「SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE」レビュー

SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE

死、死&死!フロム・ソフトウェア史上最多の死体が転がる凶悪な享楽の極致を生き抜く術を研究

ジャンル:
  • アクションアドベンチャー
発売元:
  • フロム・ソフトウェア
開発元:
  • フロム・ソフトウェア
プラットフォーム:
  • PS4
  • Xbox One
  • Windows PC
価格:
7,600円(税別)
発売日:
2019年3月22日

 ――狼よ、我が血と共に生きてくれ……。

 この言葉は、プレーヤーが本作「SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE」において最初の死を体験した際に投げかけられる“主”からの言葉である。いつ賜ったかもわからない、しかし心の奥底に強く強く根付いた忘れようもない言の葉。

 「SEKIRO」は、寄る辺を失った孤独な「御子」と、“狼”とよばれた「忍」の物語である。プレーヤーは狼となって国の将に奪われた御子を取り戻すため、絡繰りの腕とひと振りの刀を手に幾度の死を乗り越える戦いへ身を投じる。

 しかし、狼は自分の記憶を失ってもいた。再びの生を受け復讐する「回生」の力を得た理由や、御子が囚われの身となった故、そして自身の過去も。プレーヤーは主従の関係のみならず狼の過去をも紐解くことで、その世界へ引きずり込まれていくのだ。

とはいえ、死ぬ。

 フロム・ソフトウェアの最新作たる「SEKIRO」は、明確なストーリーラインを示し、上下の概念を強め、武器種を圧倒的に減らすなどの「らしくない」進化を遂げつつも、フロム・ソフトウェアが得意とする「死んで覚えさせる」ゲームの新たなベクトルを開拓している。

 そう、恐ろしく死ぬのだ。「ソウル」シリーズだとか、「Bloodborne」以上に。

 その場で生き返る「回生」、死亡リスク――死ぬと「スキルポイント」や「銭」の半分を落とす――を回避する「冥助」とその確率を下げる「竜咳」といったシステムは、死ぬ回数を少ないと錯覚させるトラップにすぎない。

  恐ろしく死ぬのだ。 だというのに、本作で死ぬことはこの上ない学習の機会であり、自らがステップアップするチャンスになっている。ロード時間が従来作以上に早くなっているようにも思え、気軽にポンポン死ねるのは楽しい。

 学習の機会、と今しがた述べたとおり、「SEKIRO」での死は「なぜ死んだのか」がこれまで以上に明確な場合が多い。たとえば敵の攻撃を弾くのに失敗したとか、チャンスを逃したとか、多勢に飛びかかって死んだとか。本稿ではその「死ぬ原因」を紐解いていくとともに、「死に覚えゲー」の新たな扉を開いた「SEKIRO」の魅力を語ってみたい。

「回生」

 斃れたその場で蘇る「回生」とは、狼がその内に秘めた“血の力”――「竜胤(りゅういん)」の力が呼び寄せる奇跡のような業だ。ただし戦闘中に行なえる回生は1度のみで、複数回の回生にはある程度の時間と「忍殺」――不意討ちや隙を狙った、いわゆる“致命の一撃”によるゲージの蓄積が必要だ。ただし、「鬼仏」で休息することで1回分のみチャージできる。

 回生はいわばリベンジであり、たとえば多数の敵に囲まれたときなら回生を経て逃げ出すことも、背を向けた強敵に忍殺を決めることもできる。どう動くかはその時々の判断に委ねたいところだが、狼は「忍」であって「騎士」とか「侍」ではないため、防御力は低く多数に圧倒されることが多い。無闇な猪突は速やかな死を招くのだ。

剣戟を見極めよ

 とくに1対1の戦いで見落としてはいけないのが、「相手の出方をうかがう」こと。本作は音も非常に優れていて、殊に「剣戟」――刃を打ち合わせる瞬間に響く金属音は快感ですらある。だからこそ、通常とは異なる音と火花が響いた瞬間を見逃してはならない。それは相手の反撃の狼煙であり、狼が受けに回る瞬間だからだ。攻撃だけを頼るのは只人の振る舞いであり、真の忍は華麗に攻撃を捌くのだ。

「危」をみてせざるは勇なきなり

 狼が感じ取る「危険」は、すなわち防ぎきれない攻撃。例えば「突き」と「掴み」であれば「ステップ」で回避し、「下段攻撃」――薙ぎ払いとかがそうだ――ならば「ジャンプ」で飛び越える。これさえこなせば百戦危うからず……とまではいかないものの、体力を幾分セーブできる。専用のスキルを覚えれば「突き」をチャンスに変えることもできるし、何が無くとも「下段攻撃」を跳ぶ際に敵に向かってジャンプ、再度ジャンプボタンを押して頭を踏みつけてやれば体幹を削ることも可能となる。

 ――なに、どれがステップでどれがジャンプか「危」だけではわからない?死んで覚えるんだよ。

「忍殺」で数を減らせ

 敵たちは多人数で動くとき、隊列のようなものを組んで動いていることがほとんどだ。これを無闇に乱せばすべての敵が気づき、文字通り多勢に無勢となる。

 ここで必要なのが隠密と「忍殺」なのだ。隊列のいちばん後ろからひとりずつ、ひとりずつ……死神のように。多勢にしかける「忍殺」を助けるスキルも存在するため、いろいろと触れながら、死にながら、覚えていこう。

静かに、クールに

 公式サイトより、狼のプロフィールにはこう書かれている。

「掟に縛られ冷静で寡黙だが、任務のためには手段を選ばぬ残忍さを兼ね備えている」

 そう、「冷静」なのだ。それでいて手段を選ばない。「無闇な猪突は速やかな死を招く」とも述べたとおり、戦闘において冷静さを欠くことは即座に死を招く。攻撃にかまけて回避を怠るなどその代表格である。実際攻撃した瞬間には隙が生まれるため、そこで大技を受けてしまい死ぬシーンが多々あるだろう。

 そして、手段を選ばないこと。本作ではステータスを向上させるタイミングが少ないものの、「忍義手」と「技」の強化が存在する。たとえば忍殺直後に血煙を噴き上げて身を隠すものや、敵の突き攻撃を踏みつけて体幹を崩すもの。忍義手であれば、敵に火を撒き散らして炎上させるなど。

 また、鉤縄を使った高所からの忍殺ももちろん選択肢に入る。本作では鬼瓦だったり、突き出た木の幹といった特定の場所で鉤縄を使って跳び上がれる場所が存在する。ここから敵をロックオンして飛び込めばあら不思議、華麗な忍殺の完成だ。

死ぬことのデメリット

 さんざん「死は学習」と述べてきたが、死ぬことで起きるデメリットも存在する。

 まず、スキル経験値と「銭」が半分減ること。これは後で死んだ場所まで戻って回収することはできず、ただ失われるのみ。あっさり無くなってしまうため、むしろ諦めがつきやすいとも。

 そして、完全に死んでもノーリスクでやり直せる「冥助」と、その確率を下げる「竜咳」。「竜咳」は狼の周りの人物に振りまかれる病であり、それを治すことはできるが代償は高くつく。

 だからね、もう諦めて「死んだら仏も助けてくれないな!」と思いながら死にまくる。これが最上。冥助にも頼らない。死んだらおわり。「冥助があるから大丈夫だよな……!?」なんて蜘蛛の糸にすがりつくようなことは考えず、あっさり死ぬ。これに慣れると、死んだ瞬間にそのショックより「なぜ死んだか」を考える余裕が出てくる。たくさん死んでたくさん覚えよう。

点在する鬼仏は見つけたらとりあえず対座しておこう。ワープのようなシステムである「仏渡り」のポイントにもなる

死すらも超えて、楽しめ!

 本作はほんとうにシビアなバランスが取られていて、そんじょそこらの半裸な足軽くずれ相手ですらサクッと死ぬこともままある。砲撃に巻き込まれて死ぬことも、掴まれ叩きつけられて即死することもある。だからこそ、本作の死は世に溢れるタイトルの「ゲームオーバー」ではなく、「経験」であり「楽しみ」にすらなるのだ。

 狼が死すらも超えて敵を討つのであれば、こちらは死を超えて楽しみ尽くすのみ。「グエー死んだ!つらい!」の先であっさりと復活するのだから。ただ、スキルが増えることによる「覚えていたほうがいいこと」の増加は忘れっぽい筆者には堪えた……が!とりあえず「突きは踏め」と「頭も踏め」を覚えておけばどうにかなった!みんな楽しんで死のう!

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