【特別企画】

「beatmania IIDX」が稼働25周年! 音楽ゲームというジャンルを確立させた名作シリーズを振り返る

【beatmania IIDX 1st style】

1999年2月26日 稼働開始

 音楽ゲームを根付かせた定番音楽ゲームジャンル「BEMANI(ビーマニ)」。その第2弾である「beatmania IIDX」が稼働開始してから本日で25年となる。初代beatmaniaが1997年に稼働開始し、その2年後から始まった本シリーズは、「beatmania」シリーズが終了した2002年以降も稼働を続け、結果として四半世紀を走り続けている。

 アーケードゲームにおいて、25年も同じ作品が稼働し続けているのは大変レアなケースだと思われる。そんな作品が、どのように変化していったのか、今回は25周年を記念してその流れを語っていく。

 以下、初代beatmaniaを「5鍵(ごけん)」、「beatmania IIDX」のことを、プレイヤー間での愛称・略称である「弐寺(にでら)」として呼ぶことがあるのをご容赦いただきたい。

アンダーグラウンド感のある初代シリーズからグレードアップ。「DX」になった筐体

 筆者が「beatmania」と出会ったのは1998年頃、「beatmania 3rdMIX」が稼働した時点である。鍵盤の隣に皿形のスクラッチデバイスがある筐体は、当時小学生かつDJという職業をまだ知らなかった筆者からすると非日常感があった

 「beamania」を初めて見た時、小学生だった自分の素直な感想は「暗い、怖い」であった。筐体の側面にあるグラフィティアート、選曲画面、演奏中のムービーも含め、ダークなイメージが強かったのだ。

 その1年後、普段は行かないボーリング場で「弐寺」と初めて出会うことになる。照明が暗い店舗であったのだが、そこにあったのは豪華というイメージが強くなった「beatmania」の新しい姿だった。「5鍵」から2つ増えたボタンと1P側と2P側でデバイスの位置が変化したスクラッチ、大きなモニター。「5鍵」と同様、筐体の大きさという面では威圧感はあったが、恐怖感は新たな「beatmania」の誕生のインパクトで打ち消された。

 特に「弐寺」で好きだったのが、筐体下部に追加された足場の存在だ。登ることで筐体へ向かうのは、まるで観客たちを見下ろしながらクラブで演奏を始めるDJのようだった。「弐寺」をプレイする際はゲームセンターにいる他の人よりも高い位置から演奏するので、ちょっとした優越感、没入感が得られるのが中学生になった筆者には刺激的だった。

「弐寺」の筐体画像。アンダーグラウンドというよりかは近代的というイメージが強くなった

 変化したのは筐体だけではない。演奏中に流れるムービーが実写や3D映像へ変化していたのだ。初期の楽曲は「5鍵」からの移植曲も多かったが、ムービーの変化で「5鍵」のときとは違って映った。

 また、シリーズを経ることに「弐寺」オリジナルのキャラクターが多数追加。ゲーム雑誌でキャラクター設定やショートストーリーが掲載されたりと、音楽のみでなく、キャラクターの世界観を構築していったのが「弐寺」の特徴だ。

「弐寺」となりムービーも多様化。実写映像が使われたことにも驚いたが、シリーズを経るごとに可愛い・カッコイイキャラクターが現れるムービーが楽しませてくれる
現在の音楽ゲームでは当たり前になっているが、音楽ゲームのムービーで出てきたキャラクターのフィギュアのようなグッズが出てくるのは驚きだった。一時期は新作が出る度に新しいキャラクターが追加されたり、既存キャラクターの衣装が変化したり、新キャラクターとの関係が公開されたりするので、新作のリリースには新曲以外の楽しみもあった

離れた場所のライバルと腕前を競う機能、また実力を証明する手段も実装!!

 「5鍵」にはオンラインサーバーがないためスコアの確認が困難だったが、「弐寺」では作品が進むにつれて自分の実力のチェックしやすくなった。電磁カードを使うことで、「5鍵」時代から膨大になった楽曲のスコアデータを容易に保存できるのだ。そして、サーバーによって保存された全国のプレイヤーたちとスコアを競うこともできる。

 過去には家庭用移植がされる際、家庭用に全国のプレイヤーのデータを登場させるため、アーケード版のプレイヤーのデータを募集するということもあった。筆者はその情報を知ると、アーケードで対象の楽曲を慌ててプレイし始めた記憶がある。当時の記事がこちらだ。

ゲーム設定でスコアグラフを表示させると、画面上にグラフが表示されるようになる。後述する段位認定でプレイヤーが取得している段位の平均値や、県内での平均値、またプレイヤーサイトで登録したプレイヤーのベストスコアなどが表示されるようになり、知り合いと特定の楽曲の腕前を離れた場所で競い合うことも可能になった

 他にも実力を競う機能が「7th」から実装された。それは段位認定モードだ。このモードでは段位ごとに決められた課題曲を3曲、または4曲連奏し、最後まで完走できれば合格となり段位が贈られる。基本的に「弐寺」の稼働初期は七級から八段までの段位が受験できる。その後、アップデートにて九段、十段、さらに13作目である「DistorteD」からは十段よりさらに上の段位「皆伝」が受験できるようになった。現在は十段と皆伝の中間にあたる段位「中伝」が追加されている。

 課題曲は基本的に新作がリリースされるごとに一新されるのだが、毎作品課題曲に残り続けている楽曲が存在しており、◯段といえばこの楽曲!という一種のカリスマ性を生んでいるのも面白い点だ。

 SP(シングルプレイ)の七段四曲目に「7th」から現在最新作、31作目となる「EPOLIS」までアーケード版では「THE SAFARI」という楽曲が、皆伝でも同様に現在まで4曲目に鎮座し続けている「冥」がそれにあたる。段位認定はプレイヤーの話題に上がることも多く、オンライン掲示板内で段位認定の合格のコツを議論するということもあった。

 筆者は前述の「THE SAFARI」により七段の取得に苦心していた時、オンライン掲示板で交流をしていて、いわゆる「七段合格のためのオフ会」に参加するために山口から大阪まで出向いたことがある。大阪に行って集まってみると当時高校生だった自分が一番年下で、様々な大人の方とゲームセンターでコツを教え合ったり、帰る時も主催者の方と世間話をしながら大阪の街を案内してもらったという貴重な経験をした。人生において初めて見ず知らずの人とオフ会に参加した意味でも、段位認定は思い出深いモードである。

段位認定モードの受験段位選択画面。昨今の作品では一部緩和されたが、他のモードでは使用できる演奏を補助するオプション機能が制限されている
段位認定モードでは合格すると課題曲の演奏率が表示されたり、キャラクターの一枚絵が表示される。作品、段位によって表示されるイラストが違うので、今からでも過去作品に触れる機会があれば色々な段位を受験してみてほしい。普段のイメージからはかけ離れた道着姿のキャラクターが出てきて驚くこともある

音楽ゲームの元祖は新たな筐体「LIGHTNING MODEL」で生まれ変わる

 25年以上ゲームセンターの花形であった「弐寺」は、何度か新しい筐体へモデルチェンジしている。そして、大きな変化となったのが20周年を機に、2019年12月16日より順次稼働開始した「LIGHTNING MODEL」である。

 プレイヤーを包むように作られている筐体、新たなスピーカーはプレイヤーに新しい没入感を与える。鍵盤やスクラッチ操作の感触は人によって好みがあったのだが、スクラッチに関しては筐体中央のパネルで入力の感度を変更できるようになったのは筆者は特に驚いた点だ。

新筐体の画像。プレイしてみると筐体に包まれるように感じる。身長が高い筆者は頭をぶつけそうになったり、体を縮めないと遊べないのが若干辛いが、サイバーな雰囲気がカッコイイ筐体だ
スクラッチの感度の調整は、筐体中央のタッチパネルを用いて設定する。このタッチパネルでは他にもできることがあり、現在1,000曲を超えると言われる楽曲をタッチパネルで名前候補から検索できる。普通に探していたら指定された選曲時間では間に合わなくって他の楽曲をプレイしてしまうハメに……ということが頻発していたため、この機能はありがたい

 新しいモニター、操作性の向上したデバイスにより既存の楽曲の歴代最高スコアが更新されることも増えてきたため、上位プレイヤーのハイスコアの更新合戦を追い続ける、という楽しみが増えてきたことも喜ばしい点だろう。

DJシミュレーションから実際のクラブのような交流があるコンポーザー参加のイベントにも注目!

 ゲームミュージックは基本ゲーム内でしか聴く機会がない。作品によっては特別なコンサートがテレビ番組などで行われることもあるが、それはかなりレアなケースであり、荘厳なイメージがあった。

 「弐寺」およびKONAMIの音楽ゲームブランド「BEMANI」はその概念も打ち破っている。ゲームに関連するイベントでブースを出し、クラブのような雰囲気でゲーム内の楽曲を生演奏するといったことを頻繁に行っている。

 DJシミュレーションゲームで奏でる楽曲が、ゲームイベントの会場で実際にDJが演奏してくれるというのは貴重な経験だ。時々サプライズとして今後収録される楽曲のお披露目とされたのにも驚いたことがある。

筆者の好きなコンポーザーはdj.TAKA氏。好きな楽曲である「Broken」という楽曲のライブで、リリースされる前の音楽ゲーム「SOUND VOLTEX BOOTH」でのBrokenのアレンジフレーズを先行でこっそり披露していたことに後で気づいて驚いたことがある

 筆者の知り合いにも音楽ゲームの楽曲に感銘を受けて、DJイベントで楽曲を演奏する側に立ったという人物が何人かいる。そういった人生の楽しみに影響を与え続けているという意味で、25年間音楽ゲームの先駆者として走り続けている「弐寺」は、まだまだ進化し続けるのだろう。