【特集】
「セガハードヒストリア」のヒストリア~または製作日記【第1回】
「ファミコン専門誌」全盛の時代に誕生したゲーム誌「BEEP!メガドライブ」
2021年3月8日 00:00
- 【セガハードヒストリア】
- 7月22日発売予定
- 価格:16,500円(税込)
ゲームファンの皆様、いつもGAME Watchをご覧頂き誠にありがとうございます。GAME Watch中村です。
12月21日に正式発表されたSBクリエイティブのゲーム書籍「セガハードヒストリア」。発表に合わせてGAME Watchで記事を掲載したところ、想像を遙かに上回る数の読者に読まれ、あらためてセガファンの精強ぶりと、ソフトバンクが育てたゲームメディアの歴史の重みのようなものを実感しました。
私がこの書籍の存在を知ったのは発表の1月前、SBクリエイティブ 書籍担当の杉浦よてん氏が編集部を直接訪ねてこられ、「いまセガハードの歴史をまとめた書籍を企画しています。一緒に何か出来ないでしょうか?」と事前相談を受けたことがきっかけです。
これは出版業界の慣習的に言うと、なかなか珍しいケースです。なぜならSBクリエイティブとインプレスはIT系出版社として競合関係にあり、この手の情報が事前に外に、しかも競合社に漏らすことはあまりないからです。にもかかわらず何故こういうことになったのかというと、SBクリエイティブは、現在ゲーマーにリーチできるゲームメディアを1誌も持っていないためです。
日本ソフトバンク、ソフトバンクパブリッシングといえば、とにかく“セガ情報に強い出版社”として、1984年創刊の「Beep」から、BEメガ、サタマガ、ドリマガ、そしてゲーマガまで、“セガ情報ならソフトバンク”という時代を生み出しました。
当然私も子ども時代からお世話になってきましたし、特にゲームミュージック大好きっ子だったので、ソノシート(レコードプレーヤーに掛けて聴く薄いシート状の録音盤)が付録として付く号は、特集に関係なく買うぐらいひいきにしていました。一時代を築いたゲーム雑誌群が、今回ムックとして復活することは、元読者として嬉しい話で、何より杉浦氏の大胆な行動力に感銘を受け、「ぜひやりましょう」と二つ返事で承諾させて頂きました。これが本企画の誕生経緯です。
この短期集中連載の目的は3つです。「セガハードヒストリア」の土台となっているソフトバンクのゲーム雑誌について、若い世代のゲームファンにもわかりやすく説明すること、7月に発売を予定している「セガハードヒストリア」の制作状況をいち早く伝えること、そして超弩級の“付録”であるメガドライブソフトについて、独自の選定理由やゲームの魅力について伝えること。これを全5回でお届けできればと考えています。
もちろん、最終的には、これらの本企画を通じて、1人でも多くのゲーマーにムックを手に取って頂きたいですが、なによりも当時のゲームメディアのおもしろさ、空気感、担当者しか語り得ない歴史について、若いゲームファンに共有したいと思いました。インプレスとSBクリエイティブのレアなコラボ企画、ぜひお楽しみください。
「ファミコン専門誌」全盛の時代に誕生した「BEEP!メガドライブ」
ときは「ファミコン」ブームまっただ中。「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」が社会現象を巻き起こし、同じ年の年末には「ファイナルファンタジーII」が注目を集めていた。そんなファミコンブームに沸く1988年、セガが世に送り出した新ハードが「メガドライブ」であり、それに合わせて創刊されたのがメガドライブ専門誌『BEEP!メガドライブ』だった。
その名を見ればわかるように『BEEP!メガドライブ』の前身は、1984年に創刊された総合ゲーム雑誌『Beep』であり、もともとはアーケードからパソコン、ファミコン、PCエンジンなどなど、あらゆるジャンルのゲームを取り扱う「なんでもアリ」の雑誌だった。では、なぜ、その総合誌たる『Beep』が「メガドライブ専門誌」に転身を遂げたのか。しかも“ブームになっていないほう”のセガハードの専門誌として。今回はこのあたりの事情をひもといていきたい。
『Beep』の名を残したくて『BEEP!メガドライブ』となった
セガファンの独特なよりどころとなっていた『Beep』は、惜しまれつつも1989年5月8日発売号で休刊した。
「休刊の前に、経営サイドから求められていたのは、ゲーム雑誌部門の立て直しだった」
そう語るのは、当時の編集長の川口洋司氏。
「あの時はファミコンの後継機種のスーパーファミコンが発売されることと、セガからはメガドライブという16ビット機が発売されていたので、『Beep』の休刊を前に経営陣には2つの提案をしました。それは、メガドライブの専門誌をまずは立ち上げ、スーパーファミコンの専門誌は、追って出すというものでした。
当時のゲーム雑誌の売れ行きは、ファミコン専門誌の筆頭だった『ファミリーコンピュータ Magazine(※「ファミマガ」の名で知られている)』が52万部、その後発として出てきた『ファミコン通信(※のちの『ファミ通』)』が48万部といった状況で、ファミコン系雑誌が当たり前ですが圧倒的に売れていました。一方で、われわれの『Beep』はその1/5程度。当然経営陣は、スーパーファミコンの専門誌を出せば普通に売れるだろうという見解でした。そして、セガはゲーム業界で知名度も低く、ビジネス的にも成功しているとは言いがたい。だからメガドライブの専門誌については認めない、という意見が大勢を占めていました。セガのゲームの専門誌はどうでもいいから、スーパーファミコンの雑誌を早く出して、「ゲーム雑誌部門」を立て直せというのが、社長以下、上層部の考えでした。そのため、最初に企画を出した時点では、メガドライブの雑誌は企画を通すことができなかったんです。
しかし、スーパーファミコンの発売が当初の予定(1989年発売)より遅れたため、その合間をぬって、徳間書店がメガドライブ雑誌を出すという情報が入り、急遽作って販売したのが『Beep別冊メガドライブ』と『BEEP!メガドライブ創刊号』でした。これらはともに返本率20%ぐらいの成績を収めてくれたので、「隔月刊でなら……」という条件付きで、社長以下上層部を説得することに成功し、『BEEP!メガドライブ』の企画は継続していくこととなったんです」
「誌名の『BEEP!メガドライブ』ですが、『Beep』の「後継誌」として想定していたのはメガドライブの雑誌だけでした。この企画書は事業部会議に初めて提出したものですが、そこにも「BEEP」の名をはっきりと書いています。「Beep」の名前をどうしても残したいという気持ちが強くて、『BEEP!メガドライブ』という誌名にしたんですね」
セガハードの専門誌にこだわった理由は、セガとそのファンの「熱量」。これはその後に手がけた他のスーパーファミコンやプレイステーションの専門誌と大きく異なる部分だった、と川口氏は振り返る。
セガとセガファンの熱量。その2つをつなぐため、メガドライブ参入メーカー広報に直接アピールをしてもらう「熱血メガドライブ宣言」といったコーナーを立ち上げたり、初めての別冊付録には、メガドライブ初期に活躍したテクノソフトの「ヘルツォーク・ツヴァイ」の攻略冊子を付けたりして、熱意のあるメーカーのタイトルは積極的に扱っていった。
その後、スーパーファミコンが1990年11月に発売されるタイミングで、経営陣に対して約束していたスーパーファミコンの専門誌『Theスーパーファミコン』を創刊。初期『BEEP!メガドライブ』の半分のメンバーは、そうした経緯もあって、そちらに移籍していくことになったという。
そこから2~3年間、『BEEP!メガドライブ』では、若手スタッフが育ってくるまで、苦労の時期は続いたが、1991年の「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の欧米での大ヒットを受け、1992年以降は、メガドライブのサードパーティーメーカーに、大手のカプコンやコナミなども次々と参入し、『BEEP!メガドライブ』の誌面は次第に盛り上がりを見せていくことになる。
赤字体質が続いていた『BEEP!メガドライブ』が黒字化し始めたのは、1993年後半以降、セガサターンや、アーケードゲーム「バーチャファイター」の情報が出始めた頃であった。
この頃には、メガドライブには、ゲームアーツやトレジャー、コンパイルなど、熱気あふれるメーカーが次々と傑作を生み出し、誌面には、メーカーコーナーも増えていった。
「『BEEP!メガドライブ』が売り上げ的に安定してきたのは、サターンの情報が出始めてからでしたね。もうこれで大丈夫だという思いもあり、編集長はこのタイミングで近藤裕くんに頼みました。その後、1994年に発売されるセガサターンに合わせ、次の世代の雑誌の『セガサターンマガジン』の企画書を会社の経営陣とセガに提案したのは私でしたが、そのころ、徳間書店や電撃も、サターンの雑誌を出すという話も聞こえてきていました。競合の会社に比べ、うちは8ビット時代(『Beep』)から、セガの雑誌を出してきたという自負もあり、これから出てくるライバル誌と差別化するために、「王道の雑誌を目指そう!」という想いで『セガサターンマガジン』という誌名にして企画書を出しました。それまでのBEEPを外したのは、『Beep』の役割は、もう終わったという思いがあったからです」と川口氏は当時を振り返る。
『Beep』の名を継承する雑誌として『BEEP!メガドライブ』を立ち上げた川口洋司氏。そのあとを若手スタッフを育成しながら、引き継いだ近藤裕氏。このバトンタッチを反映するかのように、『BEEP!メガドライブ』は誌面も前期と後期とで、実はカラーがかなり違っている。
メーカーとの距離、クリエイターとの距離をさらに近いものとし、読者に向けて、その熱量を直送するような誌面作りへと進化していく過程については、次回の『セガサターンマガジン』編でお届けする。当時のファンはぜひ楽しみにしていてほしい。
「セガハードヒストリア」収録タイトル紹介第1弾 「ラングリッサー」、「チェルノブ」
「セガハードヒストリア」には遊べるメガドライブソフトが合計で10タイトル収録されるわけだが、これらがどのような基準で選ばれていったのか、また、それらのタイトルの魅力について触れておきたい。
選定にあたっては、主観と客観、両方の基準が用いられた。主観はかつての編集者&ライターによる得点評価。各ソフトを10段階評価で採点してもらい、それらの平均点を算出。「収録したいソフトリスト」を製作した。次に、客観的な基準を設けた。具体的には「読者レースの評価」、「入手の困難度」、そして「メガドライブミニとの重複回避」である。
先ほども触れた「読者レース」は、当時のユーザーの率直な意思が反映された貴重なデータであり、「BEメガらしさ」を反映するものでもある。選定においては大きな指標となった。そしてもう1つの基準が「入手の困難度」である。いま現在、遊んでみたくても入手が難しいソフトというものもあるわけで、そういった基準から優先して選定された作品もいくつか存在する。そして、最後に「メガドライブミニとの重複回避」で、本製品に興味を持つようなファンであれば、当然ながらメガドライブミニは所有しているだろうから、同じ作品を収録しても意味がない。せっかくの懐かしい再録企画なので、メガドライブミニと組み合わせて考えて、より幅広い作品に触れてもらえるよう留意。こうして収録作品が絞られていった。
さて、そのような収録作品から、今回は2タイトルを紹介したい。
「BEメガ読者レース」初登場時に1位を獲得したメガドライブを代表するシミュレーションRPGの傑作「ラングリッサー」。(※最終読者レースは34位、評点は8.5876)。硬派のシミュレーション好きなファンからも高い評価を得ているばかりでなく、うるし原智志氏が描くキャラクターの魅力とともに、幅広いユーザーに訴求した名作だ。メガドライブミニに収録されているのは、この続編である『ラングリッサーII』なので、今回は初代を収録することとなった。
「BEメガ読者レース」最終スコアは101位、評点8.0816。独特なゲームを数多く世に送り出してきたデータイーストの傑作の1つ。原発事故が起きた某所を世界観に持ってきていたことでも注目を集めた。元はアーケードからの移植作品だが、軽快な強制横スクロールアクションは、当時の雰囲気を感じさせてくれる。アーケード版とは違うエンディングも話題を呼んだ。