み始める。彼女の成長は細かく描かれる

 千鶴は逆境と言える状況の中、努力してバレリーナへの道を歩んでいく。オルガに「バレエというものの基本」をたたき込まれ、厳しい指導にもくじけず、その才能を開花させていく。目指すはオペラ座研修生オーディションだ。彼女のような東洋人でも、バレエを学んだ期間が短くても、オペラ座はその門戸を開いてくれるのだ。オルガの教えをフジコは“絵”として描き留めたり、時には千鶴の踊り方を描くことで助けてくれる。音楽家を目指すオルガの息子・ルスランもそのセンスでアドバイスをくれる。さらに気のいいアパルトマンの住人も応援してくれる。

 「パリに咲くエトワール」は本当にバレエへの強い想い、「アニメーションでバレエの美しさを表現する」というテーマに、スタッフ全員が持てる限りの技術と情熱で挑んでいる作品だ。誰もが千鶴を応援したくなるだろう。

 ただ、筆者はちょっと不満に感じるところもあった。バレリーナになるという夢に進む千鶴のドラマを非常に丁寧に描いているのに比べ、フジコの画家としての勉強や成長が描かれていないと感じたのだ。筆者は映画を見て、千鶴の成長を見守りながらも「フジコの成長はいつ描かれるのかな?」とずっと思ってしまった。

一方、フジコの「画家になるためのステップ」は恐らく意図的に描かれない。筆者はこのバランスにモヤモヤするところがあった

 パリにはバレリーナの研修生制度があるように、あるいはそれ以上に絵を学ぶプロセスがあるはずである。有名な画家に師事したり、学校に入ったり、コンクールに応募したり、同じ年頃の子だけでなく、時には偉大な画家達の作品にすら、羨望だけでなく嫉妬もして、絵での表現の何かを掴むため、苦闘するはずなのだ。もちろん「フジコの成長にまで尺を割いたら観客の視点もぶれてしまう」というのはわかる。しかし、パリに残り、苦しい生活の中頑張るフジコの“根っこ”の表現が足りない。

 千鶴に比べ、フジコも画家として成長する、といった描写はもっと必要だったと思う。2人の成長のバランスがとれていない印象は見ていてずっと感じた。それは「パリに咲くエトワール」が最高に美しい絵で描かれ、当時のパリの絵画世界の爆発を丁寧に拾っているから、そしてなにより「絵のプロフェッショナル」が作品を作ってるからこそ、フジコの画家の成長はもっと踏み込んで書けたはずだと感じた。

 もう1つ、映画で描くシーン選択で「これを入れておけば、受けるんじゃないか?」という作り手がサービスシーンと割り切って作っていると感じた演出がいくつかあった。例えば「ならず者がフジコを襲い、千鶴が助けるシーン」などは、「こうすればキャラクターが立ってわかりやすい」という考えが透けて見える。キャラクターのコミカルな動きや表情などもいかにも「お約束」と感じるアニメ的演出、もっと突っ込んだ言い方をすれば"ジブリアニメ仕草"を義務的に入れて、作品を整えているような印象を持った。

フジコの明るさ、元気な姿はこの作品全体を楽しいものとしている。生真面目で頑張り屋の千鶴を支え頑張っていく姿は、誰もが2人を応援したくなるだろう

 脚本と構成はもっともっととがらせる余地があったのではないか? 「パリに咲くエトワール」は「これまでにないアニメーション表現でバレエを描きたい」、「これまでにない密度と情熱でパリを描きたい」という2つの強烈なパトスを感じた。しかし"その情熱をどうエンターテイメント作品にまとめるか?"という最終的な仕上げの部分で、ほんの少しだけ手を抜いてしまったのではないか。なにより、有能なスタッフが集結しているからこそ、「パリ」と「バレエ」そしてやっぱり「絵を描くこと」という3つのテーマをしっかり描き、観客の胸を突き刺すような作品に昇華できたのではないだろうか。

 作品全体のトーンは明るく、苦境にくじけず頑張るフジコと千鶴を素直に応援したくなる。そういった作品の暖かさはしっかり感じる。だが筆者は、「パリに咲くエトワール」にはストーリーやキャラクター表現以上に、「バレエ」と「パリ」に熱く深い情熱で挑戦した作品だと、めまいを感じるほどすさまじい力が込められている作品だと受け取った。その映像の美しさと込められた熱情は子供から大人まで虜にする磁力がある。多くの人に見てもらいたい映画だ。