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ナイアンティック、日本の開発スタジオ「Niantic: Tokyo Studio」の説明会を開催

独自のゲーム開発を目指すNianticの新たな試み

7月31日開催

 東京・南青山にある瀟洒なマンションの一室で、「Niantic: Tokyo Studio プレスラウンドテーブル」が開催された。

 これは4月に開設されたNianticの新たな開発スタジオ「Niantic Tokyo Studio」と、そこに属するエンジニア/デザイナーを紹介するために開かれたメディア向けイベント。現在6名が在籍するこのTokyo Studioでは、すでに発表されているものとはまったく個別の新たなゲーム開発を専門で行なうという。同時に同社では年齢や国籍を問わず、広く優秀なエンジニアを募集していくそうだ。

新たなゲームを開発するために発足したNiantic: Tokyo Studio

 「優秀なだけでなくて、本当にいい子たちなので、そうしたカルチャーを見ていただけたら何よりです」

 Niantic日本法人の広報を務める齊藤 香氏のそんな挨拶でこのイベントは幕を開けた。

 まずはTokyo Studioの代表を務める野村達雄氏から、GoogleからNianticが生まれた経緯とその関係性、そしてNiantic Japanの活動内容などが語られた。

 現CEOを務めるジョン・ハンケ氏が2010年にGoogle社内のスタートアップとして立ち上げたNiantic LaboがNianticのはじまりだ。「Adventure on foot with others」を社是として掲げる同社は、人を外に連れ出し、冒険を通じて人と繋がることをミッションとして活動を続け、2015年にはGoogleから独立、別個の法人として活動している。

 野村氏はもともとGoogleMapの開発に携わっていたエンジニアで、GoogleMapの上でポケモンを探す「GoogleMap ポケモンチャレンジ」というエイプリルフール向けのゲームを開発。それを見たジョン・ハンケ氏がNianticにスカウトし、そこから「ポケモンGO」の開発はスタートしている。ご存じの方も多いとは思うが、野村氏は「ポケモンGO」の生みの親なのだ。

 現在、Nianticでは「INGRESS」、「ポケモンGO」に続くゲームとして、ワーナー・ブラザースとともに「Harry Potter: Wizards Unite」、そして「Real World Platform」や「Niantic Occlusion」といったARプラットフォームを開発中であることもアナウンスされている。

「Niantic Occlusion」のデモについて解説するNiantic: Tokyo Studio代表の野村氏。映像内のオブジェクトをアルゴリズムで認識することで、ARキャラクターが机の影に隠れたり、椅子に乗ったりといったよりリアルな表現を可能にする

 一方、Nianticの日本法人であるNiantic Japanは、代表取締役社長を務める村井説人氏らたった3人によってNianticがGoogleから独立するのと時を同じくして設立され、2015年からのこの3年で、約5倍の規模に成長しているそうだ。Niantic Japanはユーザーサポートのほか、「INGRESS」や「ポケモンGO」における企業パートナーのサポート、イベントの企画運営、地方自治体と連携しての地方活性化といった活動を主な業務としているという。

 そうしたNiantic Japanのなかで、開発を専門に行なうことを目的に設立されたのが、今回のNiantic: Tokyo Studio。位置情報やARといったNianticの持つプラットフォームのうえで「新たなゲーム」を作っていくのが目的なのだそうだ。

 現在はまだ開発に着手したばかりでその内容はまったく未定であり、「INGRESS」のように完全なオリジナル作品としてのほか、「ポケモンGO」のように既存IPとのコラボレーションを行なうことも視野に入れているとのこと。

新たな開発スタジオを東京で立ち上げる意義

 野村氏によると、東京に開発スタジオを立ち上げるには以下のような4つの理由があったという。

1.日本には「INGRESS」や「ポケモンGO」の熱狂的なファンが多く、市場としての可能性を感じる。
2.長い歴史を持つ日本は街のなかにおもしろいスポットが数多くあり、位置情報を活用したゲームの舞台として適している。
3.ポケモンをはじめとするグローバルに向けて発信できるコンテンツが多数ある。
4.エンジニアやデザイナーだけでなく、アニメやゲームにおいても優秀なタレントが多数いる。

 特に2については、たとえば「20年住んでいる家の近所に大仏があることを『INGRESS』を遊んではじめて知った」、「『ポケモンGO』を遊んでいると渋谷のとある場所で水ポケモンがたくさん出る。その理由を調べてみたら、暗渠となった川が流れていた」といったユーザーからの声があったことを例として挙げていた。日本は前述の「人を外に連れ出し、冒険を通じて人と繋がる」というミッションに適した土地であるというわけだ。

Nianticの新たなゲーム開発に挑む6人の「いい子」たち

 Niantic: Tokyo Studioは、野村氏を含めて6人のスタッフで構成されている。ここからはその6人が野村氏のリードでそれぞれ自己紹介をしていった。

 中国で生まれた野村氏は、その後、長野に移住。信州大学へと進み、さらに東京工業大学で修士課程を修了。卒業後はGoogle Japanに入社。約1年後から本社へと移り、ずっとGoogleMapの開発に携わっていたそうだ。

 エイプリルフールのイベントとして公開された「ポケモンチャレンジ」をきっかけにNianticへ移ったのは前述の通り。Nianticでは「ポケモンGO」のゲームディレクターを務め、今回、Niantic: Tokyo Studioの代表に就任したとのこと。

Niantic: Tokyo Studioの代表を務める野村達雄氏。「ポケモンGO」の生みの親でもある

 野村氏が次に紹介したのは、Niantic: Tokyo Studioの紅一点、片山まどか氏。日本生まれのアメリカ育ちで、カーネギーメロン大学を卒業。大学ではヒューマン・コンピューター・インタラクションを学んでいたという。卒業後はいくつかのデザイン事務所勤務を経験し、UXやモーションデザインの仕事を担当。

 2011年にGoogle JapanへUXデザイナーとして入社し、YouTubeやGoogleMapを担当していたそうだ。2015年からはデザインリード兼マネージャーとして、デザインチームを統括していたとのこと。実は野村氏が仕掛けた「ドラクエ風GoogleMap」や「ポケモンチャレンジ」、それに「ポケモンGO」における初期のデザインを担当したのはこの片山氏なのだそうだ。

野村氏とともにさまざまなGoogleMapのイベントや「ポケモンGO」のデザインを手がけて来た片山まどか氏

 淺川浩紀氏は、名古屋工業大学で情報工学を専攻。在学中にIPAの未踏プロジェクトに採択され、それをきっかけに東京大学に入学し、2008年に卒業すると、Google Japanに新卒で入社したそうだ。

 Google JapanではGoogleMapのサーバー開発に携わり、マネージャーとしてチームを統括していたとのこと。Niantic: Tokyo Studioでもエンジニアリング・リードを担当する。趣味はマラソンで、42.195kmを3時間半以内で走るというから、かなり本格的だ。

Niantic: Tokyo Studioで開発を統括する立場に立つ淺川浩紀氏

 野村氏の信州大学時代における学部の先輩だったという川平航介氏は、同大の大学院を卒業後、2009年にドワンゴに入社。ニコニコ動画の配信サーバーやAndroidアプリの開発を担当したという。ニコニコ生放送がリニューアルされた際にはプロジェクトリーダーを務めたとのこと。

 個人的に作ったニコニコ動画のAndroid用アプリが150万ダウンロードというヒットを記録し、社内で正式にアプリ開発を手がけるきっかけを作ったのが川平氏なのだそうだ。

Niantic: Tokyo Studioのなかで唯一、Google以外からの参加となる川平航介氏

 小酒井隆広氏は、東京大学でプログラミング言語理論を専攻。同大の大学院を卒業後、2009年にソフトウェアエンジニアとしてGoogle Japanに入社した。担当はGoogleMap。

 バックエンドからiOSやAndroidのクライアントまで、多岐に渡って開発業務を経験。野村氏とはともに「ポケモンチャレンジ」の開発に携わっていたそうだ。小学生のときから続けるバイオリン演奏のほか、「Adventure on foot with others」というスローガンを地で行く散歩も趣味とのこと。

小酒井隆広氏。ARなど、技術的にも難しいところに挑んでいるのがNianticの魅力だという

 岩崎直木氏も信州大学の出身。野村氏と同じ研究室で、先輩にあたるという。同大の大学院を卒業した後は2009年にGoogle Japanに新卒で入社。野村氏がGoogle Japanへ入社することになったのは、この岩崎氏がきっかけだったのだそうだ。Android版GoogleMapや、「ドラクエ風GoogleMap」も手がけたとのこと。自転車が趣味で、1日に400km以上も走ることがあるという。

信州大学からと、Niantic: Tokyo Studioのなかではもっとも野村氏との付き合いが長いという岩崎直木氏

チームは今後も拡大予定。対象者は年齢、国籍を問わず

 現在はこの6人がNiantic: Tokyo Studioの全スタッフだが、野村氏によると、「シリコンバレーではよく『自分より優秀なヤツと働け』と言われるんですが、僕はそれを忠実に実践してきました。全員が僕より優秀で、“いい子”です(笑)。チームはまだまだ増やしていく予定で、今年中に今の倍くらいには増やしたいと思っています」とのこと。

 また、「Niantic: Tokyo Studioとしては、世界に向けてインパクトを与えられるようなプロダクトを作っていくことが目標。Nianticが培ってきたAR技術や、位置情報を活用する技術、AIなどを使って新しい体験ができるようなプロダクトを作っていきたい」とその意気込みを語り、「国籍や年齢を問わず、Nianticのミッションに共感し、世界に向かっていっしょにプロダクトを作るチャレンジをしたい方からの募集をお待ちしています」とした。

  また、同席していた村井氏によれば、「エンジニアにフォーカスを当てた会見の場所を設けるのは異例のこと」だと言う。その意図は自分たちが何を作り、どうインパクトを与えているのかを知ってもらうことにあったそうだ。

「我々自身をARテクノロジーのパイオニアであり、これを活用するリーディングカンパニーになりたい」と村井氏は続ける。ARが世界に与えるインパクトはまだ未知数なところがあるものの、Nianticは今後、ARは重要な、そして未来の主役になりうるテクノロジーだと信じているという。さらに「Niantic: Tokyo StudioはAR開発において世界基準で社会にインパクトを与えることができるチャレンジングなチームになっていくだろう」と期待を述べた。

 最後はエンジニアやデザイナーに向け「新しい技術、ARを使って人が外に出るきっかけを作れるような、社会に大きなインパクトを与えられるようなプロダクトをこれからも作っていきたいので、チャレンジをしたいと思っている皆さんにぜひ参加していただきたい」と呼びかけ、そのスピーチを締めた。

“世界にインパクトを与えられる企業”という自負をエンジニアにアピール

 その後は質疑応答から、昼食を食べつつの質問コーナーへと流れていった。そのなかからいくつかをピックアップして紹介したい。

――特定の地域に開発スタジオを設けるのはNianticとしてはこれが初のことだと思いますが、今後は日本発のプロダクトが増えていくのでしょうか?

村井氏:Nianticとしてはさまざまなプロダクトを今もなお開発しているのですが、そのうちのひとつとしてNiantic: Tokyo Studioが貢献していくことになります。こうした特定のロケーションでの開発スタジオが今後も各国へと拡大していくかはまだ未定です。

――中国やイギリス、ドイツにも優秀なエンジニアはいるなかで日本に開発スタジオを開いた理由として、日本のエンジニアやデザイナー、提携先に特に期待していること、日本に決めた理由などをもう少し詳しく教えてください。

野村氏:日本でなければならなかった、とは言い切れませんが、日本のコンテンツと市場としての可能性に魅力を感じていました。この2点が大きな理由です。僕がずっと担当してきた「ポケモンGO」は日本とアメリカとのコラボレーションとして、うまくやってこれた例ではあると思いますが、それでもやはり時差や文化といった乗り越えなければならない壁はありました。日本に拠点を置くことで、もっとスピードをあげて開発が進められるようになると思います。

――Niantic: Tokyo Studioではゲーム以外にもプラットフォームなどを開発する予定はあるのでしょうか?

野村氏:我々は自分たちをテクノロジー企業であると位置づけているので、ゲームというより、もっと基礎的な技術にフォーカスすることもありえます。まずはゲームをひとつ作ろうと考えてはいますが、決してそれに縛られているわけではありません。また、ゲームを作るとは言っても、我々はあくまでもNianticなので、人を外に連れ出すことにフォーカスしたものになります。ですからコンソール機で遊ぶようなものにはなりません。

――日本でもエンジニアの不足が問題となっていますが、優秀なエンジニアを集めるための策があればお聞かせください。

野村氏:ひとつにはこうした機会を設けて宣伝させていただくことです(笑)。また、Nianticはアメリカにある企業の日本支部なので、企業文化や働きやすさなどの面で“ならでは”の良さがいろいろとあり、そういうところをアピールできたらいいですね。日本でエンジニアが不足しているとは確かに言われていますが、よりよい職場を求めている優秀な方は多くいて、そうした方にとって、Niantic: Tokyo Studioがひとつのオプションになればいいと思っています。

村井氏:ここにいるメンバーも新卒で来たわけではなく、いろいろなキャリアを積んできたうえで、新たなチャレンジがしたいと集まってきました。我々はそのチャレンジする機会を与えられる会社、世界規模でインパクトを与えられる企業でありたいとも思いますし、今はそうなっていると思います。そこが我々の魅力のひとつと言えるのではないでしょうか。

 また、Nianticは今は世界各地にオフィスを作りはじめていますが、規模の大きさで言えば、今のところアメリカと日本が抜きんでています。そして日本には皆さんが遺憾なく力を発揮できる環境がすでにあります。これからさらによくしていくつもりですので、安心して来ていただけるいい材料になるのかなと思っています。


イベント後半では、軽食を採りながら、Niantic: Tokyo Studioのエンジニアたちに自由に質問をぶつけることができた。その肩肘張らない雰囲気がNianticらしい

――Nianticに入った理由をお聞かせ下さい。

淺川氏:Googleに10年くらいいたのですが、会社も大きくなってきて、外に出たほうがもっと自分の力を発揮できると思ったのが理由です。位置情報やARはこれからもっと活用されていくでしょうから、今がチャンスだとも思いました。

岩崎氏:新しいことにチャレンジしたいと思っていたときに声をかけてもらったこともありますが、Nianticからはチャレンジングな姿勢だけでなく、ユーザーを幸せにしたいというメッセージがすごく強く伝わってきたのが最終的に決断した理由でした。

片山氏:Googleでは7年くらい働いていたんですが、これからどしてどう成長していくかを考えて新しいチャレンジをしたいと思っていました。Nianticの強みと思ったのはイノベーションの部分です。それとユーザーコミュニティを大事にする会社である点にも惹かれて誘われたときに「行きたいな」と思いました。

川平氏:ドワンゴで動画配信サービスに9年間携わったのですが、新しいことをやってみたいという思いがありました。学生時代からARをいつかやりたかったために、いいチャンスだと思ってNianticに来ました。

小酒井氏:人々を外に連れ出して身近な街、知らない街を再発見してもらうというNianticのミッションに共感したのもありますが、現在開発中の「Niantic Real World Platform」をはじめ、技術的にも難しい課題にチャレンジしている企業なので、その一助になれればとやってきました。

期待を抱かずにいられないNiantic: Tokyo Studioの未来

 「プレスラウンドテーブル」と銘打たれた2時間に満たないこのイベントは、言うなれば囲み取材の一形態、ではある。しかし、こうして食事をしながらエンジニアやデザイナー、ひとりひとりと雑談のように会話を交わすのは筆者にとって今まであまり記憶になく、聞いたこともない。いかにも既存の型にとらわれないNianticらしいイベントで、かなり興味深い体験ができた。

 ひとつのプロジェクトだけを専業で行なう開発スタジオというのは、Niantic全体としても初めての試みだ。アメリカではなく日本に軸足を置く、というその決断がどの様なかたちで結実するのか、まだまったく見えてはこないが、中心となる野村氏が手がけてきたものを見る限り、期待を裏切られることはないだろう。

 Niantic: Tokyo Studioがどんなゲームを作るのか。そして、この先どんな新しいスタッフを迎え、どんな組織へと育っていくのか。ぜひ個人的にも注目していきたいところだ。