【特集】

【アストロシティミニ V特集】駄菓子屋、ダンボール箱、パレード、そしてハイスコア……80年代中盤までのゲームセンターは、そんなキーワードで構成されていた。「テラクレスタ」

【テラクレスタ】

1985年 稼働開始

アストロシティミニ Vに収録

 セガトイズから7月28日に発売された「アストロシティミニ V」には、アーケード版初の忠実移植作品6タイトルを含む全22作品が収録されている。本体コンセプトからセガのゲームは4タイトルのみとなっており、他18タイトルは東亜プランや日本物産、エイティング、彩京、テクモの作品というラインアップだ。

 筆者が注目したのは、その中の1タイトル「テラクレスタ」。1985年にアーケードゲームとしてリリースされた縦スクロールシューティングだが、同時代のゲームセンターを巡る物語は枚挙に暇がない。ここ数年で「テラクレスタ」という作品についても語り尽くされている感があるので、今回は当時のゲームセンター事情を中心に、「テラクレスタ」について筆者が当時体験したストーリーを綴っていこう。

 筆者は、小学生高学年くらいから通っていた小学校付近にあった駄菓子屋のアーケードゲーム機で遊ぶ、あの時代だと俗に言う“悪い子供”だったのだが、そのおかげでタイトーの「スペースインベーダー」やアタリの「アステロイドベルト」、電気音響の「平安京エイリアン」といった初期のアーケードゲームから経験することができたので、今となってはありがたいことだ。

 とはいえ、1970年代後半のテーブル筐体が数台置かれていた広めの駄菓子屋やゲームセンターは、照明が明るいと画面が見づらくなるため室内は暗く、危ない雰囲気を醸し出していたのは間違いない。危ない場面に遭ったことも何度かあったものの、それでも毎日通っていたのだから、今から考えると当時のメンタルの強さには、自分自身のこととは言え恐れ入る(笑)。

ちなみにこれは、「平安京エイリアン」のアーケード版が稼働していた同時期に掲載されたパソコン版の記事。出展は、工学社の「I/O」1980年2月号。“××掘り”などの解説を、懐かしく思う人もいるだろう

 駄菓子屋の中には、お店の外に1、2台だけテーブル筐体が置かれていることもあり、遊ぶ時には瓶ジュース「パレード」のケースをひっくり返して椅子にするのが定番だった。また設置場所が屋外のため、日光が邪魔をして画面が見えなくなることもしばしば。そこで役立ったのが、駄菓子を仕入れた後に出てくるダンボールの空箱。1980年代前後をゲームセンターで過ごしてきた人ならすぐにわかると思うが、テーブル筐体の上にダンボール箱が載っていて、その側面に首を突っ込む部分だけ四角く穴を開けてあるというブツだ。穴を開けた部分に頭を入れてプレイすることで、太陽からの光で画面が見づらくなることを防いでくれる。

 また、インターネットもなかった当時、1コインでより長くゲームを遊ぶためには、上手い人のプレイを見て盗むか、何度もプレイを重ねて自分で攻略方法を見つけ、少しずつ先へと進むしかなかった(この時代のゲームはコンティニューがないものが多かったほか、ゲーマーとしてはコンティニューなどもってのほか、という考えもあったため)。その際に、見学されて攻略方法がバレてしまうのを防ぐためにも、ダンボール箱は有効に活躍してくれたのだ。さらに、ダンボール箱は顔を隠すという点でも有効で、同級生に遠くから見られても即座にバレないという利点も(笑)。ちなみに、自分が通学していた小学校はゲーム禁止令が出ていたものの、それを無視して毎日プレイし、見つかっては翌日の放課後学級会で怒られたものだ……。

そのダンボール箱を再現してみた(あくまでもイメージです)。これでテーブル筐体の上に載せてあれば完璧なのだが、残念ながら筆者宅に筐体がないため、それは叶わなかった

 そんな懲りない人間だったが、ゲーム好きは高校に入学してからも変わらなかった。自宅から約10km弱ほど離れた学校へ自転車で通学していたのだが、途中には繁華街があり、当然ゲームセンターも存在する。都合良く帰宅部だったこともあり、通うようになったゲーセンのうちの1店舗が、地元駅前にあった今では懐かしいデパート・ダイエーの最上階の“ダイエーレジャーランド”。

 思った以上に広いスペースがゲームセンター部分として割かれており、そこだけ照明が周りと比べて一段階落とされていた。同じフロアにはレストラン街もあり、そちらは明るい照明だったので、不思議な気分になったものだ。

 そんな場所にテーブル筐体が約30台ほど配置されていたのを、今でも良く覚えている。稼働していたゲームとしては任天堂の「スーパーパンチアウト!!」やセガの「ファンタジーゾーン」、任天堂「vsレッキングクルー」、コナミ「グラディウス」、セガ「テディーボーイブルース」などだったと思う。

 この繁華街には他にも、狭いスペースに20台ほどの筐体を配置したゲーセンや、少し離れたデパートの最上階にあったナムコ系のゲームセンター“ナムコスカイランド”、さらには3階建てのビル内がまるまるタイトー系のゲーセンだった場所などがあり、ゲーセンには事欠かなかった。

ナムコスカイランドにて、当時もらったナムコの広報誌「NG」。見つかったのが、今回の話題からは少し後になる1990年前後なのが残念だ

 筆者の住んでいた地域は1クレジット50円だったこともあり、あまり躊躇せずにさまざまなタイトルをプレイしたのだが、それでもやはりお金は惜しい(笑)。少しでも長く遊ぶべく、上手い人のプレイを離れた場所から眺めつつ、自分的な攻略方法を組み立てていった。

 参考にするべき相手は、そのほとんどがハイスコアを残していくプレーヤーだったのだが、この1985年前後はアーケードゲームのハイスコアを雑誌で集計し、紙面に掲載するという企画が誕生した時期でもある。ちょうど電波新聞社から発売されていた「マイコンBASICマガジン(ベーマガ)」1984年1月号付録「スーパーソフトマガジン」にて、全国のゲームセンターから送られてきた各ゲームごとのハイスコアを集計して掲載するという「CHALLENGE HIGH SCORE!」というコーナーができたことで、地元のゲーセンにいながらにして全国のハイスコア獲得者(ハイスコアラー)と競うという遊びが、徐々に盛り上がっていくこととなった。ちなみに、アーケードゲームといえば有名な雑誌「ゲーメスト」は、1986年の創刊。ハイスコア掲載は、ベーマガから始まったものだ。

 当方はこの時期、“雑誌のハイスコア集計ページに名前が載る面々が友人にいる”という学校の先輩ができてからは、その人づてに数々のテクニックを教えてもらうことになった。おかげで、コナミの「サンダークロス」を長時間プレイできるようになっただけでなく、アイレムの「R-TYPE」やコナミの「沙羅曼蛇」を1コインで1周クリアできたり、カプコンの「ロストワールド」やナムコの「オーダイン」、タイトーの「バブルボブル」といったタイトルのエンディングを拝むことができた。

 当時、それらゲームの攻略情報を聞くたびに「世の中には本当に上手いゲーマーがいるんだな……」と、尊敬したものだ。

これが、初めてハイスコア集計コーナーが掲載された「マイコンBASICマガジン(ベーマガ)」1984年1月号付録「スーパーソフトマガジン」の該当ページ。個人情報はぼかしてあるが、このような感じで始まった

 いろいろと話が脱線したが、通っていた“ダイエーレジャーランド”で、「vsレッキングクルー」の隣に置かれていたのが「テラクレスタ」だった。この時代としては妙にカラフルな画面で、周囲の音に負けないBGMが聞こえていたのが印象に強く残っている。

 「グラディウス」や「ファンタジーゾーン」にプレーヤーがいたとき、それが終わるのを待つのにプレイしていたのだが、最初のうちは敵のトリッキーな動きについていけず、5分もたたずにゲームオーバーになってしまうことも多かった。“味方機を5機助け出して合体し火の鳥になれば無敵に”などとインストラクションカードには書かれているのだが、そんなのは夢また夢という状態。

 ただし、残機0での出撃時に発進のBGMが「ムーンクレスタ」のイントロをアレンジしたものが流れると、「もう後がない!」とわかり自然と気合が入ったものだ。だからといって、プレイがうまくなるわけではないが……。

残機0の時に流れるイントロBGMが最高にカッコイイ

 これがプレイし慣れてくると、徐々にフォーメーションの上手な使い方に気づく。フォーメーションボタンを押すと、その時点で合体している味方機が分離し、機数ごとに定められたフォーメーションを組んでショットを撃ちながら攻撃する。味方機と合体すると使用回数が3回に回復するので、ボスが出現するタイミングで一番使いやすい3機合体になるようタイミングを合わせてプレイすれば、手強い相手でもそれほど苦戦せずに倒せることを覚え、ようやくプレイ時間が延びていった。

 本作が難しいのは、敵が奇妙な動きで突進してくるのと、自機の移動速度が上下と左右では違うところ。慣れないうちは全方向で避けようと動いていたのだが、左右のほうが上下よりも移動速度が速いので、敵弾などはなるべく左右に動くと避けやすいというのがわかるとさらに面白くなるはずだ。

 このあたりのコツをつかみ、それなりに楽しく遊んでいたのだが、気づけば日本物産の「妖魔忍法帖」になっていて、その後は他のゲーセンでも見ることはなかった……。

場面に合わせてフォーメーションを使いまくれば、宇宙魔王マンドラーまでの道のりはそれほど遠くない。マンドラー攻略のコツは、ロケットパンチのホーミング弾を優先的に撃ちながら、ブーメラン状の敵弾をかわすように動くこと

 この原稿を執筆するために、そんな時代を思い出しながら「アストロシティミニ V」で「テラクレスタ」を遊んでいた。なおプレイ前には、画面のフィルタ設定を自分好みに合わせておくことを忘れずに。標準では“なし”になっているが、筆者はドットがくっきり映っているのが好みなので“シャープ”に変更しておいた。

 また、各ゲームともに難易度や残機数などの設定が変更可能となっている。当時を思い出して同じ設定にするもヨシ、標準設定で今からジックリ攻略するのも楽しいだろう。

本体設定にはメニュー画面でスタートボタンを押すと入ることができる。また、ゲームを選択後にCボタンを押せば、難易度や残機数などの変更が可能だ。自分好みに合わせておこう

収録タイトルを遊ぶだけでなく、昔を思い出すアイテムの1つとしても重宝

 「アストロシティミニ V」には昔を思い出させるタイトルがいくつも入っているので、収録されているゲームに興じるのもいいが、これをきっかけに昔のことへと思いを馳せたり、同じ趣味の人に声をかけてみるのもいいかもしれない。とくにTwitterには、このような古いタイトルのゲームを好きこのんで遊んでいる人も多いので、きっと話に花が咲くことだろう。