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前日組も出た! GBA「MOTHER 1+2」発売記念イベント
「MOTHER」の思い出に糸井氏自らが答える

6月20日 発売

価格:4,800円

5階の用意されたレジもパッケージが飾られ、すべてが「MOTHER」の赤一色となった
 その昔、糸井重里氏が制作に加わったことで、それまでとは一風変わったRPGが任天堂から発表され話題を呼んだ。それが'89年にファミコン用カセットとして発表された「MOTHER」、そして'94年にスーパーファミコンで発売された「MOTHER2」だ。今回、ゲームボーイアドバンス用ソフトとして1作目と2作目がカップリングされ発売された。発売日の6月20日には渋谷のQ-FRONTに糸井氏を迎え、発売記念イベントが行なわれた。

 午前中に糸井氏自らが先着200名のユーザーに直接サイン入りのGBA版「MOTHER1+2」を手売りしたあと、スチャダラパーのBOSE氏と対談形式で記念イベントは行なわれた。

 対談では、まずは「MOTHER」の制作当時の想い出を振り返る形でスタートした。BOSE氏が音楽について触れたことに対し糸井氏は「1作目は本当に素人で、音楽を余裕を持って作ることができなかった。できることを全部したという感じ。だからなまじゲームを知っている人がやっていればもっとゲームっぽい音楽になっていたと思う。ピコピコしてないけど、なにも不思議に思わなかった」と当時を振り返った。

 同作の音楽は鈴木慶一氏と今や「ポケットモンスター」の音楽でも有名な田中宏和氏。鈴木氏には以前インタビューしたとき「当時はたこ部屋みたいな狭いところでギターで作曲し、田中氏とこれはできる、これはできないと工夫しながら作っていた。それが楽しかったんだよね」と語られていたが、そういったコメントとも繋がる話が会場でも飛びだした。

 糸井氏は続けて「当時、市川に制作現場があってマンションの2階全部の部屋がソフトハウスだった。3~4部屋あって、プログラマの部屋に近づくと『うるさい!』と怒られたんですが、もうひとつマップの部屋というのがあった。そこでは今みたいにデータをメールでやり取りできないから、一画面、一画面プリントアウトして張り合わせてマンションで広げていた。部屋に入ると『糸井さん踏まないで!』とか言われながら作っていた」と今では考えられない、当時の苦労話が語られた。

 まだまだ当時の話は続き「夜中になるとソフトハウスの社長が黒塗りのクラウンでやってきて、焼きそばとか買ってくるんだよ。そういった学園祭の前日のような雰囲気が良かった」という。スタッフとのコミュニケーションについて「冗談めかして『いいバット……最高のバットでいこうか!』といっても年齢が離れているから素直に『ハイ』って聞いちゃう。『何言ってるんですか』とツッコミが入るようになって初めてチームワークが取れてきたような気がした」と振り返った。

 対談の後半ではユーザーの質問に答える形で進められた。たとえば「1作目と2作目ではどちらからはじめたらいいですか?」という問いについては「2作目と答えている。それは2作目は安心感があるから。1作目は荒削りで『ブロック崩し』のように古くさく感じるかもしれないから、2作目からはじめるのもアリかも」とコメント。糸井氏は1作目について「今のユーザーが『MOTHER』について古く感じているかもしれない」と“過度に”心配していると語っていた。そういった意味で、初めてMOTHERをプレイする人には2作目を勧めているのだという。

 このほかにも「MOTHER」の名前の由来が「すべてのゲームの母体となるように」と「ジョン・レノン」から来ていると言うことだったり、「ゲームを禁止しているんですけど、『MOTHER』はプレイさせたい。どうすればいいでしょう」という問いには「『MOTHER』をプレイしたユーザーから今でもメールをもらう。『MOTHER』はゲームの形をした本。現代のトム・ソーヤだと思っている。そういって、ゲームをプレイさせてもいいのでは」と答えていた。

 また、「攻略本を読んでもいいですか?」という問いには、「攻略本を読まなければ解けないゲームにした憶えはない」と前置きした上で、「あの当時は友達が攻略本だったんだよね。起きているか寝ているかのギリギリのところで電話して聞くという。ゲームを一人でプレイするんじゃなくて、ゲームをプレイすることで友達が増える、そんなゲームを作ったつもり」と語った。

 ちなみにゲームの発売当時、制作者の糸井氏自らが作り、一部では「本編より面白いのでは?」と伝説となった「マザー百科」が新装復刻版で小学館から発売されている。こちらはゲームをプレイする上でより楽しめるための本とも言えるかもしれない。まさに「おとなもこどもも、おねーさんも」オススメかもしれない。

12時から開催された糸井重里氏とスチャダラパーのBOSE氏の対談。懐かしい話からユーザーの質問に答えるコーナーまで充実した内容となった 糸井重里氏。冗談を交えながら当時の制作環境などにも触れた ゲーム好きで知られるスチャダラパーのBOSE氏。始まる前には展示された当時のフィギュアを見て興奮していた
糸井氏は最後に「今日はここに入れなかった人も多く、 (来てくれて) 本当にありがたい」と締めくくった 最後に抽選が行なわれてユーザーにプレゼントされた巨大な“どせいさん”と任天堂のシャツなど。いずれも手に入り難い品とあって、当たった人は羨望の的だった



 今回のイベントについては広く告知されていたため、ユーザーが殺到する形で幕が開けた。なんと19日の夕方くらいからファンがすでに集まり行列を作り始めたという。22時には、すでに定員の半分となる100名を突破。徹夜で行列を作るわけにはいかないことから、急遽整理券の配布が決定されたという。最終的に20日の5時30分に200名分の整理券の配布が終了。それでも人がふくれあがり、10時の開店時間Q-FRONT前は騒然となっていた。

 5階でイベントが行なわれているその下の階では、残念ながら先着200名に漏れたユーザーがフロアに長蛇の列を作った。フロアを一周する行列は、次から次に来店するユーザーが途切れることがなく、どんどん長くなるばかり。平日にも関わらずこの盛況ぶりで、あらためて「MOTHER」人気を見せつけられた感じだ。

 会場には、制作当時を振り返る意味で、制作に影響を与えた映画などの映像作品や、当時のフィギュア、Tシャツやスタジャン、ポスターなどが展示された。来場者は代わる代わる写真などを撮って楽しんでいた。

 来場者に配られた糸井氏の手紙には“どせいさん”のイラストと共に「今日は、どうもありがとうございました。いつまでも永く遊んでやってください」と書かれ、宮本氏も「これは本当に糸井さんのゲームであり、私にも思い出深い作品です」とコメントを添えている。

とにかく数多くの人が駆けつけ、ここに写っている人は、そのほんの一部と言うほどの盛況ぶり こちらは4階のゲームコミックのフロア。200名に漏れた人がこちらでゲームを買い求めていたその行列がフロアを一周するほど ということで、早々に整理券配布終了の看板が立てられた
会場に飾られたフィギュア群。こんなものまでという感じで懐かしいモノが並んでいた。右側の写真に写っているフィギュアは第1作目の“ぼく”と“女の子” 「MOTHER」シリーズを制作する上で影響を受けたとも言える映像作品などが資料展示されていた
かなり懐かしいアイテムも多数展示されていた。対談イベントが終わった後もしばらく解放され、誰でも見て回れるようなっていた


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□TSUTAYAのホームページ
http://www.tsutaya.co.jp/
□任天堂のホームページ
http://www.nintendo.co.jp/
□製品情報
http://www.nintendo.co.jp/n08/a2uj/
□「ほぼ日刊トイ新聞」のホームページ
http://www.1101.com/
□関連情報
【2003年4月15日】任天堂、GBA「MOTHER 1+2」を6月20日に発売。GBA「MOTHER 3」も制作中
http://game.watch.impress.co.jp/docs/20030415/mother.htm

(2003年6月20日)

[Reported by 船津稔]


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