【特集】
「セガハードヒストリア」のヒストリア~または製作日記【第5回】
「セガのゲームは世界いちぃぃぃ!」サムシング吉松氏が語る“セガ世界一”の真実
2021年4月2日 00:00
- 【セガハードヒストリア】
- 7月22日発売予定
- 価格:16,500円(税込)
「セガのゲームは世界いちぃぃぃ!」というフレーズを聞いてピンときた人は、なかなかのセガ通。現在制作中のSBクリエイティブの書籍「セガハードヒストリア」の中で扱うセガハード専門誌「セガサターンマガジン」と「ドリームキャストマガジン」にて、アニメーターの吉松孝博氏が「サムシング吉松」名義で連載していた、セガのゲーム機を擬人化したマンガのタイトルである。
セガのゲーム機を擬人化し、過激な自虐ネタを盛り込みながらも、そこからあふれる“セガ愛”は読者の心を掴み、後の総合誌「ゲーマガ」の時代まで連載され、単行本も3冊刊行された。エッセイ色の強い内容ということで、吉松氏本人がマンガに登場することもあったわけだが、意外にも掲載本誌で吉松氏にご自身のセガファンとしての来歴を直接聞く機会は設けられていなかったのだ。
今回「セガハードヒストリア」の刊行を記念し、吉松氏に改めて熱狂的なセガファンに傾倒するまでの経緯や、マンガ連載の秘話を聞いた。
社会人になって出会ったセガのゲーム。セガ・マークIIIでその愛が沸騰する
吉松氏とセガとの出会いは、少し意外なところにあった。子供の頃は登場したばかりの「スペースインベーダー」や「ブロック崩し」などを遊んだ経験はあるものの、自分からゲームを積極的にプレイすることはあまりなく、誰かがプレイしているところを見ていることが多かったという。
最初にゲームを楽しむことを意識したのは就職後に上京してからのことで、そのタイトルがセガの 「アッポー」(※1) だったというのが、プロレスファンでもある吉松氏らしいエピソードである。「最初に見たのは池袋のゲーセンで、そのときは操作が全然分からなくて、100円をずいぶんムダにしました(笑)。その後、社員旅行に行ったときに宿泊した海の家に置いてあって、日がな一日『アッポー』をやり続けていたら、同僚から“頭からあの曲が離れない”という苦情をもらった思い出があります」と吉松氏。しかしこのときはまだ「アッポー」がセガのゲームということは意識していなかったという。
その後、会社に置いてあったファミリーコンピュータで同僚と「スーパーマリオブラザーズ」などを遊ぶ日々を経て、運命の時が訪れる。1986年、池袋西武のおもちゃ売り場で見た、 「セガ・マークIII」(以下、マークIII)用のアクションゲーム「北斗の拳」(※2) との出会いである。
吉松氏はその画面を見て、「ファミコンより綺麗じゃん!」と一目惚れ。本体とソフトの即購入を決め、対応ソフトを集めていくこととなるわけだが、当時のゲーム雑誌でマークIIIが扱われることがほとんどなく、「こんなに優れたゲームを出しているセガが不当な扱いを受けているのは可哀想」という思いが強くなり、仲間内にも布教活動を始めるようになった。そんな中でも、毎月マークIIIの情報を掲載していたゲーム総合誌 「Beep」(※3) は吉松氏の心の支えとなり、欄外のはみ出し情報まで読んでいたとか。実は「セガのゲームは世界いちぃぃぃ!」というタイトルも、「Beep」の記事で見たフレーズが印象に残っていて、それをインスパイアしたのだとか。
既に社会人であった吉松氏は、ファミコンとマークIIIを同時期に体験し、「セガのマシンのほうが優れている」という自己判断でマークIIIユーザーとなった経緯があり、もう少し下の世代の「マークIIIしか持っていなかった」というユーザーとは少し立場が違うのが興味深い点だ。
吉松氏が最も思い入れが深いセガハードもやはりマークIIIであり、特にメガロムのタイトルはよく買って集めたという。中でもやはり「ファンタシースター」は大きな衝撃を受けたタイトルで、「あのダンジョンの表現は本当に画期的でした。それまでの3Dダンジョンはパカパカの画面切り替えだったものが、滑らかにアニメーションしていましたからね」と、その思い出を語った。また同時期に発売された 「FMサウンドユニット」(※4) により、FM音源で再生されるサウンドの魅力にもとりつかれ、買っていない友達を不憫に思うほどであった。
時代は前後するが、前年1985年の「ハングオン」や「スペースハリアー」といった体感ゲームを遊んだときは「夢のようだった」そうだが、マークIIIに「スペースハリアー」が移植されたときは「凄い力業の移植だ」というのが第一印象で、以降体感ゲームが移植されるという情報を耳にしたときは、不安のほうが先行していたこともあったとか。
※1 「アッポー」: サンリツ電気が開発し、セガが発売した1984年のアーケードゲーム。実在のレスラーをモデルとした8人のキャラクターが、リングの上で3本勝負のシングルマッチを繰り広げるプロレスゲーム
※2 マークIII用のアクションゲーム「北斗の拳」: 同名コミックを原作とした1986年7月発売のアクションゲーム。原作に忠実な展開と美しいグラフィックが目を惹き、発売日が近かったファミコン版の同名タイトルに完成度で大きな差を見せつけた。吉松氏が店頭で見たのはこちらが先だったが、発売が延期となり「ファンタジーゾーン」を先に購入したそうだ
※3 「Beep」: 日本ソフトバンク出版部(現SBクリエイティブ)が1984年12月に創刊した、月刊のゲーム総合誌。マークIIIを中心に、当時からセガタイトルを多く扱っていたことにより、吉松氏のようなセガファンの支持を得る。1989年の休刊後、セガハード専門誌「BEEP!メガドライブ」へと転換
※4 「FMサウンドユニット」: セガ・マークIII用の周辺機器で、本体に取り付けることで、対応ソフトのサウンドがFM音源で再生される。装着後のマークIIIのメカニカルなルックスを支持するファンも一定数存在する
ライバル誌からの移籍で連載がスタート。キャス子のキャラクターは、あのアニメの監督の一声で決まった!?
時代はマークIIIからメガドライブへと移り変わるが、吉松氏の熱意は変わることなく、「ゲームは発売日に手に入れないと死んじゃう」ほど思いは強くなり、都内のショップや量販店を日々駆け回っていたが、当時はソフトの発売日が曖昧なことも多く、苦労したことも多かったとか。
本体ローンチのラインナップ(※5) が弱かったことも思い出深いが、楽しかったタイトルも多く、中でも電波新聞社が発売した「アフターバーナーII」はかなりのお気に入りで、同時期に発売されたアナログコントローラー 「アナログ・ジョイパッド XE-1AP」(※6) と一緒に買って遊び、なんとその後にアーケード版「アフターバーナーII」の基板を購入するまでに至ったというから驚きだ。ちなみにそのアーケード版も同じコントローラーを接続して遊んでいたが、純正のコントローラーで遊ぶよりも移動範囲が狭く、先に進めなかったそうだ。
「メガドライブの特に後期は、セガが小手先でどうにかしていく“伝統芸”が面白くて仕方なかったです。 メガモデム(※7) を使った 『TEL・TEL』シリーズ(※8) とか、たまらんですよね(笑)。とにかくツッコミどころが満載で、一度飛び込んだからには最後までとことん付き合うんですけど、毎回“なんだよこれ!”ってなる。でもそれが楽しくもありました」と笑う。次世代ハードの「セガサターン」は、こうした“伝統芸”があまり見られなかたことが逆に寂しかったとも述べている。
そんなセガサターンが好調な頃に、いよいよ本題となる吉松氏の連載マンガ「セガのゲームは世界いちぃぃぃ!」が「セガサターンマガジン」'97年12月12日号よりスタートする。元々はアスキー社より刊行されていたセガサターン専門誌「TECH SATURN」(※9)にて連載された「メガドラ兄さん」が原点であり、同誌が休刊の折に、ライバル誌へと移籍するという異例の経緯があり、連載第1回となった'97年12月12日号では、その顛末をマンガの中で吉松氏本人が説明しつつ、「メガドラ兄さん」の最終回を描いている。
ゲーム機を擬人化した内容は、映画「トイストーリー」が発想元だそうで、「持ち主(吉松氏)が見ていないところで、ゲーム機達が動き出して楽屋オチのコントを繰り広げる」というのがコンセプトだった。「セガサターンマガジン」での連載中は、メガドラ兄さんは一度退場していて、 「メガドラ様」(※10) や「サターン様」といった、シンプルな擬人化キャラクターが活躍する内容であった。1998年にセガサターンからドリームキャストへとハードがバトンタッチし、後継誌の「ドリームキャストマガジン」'98年7月10・17日号からは、このマンガを代表するキャラクター「ドリームキャス子」が登場する。
「ドリームキャストが満を持して登場する直前に、「トライガン」の監督をしていた同業の西村(西村聡氏)から「次のキャラクターは女の子にしたほうがいいんじゃない?」とアドバイスされまして、それはいい!と思ってキャス子が生まれました。西村の一言がなかったら、きっとまたむさいオッサンが主人公になっていた可能性もあったかもしれません(笑)」と、キャス子の意外な誕生秘話も明らかとなった。同時期に復活を遂げたメガドラ兄さんに対抗できるよう、アバンギャルドな性格付けが設定され、首から下の姿は吉松氏が通っていた中学校の女子の制服がモデルという、ギャップのあるキャラクターとして完成した。
ドリームキャストの頃のセガは、「セガなんてだっせーよな!」などというセリフが飛び出すCMで知られるように、宣伝に自虐ネタを込めるようになっていたが、マンガではそれを遙かに上回る過激な自虐ネタが飛び出し、ある種タブーとも言えるネタもたびたび登場している。当の吉松氏も毎回担当編集の顔色を伺いながらネームを提出していたが、意外にもボツになることはなかったという。後にキャス子のグッズが発売されることが決定したときにセガを訪れた際、関係者に見せたのがあの 「座敷牢」(※11) を扱った回だったというエピソードも。
キャス子を主人公に据え、メガドラ兄さんとそのファミリー、さらにはセガ以外のゲーム機のキャラクターも加わり、ドリームキャストのその後を赤裸々に描いた連載は好調で、セガの専門誌から総合誌となった「ドリマガ」でも継続し、掲載期間は10年を超えた。他誌での連載を含む単行本が3巻発売された他、前述のグッズ化(1999年の単行本1巻の発売に際し、 「セガ一家フィギュア」(※12) が発売に)や、吉松氏のプロレス好きが高じて、「大阪プロレス」のリングに キャス子がプロレスラー(※13) として登場するなど、型破りな展開を見せたことは、当時のファンには懐かしい出来事だ。あるときはマッドハウス制作よるビデオアニメ化の話も持ち上がり、その予告的な映像が「ドリームキャストマガジン」の付録 「ドリマガGD」(※14) に収録されたが、残念ながら諸般の事情によりお蔵入りになるという事件(?)もあった。
連載中の2001年には、セガの家庭用ゲーム機撤退という大きな出来事も経験する。吉松氏は「セガのハードがなくなるのは、寂しいし困った」という気持ちになったが、ゲームに対する興味が失せてしまうことはなかったため、連載を続けることができたという。さらに翌年マイクロソフトから発売されたXboxについて、「なんとなくセガハードのような匂いがして、親戚のように感じました(笑)」とシンパシーを覚え、連載にもたびたび登場している。現在吉松氏はXbox One Xユーザーであり、最近一番遊んでいるハードだとも述べている。
10年間続いた連載について吉松氏は「セガファンでいることによって、当時色々と振り回された思いを叩き付けるのに最適なマンガでした(笑)」と振り返る。その内容は決して誇張しておらず、本心を描いていたそうだ。
※5 本体ローンチのラインナップ: 1988年10月29日、メガドライブ本体と同時発売になったソフトは「スーパーサンダーブレード」と「スペースハリアーII」の2本のみ
※6 「アナログ・ジョイパッド XE-1AP」: 電波新聞社より発売された、アナログスティックとスロットルを装備したPC&メガドライブ用コントローラー。メガドライブ版「アフターバーナーII」に正式対応し、自機のF-14XXをアナログ操作できる。その独自の形状から、通称「カブトガニ」と呼ばれた。価格は13,800円(税別)
※7 メガモデム: 1990年11月に発売された、メガドライブ専用の通信用モデム。メガドライブに接続し電話回線を介して通信し、各種通信サービスを楽しむことができた
※8 「TEL・TEL」シリーズ: サンソフトが発売したメガモデム対応のゲームソフト。「TEL・TELまあじゃん」と「TEL・TELスタジアム」が1990年に発売され、メガモデムを使った通信対戦ができた
※9 「TECH SATURN」: 1995年6月より「TECH SATURN通信」の名前で刊行されたセガサターン専門誌。セガサターンで再生できるCD-ROMが付録に付いていた。1997年9月に休刊
※10 メガドラ様: 「セガを広めるために人間化したメガドラ兄さん」という設定で、頭部がメガドライブのシンプルなキャラクター
※11 座敷牢: ドリームキャストマガジン'99年12月24日増刊号に掲載。ここで詳細は語るまい。気になる人は検索を
※12 「セガ一家フィギュア」: 単行本1巻発売記念に製作された、キャス子、メガドラ兄さん、サタ郎、ギア夫の4人が畳に座ったビネット。単行本購入者へのプレゼントの後、販売もされた
※13 キャス子がプロレスラー: 2000年2月6日、東京ビッグサイトでのワンダーフェスティバルの会場にて行われた大阪プロレス興行のセミファイナルで、ドリームキャス子がプロレスデビュー。浜武洋選手を相手とした異種格闘技戦で対戦するも、わずか48秒TKO負けに
※14 「ドリマガGD」: 「ドリームキャストマガジン」の付録として定期的に付属した、ドリームキャスト専用のGD-ROM。映像再生の他に、体験版が収録されることもあった。
※15 諸般の事情: 連載では「ついに○○におこられました……」と説明している
セガのおかげで楽しいゲームにたくさん出会えた人生に。やっぱり今も、「セガのゲームは世界いちぃぃぃ!」!?
セガハードの撤退から今年でちょうど20年が経過していて、「今のセガはどうですか?」と尋ねてみると、「気持ちの問題だとは思うんですが、今はセガのハードでセガのゲームを遊べていないので、当時ほど“セガのゲーム”という強い意識はなくなったかもしれません」と答え、「ハードがあったからこそ、何か得体の知れない熱みたいなものをそこに感じていました」と続ける。ずっと「セガのゲームは世界いちぃぃぃ!」を掲げてきたが、今は「セガのゲームは世界いちぃぃぃ!……だったのかもしれません」と過去形で伝える吉松氏の声は少し寂しそうだった。
といいつつ、現在もゲームを楽しんでいるという吉松氏はインタビューの最後に「僕、PS4持ってないんですよ」と衝撃の告白をし、我々を驚かせる。「Xboxで『龍が如く7』ができるようになったので、楽しみにしているんです。あとOculus Quest 2でやった『スペースチャンネル5VR』は当時を思い出す面白さで、本気で踊りましたよ」と、セガファンなら嬉しくなるコメントも飛び出した。
「こうしてゲームが好きになったのは、セガとの出会いが本当に大きかったと思います。肩身の狭いマイノリティな道を歩いていたはずなのに(笑)、こんな素敵なマンガを10年も描くこともできたし、何よりもその寛大さには驚くばかりで(笑)、感謝しかないです。さっきは過去形で言いましたけど、やっぱり“セガのゲームは世界いちぃぃぃ!”と自信を持って言いたいですね」とインタビューを締めくくってくれた。その終了後に色紙にしたためてくれたキャス子、メガドラ兄さん、サタ郎の姿は当時のままで、現場でその様子を見ていた筆者も一読者として感動を覚えた。
7月発売の「セガハードヒストリア」には、今回のインタビューを対話形式に再編集した記事と、吉松氏の描き下ろしマンガが掲載予定で、さらに「セガのゲームは世界いちぃぃぃ!」の単行本全3巻が、電子書籍向けPDFとして収録される予定だ。予約をした人は楽しみにお待ちいただきたい。なお、GAME Watch読者には、吉松氏描き下ろし色紙を1名にプレゼントする予定なので楽しみにお待ちいただきたい。
「セガハードヒストリア」収録タイトル紹介最終回 「空牙」、「エル・ヴィエント」
「セガハードヒストリア」には、付録としてメガドライブソフト10タイトルがついてくる(PCでプレイ可能)。これまで全5回でそれらを紹介してきたが、今回がいよいよ最後となる。タイトル一覧は下記で確認できるので合わせてチェックしていただきたい。
「BEメガ読者レース」の最終結果は206位で、読者評点は7.4966。データイーストのアーケード版からの移植作。メガドライブ版はテレネットより発売された。画面の比率で縦→横の違いがあるが、アーケード同様に2人同時プレイを実現し、評価が高かったハードロック調サウンドの再現度も高い。近未来な世界観で展開する縦スクロール型シューティングゲーム。ショットやスピードが異なる3種類の機体を操ってクリアを目指す。自機のダメージにライフ性を採用しているのに加えて、自機が一定時間無敵となるバレルロールは時間経過で何度も使え、心地良い難易度。シューティングゲーム初心者にもオススメだ。
「BEメガ読者レース」の最終結果は224位、読者評点は7.3843。「BEEP!メガドライブ」誌面では、キャラクターデザインを担当した山根和俊氏(連載時は“上野哲也”名義)によるコミックも連載されていたので、思い入れのある人もいるのでは(連載は未完のまま)。メガドライブ向けに数多くのタイトルをリリースしたウルフチームによるアクションゲームで、「アーネスト・エバンス」シリーズ3部作の第1弾となる。禁酒法時代のアメリカを舞台に、主人公の少女アネット・メイヤーを操作して、迷路状に入り組んだステージをブーメラン状の投擲武器とステージ進行とともに増える5種類の魔法を駆使して敵を倒していく。敵の出現頻度も高く、崩れる足場やダメージ床が頻出することもあり、当時はその高い難易度に手を焼かされたプレイヤーは多いはず。特徴的な攻撃を仕掛けてくるボスや派手な爆発エフェクト、ステージ間のデモシーンなど、映像面の見どころは多い。