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会場:横浜アリーナ
会場には2,000人あまりのナムコ社員が集結。中村雅哉代表取締役会長、髙木九四郎代表取締役副会長、石村繁一代表取締役社長ら首脳陣はもとより、創業時からのメンバーらも会場に駆けつけた。
■ 石村社長「ナムコがいきなりなくなる事はない」
「このように全社員が一堂に会することは、創業初期以来初めてのことだと思います。振り返るに、入社以来今日まで、本当にいい仲間にめぐり合えたことに感謝します。ここで挨拶するにあたって中村会長から申し渡されたキーワードがあります。今日をナムコの歴史50年目のひとつの通過点とするのではなく、過去50年との決別の記念日とせよと言われました。紆余曲折あっても50年間、ナムコは発展してきた。このまま続けていてもそれなりの発展は今後も続くでしょう。しかし、それでいいのか、ということです。 まず、会長ご自身がバンダイさんとの経営統合を決断されました。自ら創業し、経営責任者、オーナーである会長が、長年手塩にかけたナムコを、今後のナムコのさらなる発展のために欠かせない変化として、英断されたことです。私が4月に社長を拝命したということも、そうした変化を期待されてのことだと思っています。その期待に答えるべく、私も精一杯努力するつもりでおりますが、慣れない社長業に忙殺されながらもようやく私も落ち着きを取り戻しつつある状態ですので、今後私も、新規の事業の企画や業務提携、あるいはナムコの可能性を開拓するような挑戦を続けてまいる予定です。ナムコの変化の種になるような刺激を導入していきたいと思います」と改めて50年目の初心を述べた。 そしてバンダイとの経営統合についての経過報告がされた。「現在は両社のスタッフによって構成された『経営統合準備委員会』が組織され、こちらで統合効果が最大限に発揮されるためにはどのような組織形態、どういう戦略がいいか、といったことが議論されている。今後ナムコという会社がどうなるかは、委員会の結論を待たないとならないのでここで断言することはできないが、少なくともいきなりナムコが分断されたり、ばらばらにされたりといったことは絶対にありません。そんなことを心配するよりも、もっと具体的に現場レベルで活発に、現場レベルでの統合効果を発揮していただきたい。むしろ現場レベルでの統合効果が準備委員会の議論を先回りして、そして『現場がこうして成果を挙げているんだから、組織や戦略はこうあるべきだ』というぐらいのスタンスであってほしい。バンダイさんとの統合によって、これまでのナムコになかった新しい刺激やさまざまな変化がもたらされると思います」と社員の奮起に期待する挨拶となった。 ■ David氏「『パックマン』がコンピュータゲームにおける革命であったことは間違いない」
David氏は、「日本はぜひ訪れてみたいと思っていた。私はギネスワールドレコードの科学技術審査員の職に就いているが、広範囲なテーマを探求、勉強している中で、宇宙探検とコンピュータゲームの分野が好きだ。昨年、ギネスワールドレコードも50周年記念を迎え、その際、過去50年の間に世界がどう変わったかを考えてみた。そこで、宇宙探検とコンピュータゲームに関しては、世界記録がまだないということが話題になった。今ではコンピュータやコンピューターゲームがない世の中なんて想像できません。私が子供のころ、『パックマン』を初めて目にしたときの事を覚えているが、しばらく遊ぶことはなかった。それは『パックマン』が好きでなかったからではなく、私より大きな子供たちがパックマンの筐体に群がっており、その列に入ることができなかったから」と自らの経験を語った。 続けて、「『パックマン』がコンピュータゲームにおける革命であったことは間違いありません。わずかな処理能力で何ができるかを世界に示しただけでなく、数え切れないほどの若者がコンピュータ技術に興味を持つことに影響を与えました。そうした多くの方がいまやコンピュータリサーチの最先端に位置し、私たちの生活の質を向上すべく、新しい技術を開発し、そして質の高い、リアリズムのある新しいゲームを作っています。『パックマン』が最初に販売されたころには、想像もつかなかったことです。そこで、ギネスワールドレコードを、『パックマン』が歴史上最も成功した業務用ゲームとして、ナムコの中村会長に贈ることができることを光栄に思います」と、中村会長、そして岩谷氏に認定証を贈った。 これを受けて、「大変光栄です。『パックマン』は私自身が“パックマンの父”と呼ばれ、大事な息子です。なかなか頭はいいし、勇気はあるし、そのたくましさはM&A用語に『パックマンディフェンス』という言葉が使われるほど。これからの50年も、ナムコはパックマンのたくましさを持ち続けて成長していくことを期待している」と中村会長はうれしそうに語っていた。 ■ 中村氏「将来的には、役員構成を30代ぐらいの若い人に50%、30%を外国の方に、20%を女性の役員に」
「当時、『丙種産業だからお金を貸せない』と銀行に言われて大変苦労したが、考えようによっては、そのとき銀行が潤沢にお金を貸してくれたら、おそらく私よりもっと優れた経営者がこの仕事をやっただろう。今日、ナムコはなかっただろうと思う」といった中村節を随所に織り込みながら、ナムコの歴史とエピソードを語った。
さらに、「将来の変化に対する対応、これがバンダイさんとの統合のひとつの決断の鍵だった。バンダイさんとはあくまで対等の統合。これからもバンダイナムコホールディングスの最高顧問としてアドバイスさせていただくと同時に、ナムコの代表取締役会長として、みなさんと一緒にがんばっていこうと、覚悟しております」とこれからの経営統合にも触れ、「初代のバンダイナムコホールディングスの社長にはバンダイの高須社長に就いていただくわけですが、次代にはナムコから社長を出していこうという話になっている。将来的には、役員構成を30代ぐらいの若い人に50%、30%を外国の方に、20%を女性の役員に、という構成を考えておりますし、そうすることがきっと、次の変化ある時代に対し、たくましく生き、成長し続けることができるものだと思っている。これまでナムコの成長に協力していただいた全国の社員をはじめ、仲間の方々のおかげと、心から感謝しております」と将来の展望を語って締めくくった。 (2005年6月1日) [Reported by 佐伯憲司]
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