【特別企画】
「ゲームギア」34周年! 乾電池6本で共に過ごしたカラー液晶のニクいやつ。34年の時を経た今も思い出すあの頃の興奮
2024年10月6日 00:00
- 【ゲームギア】
- 1990年10月6日 発売
黒くて、ゴツくて、でも丸みを帯びていてちょっと可愛い。カラー液晶搭載で、電池を大食いする食いしん坊なやつ。それが“ゲームギア”だ。
どのゲーマーにも思い入れの強いゲームハードがあると思う。あんなゲームをやった、こんなゲームで誰かと一緒に遊んだ、もしくはゲーム機自体の購入に関するエピソードなど、色々な思い出があるだろう。筆者にとっては、「ゲームギア」がそんなゲームハードにあたる。
「ゲームギア」はセガ(当時セガ・エンタープライゼス)が1990年10月6日に発売した携帯ゲーム機。1989年4月21日には任天堂から「ゲームボーイ」が発売されていたが、カラー液晶だった「ゲームギア」は白黒だった「ゲームボーイ」を強く意識していた。それは、ゲームギアのテレビCMで「君は白黒なの? すまないね、後で(ゲームギアを)貸してあげるから」というCMを放映していたことからもうかがえる。
これは私事だが、筆者が初めて買ってもらったゲーム機がこの「ゲームギア」だ。筆者の両親も「白黒より、カラーの方が良いだろう」という思いで買ってくれたらしい。そういう意味ではそのCMも上手く作用していたのだろう。
今回は、このゲームギアについて魅力と思い出を振り返っていきたい。
アルカリ電池を6本も使う大食いなヤツ
改めて、「ゲームギア」について振り返っていきたい。「ゲームギア」はセガが1990年10月6日に発売した携帯ゲーム機で価格は19,800円だった。一番の特徴は、日本では初のカラー液晶を搭載していたことだ。
携帯ゲーム機なので、電源に繋がなくても遊べるのだが、その際は基本的には乾電池が必要になる。だが、「ゲームギア」は単3のアルカリ電池を6本も使う上に、3~4時間しかプレイできないという電池を大食いするハードだった(ちなみに、「ゲームボーイ」は単3電池4本で動作し、アルカリ電池を使った場合は約35時間プレイできる)。
今は手元に現物がなく、セガのホームページの情報をあたるしかないのだが、電池を含む総重量重量は500gを目指していたとのこと。「ゲームボーイ」は電池を含まず220gで、1個23g程度の単3乾電池を4本使っていたことを考えると300gと少し。比較すると「ゲームギア」の方が200g程度重いことになる。
200gとはたまねぎ1個分程度の重さ。そこそこの重量差があると言える。そして500gといえば、500mlのペットボトル1本程度の重さだ。ハード自体も少し大きめで、思い返すと確かにずっしりとした重量感はあった。だが、決して持ちにくいと思ったことはなく、手に馴染みやすく、長時間持っていても疲れにくい工夫をしていたのだろうと思う。
カラーバリエーションや、マイナーチェンジ版の「キッズギア(KID'S GEAR)」が登場し、北米や、欧州、南米でも発売され、1,000万台以上が普及したのだという。だが、後継機は発売されることはなかった。こうして「ゲームギア」はセガの長い歴史で、唯一の携帯専用ゲーム機という存在になったのだ。
「ゲームギア」で定番のソフトと言えば、セガといえば外せない「ソニック」シリーズがあげられる。「ソニック ザ ヘッジホッグ」に、続編の「ソニック・ザ・ヘッジホッグ2」、相棒の「テイルス」が操作できる「ソニック&テイルス」も発売された。
落ちモノパズルの定番の「ぷよぷよ」や「ぷよぷよ通」も発売されたし、「ぷよぷよ」で出されたお題のクリアを目指すモードだけをプレイできる「なぞぷよ」も発売された。ゲームセンターで好評を博していた「コラムス」もゲームギア版が発売された。
そういう意味では、唯一の携帯専用ゲーム機であるものの、長く愛されているシリーズ作品や定番作品が多く発売されていたゲーム機なのだ。
携帯ゲーム機に色々な役割を持たせようとしていたゲームギア
「ゲームギア」を買ってもらった当初は狂ったようにこのゲーム機で遊んでいた。新品のアルカリ電池を6本使ってもプレイ時間は体感で3時間程度で、ゲームに夢中になっているとすぐ電池切れをアピールするランプが点滅した。
後々、ACアダプタをゲットし乾電池問題は解決されるのだが、それまではひたすらに乾電池の消耗と戦うゲームライフだった。乾電池を冷蔵庫で冷やすと少し回復するという都市伝説まであり、少しでも長く遊べるならと実践していた(専門家によると絶対しないでほしいとのこと)。
当時は自宅の近くに乾電池を売っている自動販売機があり、電池が切れてしまったときは何度もお世話になった。とはいえ、単3電池が6本である、そこそこに電池代を浪費した記憶がある。
途中から電池代がかさみすぎることもあり、ACアダプタを買ってもらうことに成功した。これで電池切れからはおさらばできる。電池切れによる中断もなくなり、より一層ゲームに熱中した。小さい画面を凝視していると目が悪くなる、と親に注意されたが、その程度の忠告ではゲームに夢中になっている筆者を止めることはできなかった。
そんな両親が次に筆者に与えてくれたのが「ビッグウインドー」という周辺機器だ。「ビッグウインドー」は液晶ディスプレイ部分に装着すると、拡大して画面を見ることができるというアクセサリー(周辺機器)だった。実際に眼の疲れがラクになった記憶はないが、怒られないためにちゃんと装着して遊んでいた記憶がある。
当時は、ゲーム機のマニュアルに掲載されていたアクセサリーを見るのがワクワクしたものだ。
子供心に憧れを感じていたのは、「TVチューナーパック」という周辺機器だ。ゲームギアのカートリッジを本体に挿すように、同機を本体に刺すとテレビが見られるようになるという周辺機器だった。車のシガーソケットから電源を取るアクセサリーもあったので、この2つを組み合わせれば外でもテレビが見れるし、「ビッグウインドー」を使えばさらに大きな画面でテレビが見れる。そんな妄想をしていた。
さすがに、「TVチューナーパック」は買ってもらえなかったが、今思うとゲーム機に色んな事をさせようとする挑戦心があったのだなと思う。
ブラックジョークギリギリのゲームも発売。懐が広かった当時のソフトを振り返る
ゲームソフト面についても見ていきたい。筆者は確かトータルで10本近くのゲームを買ってもらった。
今はそれなりにゲームにも詳しくなったので、「セガと言えば『ソニック』シリーズは外せないだろう」とか、「『ファンタシースター』の名を冠した『ファンタシースターアドベンチャー』はプレイしたい」と考えるところだが、当時の筆者はゲームのゲの字も知らなかった。どんなメーカーがどんなゲーム機を作っていて、どこがどんなゲームシリーズを開発しているか、そんな知識は皆無に近かったのだ。
当然、今のようにインターネットでゲームの情報を知るようなこともなかったし(そもそもインターネットが一般的ではなかった)、子供のころの筆者はゲーム雑誌すら読まなかったので、ゲームの情報を知る手段が、ゲームのパッケージを見ることくらいしかなかったのだ。ガラスケースに並べられたゲームソフトの箱から面白そうなゲームを探す。そんなセンスが求められていた。
その中で筆者が買ってもらったゲームを思い浮かべると、思い入れのある3タイトルがある。
「ドラゴンクリスタル ツラニの迷宮」
一番印象に残っているのが「ドラゴンクリスタル ツラニの迷宮」だ。
ゲームについて何も知らないなりに知っていたのが「ドラゴンクエスト」という名前だ。「プレイはしたことがないが、みんな面白いと言っているから面白いのだろう」。そのくらいの印象だった。
当然、ゲーム機を買ってもらった子供としては「ドラゴンクエスト」を遊んでみたくなるわけである。そこで手に入れたのが“ドラゴン違い”の本作というわけだ。
結果的には「ドラゴンクエスト」シリーズとは全く異なる、今風に言えば「ローグライクRPG」で、プレイする度に構造が変わるダンジョン、使ってみないと効果がわからないアイテム、さらには隠し通路までがあった。そういう意味ではまさに「Rogue」ライクのゲームだったと思う。
正直、このゲームは当時まだ小さかった筆者には難しかった。クリアしたり、エンディングを見られた記憶はない。ただ、わからない、難しいと思いながら何度も挑戦したのは覚えている。
子供ながらに「こういったジャンルのゲームもあるんだ」と思わせてくれるタイトルだ。ロケーションがいくつかあり、それらを旅するのも面白かったし、レベルの概念などもあったので、楽しくプレイできた。
後々、「トルネコの大冒険 不思議のダンジョン」や「風来のシレン」シリーズなどにも触れることになるのだが、自分にとっては「ドラゴンクリスタル ツラニの迷宮」が同ジャンルをプレイする最初のタイトルだった。もし本作をクリアできるくらいに上手くなっていれば、「トルネコの大冒険」や「風来のシレン」もクリアできて、学校でヒーローになれたのかもしれない。
「がんばれゴルビー!」
そして、もう1つ思い出深いのが「がんばれゴルビー!」というゲームだ。「がんばれゴルビー!」は、ベルトコンベア上に医薬品や食料が流れてくるので、それをスイッチのオンオフなどで流れをコントロールし、適切に届けるのが目的のゲームとなっている。
医薬品のステージの場合は時々紛れてドクロマークの毒薬が流れてくることもあり、それを届けてしまうとペナルティになる。また、主人公を妨害する工場員などもおり、アクション要素も高めのパズルゲームだった。
これもなかなかに熱中できるタイトルだったのだが、後々に知ったのが、この主人公の「ゴルビー」は元ソビエト連邦大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏がモデルではないかと言われている。大統領を主人公にしてしまい、食料などを配給していくというのは当時のゴルバチョフ氏の人気の高さがわかる。
「クニちゃんのゲーム天国」
最後が、「クニちゃんのゲーム天国」というゲームだ。タレントの山田邦子さん(クニちゃん)が主人公になっている。「スゴロク」、「大富豪」、「テニス」、「こらムズ」の4つのゲームがプレイでき、メインストーリーではこの4つのタイトルで一定の条件を達成すると宝石が獲得でき、それらを全て集めて最後のゲーム(確か、「こらムズ」だったと思う)で条件を達成する獲得することでエンディングへとたどり着けるゲームだった。
この中でも「スゴロク」はいわゆる人生ゲーム的な内容で子供ながらにハマり、繰り返し遊んでいた記憶がある。マス目に応じてイベントが起きるのはもちろん、相手を邪魔するカードや、職業を選ぶ分岐ルートなど、細かい部分までよくできていた。
ほかのプレーヤーと対戦もできたらしいのだが、通信ケーブルが必要だったこと、そして周りにゲームギアを持っていた友達がいなかったことがあり、対戦することは叶わなかった。今同じ作品がプレイできたとしたらオンライン対戦などが可能になるのだろうか。もし、なんらかの機会があれば友達と対戦したいところだ。
そしてこのタイトルでもう1つ言及したいのが「こらムズ」だ。「こらムズ」はいわゆる落ちモノパズルゲームで、当時は何も考えずに単体で「面白いパズルゲームだな」と思って遊んでいた。
大人になり、このタイトルが、セガの落ちモノパズルゲーム「コラムス」のパロディだったと気づいたのだ。当時のセガファンは気づいていただろう。
「がんばれゴルビー!」にも共通するが、当時のゲームギアの作品にはこういったパロディや小ネタが仕組まれていたのかもしれない。そういったことを大人になって気づくのも、なんだか面白いなと思った次第だ。
時を経た今だからこそわかる。ゲームギアの魅力
筆者の個人的な思い出を語ってきたところで、改めて「ゲームギア」について思い返してみたい。
今から思えば、電池を大食いするというかわいらしい弱点もあった。ただ、当時としては珍しいカラー液晶を搭載した携帯ゲーム機というのは新しかったし、楽しい経験をさせてくれた。
ビジュアル面で見ても、黒を基調にしたデザインながらも、丸っこさを持ったこのハードは独特な愛らしさを感じたし、アクセサリーをつけていくと、どんどんゴツくなっていくのはセガハードらしい存在だったなと大人になって思う。
後々に「ゲームギアミクロ」が発売されたことを考えると、多くのファンがいるゲームハードだった。
本機には、筆者の個人的な思い出や、初めて買ってもらったゲーム機という特別な思い入れもある。だが、振り返ってみると、それ以上にカラー液晶で遊べる携帯ゲーム機を作り、そこにあわせた面白いゲームを開発し、ゲームファンに新しい体験をさせたかったであろうメーカーや開発者の努力を強く感じるのだ。
筆者の実家の押し入れに今も眠っているはずのゲームギア。この原稿を書きながら、もう1度その電源を入れて、あの頃の興奮を追体験したくなった。そこには、ゲーム体験を進化させるべく多くの挑戦をした関係者の思いと、この大食らいで可愛らしいハードに筆者が感じていたゲームに対する夢と希望が詰まっているからだ。
(C)SEGA