インタビュー

日本eスポーツ界のレジェンド“KINTA”こと長縄実氏インタビュー

伝説のLANパーティイベント「BIGLAN」について

――KINTAさんといえばやはりBIGLANです。これは自宅でのLANパーティをもっと大きな規模でやりたいと思ったのがきっかけなんですか?

長縄氏: 大きくというか、「なんでないんだろう!」と。これをみんなに知らせたいなと思ったんです。人が集まってゲームをやることで、ゲームが人と人を共通言語としてつながるモノになるという大事さがあったので、それを表現できる場というのがLANパーティでした。大きくやろうと考えたのは、多分2003年ぐらいでした。これはもうやるべきだと思って実行に移しました。

【BIGLAN】
2005年から2007年にかけて6回開催されたBIGLAN。徐々に規模が大きくなっていった

――私は、その2005年の第1回BIGLANでKINTAさんに再会したんですよね。KINTAさんはあまりそういう意識はないと思いますが。

長縄氏: なかったです(笑)。「あ、あの時の金髪だ」って感じですか?

――というより、さらに筋骨隆々になっていて「これはヤバいぞ」という物理的な圧力を感じていました(笑)。BIGLANは6回開催されましたが、今振り返っていかがですか?

【筋骨隆々のKINTAさん】
第1回BIGLANの開会を宣言するKINTAさん。KINTAさんというとこのイメージが20年近くぬぐえないのである

【最初で最後のKINTAさんフォトギャラリー】
BIGLAN Socket2(参考記事
BIGLAN Socket3(参考記事
BIGLAN Socket4だけ写真が見つからないため、サーマルテイクブースに協力したときの写真(参考記事
BIGLAN Socket5(参考記事
BIGLAN Socket6(参考記事

長縄氏: 苦しかったですね。ほとんどが持ち出し状態ですし、協賛がついたのも結局「BIGLAN Socket3、4、5、6」の4回だけなんです。

――第1回から、GDEXさんをはじめスポンサーいましたよね?

長縄氏: 付いていましたが、苦しかったです。ビジネスモデルとしては収益をあげながら、ちゃんとお客様から会費をいただいて、会場費などを賄っていくというところを目標としていたんですが、やはり難しかったです。

 「BIGLAN Socket 1」を始めるとき、BAZY-Rが犬飼君(犬飼“POLYGON”博士氏、本誌でもeスポーツ連載を担当した元eスポーツプロデューサー)を呼んできて、一緒にやろうかということになりました。犬飼君は「俺はeスポーツをやるので、おまえはLANパーティをやってくれ」と。その時に言われたのは「おまえのやっているのはLANパーティだよ」と。「自宅でやっていたのは、LANパーティだったんだよ」と言われて。そんなゲームの用語があるんだなと、そのときはじめてeスポーツやLANパーティって言葉を知ったんです。

 それで海外の状況を調べてみたら盛んに行なわれていることを知りました。しかも「LANパーティ」のポータルサイトがあって、「LANパーティ」がいつ、どこで開催されているのかがわかるサイトがあって、そこまで盛んに行なわれているんだ、だったらなんで日本で広がらないんだろうと思ったんです。なので、こんなに広がっているんだったら、舶来物を日本に持ってきて広めてみようというような感じで始めたのがきっかけです。

――KINTAさんはアスリートとしてeスポーツのキャリアをスタートさせたわけですが、その後のキャリアとして、監督やコーチ、それから現在のイベンター、そしてLANパーティと様々な選択肢がある中で、なぜLANパーティを選んだのですか?

長縄氏: 人が好きなんです。

――なるほど、勝ち負けではなくて?

長縄氏: そうなんです。そこで勝っても負けても握手できる人たちが好きですし、そこを運営している人たちも好きです。なんでしょうね、やっぱり人が好きなんです、本当に。

――成は第1回「BIGLAN」開催後に設立されていますが、LANパーティをやるために作った会社ですか?

長縄氏: はい。協賛企業さんが法人でないと契約できないというところがあったので。

――全6回で儲かった時はありましたか?

長縄氏: ないですよ。あ、最後の6回目はSACTLを開催して儲かりました。少しだけ。

――覚えています。ネクソンさんの「SuddenAttack」の大会ですよね。

長縄氏: そうです、「SuddenAttack」の大会を開催して。それは儲かりました。それまではずっと赤字でした。

――6回目でついに儲かったのに、どうして7、8、9と続けなかったんですか?

長縄氏: 続ける気がなかった(笑)。

――それははじめて知りましたね。KINTAさんの方が6回で根を上げてしまった?

長縄氏: というより、「BIGLAN Socket 6」でSACTLをやり始めたのが我々として初めてのオフライン決勝大会の運営でした。そのタイミングで成の事業をLANパーティからオフライン大会運営に方向転換したんです。

――KINTAさんの中で、BIGLANを開催していく中で、徐々に趣味としてのLANパーティ屋から、eスポーツイベントを運営する実業家にシフトしていったというところはあるんでしょうか。

長縄氏: そうですね。そのいわゆる「SuddenAttack」に出会えたところでビジネスチャンスが生まれるなと思いました。その頃オフライン大会は人の目に触れるかどうかもわからないくらいだったので。これは開拓のチャンスがあるな、と思ったんです。

――その方向転換は、純粋にビジネス的な判断ですか、それとも何か想いがあったんですか?

長縄氏: やっぱりユーザーが求めているものはLANパーティの上にある、勝敗が付く大会というところなんだなと気づいたんです。私が言っている「人が好き」、とか「人と会う」というのは、大会を行なうことによって必然的に発生するものなので、LANパーティにこだわらなくても大会をやれば、ある意味みんなに啓蒙できるんじゃないかと思ったので、LANパーティよりももうひとつ上の所に行こうと考えました。

――現在、「C4 LAN」を代表格として、全国で大小様々なLANパーティが復活してきているという手応えを感じています。その先駆者としてどのような感想を持っていますか?

長縄氏: 率直に言って素晴らしいですね。うらやましいです。私とかの時代って早すぎたんですよ。何もかもが早すぎて。いつの間にか“レジェンド”だとか言われますが、ただ単に早すぎたアホなんです(笑)。

――これはもうあえていいますが、ホントに早すぎましたよね(笑)。

長縄氏: そうなんです(笑)。その時代のニーズに沿ったことをやれなかった。ということは先見の明はあったのかもしれませんが、時代のニーズに合わせられなかっただけなので。今このタイミングでやれた小林社長(ニチカレの代表取締役社長: 小林泰平氏)もすごいなと思いますし、小林さんも相当苦労しているはずなんです。

 そういう意味では、何もないところにLANパーティやゲームナイトとかをやって、私が辞めるくらいから、みんなやり始めたというところもあるので、ある程度みんなに残せたかな、継承できたかなという想いはありますね。

――私も声かけられて取材に行きましたけれども、当時はある意味、全員が手弁当でしたよね。みんなが持ち出しして、楽しんで終わりという、最初から最後まで趣味のような感じでした。

長縄氏: ほぼ、趣味でした。バカでしたね(笑)。

――だって価格からして設定がおかしくて、このハコを数日借りきって、それで1人数千円とかで場所を貸していたりして、これでどうやってペイするんだっていう(笑)。

長縄氏: 無理無理(笑)。

――ある意味で良い時代だったのかもしれませんが、今後E5としてLANパーティを復活させたいと思われますか?

長縄氏: 「LFS(ルフス 池袋 esports Arena)」を使ってですか?

――そうです。私はずっとKINTAさんに聞きたかったんです。なんで「LFS池袋」という立派なハコがあるのに、オールナイトのLANパーティイベントを定期的にやらないのかと。

長縄氏: 個人的にはLANパーティはもう“人のもの”かなと思っているんです。それで私が主催というよりは誰かが主催をしているところに助けを貸して、我々はあくまでも黒子として徹底して、会場を貸すというところに徹したいなと思います。

――なるほど、たとえば、「C4 LAN」にサードウェーブとしてあれだけ協力するのなら、場所も近いLFSを第2会場にすればいいじゃないかと思っていました。

長縄氏: それも考えました。ただ、LANパーティの本質として、会場の一体感が崩れるというのが嫌だったのもあります。逆に「C4 LAN」に行きづらいという人がここに来ればいいという部分も、もしかしたらあるかもしれないかなとは思ったのですが、とはいえ、無理矢理でもあそこの雰囲気を味わってもらわないと、LANパーティの良さはわからないと思うので、別会場というのは難しいかなと思います。

――なるほど、それはLANパーティ屋さんらしい意見ですね。

長縄氏: でも、その方が良いと思うんですよね。

――ただ、KINTAさんが「おい、お前らやるぞ?」といったら、余裕で埋まると思いますよ。

長縄氏: そんなことはないですよ。

――誓ってもいいですが、絶対埋まります。KINTAさんが伝説の「BIGLAN」を復活ってだけで、往年のFPSコミュニティが黙っていませんし、若いゲームファンたちも「何が始まるの?」って関心を持ってくれると思いますよ。

長縄氏: (笑)。まあ、私が直接やるというよりかは、若い人たちの手助けをするというのが私の役割だと思っていますので。

――ずっと前から思ってますけど、その控えめなところがKINTAさんなんですよね(笑)。

長縄氏: いやいや、そこは徹底していかないと。

――わかりました。ところで「C4 LAN」で1つ気になっていたことがあって、KINTAさんが「元プロゲーマー」と書いてありましたが、プロになった時期があるんですか?

長縄氏: ね? あれはサードウェーブの広報の方が勝手に書いたんですよ(笑)。

――厳密にいうとプロとして活動されたことはないですよね?

長縄氏: ないですよ。何をもってプロなのかという話で、お金を稼げばプロなんであれば、確かにプロでした(笑)。

――そうか、そういう意味では確かにプロだ(笑)。

長縄氏: WCG4位もそうですし、あとNestaという渋谷のゲームセンターでやった時にも賞金は稼いでますし、いろんなところで「UT」の大会は出ていたので、そこで27,000円くらいは稼いでいました(笑)。