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会場:立命館大学衣笠キャンパス
くくりとしては、単純に学術研究の対象としてゲームを取り扱うのではなく、コンピュータ技術を使ったインタラクティブエンターテインメント分野において巨大産業に成長した「コンピュータゲーム」のこれまでの歴史と今後の展望、というアカデミックな切り口で、それだけに日米のゲーム産業の各分野で実績を残した大物ゲストが集められた。 立命館大学は、もともとデジタルエンターテインメントに関する学術研究には熱心な大学で、今回のシンポジウムのゲストのひとりである元任天堂(現アドバイザー)の上村雅之氏を先端総合学術研究科の教授として招いているだけでなく、政策科学部教授の細井浩一氏は産官学プロジェクト「ゲームアーカイブプロジェクト」の責任者、政策科学部助教授の中村彰憲氏は、日本における中国ゲーム市場研究の第一人者であり、国際ゲーム開発者協会(IGDA)関西のメンバーとして、IGDAとしての活動や、Game Developers Conference(GDC)、CESA Developers Conference(CEDEC)といったゲーム開発者向けのカンファレンスにも積極的に参加している。 さて、シンポジウムは、今回シンポジウムの総合チェアマンを務めた立命館大学教授 細井浩一氏の開催の挨拶のあと、立命館大学チェアプロフェッサーの武邑光裕氏による「インタラクティブ・エンタテインメントのデザイン展望」と題された基調講演からスタートした。 武邑氏の基調講演は、エンドユーザーやゲーム業界、あるいはメディアに向けた内容ではなく、ゲーム分野の学術研究に世界的に後れを取る日本において、現在札幌市立大学設置準備室教学・研究部長を務め、メディア美学、デジタル・アーカイブ情報学等を専門にする武邑氏ならではのゲームデザインに対する概念論とでも言うべき内容だった。話としては極めて硬質で、今回聴講した学生がどれだけ理解できたのか疑問に思えるほどだった。比較的理解しやすい部分だけをかいつまんで紹介したい。 武邑氏は、まず始めに、最近視察したという韓国光州情報文化産業振興院が行なっているゲーム産業創造人材教育モデルを紹介した。同振興院は、ゲーム開発のエリートを育成する目的で設立された大卒者を対象にした2年制の“ゲーム士官学校”で、その最大の特徴は“転換教育”にある。既存の学問は、すべてゲーム産業に転換可能という理念のもと、たとえば心理学/哲学専攻者なら、ゲームシナリオ専攻に、社会学/人文学ならゲーム社会学、コンピュータ工学ならゲームプログラミングにと転換教育を施す。 この転換教育は、ゲーム上に仮想世界を作り上げるオンラインゲーム大国韓国ならではのアプローチだが、2005年1月に開校したという同振興院は、2年制で定員80名。卒業生が生まれるのは2007年ということになる。武邑氏によれば、韓国は人材育成のために、中国やベトナムから1大学あたり多いときで500人規模の留学生を受け入れており、現在ではつくば学園都市を10倍にしたような規模の学園都市もできつつあるという。 また、武邑氏独自のゲーム産業に対する歴史的な展望の紹介では、日本の著名ゲームクリエイターのひとりである水口哲也氏が、武邑氏の日大講師時代のゼミ生であり、セガへの就職を斡旋するなど、一種の師弟関係にあるという意外なエピソードが公開された。 武邑氏は、ゲーム史を'60年にアメリカで誕生した「Sensorama」からひもといた。「Sensorama」は、シアターにインタラクティブ性を取り入れただけでなく、音や風、振動、そして匂いなども取り入れた没入型のインタラクティブエンターテインメント。そのほかにも水口氏が大きな影響を受けたというダグラス・トランブル監督の映画「Brain Storm」、ユニバーサルスタジオの有名アトラクション「バックトゥザフューチャーライド」、NASAが開発したヘッドマウントディスプレイ採用のシミュレータ「Telepresence」などを取り上げ、没入感と双方向性こそが、ゲームデザインの王道であることを強調した。 そうした延長線上にあるものとして紹介したのが前述の水口氏の代表作である「Rez」。エンドクレジットに武邑氏の名前もあるそうで、「“トンネルビジョン”(カメラの超広角レンズで撮ったような視点が永続する世界)をゲームとして実現してくれた」と賞賛を隠さなかった。武邑氏自身が好きなゲームとしてはSCEEの反重力レーシングゲーム「Wipeout」シリーズだという。知覚の没入感、反重力感といった同シリーズお馴染みの魅力に触れつつ、インタラクティブエンターテインメントは、いかに現実を強度に編集し、知覚のドラマをデザインするかが重要だとした。 武邑氏の展開するインタラクティブエンターテインメント論は、確かに水口氏の師匠筋だと思わせるほど前衛性に溢れ、非常に刺激的だった。ただし、そのゲームデザイン像が果たして大衆に向けうるものなのかというと疑問が残るのも事実。個人的には、一種、ゲームをキャンバスとした場合の芸術作品を生み出すためのサゼッションとして聞いたほうが、胸にストンと落ちる感があった。
実際、午後のシンポジウムで任天堂の宮本氏は、レボリューションのコントローラに関する話題の中で、ヘッドマウントディスプレイに代表される没入性の高いインターフェイスデザインのゲームを、「横から見ると、自分の子にさせたいとは思わない(笑)。遊んでいる人を見てもほほえましいと思えるような風景を作りたい」と述べている。もちろん、これは双方、視点のレイヤーが異なっており、どちらが正否というレベルの話ではない。武邑氏の講演は、本来学術研究のプロが、ゲームデザイン論の根っこの部分について力強く言及していることが何よりも興味深いと感じた。
□立命館大学のホームページ (2005年12月2日) [Reported by 中村聖司]
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