【特別企画】
「高田馬場ゲーセンミカド」池田稔店長と、アストロシティに賭けた青春、思い出をとことんまで語り尽くす!
2020年12月17日 00:00
池田店長と、ミカド勢好みのタイトルがドンピシャでハマった収録タイトル
――アストロシティミニに収録された全37タイトルのラインナップを、池田さんが最初にご覧になったときの印象を教えていただけますか?
池田氏:もしかして、ミカドの配信を見てタイトルを決めていただいたのかなと勝手に思ったりして、何だかうれしかったです(笑)。私の好きなゲームばかりが入っているのも、本当にありがたいですね。「青春スキャンダル」や「ワンダーボーイ モンスターランド」、それから「サンダーフォースAC」に「ゲイングランド」とかも収録されていて、これはすごいなあと。
セガさんのゲームって、例えば「アフターバーナー」とか「スペースハリアー」とか、大型体感筐体を使った豪快なゲームを出すイメージがあるかと思いますが、実は「ゲイングランド」とか、それから同じSystem24基板を使った「クラックダウン」みたいなチマチマしたと言いますか、箱庭感みたいなものがあるゲームを作るのがすごく上手なんです。
初めて移植されたタイトルも多いですし、それから「クラックダウン」のように、過去にメガドライブでしか移植されなかったゲームが収録されたのも個人的にはありがたくて、発売が決まった直後に速攻で予約しました。
――収録タイトルのなかで、池田さんが一番やり込んだ、あるいは最も思い入れのあるタイトルはどれになりますか?
池田氏:「ファンタジーゾーン」ですね。なぜかと言いますと、セガさんのお名前を初めて意識するようになったきっかけが、まさにこのゲームだったからです。小学校3年生ぐらいの頃からゲーセンに入り浸っていましたし、「ファンタジーゾーン」を最初に遊んだときはすごく面白くて衝撃を受けました。当初はファミコンにも移植されていなかったので、家庭用で遊びたかったらセガ・マークIIIを買わなくてはいけませんでしたから、「ファンタジーゾーン」をお年玉で本体ごと買って以来、私もすっかりセガハードマニア、セガ信者になってしまいました。
その後に出た、マークIII版の「スペースハリアー」もすごくカッコよかったですよね。こんなすごいゲームは、ファミコンでは絶対に出せないだろうと当時は思っていました。まあ実際には、後からファミコン版も発売されるのですが、マークIII版も本当に面白かったですね。
――学生時代からゲーセンに通うだけでなく、家庭用ゲームもいろいろ遊んでいたのでしょうか?
池田氏:私、ヤバイですよ! だって、昔はメガドライブ用ソフトを全部持っていましたから。確か600本ぐらいあったと思いますが、今の会社を立ち上げるときにお金が必要になったので全部売ってしまいました(苦笑)……。
――さらにアストロシティミニには、「ドットリクン」も収録されるというサプライズ発表がありましたよね。本日、ミカドの店内を拝見したら本物の「ドットリクン」が稼働していたのでびっくりしたのですが、こちらはアストロシティミニの発売に合わせて用意したのでしょうか?
池田氏:ええ。販促のために動かしています。実は、以前にミカドで「ドットリクン」の大会を一度開催したこともあるんですよ。
――大会も開催されていたとは! 池田さんが、過去に働いていたすべてのお店を含めても、「ドットリクン」を稼働させたことはおそらく一度もないですよね? 「ドットリクン」大会を開いたお店は有史以来初かもしれません……。
池田氏:ええ。稼働させたことはなかったですね。当時は法律の問題で、メーカーさんがアストロシティとかの筐体を単体では販売できなかった事情があったので、必ず何かしらのゲームが筐体の中に入っていたんですよね。で、セガさんの場合は「ドットリクン」がセットになっていたので、筐体を買うたびに「ドットリクン」がどんどんたまっていきましたから、もう処分するしかなかった基板だったんですよね。今となっては、本当にもったいないことをしたなあと思いますが……。
ミカドの開店当初から店を支えたアストロシティ。ミニに収録されたタイトルも今なお多数稼働中
――現在の会社、INHを作られたのはいつになりますか?
池田氏:2004年です。
――そうしますと、西武新宿線の新宿駅前に最初のミカドを開店したのは、会社を作った直後ではなくて、しばらく経ってからのタイミングだったわけですね。
池田氏:そうですね。最初に作った店は、2006年8月1日にオープンしましたので。
――会社の設立当初から、ビデオゲーム筐体はアストロシティを意識して買い集めていたのでしょうか?
池田氏:はい。セガさんの筐体ですと、もうネットシティ(※5)が発売された後のタイミングでしたが、やっぱりアストロシティが欲しかったですね。ただし、NAOMI基板の周波数は31KHzでアストロシティとは異なりますから、ブラストシティもかなり必要になりました。「ダイナマイト刑事EX」とか、NAOMI基板の新作がまだ出ていた時代でしたからね。ですから、当時はそれこそ「アストロシティと、ブラストシティ以外の筐体はもうイラネー!」ぐらいの気持ちでした(笑)。
※5……ネットシティ:1999年に発売された筐体。15、24、31KHzすべての解像度に対応するのが特徴。
――ちなみに、バーサスシティ(※6)は購入されましたか?
池田氏:いいえ。バーサスシティはまったく意識していませんでした。この筐体はすごく重くて、搬入や搬出がたいへんなので……。昔のミカドがあったビルには搬入用のエレベーターがありませんでしたから、搬入するときは全部手作業になってしまうので、バーサスシティだと重くて上のフロアまで持っていけないんです。じゃあ、アストロシティとかをバラで買ったほうが、むしろ扱いやすくていいのかなあと思っていました。
※6……バーサスシティ:1995年に発売。店舗側が対戦コーナーを作りやすいよう、通常のアップライト型筐体2台を背中合わせにして、1台にドッキングさせたのが特徴。筐体上部には、ゲームに連動して文字が表示されるLEDや点滅するランプも搭載されていた。
――私も母体に大きなエレベーターがない、小さなゲーセンで働いていた経験がありますので、そのご苦労はよくわかります。エレベーターがあるのとないのとでは、労力に天と地ほどの差が出るんですよね……。ちなみにアストロシティの中古品は、当時のディストリビューターでの販売価格はどのぐらいだったのでしょうか?
池田氏:昔はすごく安くて、物によっては1万円ほどで買えました。ですから、アストロシティミニよりも安かったわけですね(笑)。ちょうどモニターが16:9のサイズに変わり始めた時期でしたし、そうなるとアストロシティやブラストシティは、もう店では用済みになってしまいますから、中古品がゴッソリ市場に出回ったんです。そのおかげで筐体を安く買えたので、本当にタイミングが良かったです。
逆に、今では海外も含めた多くのマニアが筐体を欲しがるようになりましたので、値段が高騰しているんですよ。良い状態であれば、高い物ですとおそらく10万円前後、ジャンク品でも3万円前後の値札が付くと思います。
――ミカドをオープンするまでの間は、基板や筐体のリース業をされていたのでしょうか?
池田氏:はい、そうです。私は元々リースもする業者を渡り歩いていましたし、最初に入った会社もアイモという、ビデオゲームをメインに扱う所でしたから、まさにアストロシティやブラストシティはメインで使う商売道具でした。その後に入った会社は、どちらかと言えばプライズゲームを多く扱っていましたので、ミカドを作るときにはビデオゲームにあまり触れなかった反動みたいなものが爆発して、その結果あのような形の店になりました。
――では、ミカドはオープン当初から、ビデオゲームをメインにしたお店にするというコンセプトだったのでしょうか?
池田氏:はい。最初からそうすると決めていました。
――オープン当初のミカドでは、稼働させるゲームのジャンルあるいは品ぞろえに、何か池田さん独自のこだわりがあったのでしょうか?
池田氏:私はシューティングも、対戦格闘ゲームもどちらも大好きなんですよ。当時はプレイシティキャロット巣鴨店やゲームinナミキ明大前、あるいは秋葉原にあったトライアミューズメントタワーみたいに、どちらのゲームもまとめて遊べる、1か所で完結できる店にしたいなあと思っていました。そこで、じゃあバランス的にシューティングと対戦格闘をちょうど半分ずつ用意するというのが、当時の私が考えた作戦でした。
――ちなみに、アストロシティはミカドをオープン後にも買い足したことがあるのでしょうか? あるいは、故障や寿命のために除却して、当初よりも保有台数は減っているのでしょうか?
池田氏:ブラウン管がダメになったものは何台か廃棄したことがあります。廃棄したら、その都度また買い足すようにしていますね。モニター基板が壊れた場合は修理ができますが、ブラウン管そのものが壊れた場合は、もう廃棄するしかないんです。2年前に、池袋の店をオープンさせるときには台数が全然足りなかったので、そのときは30台ほど新たに買いました。
――2年前のタイミングですと、会社を作った頃とは相場も流通量も全然違っていたと思いますが、よくそれだけの数の筐体が手に入りましたね……。
池田氏:このときも、たまたま閉店するゲーセンから流れてきた筐体が、運良く出回ったので買うことができました。今でも閉店案件があると買えることがありますので、「閉店案件があったら教えて下さいね」と、いろいろな業者さんに常日頃からお願いして、アンテナを張っておくことがすごく大事なんです。