|
会場:東京大学
講師は立命館大学映像学部・客員教授の川邊一外氏。同氏は、長年にわたり映画業界で活躍、シナリオ創作理論の研究書を多数出版し、近年ではゲームシナリオ創作にも活動の場を広げている人物。映像界で骨太のドラマを構築してきた先達ならではの「ゲーム理論」が展開され、聞き応えのあるセッションとなった。
■ 「GTA」、「Oblivion」等のアクションアドベンチャーゲームはゲームの最新進化形?
【講師】
議論にあたり、まず川邊氏は独自の「コンピュータ・ゲーム地図」を提示。これは現在のゲーム界に存在するゲームジャンルを、発展段階や各ジャンルとの関係にもとづいて整理したものだ。川邊氏は図を参照しながら「現在のほとんどのゲームは、『パズル系』、『戦闘系』、『達成系』、『物語系』の4つに分類される」という認識を披露。その中でも、いわゆるメジャータイトルの多くが「戦闘系」に属するという解説を行なった。この分類、ゲームに詳しい人間でも納得できる妥当なものといえるだろう。
川邊氏はゲームジャンルの展開傾向として、初期のスポーツゲームやアクションゲームに代表されるように、ゲームジャンルは主にアクション性の強い「戦闘系」から始まり、戦略ゲームなどに発展。また時代の流れと共に「育てゲー」や「ツールゲーム」、「シミュレータ系」などが誕生してきたとする。さらに「戦闘系」に物語性が追加されることでRPGなどストーリー志向の強いゲームが誕生し、そこから「ゲームドラマ」と言う考え方に発展。そして読み物としても楽しめる「アドベンチャー」というジャンルが発展期に入ったというのが同氏の認識だ。 そして川邊氏は、最終的に「アドベンチャー」と「アクション」が融合することで、「アクションアドベンチャー」という現在の大作タイトルでは主流といえる複雑なジャンルが形成されたことを指摘。その代表作として「Grand Theft Auto」シリーズ、「The Elder Scrolls IV: Oblivion」などを挙げた。同氏は海外ゲームも相当プレイしている模様で、「戦術戦闘系のゲームでは『Starcraft』が大好きで、仕事をほったらかしてプレイしてしまうことも」など、自身のゲーム性向を紹介。
それはさておいて川邊氏の「ゲーム地図」説明は続き、将来のゲームジャンルはアクションアドベンチャーを越え、最終的には「インタラクティブ・ムービー」に到達する、という認識を披露。このあたりはいかにも映画人としての個性が現われた分析と思える。これをゲーム関係者らしく解釈してみると「インタラクティブ性を保持しつつ、映像表現にさらに磨きをかけ、脚本にも超一流の理論を組み込んだゲームジャンル」ということになるだろう。その地位に近い実在のゲームとしては、「Myst」シリーズなどが挙げられるだろうが、現在はあらゆる重厚長大型のゲームでシナリオ志向が進行している点、川邊氏の指摘はあながち的を外しているとも言えない。
では、その「戦闘系」ゲームをどのように発想するか。ここから川邊氏一流の思考法が展開される。そのポイントは、「ゲームは一筋縄ではいかない。だから、戦いの架空環境と、主人公とその目的の二筋縄で考える」ということだ。川邊氏はここで「パックマン」の例を上げ、同作の主人公の目的が「食べる」という生存にかかわる本能的な動詞にあり、同時にそれをうまくゲーム化するための環境が絶妙に構築されている、と説明した。
「戦闘系」に続き、アクションアドベンチャーの一翼を担う「物語系」については、脚本理論を専門とする川邊氏らしい解説が披露された。ここでのキーポイントは、「主人公を歪みや欠落のある環境におき、それを解決するための超目標を設定。主人公に目標へ向けた貫徹行動をさせる」、「超目標の解決に向けた小目標を発展的に設置していく」のふたつ。長い時間の流れの中に変化があるからこそ物語は面白い、と本質論を展開した。これはRPGというジャンルで言えば、「小・中・大ボスとの戦い」という小目標から「超ボスとの決戦」へ、といったストーリー展開に対応するものだ。ここでは同氏の専門とする映画的な脚本理論が役に立つということになる。
■ 古今のゲーム関連学説は錯覚?
つまり、ダイヤモンドという物質を研究すれば、それが超高圧下で形成された炭素結晶であることが判明し、それを人為的に作ることも可能になる。ところが、ゲームは物質ではなく情報と人間の心理の関係性から産まれる「事」であるので、古今のゲーム研究理論のように物理的科学的に分析してみたところで意味がないと、従来の研究手法をバッサリ斬り捨てて見せた。ゲームを物理科学的に分析するというアプローチについて同氏に言わせれば、「ゲームという『観念』を自分の頭の中に定義してそれを自分で分析するという、同語反復にも似た意味のない行為であり、役に立つ情報は何も出てこない」ということである。 では正しいゲームの思考法とは何だろう。川邊氏は、それは「既成の常識を全て遮断し、それでも自分の中にある『遊び心』をありのままに見つめる」ことだという。ここで「ゲームの何が面白いのか」をあらわにしつつ、「現実に目に見える『ゲーム現象』だけを対象に情報を収集・構成し、志向にしたがってゲームを組み立てる」ということらしい。さすがにこれは抽象的すぎて、にわかには理解しがたい表現だ。 これに一種の解釈を与えてみるとすれば、思考法としては、例えばゲームデザイナーが面白いゲームを発想しようとするとき、まず頭の中に彼が想定する「ゲームルールに支配された世界」を構築する。頭の中では、現実の世界という「外界」からは遮断された世界秩序が構築され、その中で仮想の主人公をはじめとするキャラクタたちが活動している。ゲームデザイナーは、この世界を探索したり、キャラクタ同士の作用と結果を見て、「面白いかどうか」を基準に頭の中の世界のルールを調整していく。と、こんなところだろうか。
この解釈がある程度正しいとすれば、おそらく、これは多くのゲームデザイナーが日常的に実践している方法論といえるのではないだろうか。ゲームとはルールの集合体である環境と、プレーヤーたる主人公とで構成されるシステムなのだから、その発想のため、まず頭の中でそれを構築してみることには大きな意味がある。そこから展開する方法論としては、システムの面白さを確かめるためのプロトタイプ作成という段階に進むこともあるだろう。川邊氏の議論は、そういったゲーム製作手法の特性を、脚本理論研究家の立場から披露してみせたものだという受け止め方ができるかもしれない。
・ゲームは「勝てるから面白い」。コア化したゲームは面白さの原則を見直すべきか
つまり、リセット可能なゲームでは誰でも、生命を危機にさらすことなく何度でも挑戦し、いつか必ず強敵に打ち勝つことができる。だから面白く、ここまでの産業に発展してきた……とすれば、昨今のコアユーザー化が進んだ対戦型のネットゲームには、その原則に反しているフシがあるのではないだろうか。つまり、特にFPSや格闘などアクション系の対戦ゲームでプレーヤースキルが先鋭化し、ライトユーザーの参入が難しい状況になっている根本原因は「勝てることが保証されていないから」の一言ととなるだろう。その意味では、川邊氏のゲーム分析に非常な含蓄を感じる次第だ。
(2007年9月29日) [Reported by 佐藤“KAF”耕司]
また、弊誌に掲載された写真、文章の転載、使用に関しましては一切お断わりいたします ウォッチ編集部内GAME Watch担当game-watch@impress.co.jp Copyright (c)2007 Impress Watch Corporation, an Impress Group company. All rights reserved. |
|