【特集】

【アストロシティミニ V特集】対戦格闘ゲームブームが来る前のゲームセンターは、まだまだシューティングゲームが元気だった。「雷電」

【雷電】

1990年 稼働開始

アストロシティミニ Vに収録

 「アストロシティミニ」が好評だったことを受けて、今回は数量限定という形で発売された「アストロシティミニ V」。前作とは打って変わり、セガタイトルは4作品のみ。その他は当時、有名だったり名を馳せた縦画面のシューティングを収録している。昔からゲームセンターに通っていた人ならば、1度は見たりプレイしたタイトルばかりが揃っているのは間違いないだろう。筆者もその1人として、今回は「雷電」をピックアップした。「アストロシティミニ V」でプレイしながら、ゲームセンターで稼働していた当時に1コイン1周クリアしたことを思い出したので、その頃のゲーセン事情を交えながら体験談を書き記していく。

 「アストロシティミニ V」に収録されている作品「雷電」が、ゲームセンターで稼働を開始したのは1990年のこと。その前年は、昭和天皇の崩御で元号が変わったりベルリンの壁が崩壊するなど、社会情勢が大きく動いた時でもあったが、ゲーマーだった筆者は相も変わらずゲーセンに入り浸っていた。

 そんな1989年、個人的な花形タイトルはセガの「テトリス」だった。あちこちのゲームセンターに置かれていて、それなりに人気だったと記憶している。ほかにもシューティングゲームタイトルとしては、カプコンの「エリア88」やナムコの「フェリオス」、アイレムの「Xマルチプライ」、UPL「オメガファイター」などがあった。タイトルを見ると、人気作品に恵まれていたと思う人もいるだろう。

これは、当時のナムコが直営店舗で配っていた広報誌「NG」。「フェリオス」の特集を組んでいた号があったので、そのページを撮影してみた

 1990年前後になるとゲームセンター内は明るい店舗が多くなり、昔のような“ヤバい”雰囲気を醸し出しているお店は、ほぼ見かけなくなっていたように感じている。来店する客層も学生やサラリーマンが多く、店内にはテーブル筐体やアップライト筐体の他に、メダルを利用した競馬のような大型ゲーム機やメダル麻雀などもあった。いくつかのゲームセンターでは、それまであまり見かけなかったピンボール台も起き始めていたなど、お店が少しずつ様変わりしていった時代だった気がする。

 この頃の筆者が通っていた店内を思い返してみると、フロアの大部分を占めていたのはテーブル筐体で、壁際にアップライト筐体が並んでいたような記憶だ。1980年前後の危うさは消え、昔と同じく足繁く通っていたにもかかわらずケンカなどの大ごとを見なかったのは、少しずつマナーが良くなっていったからだと思っている。

 1980年代のアーケードゲームは、「ブレイクアウト」や「スペースインベーダー」などをスタート地点として、もの凄い勢いで進化していったという印象があった。それが90年近くから進化の速度がゆっくりになり、また続編も増えたように感じられた。特にシリーズ作品は、その前の作品から比べてルールが増えたり難易度が上昇するものも少なくはなく、シンプルなタイトルを好む人からは敬遠されがちだったようにも思う。

 1989年に登場した続編タイトルとしては、タイトーの「ダライアスII」やアイレムの「R-TYPEII」、コナミ「グラディウスIII」などがあるが、それらは前作と比べて上記のような要素が入ったため、個人的には1作目や2作目ほどの人気があったようには見えなかった。

 筆者も、それらすべてを当時プレイしたのだが、「ダライアス」は全ルートクリアできたのに「ダライアスII」は1ルートのみしかエンディングが見られなかっただけでなく、「R-TYPE II」や「グラディウスIII」に至っては1コインクリアすらできずに挫折している。もっとも、ゲームの難易度が上昇したのではなく“お前がヘタになったり、ルールについていけなかっただけだろう”という話もありそうだが……。

これは、電波新聞社から発売されていた雑誌「マイコンBASICマガジン」1989年12月号のアミューズメント・マシンショーのレポート記事ページ。「ダライアスII」や「R-TYPE II」、「グラディウスIII」の名前が見える

対戦格闘ゲームブーム到来直前。1990年と1991年のゲームセンター

 翌年1990年、住んでいた埼玉県川越市のゲームセンターをはじめ、各地のゲーセンをうろうろしていたのだが、特に通ったのが“ゲームブティック高田馬場”から名前が変わったばかりの“プレイシティキャロット高田馬場”。ちょっと狭い入口を通り店内に進むと、すぐの右手側にはピンボール台が置かれていたり、奥にはナムコのレースゲーム、後には入って左手側に「スターブレード」の筐体が導入されたりと、店舗面積の割には濃密な空間が広がっていたのを今でも覚えている。

 “プレイシティキャロット高田馬場”の一番奥にはカウンターが見えたのだが、常連のお客さんたちが行き交うそのスペースに行くほどの勇気はまく、結局は謎スペースのままに終わってしまった。しかし、アーケードゲーマーの自分にとっては神話的なお店だったのは間違いなく、同時期に通っていた高田馬場の他のゲームセンターと比べて一番足繁く通った場所でもある。また、店内には今のようにキャッチャー系の大型筐体やプリクラ筐体が導入されていなかったため、ゲームセンターが(古い人間の思う)ゲームセンターらしい最後の時代だった、のかもしれない。

 そんな1990年にはシリーズ続編ものではなく、新規作品も数多くリリースされた。例えば、難易度は低くないものの、ボムのドラゴンレーザーやライトニングソードが派手で、デモ画面の見栄えでプレイヤーに訴求したコナミの「トライゴン」や、タイトーの渋い作品「ガンフロンティア」などがそれにあたる。

1990年4月号の電波新聞社刊「マイコンBASICマガジン」からのページだが、「トライゴン」始め、さまざまなタイトルが見える

 その中でも、ひときわ注目を集めたのがテクモの「雷電」だったと思っている。ショットとボンバーというシンプルな操作方法、ショットボタンひとつでメインとサブウェポンが発射できる仕組み、パワーアップすればするほど雑魚敵を一掃できる爽快感が味わえるなど、派手さとわかりやすさに特化していたと感じられた。ただし難易度は高めで、初プレイ時にはほとんどの人が1面のボスでミスした経験を持っているのではないだろうか。筆者もその1人だったが「難しすぎるだろ!」と文句を言いながらも、日々ハマっていったことを思い出す。

1990年に登場した「雷電」は、シンプルな縦スクロールシューティングゲーム。パワーアップするほどに、爽快感もアップ!
1面ボスの攻撃は簡単に避けられそうなのだが、実際にプレイするとなぜか当たってしまうことも多い。ボスは2機出現するが、1機目は真上に張り付いて連射すれば撃たれる前に倒せる。2機目は、左右のスクロールを利用して敵弾を消す方法もあるが、ボンバーを使うほうが安定する

 他人のプレイを見て1面ボスの倒し方を学び、ノーミスノーボムで突破できるようになると、途端に楽しくなってきたのが今考えても不思議なところ。しかし、次は2面ボスの弾幕がノーミスで越えられず、再び悔しい思いをすることになった。

 苦手な弾幕というのは誰にもあると思うが、筆者の場合は2面ボスのような交差する攻撃を避けるのが非常に苦手だ。似たような苦汁をなめた思い出として、同人ソフト「東方妖々夢」の5面ボス・魂魄妖夢の弾幕を今でも思い出すほどにはトラウマになっている。

 結局、2面ボスはボムを消費して強引にクリアしたが、後に雑誌でプレイステーション版「雷電プロジェクト」の攻略方法を執筆したときも“ボムを使え”と書いていたのを確認したので、90年のリリースから5年が経過しているのに成長しなかったんだなと苦笑いしてしまった(笑)。苦手なのは今も同じで、この原稿を執筆するためにプレイしていたが、相変わらずボムなしでは厳しかったのが悲しい。

2面ボスの、この弾幕がスルッと越えられる人は、弾幕ゲームへの適応性があると勝手に思っている(笑)
攻略法としては、右または左の羽を破壊して、上空から漂ってくる機雷を3つ破壊。その後に発射口をすべて破壊してから、交差弾幕がでかかったところでボムを発射し接近して連射→後退する。これで破壊できなかった時は、もう1発ボムを撃つのもアリ
「雷電」には、2P側でプレイすれば1P側で遊ぶよりも難易度が若干下がるという設定がある。マニュアルを参考に強制2Pプレイ機能を機能させることで、通常通りにクレジットを入れてスタートボタンを押せば、自動的に2P側でのゲームとなるのだ

 こうしてプレイを重ねていき、最終的にはラスボスまで到達できたものの攻略方法がわからず、しばらくは敗北の日々を送っていた。そんなときに新声社から発売されていたアーケードゲーム雑誌「ゲーメスト」を読んで安置(安全地帯)を知り、そこに陣取って敵を倒し1周クリアできた時には、非常に感動したものだ。

収録タイトルのほとんどは、プレイ中に筐体右下のFボタンを押すと、その瞬間をクイックセーブしてくれる。長押しすればクイックロードとなるので、ノーミスで地道に進んだり、ボスを反復練習するのに最適だ

 続けて難易度の上昇した2周目が始まるのだが、ほぼどんなゲームも1周クリアで満足する筆者としては、それでお腹いっぱいに。それ以降、安定してラスボスを撃破できる気がしなかったので、「雷電」とのお付き合いはそれっきりになってしまった。理由としては1990年と91年は個人的な豊作の年で、「コラムス」(セガ)のカウンターストップを目指してハマったり、「サンダーフォースAC」(セガ)や「コットン」(セガ)、「出たな!!ツインビー」(コナミ)、「ゼクセクス」(コナミ)の1周クリアに燃えていたりで忙しかったためだが……。

「雷電」シリーズを網羅したハードが出る日も近い……!?

 その91年には、格闘ゲームの金字塔「ストリートファイターII」がデビューを果たす。稼働したばかりの頃は対戦プレイは賑わっておらず、CPUを相手に1コインクリアするというプレーヤーが多かった。今ではお馴染みの、アップライト筐体を向かい合わせに配置するという光景は皆無で、対戦するなら1P2Pがテーブル筐体の手前側に隣り合って座り、肩寄せ合いながらプレイするスタイル。当時通っていた一部のゲームセンターでは、1コインで2人対戦プレイが可能な設定の台があったので、そこでは友人との対戦に興じたこともあった。

こちらも、電波新聞社刊「マイコンBASICマガジン」の1991年6月号のページだが、1コインクリアのためのアドバイスが書かれていた。稼働してしばらくは、対人戦ではなく対CPU戦がメインだったのが、これでわかるだろう

 しかし、程なくしてゲームセンターには対人がメインの対戦格闘ブームが訪れることとなり、リリースされるタイトルも対戦格闘ゲームが増えていく。筆者のような、インベーダー時代から主にアクション・シューティングをプレイしてきたプレーヤーにとっては、徐々に居場所が無くなっていく雰囲気を感じ取っていた。

 それに追い打ちをかけるように、1993年前後あたりからは、いわゆる景品キャッチャー系のハードが増え始める。これにより、ゲームセンターが従来の“ゲーマーが集う場所”から“誰もが楽しめる場所”へと様変わりしたことで、少しずつ行きづらくなったように感じ取っていた。

 だが、今回取り上げた「雷電」はシリーズ化され、後に「雷電II」や「雷電DX」などのタイトルを次々と生み出していき、縦スクロールシューティングゲームのデファクトスタンダートといわれる作品へと昇華していく。また初代「雷電」は、時間が経過しても稼働させているゲームセンターも多かった印象があり、特にサラリーマンが100円玉を積み上げてプレイしている光景を何度も見かけた。

 「アストロシティミニ V」で体験できるのは、そんなシリーズの原点となった1作目だけだが、もしかすると近いうちにシリーズ全作品を網羅した何かが発売されるかもしれない……そんな妄想を抱きながら「アストロシティミニ V」に火を入れて、今日もまた「雷電」1コインクリアへの道へと旅立つ。