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「PlayStation Meeting 2004」レポート「PlayStation Awards 2004」授賞式が開催 |
今年は'94年12月3日に発売されたプレイステーションが10周年を迎えている。さらに5月18日には、現行のPS Oneなどいわゆるプレイステーション・プラットホームが、ワールドワイドで1億台の出荷を達成したということで、Awardsの表彰にとどまらない祝いの席ともなった。
そこでイベントの冒頭、受賞タイトルの表彰に先立って、10年前にプレイステーション・ビジネスを立ち上げた仕掛け人ともいえる5人が登壇。この10年間でここまで大きくすることができたマーケットをともに歩んできた開発関係者や流通関係者に、揃って感謝の意を述べるとともに、“今だから話せる”ともいえる当時の状況を赤裸々に披露した。登壇したのはいわゆる創業メンバーである久夛良木健氏('94年12月3日のプレイステーション発売当時は、取締役開発部部長。以下、括弧内は当時の役職)、高橋裕二氏(取締役 業務部 部長)、徳中暉久氏(代表取締役副社長)、丸山茂雄氏(代表取締役副社長)、佐藤明氏(取締役 制作部 部長)の5人。
今でも覚えている人の多いと思われるプレイステーション発売時のコピー「めざせ100万台」。これは、丸山氏によると「別にコピーでもなんでもない社内用語。もう(製造に必要な)100万個の半導体を発注しちゃったので、もし100万台売れなかったら半導体が余って会社が潰れるという我々の悲痛な叫び(笑)。これをユーザーに言っちゃうんだから、実はユーザー無視も甚だしい(笑)」とのこと。久夛良木氏によれば、実際に発注したのは130万個ということで「(決済のため)契約書にサインをする徳中氏の手が固まっていた(笑)」という。
100万台というキーワードをめぐる逸話は多い。「(過去のビジネスニュースなど)データベースをひもといてもらえばいいんですが、関西の某社の社長さんには『100万台売れたら逆立ちして歩いてやる』なんて言われました。それどころか、1台も売れないと言った(親会社の)役員までいる(笑)。それぐらい僕らは辛い立場にいたんです」と久夛良木氏。またプラットホームへの参入をデベロッパにお願いしてまわるのにも5人揃って全国を行脚し、各社に足を運んだという。そんなときも「300万台売ってからもう一度きなさい、と言われた会社もある。当時はとても高い目標だった」と、佐藤氏は振り返った。
この「PlayStation Award」では、丸山氏が「ハードはどうでもいい。そこに何を写しだすかこそが重要」と毎年繰り返しコメントしている。こうしたコンテンツ重視の姿勢も当時から揺るがず「僕は技術はわからない。ただモノ(コンテンツ)を作れる人がいちばんと思っている。ゆうじ(高橋裕二氏)に“たいへんな奴”と紹介された久夛良木がゲームをやってすごいモノを作ると言った。実際、たいへんな奴だったが(笑)。動き始めたものの、そのすごいモノがわからない。半年たってセガの『バーチャファイター』がアーケードで稼働して、これが家庭でもできるという。実際、『バーチャファイター』がなければ(当時は)自分が何を売ろうとしているのかわからなかった」と振り返った。
ほかにもプレイステーションの躍進を決定づけたスクウェア(当時)の参入に関しても、まさに経済市場向けの発表の直前に、契約書の正本にワープロのタイプミスが発覚。一文字がはみだしてしまっていたという。「このまま行くしかないと、そのままになった。今でもその契約書を探してみれば、一文字がはみだしたままになっているはず」と、徳中氏が暴露。これは久夛良木氏も「それは知らなかった」という。
最後に久夛良木氏が「自画自賛ぽいと言われるかもしれないが、よくもまぁ(当時)この5人が集まることができたと思う。しかし、そのおかげで(プレイステーション・ビジネスに一緒に取り組む来場した開発者や流通関係者の)みなさんとも出会うことができた」と締めくくり、5人揃って10年にわたる関係者へのパートナーシップにあらためて感謝の意を示した。
久夛良木健代表取締役兼グループCEOがすべてのプレゼンターを務めた |
昨年も「ワールドサッカーウイニングレブン6」でプラチナプライズを受賞したウイニングイレブンシリーズは、今年も「ワールドサッカーウイニングレブン7」でプラチナプライズ、「ワールドサッカーウイニングレブン7 インターナショナル」でゴールドプライズというダブル受賞を果たした。コナミコンピュータエンタテインメント東京の高塚プロデューサーは、「前作ではじめてプラチナプライズをいただいたが、そのときはワールドカップという追い風があった。今回はそうしたもの何もなかったにも関わらずミリオンヒットを達成することができ感無量だ。これからも、サッカーゲームをひっぱっていく最強のタイトルとしてとして頑張っていきたい」と受賞のコメントをした。
'98年には「みんなのゴルフ」でゴールドプライズ。2000年、2003年には第2作、第3作でそれぞれプラチナプライズを受賞した“みんゴル”最新作「みんなのゴルフ4」は、シリーズ最速でミリオンヒットを達成して、プラチナプライズに輝いている。ソニー・コンピュータエンタテインメントの第一制作部エグゼクティブプロデューサーの小林氏は「またこの場に立つことができました。制作のクラップハンズをはじめ、プロジェクトに参加したすべての人に感謝したい」とコメント。さらに「こうした晴れの場はいいが、(ここにいる)皆さんがご存じのように、制作の現場は悲惨をきわめ(笑)、特に今作は大変だった。しかし”みんなの”と冠につけている以上、今後もこの場に立つことができるよう頑張っていく」と次回作への意欲を見せた。
ここ数年ゴールド、プラチナプライズの常連となっているコーエーの“無双”シリーズ。今年は昨年のこの場でアナウンスされた「戦国無双」がプラチナプライズを受賞した。受賞のコメントを寄せたコーエーの杉山プロデューサーは「発表から1年たって、またこの場に立つことができている。『戦国無双』の発売後も、さまざざまな意見をいただいてそうした意見を吸収していま『戦国無双 猛将伝』をつくっている。これからのユーザーのみなさんに喜んでもらえるよう頑張っていく」とコメントした。
「ドラゴンクエストV ~天空の花嫁~」で、プラチナプライズを受賞したアーマープロジェクト代表取締役の堀井雄二氏は「『ドラクエV』は振り返れば12年前の作品。当時は”人生を経験する”という部分にばかり力がはいっていて、ラスボスの印象が薄いなど、気になるところがあったが、今回は全体を見直し生まれ変わり、まさにプレイステーション 2で真の完成型をみたと思っている。(今回の受賞は)そうした部分が受け入れられたものと思っており、本当に嬉しい」とコメントしたあとで、「みなさんの興味は『ドラクエ8』のほうにあるでしょうから、少し“8”の話をします。今冬発売と発表されていますが大丈夫であろうと思います。来年もこの席にこうして立っていたいです」と話し、会場を大いに盛り上げた。
受賞者ひとりひとり握手を交わして記念の楯を手渡すプレゼンターをつとめた久夛良木氏は「プラットホームを出すのは我が子を送り出すのに等しい。ハードウェアを毎年出すわけにはいかないが、タイトルは毎年送り出すチャンスに恵まれている。世界に広がったプラットホームで、世界中ですばらしいソフトが作られている。ゲームはすべてのエンターテインメントのトップを走ることができるソフトウェア。ソフトなくして発展はなく、プラットホームをもり立てていくのはこの場にいる全員のつとめでもある」と総括した。
最後に、例年通り中締めの挨拶をした丸山茂雄氏は、昨今話題のプロ野球を例にあげて、「いまだに覚えている数年前の記事がある。Nintendo of Americaで我々の好敵手だったハワード・リンカーン氏がマリナーズの球団CEOに就いたときのインタビューだ。球団経営にあたって『利益を出すこと』、『試合に勝つこと』、『シアトルに最高のエンターテインメントを提供すること』をあげていた。エンターテインメント・ビジネスをやっている人は本質を突いているとあらためて関心した。プロ野球もエンターテインメントのひとつ。オーナーの名は数年たてば忘れてしまうこともあるが、選手の名前は決して忘れない。選手はコンテンツそのものだからだ。野球もプレイステーションも言うなれば、すばらしいエンターテインメントをつくる“場”である。この“場”に愛情がある人でなければ、コンテンツをつくることはできない。この場を生かすのはまさにクリエイター次第で、あらゆる人にとって思い出になりうるものを僕らはつくっている。記憶に残るのは、タイトルとクリエイターの名前だ、消費物資のように使い捨てるのではなく、心に残る作品を作り続けてほしい。みんなに感動を残して、人生の節目節目の思い出に残せるように頑張ろう」と締めくくった。
例年どおりパッケージとディスクがデザインされた記念の楯。今年のプラチナプライズ受賞タイトルは全部で4タイトル | 全部で11タイトルのゴールドプライズ。いずれも50万本以上のヒットを記録した作品だ | 勢揃いしたゴールドプライズの受賞者 |
(2004年7月13日)
[Reported by 矢作晃]
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