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DiGRA JAPAN、第9回月例研究会「ゲームニクス理論の概要と実践」を開催
高度デジタル社会に求められる技術「ゲームニクス」とは何か?

6月29日開催

会場:東京大学本郷キャンパス

 日本デジタルゲーム学会(DiGRA JAPAN)は、6月29日、東京大学本郷キャンパスにおいて、第9回月例研究会「ゲームニクス理論の概要と実践」と題するセッションを開催した。会場ではゲーム業界関係者など50名ほどが聴講し、サイトウ氏の提唱する理念を吸収しようと興味深いまなざしを向けながら講演に聞き入る風景が見られた。

 講師は立命館大学教授のサイトウ・アキヒロ氏。氏は20年以上にわたり任天堂などで多くのゲームディレクションに携わり、雑誌「ファミコン通信」の立ち上げもおこなうなどゲーム業界の発展に深く関わってきた経歴を持つ。そのサイトウ氏が近年提唱している理論が本セッションのテーマである「ゲームニクス」だ。これは、氏の長年のゲーム製作ディレクション経験から導出された理論で、優れたゲーム製作者が実行している方法論を体系化し、複雑化する家電製品などコンピューターゲーム以外の分野にも応用していく試みだという。


■ ゲームを世界産業に導いたのは、なぜATARIではなく、任天堂だったのか? そこに「ゲームニクス」の秘密がある

本セッションの講師、サイトウ・アキヒロ氏。ゲーム産業の黎明期から深く業界に関わってきた経験の持ち主で、「ゲームニクス理論」の提唱者
ファミコンと同時期にはたくさんのゲーム機が存在した。その中でファミコンが生き残った背景には理由があるという
有名な「脳トレ」は、ニンテンドーDSで商品化される際にゲーム的なノウハウが注ぎ込まれた結果、決定的なヒット作となったのだという
 「ゲームニクス」とは聞きなれない言葉だが、これはサイトウ氏が提唱している概念であり、「ゲーム」の「エレクトロニクス」を意味する造語だ。これは「日本のゲームが世界産業に発展する原動力となったノウハウを理論体系化したもの」であり、ゲーム制作の具体的技術そのものというよりはそこから抽出したエッセンスのようなもので、「ゲームメディア以外にも応用可能」であり、さらにこれは「すでに世界スタンダードになっている」と、サイトウ氏は語る。

 サイトウ氏はこれを説明するためにコンピューターゲーム産業の歴史をひもとく。ゲーム産業は任天堂のファミコンから始まったわけではなく、アメリカで生まれたものだ。アメリカでは'60年代からテレビゲーム機が存在し、初期はごく少数の数奇者の玩具でしかなかったが、'77年に発売されたATARIの“Atari 2600”というカートリッジ交換式のテレビゲーム機によってゲーム産業に火がつく。同機は'82年までに1,400万台を売り上げゲーム市場の黄金期を形成するが、'83年を境に市場は急速に縮小し、'85年にはほとんどゼロにまで落ち込んでしまったという。

 その理由としては、ハードベンダーによるクオリティチェック体制が無かったために操作方法もわからないような粗悪な製品が出回り続けたことがよく言われているが、他にも決定的な理由がある。とくにゲームソフトの粗製濫造が続き、いくつものサードパーティが参入・倒産・撤退を繰り返しては捨て値のソフトウェアが市場に溢れ返った結果として、市場の利益構造が完全に破壊されてしまったこと、そのため良質な製品をコストをかけて製作するインセンティブが失われてしまったことが大きい。さらに、廉価なホームコンピュータが普及したために高価なゲーム機の存在価値が低下してしまったことがダメ押しとなり、ATARIが主導していたゲーム産業はこの時期にほぼ消滅してしまった。今では「アタリショック」として有名な事件だ。

 そのアタリショックとほぼ時を同じくして、'83年に登場したのが任天堂のファミリーコンピュータだ。同時期に多数のゲーム機がセガ、エポック社、バンダイ、トミーなど各社から発売されたが、そのどれもゲーム市場の主導権を握るにはいたらず、それに対しファミコンは、社会現象とまでいえるブームを巻き起こし巨大なゲーム産業を成立させることに成功した。その流れは海外にも波及し、現在につながるゲーム業界の基盤となっていったのである。任天堂はゲーム産業における後発の一参加企業にすぎなかったのに、なぜ任天堂のゲームが世界に誇るソフト産業になりえたのだろうか?

 サイトウ氏は、その理由を「キャラクタが魅力的だったからではなく、ストーリーが素晴らしかったからでもなく」、「任天堂のゲーム作りが独自のゲーム開発ノウハウを構築してきたから」だと説明する。任天堂のゲーム製作に深く関わってきたサイトウ氏らしい論理展開だが、今現在のゲーム開発者の間であたりまえにもたれている「ゲームづくりの常識」にファミコンが及ぼした影響の大きさを考えれば納得のいく話だ。任天堂はファミコン登場時に「アタリショック」を目の当たりにし、失敗すれば業界が壊滅するというリスクを認識した上で、そうならないための独自のノウハウを構築してきたという。それが業界のスタンダードになり現在に至るわけだが、それこそが「ゲームニクス」であるとサイトウ氏は論ずる。

 氏は言う。優れたテレビゲームはマニュアルを読まなくても直感的に操作を覚えることができるし、楽しく熱中してプレイを続ければ攻略法を覚えることができて、より複雑で難しい問題も解決できるようになる。それが満たされていないゲームは評価されない。十字キーといくつかのボタンという厳しい制限の中でより良いゲームを作るため、内容の高度化・複雑化が求められる中にあってもプレイしやすいものを提供し続けるために、日本のテレビゲーム作りにはそんなノウハウが蓄積されてきた歴史がある。

 その「ゲームづくりのノウハウ」が盛り込まれ成功した最近の事例としては、ニンテンドーDSの「脳を鍛えるDSトレーニング」が挙げられるそうだ。同製品はもともとミリオンセラーを記録した書籍であったが、パームやザウルスといったペン入力ハードでソフトウェア化され発売されたもののヒットせず、まったく話題にならなかったのだという。ところが同じ素材を使いNintendo DSでソフトウェア化されるや、ご存知のとおりの大ヒットを記録したわけだ。そこにはテレビゲームの世界で培われてきた使いやすいユーザーインターフェイスへのこだわりや、ユーザーの意欲を刺激する構成や演出といったノウハウの適用があり、それこそが違いにつながったというわけである。

 しかしこれまで、そのノウハウにあたるものはゲーム製作者個人の職人芸的なものとして扱われてきたものであって、企業の秘密保持の姿勢もあり、ノウハウを体系化して共有するような動きは少なかったのだという。それを「ゲームニクス」という理論にまとめ、業種を超えた技術体系として応用可能なものにしていくのがサイトウ氏の狙いであるようだ。

「Game+Electronics」で「Gamenics」。これまではゲーム製作者の個人的スキルでしかなかったものを理論化し、他業種にも応用可能な実践技術の体系としてまとめあげたものだという。確かにゲーム業界にはゲーム以外の産業では発達してこなかったノウハウが多く、必要とされる分野は多そうだ


■ ゲームニクスとは日本的な「もてなしの文化」である

ゲームニクスの目指すものは、「言語の壁を越える」、「段階的に学習できる」という2つのポイント。確かにゲームの歴史の中で目指されてきたものに一致する部分がある
テレビゲームは小さなコントローラーひとつで多様なゲーム世界をアクセス可能にする。その要点を捉えると、このような理解につながるのだろう
 ここでサイトウ氏の説明は「ゲームニクス」の本質を明らかにする方向へ向かう。任天堂をはじめとする日本のゲーム業界が培ってきたゲーム作りのワザ「ゲームニクス」とは、サイトウ氏の説明を要約すると以下の前提に立っているといえよう。

 それは、ゲームというものが、「ストレスと快感のバランス」の上に成立するということ。キャラクタをパワーアップできるアイテムがあるが、それを取るには難しい障害をクリアする必要がある、といった状況がその典型的なものだが、このときユーザーは障害をクリアするというストレスをまず与えられるからこそ、アイテムの獲得という結果から快感を得ることができる。ゲームはこの一連の流れによってゲームとして成り立つわけで、だからこそゲーム制作者が絶対にしてはいけないことは「ゲーム以外のことでストレスを与えてしまう」ことに尽きる。

 ゲームの内容に触れる以前に、「操作方法がわからない」、「何をしたらよいかわからない」などのストレスにさらされたユーザーは、ゲームそのもののストレスに耐えられなくなってしまう。ボタンの反応が悪くてイライラしてしまえばゲームの内容以前の問題でプレイを止めてしまうだろう。操作性の良し悪しでゲームの良し悪しが決まってしまうというのは当然のことなのだ。ゲーム製作者の意識としては、ユーザーに対するコントローラー(ユーザーインターフェイス)の存在を限りなくゼロに近づけなくてはならない。

 その結果としてテレビゲームのユーザーインターフェイスは高度に発達してきた、とサイトウ氏は言う。ゲームの内容が高度化し複雑化していくなかで、それでもユーザーの関心を惹きつけ、難しい問題を攻略させ、大きな楽しみを与えるためにはどうすればよいのか。この難問にゲーム業界は挑み続けてきたというわけだ。そうして得られたひとつの結論である「ゲームニクス」には、次のような2大要素があるという。

 ひとつは、「言語の壁を越えた直感的な操作性」。プレイするためにマニュアルが必要なく、テキストに頼らずにすむということは、言語の壁を軽々と越えてしまうパワーを持つということだ。事実、ファミコン時代に培われた「Aボタンは決定。Bボタンはキャンセル」といった操作上の「お約束」は、いまや世界標準になっている。この状況をもたらしたのは、各ゲームの基本的な部分で操作方法の統一がとられるよう、約束事を徹底してきたハードベンダーの姿勢によるものが大きい。

 「ゲームニクス」の重要点のもうひとつは、「複雑な内容を理解させる段階的な学習効果」を持っている点だという。よくできたゲームはどんな作品であっても、まず最初はとても簡単な課題から始まっていく、チュートリアル的なつくりを持つものが多い。ユーザーはマニュアルを読まなくても、ゲームの中で可能なことを段階的に見つけていき、楽しみながら次第に習熟して複雑な操作を使いこなせるようになっていく。これはゲームに親しんでいれば当たり前のことだが、たとえば最近の高機能な携帯電話をいきなり与えられてマニュアルも読まずに使いこなせるようになれるかを考えれば、違いがはっきりわかるだろう。

 サイトウ氏は、この2つの要素を満たすため、ゲームニクスには次のような原則があるという。「直感的なインターフェイス」、「マニュアル不要の操作理解」、「はまる演出と段階的な学習効果」、そして最後に「ゲームの外部化」だ。最後のひとつは耳慣れないかもしれないが、これはバーチャルな世界とリアルの世界をリンクするゲーム製作の方法論にあたるものであるとのこと。野球ゲームが好例だろう。リアルでは1試合に数時間かかるものを、ゲームでは30分程度のごく短い時間に凝縮しながら、その本質を捉えつつモデル化する。これはまた、ゲームを触媒にしてリアルな人間の活動に好影響を与えていくというシリアスゲームの考え方にも通じるものであるとのことだ。

 こういったゲーム作りの作法は最初に日本で発達し、海外においてもファミコン(NES)のゲームで育った世代がゲーム業界の中枢に入っていくにつれ常識化している。そのことが海外ゲームの質の向上に繋がっていることは確実で、特に欧米では「ゲームデザイン工学」といった形で高度な理論化が進んでいる。アメリカなどでは既にそういった研究成果が実際のゲーム開発に応用され、製品として市場に落ちてきているというのが現状だ。そういったものが製作者個人のワザとして発展してきた日本では理論化が遅れている現実があるものの、サイトウ氏によれば「ゲームニクス」はゲームデザイン理論とは違ったものであるし、また、ゲームニクスの考え方によって日本からこそ生み出せる価値があるという。

 サイトウ氏が言うには、「ゲームニクス」とはつきつめれば極めて日本的な価値観、「もてなしの文化」である。人を迎え入れて快適な時間を提供するもてなしの作法には、ひとつの条件がある。それは「相手に気付かれてはならない」ということだ。これ見よがしの歓待を演出するようでは、それはもてなしとはいえない。押し付けはユーザーの自由や利便を損なわせてしまうことにつながるだろう。ゲームも同様で、ユーザーインターフェイスやコントローラーの操作性は、つまるところ「空気」とならなければならず、ユーザーにその存在を強く感じさせてしまっては失敗なのだ。サイトウ氏は、ゆえに日本人のもつ独特の感性が、ゲームニクスの実践と応用を通じて今後のデジタル化社会において大きな働きを成すのだという。そう力説するサイトウ氏からは何か確信めいた強い意志を感じた次第だ。

「スーパーマリオブラザーズ」では、ユーザが最初に出会うシーンにチュートリアル的要素が隠されている。何気なくブロックを叩けばキノコが出現して、それは隣の土管に接触反射してプレーヤーキャラクターにぶつかる。ユーザーは自然にゲームのルールを理解することができるようになっている。何気ない配置も、周到な配慮によってデザインされているわけだ

「ドラゴンクエスト」では、選択肢が意図的に限定された状況から始まり、次第にプレイ内容が複雑になっていくことで、楽しみながら難しい課題に挑戦することができる ユーザの関心を維持するために、目的のすがたを提示し続けるやりかたは現在のゲームでよく使われる手法だ


■ 急激に拡大するデジタル社会の大問題。ゲームニクスの応用が解決の切り札となるか

ゲームニクスを応用することで、多様化・高度化する情報家電のとっつきにくさ、使いにくさを解消していくことが第一の目標になるようだ。それは社会の生産性向上にも寄与するだろう
デジタル時代のTVは現在のリモコンでは扱えないほどのチャンネルを持つことになる
あらゆる家電がネットワーク化する将来では、扱いやすい操作端末が普及のための必須要件になってくるだろう
 「ゲームニクス理論」を提唱するサイトウ氏が見据えるのは、デジタル家電の高度化が進む現在、そして未来におけるユーザーインターフェイス上の問題を、コンピューターゲームの方法論を駆使して解決していくことだ。

 既にユーザーインターフェイスの問題が顕在化している家電機器のひとつがテレビだ。衛星放送やケーブル放送による多チャンネル化が進んだ結果、現在テレビで利用できるチャンネル数は数百にもなる。ところがテレビのユーザーインターフェースは数チャンネル時代のままほとんど進化せず、リモコンには何十もの大量のボタンが並ぶという「1ボタン1機能」という考え方が未だに主流だ。そこにまた、現在進行形でインターネット動画サイト等の発達によるギガチャンネルの時代が迫っている。現在の家電の方法論では限界が見えているのだ。

 また、高機能化する携帯電話は「世代による格差」がもっとも顕著に現われているデジタルデバイスといえるだろう。デジタルモノに慣れたユーザー層ならば、メール、インターネット、写真、動画撮影など複数の機能を使いこなせている割合も多いが、そうでない層では搭載されている機能の10%も使えていない人が大半という状態が続いている。このまま携帯電話の機能がさらに多様化し高度化していけば、長年言われている情報格差はさらに広がっていくだろう。

 これを踏まえ、現在サイトウ氏が取り組んでいるプロジェクトについていくつかの紹介がなされた。ひとつは前述した問題をかかえる家電テレビの世界。具体的な内容については企業秘密に触れてしまうということで伏せられたが、ゲーム文化に慣れた世代になら想像できる方向性に向かっているようだ。数百数千という大量のチャンネルをカテゴライズし、階層化されたメニュー構造によって少ないボタンで容易にアクセスできるようにする。そこに見られるのはファミコン時代からあるメニュー構造の考え方であるとか、よく使う機能をアクセスしやすい配置にするといった気遣いだ。そこにコストをかけていくのがゲーム業界の考え方であるし、またゲームニクスの持つ方向性でもある。

 一例として紹介されたのは「PLC(Power Line Communications)とIPv6時代におけるデジタル連携時代」を見据えたプロジェクトだ。電力線を通じてあらゆる家電がネットワークに接続され、それを前提としたサービスが提供されるようになると、モノが日々の生活に密着しているだけに操作性の統一と理解のしやすさが何よりも求められる。現在の家電の考え方がまったく通用しない好例といえるだろう。操作性の悪さが生活のストレスに直結するだけに、ここでもゲームニクスの応用が求められているのだという。ひとつのホームサーバーとひとつのリモコンで、すべての家電に対するあらゆる操作を可能にしていくのが目標であるとのことだ。

 また、サイトウ氏はゲームの世界で洗練されてきた3D技術の応用も考えているという。eコマースの世界では、ユーザが自分にあった商品を素早く見つけられることが市場の活性化につながってくるのは疑いのないことだ。サイトウ氏の構想では、商品カタログを三次元化することで、現在の平面を前提としたユーザーインターフェイスの限界を超え、ユーザーの利便性を飛躍的に向上させることが可能だという。タテヨコの二次元平面だけでなく奥行き方向も含めた立体的な空間にメニュー要素をレイアウトすることにより、ユーザが自分にあった商品を「このへんかな?」と直感的に掴み出すことができるようなものを目指しているとのことだ。

 ほかにも、氏はゲームニクスをロボットとのコミュニケーションに応用する製品開発にも参画されているとのことで、今回の講演ではサイトウ氏のゲーム製作経験を生かした幅広い展開を垣間見ることができた。実際に応用された製品が世に出てくるまでには多少の時間が必要になりそうだが、ゲーム製作方法論の抽出物である「ゲームニクス」が、きわめて広い応用範囲をもつことに関しては確かな手ごたえを感じた次第だ。

 しかし、サイトウ氏の言う「ゲームニクス」を分解して考えてみると、既に学問分野になっている認知工学、人間工学や、ユニバーサルデザインといった分野にぶつかるものではないか、と感じてしまうのも確かだ。また、ユーザーインターフェイスにゲーム的なノウハウを応用するという試みそのものは、すでに携帯電話やHDDレコーダーなど高機能の家電を中心とした各分野ですでに取り組まれている実態もある。そしてSONYのPSXの例にも見られるように、従来の製品にゲームの操作系統をそのまま持ち込んだからといって大ヒット商品を生み出すような事が即座に起こるわけでもない。

 サイトウ氏は「ユーザーインターフェイスは空気でなければならない」という見解を述べたが、まさにそのとおりで、空気である以上はその存在が感知されにくく、ゆえに評価にも結びつきにくい。こういった方法論が最初に大きな差として現れるのは、高機能化し操作が著しく困難となったデジタルデバイス分野についてとなるだろう。米国で最近登場した iPhone がきわめて強い訴求力を発揮した背景には、こうした分野で洗練されたユーザーインターフェイスが求められていることの証左となるだろうか。

 直感性、段階的学習性という2つの柱からなる「ゲームニクス」が真に価値のある理論になっていくためには、デバイスの機能の高度化だけではなく使いやすさや快適さといった別のベクトルへの社会的欲求が高まる時代背景において、これまでは個人スキルの形で継承されてきたノウハウを属人的な領域から分離し、アカデミックな学習により習得可能で広く応用が可能な技術体系へと昇華することがカギになるだろう。サイトウ氏は、この「ゲームニクス」をより学術的な研究領域に近づけるための理論化も試みているとのことなので、同理論がより広範な分野から光を当てられる日も近いかもしれない。

□日本デジタルゲーム学会のホームページ
http://www.digrajapan.org/
□ビーマットジャパンホームのページ
http://www.bmat.jp/
□関連情報
【6月4日】DiGRA JAPAN、第8回月例研究会「『Mr.SPLASH!』に見るゲーム性」を開催
13年ぶりの新作ファミコンソフトから「ゲーム性とは何か?」を語る
http://game.watch.impress.co.jp/docs/20070604/digra_08.htm

(2007年7月2日)

[Reported by 佐藤“KAF”耕司]



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