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私とSIGUMAとの付き合いはけっこう長く、私が運営に携わった「Unreal Tournament」や「HALO」の大会などにも参加してくれている。「HALO」の大会では国内予選を優勝し、世界大会でも堂々5位の成績を収めてくれた。2004年のCPL日本予選ではイベント進行スタッフとしても活躍して沢山のファンがいる人気プレーヤーの1人だ。 SIGUMAが今年プロゲーマーとして挑戦したCPLワールドツアーはF1のように世界の9都市を転戦する形式で行なわれる大会。種目はPeople Can Flyの「Painkiller」だった。SIGUMAはスキルアップのためにロンドンに移住し、1年間を通じて9カ国すべての大会に参加した。
私は彼の今年1年の行動は、日本国内のeスポーツの歴史の中でも重要な活動のひとつだったと考えている。生活費、移動費などをスポンサードしてもらいながら大会だけに集中した日本初めてのゲーマーは、今年1年いったいどんなことをして、何を考えてきたのだろうか。私は成田空港で待ち構えて直接話を聞いてみることにした。 ■ なぜプロゲーマーになり、なぜイギリスに移住したのか?
SIGUMA 「2004年の夏頃に2005年からCPLがワールドツアー(CPL ワールドツアー)を始めるということを聞いて、なんともしてもCPL ワールドツアーに参加したくなったのです。はじめ種目に選ばれると噂されていた「DOOM 3」は自分にあわなかったのですが、「Painkiller」に決定してさらにやる気が沸いてきました。「Painkiller」をやってみたらスピードが速くて自分にあっていると思ったのです。それから実際に世界を回るには自分の貯金だけでは足りなかったので、スポンサーを探そうと思っていくつかの会社に提案をしたんです」 いくつかの会社に提案する中、ASKが興味を持ちSIGUMAはASKと契約をすることになる。ASKとはどういった経緯で契約に至ったのか? SIGUMA 「ASKには『Zボード』というゲーム用のキーボードを使って宣伝しながらワールドツアーに参加したいと話したら非常に興味を持ってくれたんです。日本ではこんな風にスポンサーを集めてたゲーマーなんていなかったので理解してもらえるかどうか心配でした。返事が返ってきてとてもうれしかったです。ASKの前田さんとは2004年のCPL冬季大会日本予選で面識があったので話が進めやすかったです。そこでASKは私のやりたいことをやらせてくれるってことで一社スポンサーによる専属契約という形になりました」 経済的な心配をせずにすべてのストップ(大会)を回れるようになった彼は、日本にいたままでは成果が出せないと考えた。ロンドンに住んで練習をしたいとASKにリクエストする。なぜ日本ではなくてイギリスに住むことにしたのか。 SIGUMA 「『Painkiller』は日本にほとんどプレーヤーがいない状況でしたから、ワールドツアーで成果を出すための練習をしようと思ったら海外に出るしかないという結論があったんです。ASKの支社があるアメリカという話もあったんですが、オンラインでいろんな国の人と対戦できることが大切だったのでヨーロッパの国のどこかがいいなと思いました。アメリカだと、アメリカ人とカナダ人くらいしかオンラインで対戦できないのです。そしてヨーロッパの中でもボクが少しは理解できる英語を使う国ということで、イギリスに決めました。イギリスからは、オランダ、イタリア、ドイツ、スウェーデンあたりの外国とのインターネット接続速度が速いんです。pingでいえば20から50くらいで外国の人とも対戦できたんです。これはすばらしいと思いましたよ」 「Painkiller」は、オンラインゲームなのでインターネットにさえつながっていれば世界中どこでも練習できるような気もするが、実際にFPSタイプのゲームでは通信の速度がゲームに深く影響してくる。通信速度が遅いと表示がガクガクになり試合にならないのだ。 アジア地域でほとんどプレーヤーのいなかった「Painkiller」で、強い練習相手を求めるにはイギリスが一番良いと判断したのだ。 ASKは彼の提案どおりロンドンでの生活費も提供した。彼は、東京に借りていた部屋の家財を整理し、すぐさま引き払うと、その足でロンドンに飛んだ。かくして彼が希望する練習と試合に集中できる環境が整ったのだ。 SIGUMA 「ほぼ毎日トレーニングをしていました。昼くらいに起きて顔洗って食事してニュースとか見て、午後3時くらいから本格的に練習を始めます。インターネットのIRCで練習相手を探すのですが、練習相手が見つからないときはBOT(コンピューターが自動で動かすキャラクタ)を相手に撃つ練習をします。 1時間練習、30分休憩というサイクルを繰り返し、夜中の3時くらいまで練習をしてました。食事は、部屋をシェアしてる人たちが日本人だったので主に日本食でした。自炊中心で、外食は8カ月中で1回くらいでした。休憩中にはeスポーツ関係のニュースを読んだり、SIGUMA.netという私のブログを更新したりしています」
SIGUMA.netはASKと契約する以前から運営していた彼個人のブログサイトで、日記が掲載されている。後にASKからのリクエストで写真などを掲載するようになっていった。 ■ 手ごたえをつかんだトルコ戦(3月)とスペイン戦(4月)
SIGUMA 「初戦のトルコは40人くらいのトーナメントでした。CPL ワールドツアーのトーナメントの組み合わせは、今までの実績を元にCPL主催者側が選ぶ方式なのですが、私は実績がなかったので、凄く下のシードからスタートになりました。1回戦はドイツの有名なUnreal TournamentのプレーヤーMouz.Aopen Burnieでした。彼はWCG2004やESWC2004でメダルを取るほどのプレーヤーなんです。結果は2-1で負けたので初戦で敗退ですが、でもあのBurnieから1試合とったのです。『がんばればなんとかなるかな』と手ごたえをつかめたストップでした」 翌月4月のスペインストップでもSIGUMAは惜しい試合をしている。まず1試合目でカナダから参戦しているmojoをストレートで倒し。2試合目は負けはしたものの、あのzyzを2点差以内に抑える好試合をしているのだ。SK|zyzは2004年のCPL冬季大会の「Painkiller」で優勝候補だったFatal1ty1やVoOを倒し優勝した今年期待の選手だ。
「Painkiller」のような1on1形式のFPSにおいて2点差で試合を終わることは、力がある程度均衡していることを表している。zyzをここまで追い詰めたことはかなりSIGUMAの腕が上が世界に通用していることを表していると思う。
■ ブートキャンプをしても勝てないブラジル戦(5月)とスウェーデン戦(6月) 大会の前に現地に入り、現地に集まってきたプレーヤーたちと泊り込みの練習をすること俗にブートキャンプという。大会に参加する強いプレーヤーとオンラインではなくオフラインでコミュニケーションをとりながら密度の高い練習ができるので非常に内容の濃い練習ができる場だ。日本のカウンターストライクのプロチーム4dn.psyminもブートキャンプでの練習は「海外の1日が日本での1カ月に相当する」と言って積極的にブートキャンプに参加している。 SIGUMA 「トルコストップで仲良くなったブラジルのプロゲームクランmibrのownieがブートキャンプに誘ってくれました。ブラジルストップの1週間前にブラジルに早くきてブートキャンプをしないかとさそってくれたんですよ」 ブラジルのブートキャンプには蒼々たるトッププレーヤーたちが来ていた。優勝候補と目されるチームFunaticのVoO、ロシアの「Quake 3」のWCG銀メダリストLeXeR、アメリカのCheck6のCBNZ、Mouz.Aopen Burny、Gellehsak、ztrider、「Quake 3」時代CPLで優勝経験を持つアメリカチーム3DのWonbat、イギリスのチーム4Kingsのzaccubus、チームPlay.itのstermyとForrestとBoomsとVICIOUS。ブートキャンプ後半は部屋に人があふれすぎてSIGUMAはろくに練習できなかったそうだが、前半はそれなりに充実した練習ができたという。だが、ブラジルストップ本番ではSIGUMAは負けてしまう。 SIGUMA 「ブラジルストップではまた負けてしまったけど、ブートキャンプのおかげでトッププレーヤーたちに名前と顔を覚えてもらえたという、そっちのほうの手ごたえを持ちました。この頃はロンドンに帰っても息抜きの方法がわからなくて、つねにどんなときも練習しなきゃ練習しなきゃって思ってました。練習していないと不安になってくるんです。スポンサードされているという責任感があふれてきて息抜きができることはなかったんです。休みの日とか取らなきゃいけないことはわかってるんですが、不安になってきて結局練習してしまうんです」 SIGUMAはスウェーデンでも引き続きブートキャンプに誘われている。しかしまたもや本番の試合ではブートキャンプの甲斐なく1回も勝てずに終わってしまう。
SIGUMA 「スウェーデン1戦目のAimは強いプレーヤーとして有名だったのでストレートで負けちゃったなという感じだったんですが、2戦目のRadicalは練習でやったときは差がないなと思ってたので、負けたときは悔しかったです。ひたすらに何で勝てないのかわからなかったんですよ。この頃はまだ「Painkiller」プレーヤーが減っていなくてインターネットでもすぐ練習相手が見つかったので、ロンドンに帰ってからも続けて同じ練習をしていました」
■ どん底状態に突入するアメリカ戦(7月)とイギリス戦(9月)
SIGUMA 「アメリカストップは気負い過ぎてしまいましたね。前田さんも犬飼さんも来てくれたし、いいとこ見せなきゃって気負ってました。一回戦で負けてしまいました。何も考えることができなかったです。どん底状態というか、どうしたらいいかわからなくなってしまった。その後も引きずっていくきっかけになってしまってるのですが、精神的に最悪になりました」 このアメリカストップで全9ストップ中の5ストップが終わっていた。SIGUMAは見るからに元気がなく、半分のスケジュールを終えても大きな成果の出ていないことを悩んでいた。なぜ彼は最悪の精神状態になったのであろうか? SIGUMA 「せっかく日本からみんな来てくれたのに何もいいところを見せられなかった。『カウンターストライク』日本代表の4dnはいい成績残してるのに僕は一回戦負けしてしまって、スポンサーにも日本で応援してくれてる人たちにも見放されたのかなと思いました。スウェーデンから続いていることなんですけど、ずっと練習してるのになぜ勝てないのかわからないままだったのも原因です。ASKの前田さんは気にせずがんばれと言われたのも逆にすごく気になりました」 SIGUMAは試合の後、ストップ開始後、初めて前田氏と長時間のミーティングをした。 SIGUMA 「前田さんとミーティングして、もっとLANで強いプレーヤーと練習するべきなんじゃないかという話になったんです。ロンドンに帰ったら前田さんが日本からfnaticやSK等いろんな強いチームに一緒に練習できないかって打診してくれたんです。だけどこっちから持ちかけたチームからいい返事は返ってこなかったですね」 アメリカストップを終えて、7月、8月頃になってくると全世界的に「Painkiller」をプレイすることにモチベーションを持つプレーヤーがいなくなってくる。SIGUMAは結局LANで練習する人は見つからず、相変わらずオンラインで練習するしかなかった。 SIGUMA 「アメリカストップから帰ってきて次のイギリスストップまで2カ月近くあったんですけど、どうしたらいいのか回答が見つからない時期が続いていました。練習しながらもこれで良いのか悪いのかわからないんです。もういろんなこと考え始めちゃって、自分の人間としての価値とか、ネガティブなスパイラルに入っていって。日本のファンはもう見放してしまっているのではないかと思ってブログもろくに書けなくなってました。こんな僕が何を書くんだと思ってました。その気持ちのままイギリスストップへ突入ですよ」 SIGUMAの各ストップの勝敗結果は、CPLの公式サイトやeスポーツニュースサイトに随時公開され、日本でもファンたちは彼の試合結果を知ることができた。頻繁に更新されていたSIGUMAのブログも更新は滞り、ファンたちからの書き込みも減っていった。そして9月、地元のイギリスストップでもSIGUMAは1回も勝てずに敗退してしまう。 SIGUMA 「スウェーデンからここまで1回も勝てなくて、この負けでもうくやしいとかいう感じすらなくなって放心状態になってましたね。さらにネガティブになって死にたくなってきましたよ。スポンサーには自由にやらせてもらってるから自由ってのはこんなに辛いのかと感じました」 SIGUMAはスポンサーからなんの制約もなく自分で選んだ方法で成果が出ないため、責任を感じていた。
SIGUMA 「スケジュールが立てられて、この日は休んでこの日は練習する日とか決められれば良かったんですけど。どこかで誰かに見張られているんじゃないかと思えて、常に練習しなきゃって思い込んでいたんです。そのときの精神状態はヤバかったです。眠れない日とかもありました」
■ メンタルの重要性に気がつくシンガポール戦(10月)、イタリア戦(11月)、チリ戦(11月)
SIGUMA 「自分の中でカケに出ることにしました。ここで一度シンガポールまで3週間の間『Painkiller』から身を離してみようと思ったんです。自分の力を引き出すためにも1度気分を変えて見るべきだと思ったんです。ロンドンのクラシックコンサートにいったり、街をぶらぶらしたりしていました。まったく触れないのは不安ですが、あえて触りませんでした。シンガポールストップの直前になってきても根を詰めず、カンを取り戻すくらいに2、3日前に緩やかに調整をするくらいでした。シンガポールに到着しても、街を1日観光してました。気負わないことを一番に考えました」 シンガポールの1戦目。イギリスのAcelethalとの試合。今までにも何度も練習や試合をしてきて5分5分だと思う相手にストレートで勝った。今まで5分と思える相手にも本番になると負けてきたSIGUMAにとってこれは大きな変化だった。 SIGUMA 「2-0のストレートで勝てたんです。このときなぜ勝てたのかわかっていなかったのですが、むしろ3週間休んだ割には腕が落ちてないことに驚きました」 2戦目は優勝候補の一人VoO、3試合目は強豪のmaddogとぶつかる。 SIGUMA 「VoOとの試合。ボクの調子は良かったんですけど、さすがは世界ランク上位で2-0で落としてしまいます。3試合目は、serious|maddogとの一戦でした。彼には別のオンライン大会で勝ったこともあります。シードも16位から18位の間くらいなので実力的には5分5わかなと思ったんでけど。1試合目を落としてしまいました。油断してたのであせりました。気持ちを落ち着かせて2本目、最後は1点差で逃げ切りました。勝ったけど心臓バクバクで、手が固まってしまって審判に頼んでトイレにいかせてもらいました。トイレで深呼吸してみたら落ち着きを取り戻すことができて、そのおかげで次の試合では7点差で勝てました。今まで2回勝ったのは初めてで、これでこの大会ベスト16位が決まったんです。自己最高記録で安心しました。カケは少し成功したのかなと」 SIGUMAは続けて、4試合目、あの「Quake 3」時代のスター選手であり、WCG2002銀メダル、Quakecon2003優勝等の実績を持つLeXerとの試合でも、とても惜しい試合をしている。 SIGUMA 「次はLeXerですね。シード10位くらいの選手です。絶対的に格上の相手だったのでぜんぜん気負わず挑めました。1試合目10点差くらいで負けました。負けたけどすぐに気持ちが落ち着いて2試合目に挑めました。2試合目は途中まで向こうにリードされていたけど中盤からは流れをつかんで一気に逆転したんです。 あれ? なんでこんなに当てられたの? って思うほど武器が当たるようになって、練習していないけど力もそんなに変わってないかもしれないと気持ちが前向きになりました。LeXerに勝ったのはすごいことですよ。日本の『Quake』プレーヤーからみたらLeXerから1試合勝つなんてと喜んでくれたかなと思いました。この試合が1年通して1番いい試合だったと思います。その後の3試合目に負けたので結果的に敗北なんですが、ベスト16位という自己最高記録を出せたことと、LeXerを追い詰めたことができたので、カケは間違っていなかったと思いました」 このベスト16入りでSIGUMAは、なんと決勝戦への切符を手に入れることができた。つまり世界でベスト32位に入ったことになる。さらにいいことは続く。ステージで行なわれたRazer主催のエキシビジョン試合で勝てたのだ。 SIGUMA 「日本国内ではASKがRazerの商品を売っているので、ASKからRazerに頼んで組まれたエキシビジョンだったんです。中国のAzheって選手と1試合するんですけど、実況でスポンサーの紹介もしてもらいましたし、お客さんから拍手ももらえたんです。AzheはさっきのLeXerを倒しているプレーヤーで、試合形式も大会と同じなんですけど、相手が手を抜いてくれたのかと思うほど勝てたんです。あのLeXerに勝った人に勝ったというので、気持ちが完全にポジティブになりました。本当によかったーと思いましたよ」 どん底状態を抜けたSIGUMAはこの後も立て続けにイタリアストップでも良い成績を残す。 SIGUMA 「敗者側の2回戦はまた例によってAcelethal。ボクから観れば5分5分なんですけど彼から見たら僕は格下なんでしょうね。彼はシンガポールに続いてボクに負けそうになって試合中かなり熱くなってました。僕もそうですが熱くなったら終わりですね。けっこうな点差で勝つことができました。これでまたシンガポールに続いてベスト16位が確定しました」 以前は5分と思える選手に本番では負けることが多かった。でもSIGUMAは何かをつかみ本番で勝ちをつかむ方法を身につけていた。続いてイタリアストップの4試合目はSIGUMAも思い入れの深いプレーヤーForrestとの対戦になる。結果は負けてしまうのだが彼はForrestとの対戦を楽しそうに語る。 SIGUMA 「この対戦結構おもしろくて。2003年のWCGは、日本予選で僕は負けてるんですけど、Forrestはその年に金メダルを取ってるプレーヤーで、僕としては『ここで相まみえるとは!!』って感じだったんです。1試合目大差で負けてしまうのですが、2試合目すごく調子がよかったんです。勝てるかなと思っていたんですがマウスの設定をいつもはしない方法にしていて、感度を試合途中に変えてしまったんです。あわてて設定をなおしたんですが、残り2分くらいで一気に獲られて負けてしまったんです。負けたのは残念なんですが、LeXerといいForrestといい世界の競合とけっこういい試合をするようになってきて、実力がついてきたのか、もともと持っていた力を出せるようになってきたのか、とにかく強くなったなと思いました」 私は少し意地悪な質問をしてみた。この頃は全世界的に「Painkiller」をプレイする人たちはこのワールドツアーに参加している人くらいになっており。LeXerやForrestも練習がうまくできていないので弱くなっていると考えられないだろうか?という質問だ。 SIGUMA 「いえ、ForrestはイタリアのPlay.itというワールドツアーにも参加してる選手がたくさんいるチームで練習していて、LeXerもこのころは同じPlay.itに入ってイタリアで練習しているみたいだったので彼らの腕が落ちているとは考えにくいですね」 なるほど。それなら確かに彼らの腕が落ちているとは考えにくい。しかも彼らは地元のイタリアで完全にホーム試合だった。SIGUMAの実力は本当に上がってきたといって間違いがない。いったい彼は何をつかんだのだろうか?
SIGUMA 「このころにだいぶわかってきたのですが、メンタルがすごく重要で、気分というか心構えが1番大事だということがわかってきました。もちろん勝つためにはある程度の実力は必要ですが、ゴルフでも言われるようにメンタルが大きいなと。テクニックが70%から80%くらいでメンタルが20%から30%くらいでしょうか。メンタルが良ければ、負けた試合からでもテクニックは吸収していけますから」 ■ ニューヨークの決勝戦(11月)、そしてこれから
SIGUMA 「チリの後、一度ロンドンに帰って3週間ほど練習したのですが、『Quake 4』が発売されたあとだったので、もう完全に『Painkiller』は過去のゲームになっていて、いつもの練習仲間とオンラインで少ししか練習できませんでした」 この時期すでにCPL本部は2005年のワールドツアーの種目を「Painkiller」から「Quake 4」に変更することを発表しており、世界的に「Painkiller」のプレイ人口は壊滅的に減っていた。そんな中、CPLワールドツアーは、世界のスター選手が大勢参加したこともあって、決勝戦はアメリカのTV局で放送される中、行なわれることになった。 SIGUMA 「1回戦目はスウェーデンのチームDignitasのworreでスウェーデンではトップ3のプレーヤーです。格上のプレーヤーなんですが、自分が選んだマップで戦った1試合目を落とした後、相手が選んだマップの2試合目を勝つことができました。3試合目は勝てるかなと思うほど調子が良かったのですが僅差で負けてしまいました。2戦目はカナダのmojoです。彼には負けたことがないので気持ちを落ち着けて勝ちました」 SIGUMAはよくも悪くも実力どおりの結果を残し始めた。プロゲーマーとして安定した成果をだせるようになってきたことは大きな進歩だと思う。そしてワールドツアーの最後の試合。SIGUMAは象徴的な相手と試合をすることになる。世界のトッププレーヤーFatal1tyにトレーナーとして雇われていたアメリカのプレーヤーzenだ。 SIGUMA 「1試合目僕が負けるんですけど、2試合目はなんと勝てたんです。あのFatal1tyと毎日やっているプレーヤーに勝てたんです。うれしかったですね。結局次の試合は落とすので負けなんですけど、zenから一本取れたのはうれしかったですね」 これでSIGUMAのワールドツアーすべての試合が終わった。彼が言うとおり優勝した選手と毎日練習してきたプレーヤーから1本とることができた事は確実な成果だ。優勝はFatal1ty、準優勝はVoOになった。ワールドツアーが終わった瞬間SIGUMAはなにを感じたのだろうか? SIGUMA 「あーもう終わっちゃったんだーという感じで残念でしたね。持ってる力は全部出したけど調子が上がってきてるだけに、ここからって感じもしていました。もしzenに勝ってれば賞金ももらえたんですけどね。残念だなって感じです。その後、1年の中で目標にしてたのがどこかのストップでベスト8に入ることだったのでそれが果たせなかったことの悔しさが出てきましたね」 SIGUMAの通算成績は、ベスト16位の3回で、賞金としては325ドルが3回で、合計約11万円になる。この記録は客観的に見れば悪くない結果なのかもしれない。でもスポンサーと約束した「どこかのストップでベスト8に入る」は果たせていない。SIGUMAは来年もワールドツアーに挑戦するのであろうか? 確かにCPL本部から来年のワールドツアーの具体的なプランも提示されていない段階でスポンサーの交渉もしにくいであろう。彼が今望んでいるのはどんなことなのだろう? SIGUMA 「すでにASKに来年のプランをいくつか提案していますが、まだ正式な回答は頂いていない段階で、とりあえず一度日本に帰って来いということで今日帰ってきたんです。僕としてはロンドンに引き続き住んで、『Quake 4』の練習がしたいです。もちろん来年のワールドツアーにも参加したいですけど、参加するしないは別にして、ひとまず次のターゲットは『Quake 4』に見定めています。来年実際にどうするのかはもう少しゆっくり考えてからASKと話し合おうと思ってます」
■ 犬飼が考えるSIGUMAの課題点はココだ!
だが、反面もっと冷静になって考えなくてはいけない部分があるのではないか。彼は今年の目標を「どこかのストップでベスト8に入ること」と設定していた。私はこの目標には納得がいかない。「ベスト8になりますから応援してください」と言われても応援する気になれない。私がeスポーツアスリートを本気で応援するなら、やはり「優勝します」という選手を応援したい。 今回、彼の話を聞けば聞くほど、ロンドンに住み続けるというアイデアはこのベスト8狙いから生まれてきた妥協の作戦なのではないかと思えてくる。なぜなら今年1位2位を争ったFatal1tyもVoOもロンドンには住んではいないし、優勝したFatal1tyにいたってはストップの合間に世界中のイベントに参加していて、ほとんどアメリカの家に帰っていない。Fatal1tyは、2005年ワールドツアーが始まる前にそうなることがわかっていたために、最初から優秀なパートナーを雇って旅に同行させていたのだ。要するに居住地がどこだろうと強いやつは強いのだ。 私は、このFatal1tyを意地でも倒すというSIGUMAこそ応援したいのだ。確かにロンドンには日本より強い対戦相手がいて、いずれそこそこの選手たちを倒せるようになるかもしれない。だけどプロプレーヤーの目標がそこそこの選手を倒すことであっていいのだろうか? 私はそうは思わない。 特に来年は人気種目「Quake 4」になって、もっと沢山のツワモノが参加してくることが予想できる。Fatal1tyは前作の「Quake 3」で申し分のない実績を持ったプレーヤーだ。おそらく「Quake 4」でもそのノウハウは生きてくるであろう。「Quake 3」をプレイしていないSIGUMAが勝つためには、まともな方法ではダメなのではないだろうか? いずれにせよ、まずSIGUMAの中のその中途半端な目標を捨てて「圧倒的な強さで優勝」という揺るぎのない目標を設定してもらいたいと思う。 SIGUMAは、日本人がいままで誰も届かなかった世界の強豪に勝つことができている。日本もやればいけるぞ! と思わせてくれたことには感謝している。1年間仕事を終えて疲れて帰ってきたSIGUMAにあえて苦しい言葉を投げかけることになってしまったが、ぜひ来年こそはFatal1tyを倒して世界に日本のSIGUMAの名前を轟かせて欲しいと願っている。私はそんなプロゲーマーSIGUMAの姿を見たいと心から願っている。プロゲーマーにはそんな夢のある存在でいて欲しいと私は思うのだ。
□CPLワールドツアーのホームページ(英文) (2005年12月21日) [Reported by 犬飼“POLYGON”博士@GoodPlayer.jp]
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