【特別企画】
「バトルフィールド1942」本日21周年! 戦場の中にドラマが生まれる「バトルフィールド」シリーズの原点
2023年9月13日 00:00
- 【バトルフィールド1942】
- 2002年9月13日 発売
オープニングムービーを見ると心の底から震える、そんなゲームが読者の皆さんにもあると思う。もちろん筆者もいくつかのタイトルか浮かぶ。その中でもトップクラスに印象的に残っているのが「バトルフィールド1942」のオープニングムービーだ。
広大な砂漠が映り画面奥から戦車がキャタピラの音を響かせながらやってくる。そこからシーンは変わり、空母や駆逐艦が海を渡る。そして街から爆撃機を見上げるシーンへ。その後も潜水艦の描写や、パラシュートを開いて降りてくる空挺部隊など、様々な「戦場」のシーンが描かれる。この約2分間のムービーに本作の魅力がギュッと詰め込まれているのだ。
オープニングから筆者の心をわしづかみにした本作だが、20年以上経った今も忘れられない体験があった。本稿では、2002年9月13日に発売されたPC用FPS「バトルフィールド1942」の21周年を記念し、本作を振り返りつつ当時の思い出を振り返っていく。
大規模な戦場のロールプレイを楽しめる。それが「バトルフィールド1942」だ
「バトルフィールド1942」は、陸海空の兵器が入り交じった大規模な戦場のロールプレイを楽しめる「バトルフィールド」シリーズの初代タイトル。これは私事ではあるが、筆者が最初にプレイしたFPSは「バトルフィールド1942」である。いや正確には本作の“マルチプレイデモ版”だ。
当時はPCゲームの体験版が公開されていて、1ステージ/1マップなど限定されたステージがマルチプレイできたのだ。今のように基本プレイ無料で遊べるゲームがなかった時代、「面白いゲームの体験版が無料でプレイできるからやってみないか」と誘われれば断る理由はなかった。
最初に本作に触れた感動、それは一言では表現できないものだ。そもそもFPSというものをプレイしたことがなかったので、自分が持っている武器が表示されている画面がすでに衝撃だったし、左クリックで銃を撃つというだけで、これは筆者にとっては未知の体験だった。だがそれだけでは他のFPSと同じだ。21年の時を経てここで本作の記事を書く理由にはならない。
筆者が感じた衝撃は本作の「広いマップ」と「同時にプレイできる最大人数」にあった。人数に関しては最大64人が基本で、32人vs32人という遊び方が本作のマルチプレイデモではスタンダードな設定だ。
デモ版で何度も繰り返し遊んだ「ウェーク島」には思い出が多い
筆者達が遊んでいたデモ版は「ウェーク島」というマップのみがプレイできた。「なんだ、たったの1マップか、その1マップで何がわかるのか」と思うことなかれ。このマップには本作の魅力がグッと詰め込まれているのだ。
「ウェーク島」は、島の防衛からスタートする連合軍(アメリカ)と、洋上の空母と駆逐艦からスタートする枢軸軍(日本)という構造のマップだ。
まずこのマップの構造が良かった。陸海空を横断する兵器が登場するからだ。島の守りを固める連合軍は地上で猛威を振るう戦車や、サポートに有用な兵員装甲輸送車、遠距離の移動を助けるジープといった乗り物類、そして対空も対地もこなせる戦闘機に、固定式の対空砲やデフガンという大砲で防衛を固めている。
一方の日本軍は、歩兵は揚陸艇で島への上陸を目指す。空母からは戦闘機を出撃させることもできるし、駆逐艦を操って艦砲射撃で地上攻撃をサポートできるという具合だ。
歩兵になってただ銃を撃ち合うだけでも面白いのに、多様な兵器が登場し、しかもそれらをプレーヤーが操作できる。それは今の感覚で見ても相当に“チャレンジング”な作品だったと思う。
本作の魅力にとりつかれた筆者は、黙々とこのデモ版を遊んでいた記憶がある。最初は銃撃戦では打ち負け、兵器の運用方法もわからず、チームに貢献することはほとんどできてなかったと思う。むしろ足を引っ張っていただろう。
だが本作は人数が多いので、1人や2人が撃ち負け続けたところで、チーム全体としてみれば大した損失ではないのだ。もちろん駆逐艦のような重要な兵器の運用に失敗し、座礁させてしまう、なんて事があるとさすがに別だが、気軽に遊び、少しずつ上達できたのは素晴らしい作品だった。
本作がここまで魅力的なのは戦場で生まれる物語にあると思う。
デモ版のウェーク島は相当遊ばせてもらったが、筆者は枢軸側、特に歩兵をメインにプレイするのが好きだった。今思い返してみても戦友達との色んな物語があった。
まず試合がスタートするとみんなで上陸のための揚陸艇に向かっていく。本作にはファンクションキーを組み合わせると味方とコミュニケーションを取れる機能があった。例えばF5→F5と入力すると近くの味方に「了解!」というメッセージが届く。
F7→F7が「行くぞ!」というコマンドなのだが、揚陸艇に乗り込む前にはみんながこのコマンドと「了解!」を連打していたと思う。1度に揚陸艇に乗れる兵士の数は確か4,5人だったので、その4,5人が「行くぞ! 了解!」と叫びながら戦地に向かう。この構図だけで本当にテンションが上がったものだ。
すべてのマップに思い出がある。特に「オマハ・ビーチ」について語りたい
本作には16マップ、後に発売された拡張パックでもマップが追加された。
正直、すべてのマップに思い出がある。文字数と時間が許せばすべてのマップについてそれぞれの思い出を語っていきたい。だが今回はその中でも特に個人的な思い出が強いマップについて書かせていただきたい。
筆者が本作について誰かに語るとき、必ず話しているのが「オマハ・ビーチ」というマップだ。映画や小説などでも取り上げられることが多い「ノルマンディ上陸作戦」の上陸地点の1つとして知られる。
ノルマンディ上陸作戦自体、そしてオマハ・ビーチでの戦いはスケールが大きい戦いだったが、さすがにゲームではそこまで再現されていない……というか、あくまでもごっこ遊びのスケールになっていた。だが、ドイツ軍が築き上げた堅牢な防衛陣地に、熾烈な攻撃をかいくぐり連合軍が上陸していくというシチュエーションは再現されていた。
ドイツ軍のトーチカ(コンクリートでできた防御陣地)からはドイツ軍がビーチを見張っている。ビーチには僅かな遮蔽物しかなく、連合軍は文字通りの銃弾の嵐に晒されてしまうのだ。
さらにドイツ軍の防御陣地の後方にはデフガン(砲撃兵器)があり、後方からの砲撃サポートまであった。正直連合軍としてはかなり厳しいマップだった。何度も何度もチャレンジを繰り返し、ビーチ、そしてドイツ軍の防衛陣地、さらに奥……と順番に制圧していく。防衛陣地の制圧には多くの犠牲を払うことになるが、そこを抑えられたときの気持ちよさは本作でも随一だった。
プレーヤーたちの練度が低いうちはワーワーと遊ぶマップでそれはそれで非常に面白かった。連合軍の駆逐艦を誰かが操って座礁してしまい、まともな試合展開にならなかったこともある。そういった珍事件も練度が高くなり少なくなっていった。そういった遊び方の変化もまた面白かった。
連合軍の艦砲射撃の精度は上がり、ドイツ軍のトーチカの僅かな隙間を狙い撃ち、待ち受けているドイツ軍が吹き飛ばされ、一気に防衛陣地が制圧されるというシーンも見るようになった。一方でドイツ軍は偵察兵と連携し、防衛陣地後方にあるデフガンから的確に駆逐艦を攻撃、試合序盤で沈没させ、艦砲射撃などのサポートを完全に封じられた戦いもあった。
本当にこのマップには多くの物語があった。筆者はこの「オマハ・ビーチ」というマップから生まれた多数の物語が本当に大好きだ。
多くのModderに愛され、多くの作品が生まれた本作
そして本作ではMODの豊富さにも触れたい。本作におけるMODとは、職人(Modderと呼ぶ)が本作のシステムをベースに新しいマップや新しい兵器を作り、ゲーム体験をアレンジ、もしくは全く別のゲーム体験を作ってしまうような遊び方を指す。
本作は本当にModderに愛されたタイトルだった。マップや武器、ボイスまで作り込んで、別のゲーのようにするMODから、海外のModderが作った様々な権利で一発でアウトになるようなMODまで多岐にわたった。
個人的に印象に残っているのは戦国MODだろうか。戦国MODでは、日本の戦国時代が舞台となり、敵と刀で斬り合う。火縄銃を持った兵士も登場し、「これも確かに戦場の1つだ」と不思議な関心をした記憶がある。
筆者がプレイしていたときに流行っていたのは「Desert Combat」というMODだろうか。湾岸戦争を部隊にしたMODで、兵器やボイスマップなども作り込まれていて、1つのゲームとして発売されていてもおかしくないクオリティだった(ちなみにそのクオリティの高さ故か開発チームが「Battlefield 2」のために買収された)。またリアルな第2次世界大戦の各戦場で遊べるようになる「Forgotten Hope」などもメジャーなMODだ。
そして発売から20年以上経った今でも本作は遊ばれているし、新しいMODが登場することもある。日本では「Forgotten Hope Secret Weapon」というMODが人気のようで、サーバーが満員になることもあるという。改めてファンの本作に対する愛を感じるところだ。
今回「Battlefield 1942」を振り返ってみたが、やはり唯一無二の魅力を持ったタイトルだったと思う。そこから多数の続編タイトルが出て、今でも多くのファンに「バトルフィールド」というIPが愛されているのは、原点となる「バトルフィールド1942」の魅力が大きいのだと実感した。