【特別企画】

「3DO REAL」日本発売30周年! 未来のゲーム体験を感じさせたゲームハード。高価格と乏しいソフト資産に泣かされた

【3DO REAL】

1994年3月20日 発売

販売価格:54,800円(当時)

 今から30年前の1994年3月20日に「3DO REAL」というゲーム機が松下電器(現在のパナソニック)から発売された。

 「3DO REAL」は、アメリカの企業3DOのマルチメディア端末規格「3DO」によるゲーム機だ。当時としては、記憶媒体にCD-ROMを採用するなど珍しい点も多く、その大容量と動画再生能力を使って、ムービーシーンがゲーム内に盛り込まれていたのは、かなりインパクトがあったと思う。

 1994年3月20日の時点で筆者の周りで主流だったゲーム機は、スーパーファミコンやメガドライブ、PCエンジンなどのハードだった。だが、同年11月22日にはセガサターン、1994年12月3日にはプレイステーションが発売されるなど、まさに世代が変わろうとしている年だったのだ。

 このようなタイミングで登場したのが「3DO REAL」というゲーム機だ。日本では、松下電器が「インタラクティブ・マルチプレイヤー」という家電製品の一種として発売した。

 本稿では、この「3DO REAL」というゲーム機の概要と、本機と筆者の思い出、そして当時の状況を振り返ってみたいと思う。

「3DO REAL」の起動画面

小さな電気屋で出会った、大きな未来を感じさせたゲーム機

 筆者がこのゲーム機に出会ったのは「近所の町の小さな電気屋」だった。

 当時からゲームにどっぷりとハマっていた筆者は、携帯ゲーム機ではゲームボーイや、ゲームギア、テレビゲーム機ではスーパーファミコンで遊んでいた。そんなある日、たまたま行った電気屋で「3DO REAL」に出会った。

 「3DO REAL」は当時としては最新の32ビットCPUのゲーム機で、媒体もカセットではなく、珍しかったCD-ROMを採用。そのCPUパワーと、CD-ROMの特徴である大容量を活かした表現力をウリにしていた。

 しかも、音楽CDを入れれば音楽を聴くことができたし、「フォトCD」という規格にも対応していてテレビで写真を楽しむことや、別売りのアダプターをつければ「ビデオCD」まで再生することもできた。そういった機能からか、ゲーム機という表現ではなく「マルチメディア端末」という表現をされることも多かった。当時としては聞きなじみのなかった“マルチメディア”という単語に、私たちは未来を感じさせられたものだ。

 その電気屋では、子供へのサービス精神だったのか、一緒にいた親にゲーム機を買わせるつもりだったのか、何が目的だったかはわからないが、その時に、店主が全く新しいゲーム機として紹介してくれたのだ。その時に見せてもらったのは「アローン イン ザ ダーク」というゲームだ。

「アローン イン ザ ダーク」 ※画像は「Amazon.co.jp」商品ページより

 「アローン イン ザ ダーク」は3Dポリゴンで表現された洋館の中を探検していくというゲームなのだが、中にはトラップなども仕掛けられており、洋館の雰囲気もあわさって緊張感があるゲームだった。幼かった筆者にとってはかなり怖いゲームだったが、これまで触ったことがあるゲームとは全く違うグラフィックス表現やゲーム体験の魅力に取り込まれ、何度も足を運び、そのたびにゲームを見せてもらったり、遊ばせてもらった。

 それだけハマったのだから、子供心としてはそのゲームが欲しくなるのは必然と言えるだろう。だが、当時の販売価格は54,800円、そう簡単に買ってもらえる価格ではなかった(ちなみに当時としてはかなり高額に感じたセガサターンでも44,800円、プレイステーションは39,800円だった)。

 紆余曲折あり、なんとか両親を口説き落とし、我が家にやってきた「3DO REAL」というハードは筆者のゲーム人生におけるとても大きな存在だった。だが1つ問題があった。ハードを買ったらもちろんゲームも買わなければ遊べないのだが、当時発売されていたゲームのリストを見てもいわゆる洋ゲーが多く、子供向けのキャッチーなタイトルは少なかったのだ。どのゲームを買ってもらえば良いか迷ったことは覚えている。

 そこで、筆者が選んだのは、「バーチャル・ホラー 呪われた館」というゲームと「チキチキマシン猛レース ケンケンとブラック魔王のイジワル大作戦」というゲームだった。

「バーチャル・ホラー 呪われた館」 ※画像は「Amazon.co.jp」商品ページより

 「バーチャル・ホラー 呪われた館」はいわゆるオールドスクールなFPSだった。銃と腕が画面真ん中に表示されており、屋敷の中を探索し、出現するゴーストのような敵を倒していくというゲームだ。思い返すと、筆者にとっては初めてのFPSの体験だったが、当時はFPSという単語なども知らず、ただゴーストに怯えながら遊んでいた。ピュアな小学生だった筆者としてはかなり恐怖心を覚えさせるタイトルで、夜にプレイするのが怖かったものだ。

 「チキチキマシン猛レース ケンケンとブラック魔王のイジワル大作戦」はその名の通り「チキチキマシン猛レース」を舞台にした、どのキャラが勝つかを見守るレースゲームだ。振り返ると、ゲーム的に面白くない部分もあったが、その3Dグラフィックスで表現されたキャラクター達、ノリノリで流れてくる主題歌、そしてフルボイスでキャラクターのボイスが聞けるのは、当時としては楽しかった。

 また、筆者の家は音楽CDを聴けるデバイスがなかったため、このハードでずっと音楽CDを聴いていたのも良い思い出である。「3DO REAL」というゲーム機は、筆者にとって新しいゲーム体験をさせてくれたし、CDを再生する道具としても長く使わせてもらった愛機だった。

滑り出しは好調。「スパII X」などキラータイトルがでるものの……

 「3DO REAL」が発売された1994年3月20日当時は、スーパーファミコンやメガドライブ、PCエンジンなどのハードが主流だ。当時としては性能が高く、発売直後は好調な滑り出しだった。しかしながらその後は低迷。同年11月22日にはセガサターン、12月3日にはプレイステーションと、競合機も登場した。

 ソフトとしては、家庭用ゲーム機用としては初の移植となった「スーパーストリートファイターII X」(1994年11月13日発売)や3Dアドベンチャーゲーム「Dの食卓」(1995年4月1日発売)といったタイトルが話題となったが、結果的にソフト資産にも恵まれず、ハード自体が高かったりという理由から、普及せずにひっそりと撤退してしまった。価格がもう少し手頃だったり、ソフト資産に恵まれていたら、もしかしたら化けたハードなのかなとも思う。

 “ゲーム屋”ではない松下電器がプロモーションを担当していたことも、あまり評価されなかった1つの理由なのかもしれない。実際に筆者が購入してもらったのも町の電気屋であり、ゲームを多く取り扱っているショップではなかった。

 後に、価格を下げた「3DO REAL II」というハードも発売されたが、それでもゲーム業界の覇権を取ることはできなかった。

 正直、これまでのゲーム史を見ても失敗と言われるハードだったのかもしれない。ただ、次世代ゲーム機戦争の中でその歴史に名を残し、ゲームファンに当時としては新しい体験をさせてくれたゲームハードであることは間違いない。

 仮に、世の中に与えたインパクトが小さかったとしても、今、ゲーム記者として活動している筆者にとっては、新しいゲーム体験や、驚き、そして感動を伝えてくれた思い出深い名機なのである。

【参考文献】

Wikipedia