【特別企画】

「ビートマニア」が25周年! アーケードゲームの歴史を変えた稀代の傑作

稼働当時の熱狂ぶりを振り返る

【beatmania】

1997年12月10日 稼働開始

 ゲームセンターの定番、音楽ゲームの始祖「beatmania(ビートマニア)」の稼働が始まったのは1997年12月10日のこと。つまり本作は、本日で稼働からちょうど25周年を迎えたことになる。

 初代「ビートマニア」は、画面上部から楽曲のリズムに合わせて流れて来るノート(マーカー)が最下段のラインを通過したタイミングに合わせて、サンプラーを模した5個の鍵盤ボタンとターンテーブルを操作し、規定の成績を収めればステージクリア、失敗するとゲームオーバーになるルール。独創的なデバイスと、高性能のスピーカーを搭載した斬新なデザインの筐体を使用し、ヒップホップやテクノ、ハウスなどの曲が流れることで、プレーヤーはまるでDJになったかのような気分にさせてくれる、今までにない体験ができることから注目を集め、稼働直後から大人気を博した。

 現在も後継シリーズの最新作「beatmania(ビートマニア)IIDX 30 RESIDENT」が稼働中で、アーケードゲームとしては極めて珍しい、四半世紀にも及ぶ超ロングランを続けている。

 実は筆者、本作の稼働した当時はゲームセンターで働いており、ただプレーヤーとして遊んだだけでなく、入荷直後から多くのプレーヤーが店に押し寄せ、連日大盛況だったのを“中の人”としても目撃している。

 以下、もう四半世紀前の出来事なので細かいことは正直忘れてしまったが、店員時代の記憶を交えつつ、当時のゲームセンターの盛り上がり具合と、簡単ではあるが本シリーズの歴史を振り返ってみることにする。

【「ビートマニア」の筐体】
【「ビートマニア」ゲーム画面 】
※画面はプレイステーション版を使用
ステージ(楽曲)のセレクト画面より
ボタン操作、またはスクラッチ(※ターンテーブルを回すこと)のタイミング次第で、楽曲やアニメーションの演出が変化する斬新なアイデアを導入
うまく演奏ができれば、ギャラリーから拍手喝采を受けてステージクリア、規定の成績を下回ると痛烈なブーイングを浴びて即ゲームオーバーに……

ゲームセンターの利益にも大きく貢献、ゲーム音楽市場を開拓したパイオニア

 1997年12月某日。筆者が初めて「ビートマニア」を目の当たりにしたときは「何てド派手で目立つゲームなんだ」と度肝を抜かれた。今までに見たことがない、いい意味で変わったデザインの筐体に加え、上部に並んだ青色の電飾が実にまぶしい。大きなスピーカーから流れる楽曲は、どれも店内に凄まじいほど響きまくり「ゲームではなく、DJブースを設置したのかな?」と思わせるほど、その存在感は際立っていた。

 本作では、プレーヤーは新入りのDJで、練習ステージでは“DJ KONAMI”の手ほどきを受けながら基本テクニックをマスターしたうえで、フロア内にいるギャラリーたちに自身の腕を披露し、いかに盛り上げられるかという設定だった。また楽曲の合い間には、ライバルDJとスクラッチの腕で勝負する「DJ BATTLE」ステージも登場した。

【練習ステージ】
DJ KONAMIがレッスンを担当する練習ステージ。慣れたプレーヤーはスキップして本編から始めることも可能

 既存のゲームは、例えばダンジョンであれば低音が響いて不気味さを想起させるBGMが、中国が舞台であればチャイナシンバルを鳴らすといった具合に、ゲームの場面に応じた曲を流すのが定番の演出だった。だが、本作に収録されたヒップホップやテクノなどの各楽曲は、ゲームのBGMというよりはライブハウスのDJブースで流れる音楽そのものであり、ことゲームセンターという空間においては、プレーヤーたちが今までに聴いたことがない、まったく新しい曲が誕生したことも衝撃的だった。

 筆者が特にうならされたのは、一部の楽曲ではターンテーブルのパートに「FREE」と書かれたノートが出現すること。「FREE」の範囲内では、プレーヤーが自由にスクラッチを操作できる、つまりプレーヤーごとに独自のアレンジ演奏、あるいはパフォーマンスを披露できる場を用意したアイデアも秀逸だった。本作は、長らくゲームセンターに通っていた筆者が、今振り返っても「今までにないタイプのゲームが登場したな」と衝撃を受けた、数少ない作品のひとつである。

 コナミは本作が稼働する前の段階で、ゲーム雑誌への広告などを利用したプロモーションはほとんど実施していなかった印象がある。だが、稼働直後から筆者が当時勤めていた店に限らず、近隣のどこのゲームセンターに行っても大人気で、平日の昼間でも熱心に通うプレーヤーが見受けられた。

 本作のプレーヤーは20歳前後の若者が大半で、女性の数も通常のビデオゲームに比べれば多かったと記憶している。しかも本作は、既存のビデオゲームを日々楽しむ常連客だけでなく、新規のプレーヤーをたくさん取り込んだことも大きな驚きだった。そのお陰でインカム(売上)も非常に良く、筐体のキャッシュボックスには連日たくさんの100円玉が入る、まさに“ドル箱”状態。なので、店員目線でも実にありがたかった。

 また、本作の開発者のインタビューが掲載されたアーケードゲーム雑誌「ゲーメスト」の1998年7月30日号に改めて目を通してみると……、

 今までゲームセンターに来たことがない人や、女性の方などのライトユーザーを取り入れて、ユーザー層を広めていこうというコンセプトがありました。渋谷を目指そう。渋谷に置いても遊んでくれるものを目指そうと、みんなで話し合っていました(※一部抜粋して引用)

 などと証言している。実際、その狙いはものの見事に当たり、渋谷界隈のゲームセンターでも本作はごく当たり前に稼働しており、2台以上置いていた店も珍しくはなかった。

スクラッチを自由に演奏し、プレーヤー独自のパフォーマンスを披露できる「FREE」のアイデアは実に素晴らしかった

 突然ながら、ここでクイズをひとつ。

:「初代『ビートマニア』に収録された楽曲の数は、全部で何曲?」

 つい最近、ゲームセンターで音楽ゲームを遊び始めたプレーヤーにとっては信じられないかもしれないが、正解は何と「7曲」で(※「DJ BATTLE」ステージも含めると8曲)、現在の音楽ゲームとは比較にならないほど曲数が少なかった。加えて、開発スタッフの想像をはるかに超える大ブレイクをしたこともあり、全ステージクリアに成功するプレーヤーが稼働して間もない時期から各地で続出した。

 そこで、コナミは新バージョンの開発を急ピッチで進め、初代の稼働からわずか3カ月後の1998年3月には収録楽曲を大幅に増やし、難易度別に3種類のモードが選べるシリーズ第2弾「ビートマニア 2nd Mix」が登場することとなった。

 さらに、同年9月には2人対戦プレイが楽しめる「バトルプレイ」が追加された「ビートマニア 3rd Mix」が登場するなど、シリーズを重ねるたびにどんどん進化を遂げて不動の人気を確立した。

現在もシリーズ作品が続々登場。新たなチャレンジを続ける「BEMANI」ブランド

 「ビートマニア」が誕生した翌年の1998年には、現在でもシリーズ作品が稼働を続けている「ポップンミュージック」と「ダンスダンスレボリューション」が相次いで登場。音楽ゲームがゲームセンターの定番ジャンルとして完全に定着し、「BEMANI」ブランドはコナミの代名詞的な存在になった。とりわけ後者は、ゲームセンターの店員としての筆者の体感では、初代「ビートマニア」の稼働当初にも匹敵する人気とインカムがあり、中高生にも非常に人気が高かったと記憶している。

 さらに1999年には、こちらも現在でもシリーズ作品が出続ける「ギターフリークス」と「ドラムマニア」が、2000年には「キーボードマニア」などの作品がリリースされた。そして本家「ビートマニア」は、99年に登場した「ビートマニア II DX」が後継シリーズとなり、前述したように現在もシリーズ最新作「beatmania IIDX 30 RESIDENT」が稼働中だ。

 「ビートマニア」の誕生を機に、一大ブランドと化した「BEMANI」シリーズは、その後も家庭用への移植にとどまらず、ゲーム音楽アルバムのリリースや有名アーティストとのコラボ企画のほか、実力ナンバーワンプレーヤーを決定する全国大会や、ライブイベントなども多数開催。そして2021年には、プロのプレーヤーが参加するeスポーツ競技「BEMANI PRO LEAGUE」が開幕するなど、今なお新しいチャレンジを続けているのは驚き以外の何物でもない。

□「BEMANI PRO LEAGUE」のYouTubeチャンネル

【【公式】「beatmania IIDX 30 RESIDENT」プロモーションムービー】