インタビュー
「ニンテンドーミュージアム」宮本茂氏インタビュー
「親子三世代にわたって任天堂の存在をわかってもらえたら嬉しいです」
2024年9月25日 19:00
- 【ニンテンドーミュージアム】
- 10月2日 開業予定
- 所在地:京都府宇治市小倉町神楽田56番地
- チケット(事前予約制) 大人:3,300円
- 中学・高校生:2,200円
- 小学生:1,100円
- 未就学児:無料
任天堂は、同社の製品を展示・体験できる資料館「ニンテンドーミュージアム」 を10月2日に開業する。9月25日、開業に先立ち報道関係者向けの内覧会が行なわれ、任天堂代表取締役フェローの宮本茂氏へのインタビューが行なわれた。
宮本茂氏へのインタビューでは、任天堂が資料館を作ることになった経緯のほか、宮本氏が思い出に残っている展示、今後の「ニンテンドーミュージアム」の進化までが語られた。
任天堂の過去の資産を全部残す。宮本氏が語るニンテンドーミュージアム
――なぜ任天堂がミュージアムを作ることになったのでしょうか?
宮本氏:語れば長くなるんですけれども……(笑)。皆さんだいぶ任天堂のことをご存知かと思うので、どうして任天堂がミュージアムを作ったのかと疑問に感じるかもしれませんが、それが“正解”なんです。
任天堂はあまり自分たちのことを説明せず、商品を通じてお客さまとコミュニケーションをすると決めてきました。なので今回ミュージアムを作ろうと決めた時、山内(第3代社長の山内溥氏)がいたら「そんなもん辞めとけ」と言うだろうなと思いました。
まず何年か前からずっと色々な資料を残してきたんですね。特にアーケードゲームは動かないと意味がないですが、動く状態で保存しておくと言うのはすごく大変です。それからゲームもライセンシーさんのものを含めると、毎年何百本も発売されていますが、そのパッケージをただ置いていても仕方がない。これはなんとか管理しなければならないという話が出ていました。
一方で僕は毎年100人〜200人の新入社員の前で、任天堂の説明をするセミナーみたいな講座を持つんですね。最初は2時間だったのが、2時間半になり、3時間近くなり、どんどん膨大になってきたんですね。そのほとんどが“任天堂とは何ぞや”と言う説明で、それなりに面白がってくれるんですが、20年近くやってると流石に引退したくなってきました。その時にしゃべっている話がこのミュージアムの展示内容のベースになっています。
もう一個「ウルトラマシン」や「ラブテスター」という2人の愛情を計る得体の知れないとても怪しい商品、ああいうのを15,000円で売っていた時期があるんですが……(笑)。社員からそういう商品にすごい思い出があったり、任天堂愛のある開発者がたくさんいるんです。
例えば「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」は400人近い人たちが携わっていて、任天堂の何千人というスタッフに“果たして残していけるのだろうか”と思うようになりました。任天堂社内でも任天堂らしさをちゃんと維持していけるようにしようという話が上がってきたんです。
そういう時に宇治小倉工場が空いて、どうしようと考えていて「売ってしまおうか」という話もあったんですが、思い出の場所なのでなんとか残す方向になって、ミュージアムにどうかという話が出てきました。実は鳥羽街道に旧本社と工場があって、そこと宇治小倉工場のどっちを使うか議論した結果、バスや鉄道のアクセスを考えてここ(宇治小倉工場)に決めました。
いろんな話が重なった結果、任天堂の過去の資産を全部残して、それを通じて任天堂とは何かというのを知ってもらうために、社員だけでなく、親子三世代にわたって任天堂の存在をわかってもらえたら嬉しいです。
そうして「ゲーム機戦争」と呼ばれる“このハイスペックなハードをどうするか”という競争に任天堂を巻き込まないで欲しいと(笑)。任天堂は任天堂らしいものづくりを続けていきますし、ゲームに限らず映像もやっていきますし、色々なエンターテイメントコンテンツを作っていく会社だということを知ってほしいので、ミュージアムを作ってみました。一気に喋っちゃいましたね(笑)。
――親子三世代という言葉がありましたが、小さいお子さんからご高齢の方、海外の方まで任天堂のコンテンツに触れています。各世代にどのようにミュージアムを楽しんでほしいでしょうか?
宮本氏:皆さんには自由にミュージアムを楽しんで欲しいです。誰にどこをみてもらうとかではなく、自分の思い出がつまっているものを見ていただけたら嬉しいです。全部ローカライズはしていないのですが、できるだけ見るだけでわかる展示にしているので、海外の方も楽しんでいただけると思います。
「しぐれでんSP」は、百人一首協会から見ると怒られるかもしれませんが、絵札を取り札にしているんですね。しかもお姫さんやお坊さんの絵を踏みつけてしまうという……(笑)、念のため天皇さんだけは外しているのですが。話は逸れましたが、インターフェースも含めてわかりやすく“面白さを伝える”のが上手な企業なんだなと思っていただきたいです。
――日本各地や海外にミュージアムを建設する予定はありますか?
宮本氏:ここはビジネスで作ったのではなく、任天堂の社員が任天堂を理解するため、そして一般の方に任天堂のことを知ってもらうために作りました。なのであちこちに展開するつもりは全くありません。
どっちかといえば、このミュージアムの中で今後どう広がっていくのかを考えています。例えばこのインタビュー会場も僕は勝手に「アートギャラリー」と呼んでいて、マリオのトッド画とか地形のスケッチ、最新の「スプラトゥーン」や「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」のイラストが飾られる場所になっていく予定です。
将来的に映像作品が増えたらどこかで映像が上映できたらと考えています。なので任天堂の展開に合わせていけたらと思います。
――ミュージアムの展示の中で、特に宮本さんの思い出に残っている展示はなんですか?
宮本氏:僕は業務用の「ドンキーコング」に始まり、ファミコンへ移っていて、確かに思い出深い展示もありますが、全部のハードに思い出があるので、あまり特定はできないです。業務用の「ドンキーコング」は外部のプログラマーと一緒に仕事をしましたし、「ブロック崩し」は入社当時にした仕事で、筐体デザインまで設計しました。
展示では「任天堂が世界で初めてやったこと」、「任天堂がチャレンジしたこと」、「そのハードから始まったシリーズ」というところに目印が付いてます。また、そのハードのテーマや心意気も書いてあるので、そこを見ていただけたら良いと思います。
体験エリアには「ビッグコントローラー」がありますが、その横にコントローラーだけの展示があります。ここでコントローラーの進化を体験できて、そのほとんどにゲーム機では世界初のものが搭載されています。この“世界初”を僕らのプライドにしているので、ぜひ見ていただけたら嬉しいです。
――このミュージアムの中長期的な戦略を教えてください。
宮本氏:ここは倉庫に眠らせておくのがもったいないものを展示するのが目的なので、あまり中長期的な戦略はありません、ですが、こうして親子三世代の方達に「任天堂は他のゲームメーカーと違って、新しい技術とか全く関係ないところにある会社なんだ」と思ってもらうのが一番大事だと思います。
当然、技術研究はしていますし、色々なアナリストさんからどうしてネットワークをやらないんだとか、モバイルはどうなんだとか、先端のチップをどうして使わないのかなど、色々なことを言われてきました。ですが展示を冷静に見ていただくと、”ちゃんとやってるじゃないか”と感じますし、一番適正な売り時に任天堂が商品化しているだけで、展示を見ることで任天堂を信用していただく。株主の皆さんにもIR的にも「我々に任せてください」と言えるようになるのが中長期的な展望ですかね。
――ニンテンドーミュージアムのみならず、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでは「ドンキーコング」エリアも開業予定になっていて、任天堂のIPに触れる人口は確実に増えていると思います。今後IPを拡大していく中でどのような企業像を目指しているのでしょうか?
宮本氏:今この会場の外にキャラクター展示があって、一階のエントランスではたくさんのキャラクターが出迎えてくれます。本来はあまりこういう展示を考えていなくて、今までの商品とかハードウェア中心の展示を考えていました。ですが、任天堂全体を理解してもらおうと思うと、IPを見てもらうのが一番だと考え直して、そういう展示にシフトしました。
今はIPを知ってもらって、任天堂のゲームに戻ってもらう。任天堂のゲームへの窓口としてIPとかテーマパーク、映画が動いています。もっと将来で言うと「任天堂」というIPを含めた大きなブランドがあって、その中にゲームは当然ありながらも、徐々にもっと魅力的なものが作っていけたら、ゲーム以外に色々なものが入ってくると思います。
やっぱり皆さんがしっかり覚えているのはIPです。ゲームは新しいバージョンになったら動かなくなっていきます。これはすごい寂しいことで、僕らの作ったものは徐々にバーチャルコンソールでしか遊べなくなるし、ミュージアムでプレイしていただくのも限界があります。一方で映画はいつまで経っても見続けてくれる方がいるので、これが映像作品を始めた理由の一つです。
こういったコンテンツが増えていって、任天堂全体が大きなブランドになっていくんだと思います。私は「任天堂を選んでもらえる理由を作る」ことをテーマにしていて、例えば小学1年生になったとしてご褒美に「任天堂のゲームを買ってあげる」じゃなくて、ゲーム以外にも「任天堂の“何か”を買ってあげる」って言う。こういった世の中になればいいと考えます。
――ミュージアムに入って最初に目にするのは、宮本さんの後ろにも掲げられている“ロゴ”です。このグレーの色味はどういった経緯で決まったのでしょうか?京都の景観条例に配慮したとか……?
宮本氏:あまり深い意味はないんですよ。最近は形がスクエアで真っ赤なロゴが多くて、Nintendo TOKYOをはじめとして全部赤バックに白文字で展開しています。あれはセールスのために使っているロゴです。
任天堂も事務関係にはグレーを使っているんですね。ミュージアムも歴史展示がメインなので、真っ赤ではないことは決まっていました。僕は「パープルにしてくれ」と言ったんですが、現場としては建物全体をシックに抑えているので、パープルは色がキツすぎると言われました。
今使われているグレーも僕は「ミュージアムパープル」って言ってるんですよ。僕が「パープルじゃないやないか」と突っ込んで、言い訳のように言ってるだけなんですけどね(笑)。パープルと言われたら見えなくもない色合いだと僕は思っているので、なんとか辻褄はあってるかなと思います。素直に言うと、販売系統とはわけようというのが目的です。
――先ほど京都にこだわりがあると仰っていました。娯楽を生み出す上で、京都という土地の魅力はどこにあるとお考えでしょうか?
宮本氏:色々な視点で話すことがあるんですが、一般的に言われる京都の文化を大事にするとか、京都の伝統を守って何かを作るとかではないです。
一つ、最初に「山内がいたら『そんなもん辞めとけ』と言うだろう」という話がありましたが、そのぐらい山内は「驕るな」、「盛者必衰」と言っていて、僕らも澱まずにずっと流れを維持する、栄えたものは滅びるが新しく栄えたものを作るとか、エンターテイメントの会社には一番大事なことだと思っていて、山内の教育を受けたものとして考えています。
もう一つ、僕が30歳くらいになった時、京都の田舎に燻っているとデザイナーとしてダメになる、だから東京に出て行かなきゃと言われたり、自分でも思ったのですが、そのまま40歳くらいまで仕事をしていると、30歳くらいで一緒に仕事をしていた仲間が戻ってきてまた一緒に仕事をしていたんです。
何か作ったものが世界で売れる。なんでかなと考えていたら、東京に行くと東京で流行っているものに誘われて、日本で売れるものを作ってしまう。そして日本でしか売れないものを作っているということに気付かないのではと思うようになりました。僕はそれを「東京ローカル」と言っていて、京都がグローバルなのではなく、東京がローカルだということなんです。
こういうことをどうして言えるようになったかといえば、京都にいるコンプレックスがなかったからです。僕は丹波の田舎出身で、田舎のコンプレックスを持っていると「いずれは東京へ」とか思うかもしれません。ですが、ここでのんびり仕事ができたのは、京都を好きな人と一緒に働いていて、自分たちが感じているものを作ることができたからです。周りに踊らされず、自分たちが信じるものを作って、結果として世界中に売れてるじゃないかと。グローバルと言われているものは別にグローバルじゃないと40歳くらいで気づき、今もそれを若手に吹き込んでいます(笑)。
――ミュージアムを見て、任天堂の長い歴史を感じることができました。その中でも色々な変化がありましたが、ここで将来の任天堂に繋がるヒントを得られると考えていますでしょうか?
宮本氏:見ていただいてわかるように、ゲームは60年前くらいからの遊びをその世代の人たちに合わせてグレードアップさせています。やはり皆が歳をとっていくので、その時代に経験することって毎年繰り返しながら卒業していきます。そこの世代に合わせたレイヤーというものは常にあって、これだけでも大きなビジネスになります。
そしてここまで積み上げてきたので、その流れからあまり逸脱していないものを皆が作ろうとする。これで“任天堂らしさ”ができていくと思う一方で、チャレンジはいつもしていて変革を望まないわけではありません。チャレンジで新しいものを作っていて、ベースには流れているコンセプトは家族や遊び、わかりやすさがあって、そこはちゃんと守っていこうというのが社員に根付いていけば、ずっと新しい任天堂が膨らんでいくと期待しています。なんか引退の言葉みたいですが(笑)。
――2階の展示エリアは解説がなく、見てわかるものが中心ですがこれはワールドワイドを意識したものでしょうか?任天堂の社員の方に伝えていくには、文章があったほうがいいのではと考えるのですが、どうお考えでしょうか?
宮本氏:もっと詳しい解説が欲しいというのもわかりますし、そのあたりはこれから考えていこうと思います。ただ、今回はものすごいボリュームになるという心配があって、みなさん全部に興味があるわけでもありません。
それから日本にいると、美術館も回ってくる美術展が多く、じっくり見る構造にはあまりなってないと思っています。批判するわけではないですが、入り口のあたりに人が溜まって、つまらない歴史年表を読んで、そして奥の方に入ったら大事なものが割と簡単に見られる。
ああいう構造の展示にはしたくないと思ったんです。なので入ったら自由に見られる、くどくど解説せずに自分で感じてもらう、そういうのをとりあえず作ってみようと考えて、このような形になりました。いずれ詳しい解説図録を作ったりはしていきたいです。
――ニンテンドーミュージアムには館長がいません。そして展示にも人の名前や写真がありませんが、これは狙ったものでしょうか?
宮本氏:ミュージアムの専属スタッフはいますが館長はいません。僕は名誉館長になりたいとは考えているんですが(笑)。
少しだけ山内の色紙を置いていたりはしますが、横井さん(横井軍平氏)の名前を出すかどうかなどは物凄く悩みました。結果的には一切個人を出さずに商品でコミュニケーションを取ることになりました。
ただ言い訳がましいんですが、エントランス入ってすぐのところに僕のサインがあるんですよ。あれは唯一個人名が出ていて、僕としてはすごく心苦しいんですけど……。実は建物を建てるときに基礎にみんなでサインをして、最後に埋めていずれ剥がした時に出てくるという感じにしたかったんですが、僕以外誰も書かなかったんです(笑)。
そのあと、せっかく書いてあるんだから見せたらどうかという話が出て、くり抜いて窓をつけて見せてるみたいで……。ここ数ヶ月、あれを何で塞ごうかずっと考えてるんですけど、サインはあってもいいんじゃないかという社内の声もあり、今のところ残してます。申し訳ないです。それ以外には個人名が出ていない構造になっています。
――宇治市の住民の方からもオープンに期待する声が上がっています。地域にとってどういう施設になればいいとお考えでしょうか?
宮本氏:ミュージアムを建てる時、派手な城を建てるのではなく、工場を再利用しようというのは決まっていて、バスや鉄道の便がいい宇治小倉工場を選びました。この伊勢田エリアはだいぶ高齢化が進んでいて、我々としても工場を最初に持った場所なので、地域の活性化につながるなら是非とも協力したいという思いがありました。
宇治市さんや近鉄電車さんにも非常に協力いただいてます。実は小倉駅前(ニンテンドーミュージアムの最寄り駅)に都市計画としてロータリーが設置される予定です。これが完成すれば、ミュージアムまでまっすぐ来ることが出来ます。地域と一緒に、近隣の方に嫌われない場所になるように展開していきたいと思っています。
実は近鉄の小倉駅がまだバリアフリーになっていなくて、これも近い将来バリアフリーにしていただけることになっています。
――1つの入館証に対して、体験エリアのコインは10枚だけになっています。これでは全部遊べないのですが、どういう設定になっているのでしょうか?
宮本氏:フレキシブルに対応できるということで「コイン」というシステムを導入しました。ただ、僕は長蛇の列が大っ嫌いで、どんなに有名なラーメン屋でも5人以上並んでいると帰ります(笑)。なのでミュージアムではスムーズに遊んでほしいですが、採算の問題もあり一日で大勢の方に入っていただくので、とりあえず10枚ということにしています。今後様子を見ながら少しコインの枚数をサービスしてもいいかなとは思っていますが、これは運営側が決めることです。
ちなみに全部遊んでいただくことになると、ミュージアムには一日で500人しか入れないです。最低でも1,500人から2,000人まで入っていただけるように運営したいので、実はかなり今のコイン枚数でも厳しい状態ですが、それは覚悟のうえで試しています。
もちろん一日で全てを見切れないと思うので、リピーターとかもう一回来ていただくことは歓迎しています。「うわー!」って言っていくつか見た後、満足したと思って帰ったら色々なものを見逃していたとか。できるだけ入館料も安く抑えようとこれでも努力はしたつもりです。
――ミュージアムでは今までの製品が多く展示されていますが、これから生み出される製品もミュージアムに展示されるのでしょうか?
宮本氏:展示して残していく価値があるものが作っていけたらという前提で話します。施設内は今の段階でほとんど埋まってるので、今の展示をずらして何かをするというより、将来的にもう少し貯まったら場所を考えて展開していけたらと思っています。
今のコンセプトでいくと、新しいものはどこかに保存しておきますけど、それをどこかで見せないと皆さんが忘れていってしまいます。例えば「スプラトゥーン」に関する展示はほとんどないんですが、これは微妙なところで展示のほとんどは20年以上たったものです。
ただ、今のお客さんからすると「スプラトゥーンがないのはどうなっているんだ」と言われると思うので、この会場となったアートギャラリーでそのあたりはフォローしようと思います。ハードが現存しているものは、展示の対象ではないと思っています。
次の世代の方たちがどんなものを生み出すかにもよりますが、一枚のカードで市場がガラッと変わるのが娯楽の面白いところで、それぐらいの革命が起きてくれたらと。革命を起こす方達の下地を作るためにこのミュージアムでここまでは理解して欲しいです。
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