【特別企画】

映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」鑑賞レポート

圧倒的「マリオ」体験を生むキャラクターと世界の“高解像度”感

【ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー】

4月28日 公開

 4月28日、映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」がついに日本で公開となった。すでに世界での興行収入は1,000億円を超えて大いに話題になっており、その知名度は一般的にもかなり高いものになっていると思う。

 「スーパーマリオブラザーズ」の生みの親であり本作の製作にも携わる宮本茂氏へのインタビュー記事などでも紹介されている通り、本作は宮本氏率いる任天堂チームとILLUMINATIONが共同で作り上げている。映画全体のクリエイティブはILLUMINATIONが主導し、しかし任天堂の監修が徹頭徹尾入っているということで、間違いなく「任天堂印」の3Dアニメーション映画になっていると言える。

 日本では観客にどのように受け入れられるのか、どれほど話題になるのか、今後の展開が楽しみだが、本稿では映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」のどこに凄まじさがあるのか、実際に鑑賞した上で感想を交えながら述べていきたい。

【『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』本編映像|キノコ王国】
【『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』最終トレーラー(吹替版)】
【STORY】

ニューヨークで配管工を営む双子の兄弟マリオとルイージ。
謎の土管で迷いこんだのは、魔法に満ちた新世界。
はなればなれになってしまった兄弟が、
絆の力で世界の危機に立ち向かう。

任天堂キャラクターへの愛がすごい

 これは任天堂による完全監修のたまものだが、とにかくキャラクターへの愛が隅々まで行き届いている。マリオ、ルイージ、ピーチ姫、クッパといった主要メンバーだけでなく、ノコノコやクリボー、プクプクなど、ちらっと映るキャラクターにもしっかり演出が入っている。

 たとえばマリオなら、喋るときのなめらかな表情の変化だったり、高い身体能力で軽やかにアクションする姿だったり、ゲームで見られるマリオよりも多くの情報量が詰まっているように感じる。それだけではなく、アイテム取得時の体の変化だったり、その後のアクションの変化だったり、ゲームおなじみのシーンが映画ならではの再解釈、再構築といった感じで見られる。

 つまりはキャラクターたちが今まで以上の“高解像度”で喋り、動き、暴れまわるので、任天堂ファンなら楽しくないわけがない。また任天堂の過去作キャラクターがトリビア的に仕込まれていれるイースターエッグが盛りに盛られている。ここにこれ、あそこにこれと1回見ただけでもかなり見つけられた(というより心に引っかかった)ので、任天堂ファンであれば一瞬のシーンであっても隅々まで見ていただくといいだろう。

画面の綺麗さがすごい

 “高解像度”というのは、キャラクターのみならず全体の画面づくりにも同じことが言える。映画なので言葉通り画角が大きいというのもあるし、世界観に対する理解度という意味でもそうだ。

 マリオたちの住むブルックリンはリアル寄りの街並みに描かれているが、キノコ王国を訪れると途端にファンタジックな風景へと移り変わる。場面場面で空気感がガラリと変わっていく。

 見ていて非常に面白かったのは、冒頭ブルックリンでのシーン。マリオとルイージが配管工の仕事に向かう際、飛んだり跳ねたりのマリオらしいアクションで街中の障害物を超えていくのだが、ここで映像はマリオたちを横から映しながら、右側に移動していくマリオたちを横移動で追っていく。つまり横スクロールのゲーム画面を模した画づくりになっている。

 とてもゲーム画面的なのだが、動いているキャラクターは映画の中のマリオたちなので、動きの滑らかさや細かいアクション、マリオたちの動きで変化していく街並みなど、映画らしい演出が存分に詰まっている。単なるゲームオマージュのシーンというだけでなく、映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」ならではの新しい「スーパーマリオ」を見せてやるぜ! という決意表明にも見えて、とてもワクワクした。

 ほかにも小道具的な演出を見てみても、ゲームでおなじみのコインは「実際に持って歩くもの」として扱われていたり、土管内を移動するときの大変さ(マリオの表情がこれでもかというくらいに伸びたり縮んだりする)だったり、本当に細かいところまで演出されていて、それがゆえに「マリオ世界が息づいている」という感覚を味わえるのが楽しいポイントだ。

一気に突き進むテンポ感がすごい

 本作は、映画本編90分と少しのなかで、ほぼ止まらずにどんどん場面が動いていく。いわゆるダレる時間みたいなものはなく、アクションやギャグを挟みながらクライマックスまで一気に突き進むような感じなので、非常に見ていて爽快だ。

 その爽快さの中に、「スーパーマリオ」的要素がこれでもかこれでもかとギチギチに詰まっている。かといってまったく複雑ではなく、むしろシンプルに感じるくらいで、爽快なのに満足感も高い。軽い気持ちでハンバーガーを食べたら肉汁の旨みがたっぷりすぎて驚いてしまうみたいな、そんないい意味での予想外な仕上がりになっている。

 個人的な注目はドンキーコングとクッパ。あまり詳しく言うとネタバレになるので避けるが、ドンキーコングは思った以上にチャラくて、映画の中で変化してくマリオとの関係性はかなり面白いと感じた。そしてクッパは、ある意味最大のインパクトを放っている。

 それはどちらかというと笑ってしまう方向で、筆者は劇場で声を上げて笑ってしまったが、とてもいいキャラクターになっている。悪役ではあるのだが、今作でファンは急増するのではないだろうか。

なぜ批評家の評価は割れたのか?

 しかし気になるのは、アメリカでの公開当初、観客からの平均評価が「96%」と満点に近くなっていた一方で、批評家の平均値は「53%」と高い数値とは言えないなっていたことだ。ここであえて、この評価が割れた原因を考えてみたい。

 改めて低評価とした批評家たちの意見を見てみると、特にストーリーについて「平凡」や「薄い」とするものが多くあるようだ。なぜそう感じるかと考えると、本作では確かに、キャラクターの精神面での変化や成長についてはそこまで深く描かれていないかなと思う。

 全く描かれていないということはないが、マリオがその精神面を心の底まで曝け出しているかどうかという点においては、「映画作品」として見たときに、「深みがない」と捉える人も特に批評家のなかにはいるかもな、というところだ。

 ただ、「マリオたちの精神面が深く描かれていない」という批評は正鵠を射ていないようにも思う。というのも、本作は真正面からの「スーパーマリオ」映画だからだ。底抜けで明るいマリオが躍動し、根性を見せ、ちょっぴり情けない姿を見せながらも最後にはクッパをやっつける。それでこそ我らが操作してきたマリオだし、それ以上をマリオに求めるのはそれはそれで違う気がする。そんな野暮なことを考えずとも、とにかく最高の画づくりとテンポによって120%で楽しめるのが本作だ。やはり観客の「96%」という高い評価に、その判断が間違っていなかったことが証明されているように思う。

 1993年の実写映画「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」などのことも考えれば、このキャラクターと世界が、この“高解像度”で作られるというだけで5億点くらいの価値はあると思う。そこに、イルミネーションと任天堂の(特に宮本茂氏の)こだわりを詰め込むことで、「楽しさ」にとことんフォーカスした作品になっている。

 日本での評価はこれから決まってくると思うが、少なくとも「スーパーマリオブラザーズ」ファンであれば一見の価値があるのが本作だ。機会があれば、ぜひ劇場でご覧いただきたい。