★ PS2「バーチャファイター4」発売記念 ★

プレーヤーにとっての
「バーチャファイター」

【はじめに】
 『バーチャファイター』は、数少ない“歴史を語れる”格闘ゲームである。メーカーがリリースしたゲームそのものの歴史はもちろん、プレーヤーが作り上げた数々のエピソードが一部都市伝説化し、本になったりもした。そこで、「VF」シリーズを遊びこみ、このゲームがきっかけでライターとなった渋谷地下系ジャンキーズの方に、「プレーヤーの視点からの『VF』」を語ってもらうことにした。



 『バーチャファイター』(以下、VF)がその姿を最初に現わしたのは、'93年のAOUショーだった。当時、アーケードゲーム業界は空前の「対戦格闘ゲーム」ブームで、この年のAMショーの目玉は『スーパーストリートファイター2』と『餓狼伝説スペシャル(SNK)』であり、ショーが始まるまでは『VF』はある意味ノーマークの作品であった。

 この時に出展された『VF』は、まだ60%の完成度で、全8人のキャラクタの中にアキラの姿はなかった。代わりに「SHIBA」というターバンをかぶったアラブ系のキャラがいたり、ラウの名前は「TAO」、カゲは「YAGYU」、ジェフリーにいたっては「DURAL」となっていた。さらに、プレイしてみると、まだ完成度も低く、どのキャラも技が似たようなものばかりだったり、バーコードを読み取って攻撃力などが決定する「バーコードバトラーもどき」の『VF』も数台あったりと、今思えば“色物格闘”として一蹴されてもおかしくない出来だった。しかし、その見た目のインパクトは相当なもので、ゲーム関係の技術者たちはポリゴンで作られた人間がなめらかに動く姿に驚愕したし、ゲーム雑誌の編集者やライターはそこに“新しいなにか”を少なからず感じた。そして、その予感は的中することになる。


スロー・スターターだった『バーチャファイター』

3D対戦格闘の祖といえる「VF」。しかしそのブームはしばらくやってこなかった。AOUショーでは「VF4」のカードシステムのベースともいえる実験も行なわれていた
(C) SEGA 1993
 初代『VF』は『バーチャレーシング』と同じ、業務用CG基板「MODEL1」で開発された。この基板は32ビットCPUを積み、毎秒18万ポリゴン表示という驚異の性能を持つモンスターボードだった。そのモンスターっぷりは性能だけに留まらず、基板が大きすぎて従来のゲーム筐体に収まらなかったため、「スーパーメガロ50」と「アストロシティ2」という『VF』用のゲーム筐体が作られた。

 『VF』は当初、1プレイ200円という高額な料金設定だったため、対戦格闘ゲームとしての出足はそれほどよくなかった。その原因はプレイ料金だけではなく、スーパーメガロ50という筐体のせいでもあった。隣に座って、1つのモニターを二人で見ながら対戦をするというスタイルが、気まずいうえに恥ずかしかったからである。また、新宿など、都心の一部のゲームセンターではすぐに1プレイ100円になったり、1プレイ200円でもラウンドのセット数が多くしてあったりと、対戦プレイを意識した設定がされていたが、地方のゲームセンターでは発売数カ月後も初期設定1プレイ200円でスーパーメガロ50に入ったまま、というところがほとんどだった。そのため、「都心では流行っているが地方では誰もやっていない」という不思議な状態になる。


ブームはパソコン通信と週刊「ファミ通」から

 そんな『VF1』を全国的に流行らせたのは、パソコン通信と週刊ファミ通の力だった。リリース当初、『VF1』はあまりゲーム雑誌で取り上げられず、インストカードに載っていない技のコマンドは自分で発見するか、パソコン通信で調べるしかなかった。また、アーケードゲーム誌に載るのも対戦攻略ではなく、一人用のタイムアタックばかりだったので、戦術論を語る場としてもパソコン通信が活用された。そして、こうしたある種クチコミ的な広がり方をしていた『VF』を大きく取り上げたメディアは、家庭用ゲーム雑誌である週刊ファミ通だった。

 ライターの渋谷洋一氏と、編集者の羽田隆之氏はAOUショーのころから『VF』に注目しており、リリース後は週刊ファミ通誌上のコラムなどで『VF』の面白さをアピールし続けた。また、その誌上で羽田氏は、プレーヤーとしてゲームセンターへ足を運ぶうちに、パソコン通信の話題とリンクして「新宿ジャッキー」という存在になる。これらの強烈なアピールの効果で、『VF』はついに全国的なブームとなり、週刊ファミ通誌上で始まった「バーチャファイター・トゥデイ」という連載コーナーは、アーケードゲームの記事にもかかわらず大好評だった。


シーンは『バーチャファイター2』へ

 『VF』の盛り上がりが全国区に拡がったのを受け、セガ主催の全国大会「バーチャファイターチャンピオンシップ」の開催が決定した。そして、この大会の予選が終了した'94年9月に、『バーチャファイター2』(以下、VF2)を開発中とのアナウンスが正式発表された。また、セガサターン版『VF』の制作も決まり、『VF2』とセガサターン版『VF』の全国大会も開催されることとなったが、これはちょっと強引な展開に思えた。なんと、これら3タイトルの決勝大会を同じ日に行なうというのである。

 『VF2』リリース後も、『VF』とセガサターン版『VF』の決勝大会に出るプレーヤーは、『VF』の腕を磨いておく必要がある。しかし、『VF2』が登場しているときに、どうやって『VF』の対戦相手を探せというのだろうか……。そして、『VF2』がリリースされて2カ月近くが経過した'95年2月に、3タイトル合同の全国大会決勝戦は開催された。

 この『VF』シリーズ最初の全国大会は大成功だったが、『VF』という偉大な作品の終焉を飾るイベントとしては失敗だったように思える。この時、すべてのプレーヤーの興味は『VF2』に向けられていたのは間違いなかった。


地名を背負った戦いの始まり

テクスチャマッピングにより劇的に進化した「VF2」。新キャラのリオンと舜帝の登場もセンセーショナルなものだった。CPU戦で段位認定モードが初登場
(C) SEGA 1994
 '94年11月末、ついに『VF2』がリリースされた。『デイトナU.S.A.』でデビューした新CGボードMODEL2は、毎秒30万ポリゴン、秒間60フレームの処理を可能とし、テクスチャマッピング機能を搭載した最先端のもので、『VF2』もこのボードで開発された。蟷螂拳の使い手リオン、酔拳の達人舜帝という新キャラクタが追加された『VF2』は、全国的なブームとなった『VF』の勢いに乗って、リリース直後から各地で大いに盛り上がった。各ゲーム雑誌もこぞって特集を組み、アーケードゲーム誌は攻略記事に力を入れた。『VF2』のプレーヤー人口は爆発的に増え、『VF』を遥かにしのぐ記録的な大ヒットゲームとなった。

 都心にばかり集中していた有名プレーヤーも、全国各地から生まれるようになり、「北海道はブライアント兄弟が強い」、「重量級なら関東が一番レベルが高い」、「アキラとラウは間違いなく関西が最強」といった地域ごとの特色は、“仲間意識”を越えて地名を背負った“プライド”へと昇華していった。全国大会では、そういった各地の猛者が集結し、交流を深めつつも熱いバトルが繰り広げられた。これを機に、地方から都心へ、または都心から地方へと遠征に行くプレーヤーが増え出したころ、ついに第2回『VF2』全国大会「マキシマムバトル」の開催が発表されたのであった。

 また、このころから身内ルールや地方ルールが出来上がってきた。例えば、「バックダッシュを2回連続でやるのは禁止」、「しゃがみパンチの連打は禁止」、「ダウン攻撃禁止」などがそれだ。

 こういった地方ルールは『VF』シリーズに限らず、対戦格闘ゲームではよくあることだが、『VF』の場合は有名プレーヤーという存在がまずかった。地方ルールをでっちあげるときに「有名プレーヤーはバックダッシュをしないよ」と、有名プレーヤーの持つ影響力を悪用したのだ。

 そして全国大会・マキシマムバトルでは、タイム切れ寸前にバックジャンプで逃げて体力勝ちしたプレーヤーに、一部のギャラリーや参加者からブーイングが飛んだこともあった。その時期には、千本パンチと呼ばれるハメ技も発見されていて、PKキャンセルを1回やっただけで「ハメ野郎」のレッテルを貼られたプレーヤーもいたという。


待ち望んだ『バーチャファイター2.1』の登場

 『VF2』リリースから約1年後、新たにバランス調整のほどこされた『バーチャファイター2.1』(以下、VF2.1)というバージョンアップ版が登場した。ハメ技である千本パンチはできなくなり、巷で「ハメくさい」と言われていたよろけ状態への追撃を回避できるようにしたりと、トラブルの元になりがちな部分を絶妙に調整した『VF2.1』は、わりとすぐに受け入れられた。変更されたゲームバランスに不満を持つ者もいたが、ハメ技がなくなったとあっては、『VF2.1』を歓迎するほかないだろう。

 『VF2.1』ではセガ主催の全国大会は開かれなかったが、ブームに衰えはなかった。その理由は、「アテナ杯」と呼ばれる非公式の大会があったからだ。アテナ杯は町田のゲームセンターが中心となり、クチコミで開かれたチームバトル大会で、関東周辺の有名プレーヤーが多く参加した。回を重ねるごとに、ウワサを聞きつけて全国各地から参加者が増え、北海道や九州から交通費を自費で来るプレーヤーも当たり前のようにいた。

 このアテナ杯は、結果的に『VF2』でまん延した地方ルールへの対抗策にもなった。アテナ杯には手前勝手なルールはなく、全国の有名プレーヤーが集結するこの大会のルールこそ、スタンダードであるといえたからだ。地方ルールを強要してくるヤツには、「そんなのアテナ杯じゃ通用しないよ」と言ってやればいい。それほどの知名度と影響力を、アテナ杯は持っていた。『VF2.1』ブームはこのアテナ杯に支えられ、岐阜コンボというハメ技が発見されても失速することはなかった。


バーチャ新時代の幕開け

新要素を多数盛り込んだ「VF3」。対戦の駆け引きも直線的なものではなくなった
(C) SEGA 1996
 '96年、誰もが待ち焦がれた『バーチャファイター3』(以下、VF3)がリリースされた。『VF』シリーズ最新作の名に恥じない超美麗なグラフィックは、毎秒100万ポリゴンを実現した最新ボードMODEL3によるものだった。ゲームシステムにも大きな変更が加えられ、それまで必ず四角形だったリングは、ステージごとにまったく違う形、広さとなる。さらに新要素としてアンジュレーション(地形の高低差)、リング際の壁などが盛り込まれ、リングは“ただの地面”ではなくなった。ボタンも1つ増え、キックボタンの隣に配置されたエスケープボタンは、対戦に「かわす」という駆け引きを生んだ。新キャラクタは合気道を使う梅小路 葵と、相撲レスラーの鷹嵐の二人で、どちらも強烈なインパクトを見る者に与えた。

 全国大会・森永エンゼルカップの開催がすぐ発表されたこともあり、『VF3』は全国各地でいっせいに盛り上がった。『VF2.1』で『VF』シリーズを引退したプレーヤーが多い中、『VF3』からデビューとなる新しいプレーヤーたちは、メキメキとその頭角を現わしていた。そして、森永エンゼルカップで総合優勝を決めたのは、そんなニュージェネレーション・プレーヤーの一人であった。


新旧トッププレーヤーの対決

 『VF』を一大ムーブメントにのし上げた立役者たちの多くは、『VF2.1』で現役を引退していたし、『VF2.1』の有名プレーヤーは引退こそしていないが、あまり勝てないのが実情だった。さらに、一線級のプレーヤー層の世代交代も確実に進んでおり、年齢的に若いプレーヤーは上達も早く、トップレベルとされるプレーヤーですら数カ月で入れ代わるほどであった。だが、森永エンゼルカップの約半年後に開催された、全国大会「バトル甲子園」では、決勝リーグに進んだプレーヤーの約半数が『VF2』時代からの有名プレーヤーという、彼らの底力を見せつける結果になった。

 ところで、『VF3』にはA~Dの4つのバージョンが存在する。バグを修正するたびにバージョンが変わるのだが、ゲームセンターによっては古いバージョンのままのところもあり、これは大きな混乱を招いた。それが原因かはわからないが、『VF3』リリースから約1年後に、新バージョンの『バーチャファイター3tb』(以下、VF3tb)が登場することとなる。


結果的には大成功の『バーチャファイター3tb』

 『VF3tb』は、なんだか無理やりリリースされた感じがした。約1年間でバグの修正を3回もしたうえに、その直後に新バージョンを出すという流れに、多くのプレーヤーは閉口した。『VF3tb』のtbとはチームバトルの略で、大きく変更されたそのゲームシステムと、新しいバランス調整には不満の声があがった。また、次のアテナ杯が『VF3』で行なわれるということもあり、『VF3tb』の出足はよくなかった。

 しかし、アテナ杯が終了すると同時に『VF3tb』は盛り上がり、なんと『VF2.1』級のロングヒットを記録する。変更されたシステムも次第に受け入れられ、チームバトルモードこそ定着しなかったが、『VF3tb』ブームは『バーチャファイター4』(以下、VF4)がリリースされるまで続いた。こうして、「最終バージョンは必ずヒットする」という『VF』シリーズの歴史は守られてきた。そして時代は『VF4』へと引き継がれていく……。



□セガのホームページ
http://sega.jp/
□SEGA-AM2のホームページ
http://www.sega-am2.co.jp/
□PS2「バーチャファイター4」公式ホームページ
http://www.sega-am2.co.jp/VF4PS2/
□関連情報
【2月6日】PS2ゲームレビュー
コンシューマ版とアーケード版の見事なシンクロ
「バーチャファイター4」
http://game.watch.impress.co.jp/docs/20020206/vf4.htm
【2001年12月17日】セガとSEGA-AM2、PS2「バーチャファイター4」を2002年1月31日に発売
http://game.watch.impress.co.jp/docs/20011217/vf4.htm

(2002年2月8日)

[Reported by 渋谷地下系ジャンキーズ]

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ウォッチ編集部内GAME Watch担当 game-watch@impress.co.jp

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