インタビュー
日本eスポーツ界のレジェンド“KINTA”こと長縄実氏インタビュー
2019年7月29日 00:00
イベント運営会社「成」でのeスポーツ大会運営について
――「BIGLAN」後のeスポーツイベント運営事業についてもう少し話を伺いたいのですが、成の大きな転機になったのはなんといってもOooDaさんの加入ですよね。
長縄氏: 「BIGLAN」の後に、ゲームヤロウやレッドバナナの時代がありました。そこから「SuddenAttack」とずっとおつきあいをさせていただいて、その後、ネクソンに移管したわけです。そして移管したあともキャスターのyukishiroと一緒に「SuddenAttack」を盛り上げていました。
今後、扱うゲームやコンテンツが増えていく上で「誰かおもしろいヤツがいないのか」とか「右斜め上をいくようなヤツがいないのか」と思った時に、OooDaと知り合って。当時OooDaも結構ハチャメチャなことをやっていたので、「ちょっと育てたら、おもしろいヤツになるな」と思ったんですよね。
――KINTAさんが凄いなと思うのは、“MCを中で持つ”という発想です。別にその都度外注でも良かったわけですよね?
長縄氏: そうですね。なんででしょうね。あまりそこの発想はなかったのですが。
――そもそも社内MC1号のyukishiroさんとは、いつ、どのように出会われたのですか?
長縄氏: yukishiroは、FPSのコミュニティの誰か経由できたんだと思うのですが、「なんか『クロスファイア』でおもしろい実況をしているのがいるよ」というので。
――現在、雨後の筍のようにeスポーツイベント運営会社が存在していますが、実況・解説・MCを社内に持つ会社というのは無いと思うんです。
長縄氏: そうですね。ちゃんとしゃべることができて、ちゃんとステージで進行ができるという、例えば、実況はできるけれども進行ができないとか、進行に慣れていないという人間が多かったのですが、そういう人たちを育てたいと思ったんです。
――以前は今のyukishiroさん、OooDaさんのようなキチッとMCを張れる存在がいませんでしたよね。
長縄氏: そうですね。なので、普通どのイベントでもステージ進行はMCが当然やるべきであって、その要となるMCがいないような、ぐだぐだな進行なんてあってはならないと思うんですよね。
――でも昔は、そういうぐだぐだなイベントが多かったですよね。「何コレ、今どういう状況なの?」みたいなダラッとしたイベントが(笑)。
長縄氏: ありましたね。それに違和感がありました。
――KINTAさん自身がやろうとは思わなかったんですか?
長縄氏: 主催者が進行をしてどうするんですか!(笑)。もう本当に経験値で「これではみんなグダるな、メリハリもないな」と思うことが多かったので、では変えてみようと。
――そこでyukishiroさんを探し出して、さらにOooDaさんを見つけたと、そういうストーリーでしょうか。
長縄氏: 2人にはかなりいろいろと一から勉強させました。yukishiroは喋りがうまくてカッコ良く実況ができたので、その上で、中身の肉厚をつけるという勉強をさせたり、OooDaも同じように、カッコ良く喋ることと、画面で起きていることをわかりやすく表現したり、たとえで言ったり等ですね。今では2人ともゲームイベントを盛り上げる花形として活躍しているので今後に期待をしています。
――それにしてもKINTAさんはずっと出ないですよね?
長縄氏: なんで出る必要があるんですか。(笑)
――この業界ってとりあえず「俺が出るから」みたいなところってありますよね。でも、KINTAさんは最初から出ないですよね。
長縄氏: そうですね。
――いや、正確には第1回BIGLANの時はタンクトップ姿でマイクを握っていましたから、その後からですよね。姿も形もなくなって、いるのかどうかすらわからなくなったのは。
長縄氏: (笑)。
――どういう心境の変化があったのですか?
長縄氏: これはずっと遡って小学校5年生か、6年生ぐらいの時に。
――ずいぶん遡りますね(笑)。
長縄氏: すごい遡ります(笑)。学芸会があったんですよ。その学芸会で影絵をやったのですが、影絵で「誰がこの役やりたい?」と言って、みんな手を挙げるじゃないですか。その時に、俺ずっと手を挙げなかったんです。やりたいものがなくて。そうしたら、学校の先生に「お前は舞台裏で監督をやれ」と言われたんですね。現場を仕切れと。多分その先生が私の性格を理解していたんだと思います。そこで裏方に入って影絵の方を仕切ったです。そうしたら、なんかうまくいったんです。
――ほー。
長縄氏: それで、そこから「あ、俺ってこういう道もあるのかな」と。
――そこからずっと裏方ですか?
長縄氏: そうです。それでそこから、「BIGLAN」をやったときも、あまり表に出るのは得意ではなかったのですが、犬飼君に「主催なんだから、前に出なくちゃだめだよ」と言われて挨拶をしました。それ以来出ないようにしています。「UT99」の「C4 LAN」の時も手がブルブル震えてしまって(笑)。
――そうでした? そうは見えませんでしたけどね。
長縄氏: あがり症なので、裏方に徹したいと常に思っています。
――C4LANの時、確か何人かに勝つとKINTAさんと戦えるという企画がありましたね。
長縄氏: そうです。残り15分しかない中で「UT」をやりました。自分のセッティングの時間がなくて、超ハイセンシのマウスでやったら、手がブルブルになっちゃって。もう画面の中で地震が来ているのかというくらい(笑)。「C4 LAN」に来た人たちは「これはなんかじじいの病気なのか?」という風に思ったかも知れません(笑)。
――あれはオンラインで観ていましたが、そんなことになっていたとは知りませんでしたね(笑)。
長縄氏: あんなことになってしまって「もう絶対に出ない」と心に決めました(笑)。
――でも、KINTAさんがそういうポリシーだからこそyukishiroさんとOooDaさんという2大看板が生まれたわけですもんね。
長縄氏: そうですね。やっぱり、裏方が好きですね。
――その2枚看板が活躍した番組といえば「OnPlayerSTREAM(オンプレーヤーストリーム)」という伝説のオンライン番組がありました。あれにはKINTAさんはどのくらい関わっていらっしゃるんですか。
長縄氏: ほぼ、全て関わっています。
――あれも早すぎたというヤツですね。
長縄氏: いつもやることが早すぎるんですよ。
――OooDaさんのインタビューをする際に、結構見直したのですが、観ながら「これは本当に10年早かったな」と思いました。
長縄氏: (笑)。
――あれは、どういう意図でやろうと思ったんですか?
長縄氏: その頃、出始めてきたプロゲーマーとか、有名なプレーヤーというのが比較的、埋もれてしまっているなという印象があったんです。埋もれるというのは、ちょっとしたゲーム大会で優勝するけれども、それ以上拡がりが足りないと思っていました。そこで番組を作ってみんなの力をかりて、シナジーを効かせて、啓蒙していこうというところからの発想でした。
いわゆるゲームメーカーさん、IPホルダーさんがやるイベントというのは、いわゆるプロモーションの一環になってしまいますよね。フィーチャーはするものの、選手の中の部分には至っていない。「大会に参加しました」、「1位になりました」、「優勝をしました」、「おめでとう、はいお金」というところで終わっている。これをもっと肉厚にして、プレーヤーというのは、こんなにおもしろい人たちがいっぱいいるんだよ、こんなにすごくて、バラエティに富んだ人がいるというのをもっと見せたかったんです。
――なるほど、素晴らしい主旨だと思いますが、でも全然視聴されなかったですね……。
長縄氏: (力強く)されなかったですねー。(大爆笑)
――あの企画は、とても良いと思うんですけど、なんでなんでしょうか。本当に、見られていないですからね。
長縄氏: 見られていないですね。興味なかったんじゃないでしょうか。
――やっていることは、すごいおもしろんですけどね。
長縄氏: 私の宣伝の力が全然ないんですね。
――内容がマニアックすぎたんですかね。
長縄氏: ある意味マニアックでしたね。でも、江尻さん(DeToNator代表江尻勝氏)とかも出ていただいているんですけどね。
――そのほかにもまた当時選手だったSHAKA選手とか、DetonatioNのDustelBox選手とか、豪華でしたよね。
長縄氏: そう、DustelBoxさんとかStanSmithさん(スポーツキャスター岸大河氏の選手時代のハンドル)も出ていたし。今頑張っている人たちの中から大勢出ていたんですけどね。
――あれはスポンサーを募ってやられていたんでしょうか。それとも手弁当で。
長縄氏: 手弁当でやっていました。
――また手弁当を復活させちゃったんですね。
長縄氏: ええ(笑)。部下達も普段の仕事をやりつつ。あれはyukishiroがディレクターをやったんですが、yukishiroがえらい大変でした。
――当時は、ネクソンさんのeスポーツイベント運営で収益を上げながら、一方でeスポーツ配信のような先進的なこともやっていたというわけですか。
長縄氏: そうですね。あと中古事業部もあったので、そこでも収益がありました。
――成のeスポーツ大会運営事業についてお伺いしたいのですが、KINTAさんとは会場で会って雑談してという感じでしたが、過去に実施したイベントの中で最大のものはどのくらいですか?
長縄氏: イベントとして最大はTGSですけど、大会の規模でいうと「SuddenAttack」で、1,024クランを集めた大会をやりました。
――1クランは5人ってことは5,000人以上が参加したわけですか?
長縄氏: ですね。一応予備も合わせると6,000人はいっていると思いますね。予選から全部やりました。
――期間はどのくらいでしたか?
長縄氏: どのくらいだったかな。あまり覚えていないんですが、1カ月か2カ月くらいだったかな。グループ分けをして同時でトーナメントをやって、各試合、1人4試合位を面倒みたんです。比較的長期ではなかったですね。
――大会運営は、最盛期で年間どのくらいされていましたか。
長縄氏: 簡単な番組制作を入れると年間100は普通にこなしてました。忙しかったですね。
――以前、OooDaさんとインタビューしたときに、朝、トラックで駆けつけて、そのまま設営して、自分がMCをやって、撤収もやってトラックで帰るということをやっていたと聞いて驚きました。予算的にそれぐらいしないと回らないんでしょうか?
長縄氏: そういうわけではなかったのですが、もともとタレントの人間たちも裏方がどういう動きをするのかを理解してほしかったんです。ステージに上がる人間も、ステージを動かす人間も「あうん」の呼吸を作らなければならないので、そのために裏方もやってもらいました。裏方があるから、ステージがあるということをちゃんと理解してもらいたかったというのはあります。
――今までやったお仕事の中で、一番印象的な大会はどの大会でしょうか。
長縄氏: 印象的な大会……、なんでしょうか。これといったものはないんですよね。
――つまり、どれも平等に全力で取り組んで満足しているという感じでしょうか?
長縄氏: そうです。みんな結局、燃え尽きるんです。燃え尽きれなかったものが、逆の意味で印象に残ることはありますけれども、あまりそれは口にしたくないところなので。燃え尽きたものに関しては、本当に均等に満足しています。
――イベント運営の中で一番失敗したな、というのはありますか。私は何度か聞いたことありますよ、ステージの裏のほうでKINTAさんが「何やってるんだ」と怒鳴っているのを。ああ、KINTAさんやっぱり怖いなと強い記憶に残っています(笑)。
長縄氏: それは私が悪いんです(笑)。どうしてもスタッフの中には、プロのイベンターではない人間もいますので、その人たちがプロの人たちに迷惑をかけることが一番許せなかったので、そのために、空気を張り詰めるために、怒鳴っていました。
――なるほど。
長縄氏: あれは事前にその怒る部下にあえて「お前怒るから、今気にするなよ」と言って。
――仕込みですか(笑)。
長縄氏: 何回か仕込みました。そうすると連れてきた人たちも「こいつ怖いやつだ」と気が引き締まってくるので。でも、そのターゲットにされていたやつは困りますよね。相当嫌だったと思います(笑)。