「電遊道」~Way of the Gamer~ ジョン・カミナリの楽しいゲームライフ

ジョン・カミナリの楽しいゲームライフ【第34幕】

イタヲタのレトロなゲームライフ~ジョン・カミナリのハプニング満載オタク人生~

僕のゲーマーとしての人生を懐かしさたっぷりで語っていきたい。毎回、特定の時代をセレクトして、自分の記憶への冒険をしたいと思う。最終的には1つのストーリーになる。僕というオタクのストーリー。僕という和ゲー好きゲーマーのストーリー。とにかく、日本ではありえないシチュエーションについてたっぷり語っていくぞ!

今回の時代設定:
1992年
イベント:
「サンダーフォースIV」が発売! ミラノの専門店に早速注文!
ハプニング:
予定通り郵便局の配達人が来るのだろうか?

 バカンスでアメリカに行っていた母の友達・マリナに、セガのメガドライブのアメリカ版、Genesisを買ってもらい、しかも一緒に人気ゲームソフトの「The Super Shinobi」(ザ・スーパー忍)、「Ghouls'n Ghosts」(大魔界村)、「Altered Beast」(獣王記)が同時に家にやってきた! それまでゲームセンターで目を輝かせながら憧れていたあの名作達が家で遊べる日が来るなんて、本当に夢のようだった。

 ただ1つだけ気になることがあった。アメリカのメガドライブ、Genesisのカートリッジは日本版と形が微妙に違っていた。つまり、スロットを入れる穴の形が違っていたので、日本版のカートリッジをはめ込むことができなかった。

 だから、まるでゲーム機の外科医かのようにタブーなことをやってしまった。日本版のカートリッジの投入を妨げていた、スロットの両端のプラスチックを「はんだごて」で溶かしたのだ。その後、アダプターが発売されたが、僕はそれまで待つのが嫌だったので(そもそも、そのようなアダプターが発売されることをまったく考えていなかった)、衝動に駆られてやってしまった。

 家の近くに住んでいた幼なじみクリスティアーノ(愛称はイスティ)が、ミラノの日本版ゲームソフト専門店から、日本版のメガドライブを注文した日がまだ忘れられない。僕は彼の隣に座っていた。そして、ものすごく羨ましかった。

 僕のGenesisももちろん正当なメガドライブだったが、どこか微妙に違うところがあった。まず、なぜGenesisなの? なぜ、家のゲーム機に日本人が考えたメガドライブのロゴがないの? それが許せなかった。なにより残念に思っていたのは、スロットを溶かした部分に跡が残っていたことだった。傷跡のようだったので、それははっきり言って見苦しかった。

 何故あんなことをやってしまったのだろう? かわいそうじゃないか! 毎日、後悔のような気持ちを味わっていた。でも、それをしなければ、日本版のゲームは遊べなかった。不可欠な犠牲だったのだ。夜うなされても、少しずつ、自分の行為を正当化しようとしていた。

 あの日から、月日が流れていった。僕もイスティも同じゲーム雑誌を読んでいて、すごい新作が発売されるたびに、例のミラノの専門店に電話し、日本版のゲームを送ってもらっていた。高い点数のゲームはいつも同時に注文していた。送料も共有していたので安くかった。そして、常連客になった頃、ミラノの店長は僕達の声を聞くだけで、注文しようとしていたゲームのタイトルを当てていた。

「じゃあ、メガドライブ用の『サンダーフォースIV』を2つ送りますね」

 えっ? 僕達の頭の中を読めるの? いや、そうではなかった。その後知ることになるが、当時イタリアのゲーム雑誌は2冊しか存在しなかったので、9点以上の点数のゲームレビューが掲載されたら、必ずイタリア中のゲーマーが、その翌日、例の店に電話しそのゲームを頼んでいたのだ。

 特にテクノソフトの「サンダーフォース」シリーズはイタリアでは大人気だったので、雑誌で「サンダーフォースIV」の100点満点を見た瞬間、イタリア中のメガドライブオーナーが、一斉に受話器を取っていたのだ。電話が集中しすぎて、長時間電話回線がふさがる事態がよくあった。

 やはり日本のパッケージは、アメリカ版よりもずっとカッコよかった。箱の裏の漢字はまったく理解できなかったが、日本で制作されたゲームは、オリジナル版で遊んだほうがずっと気持ちよかった。

 ゲームの日本語も当時は読めなかったが、「イスティ、漢字が出ているぞ!」、「すごいじゃないか、ジョン!」と、2人で画面の前で盛り上がっていた。日本にはまだ行ったことがなかったが、日本版のゲームで日本にいるかのような気持ちを味わっていたのだ。

 そして、とうとう「サンダーフォースIV」の入った小包が家に届く予定日が来た。イスティと一緒にベランダの椅子に座ったまま、助け舟を待っている漂流者の如く、団地の入り口のほうを凝視していた。配達人が来る時間が16時だったので、その時間帯に特に集中力を上げていた。

「まだかな?」

 イスティが退屈そうにそうつぶやくと、例の入り口に配達人らしき人物が現われた。

「来た!」

 と、2人で叫ぶと同時に100メートル走のチャンピオンと同等の速さで家を出て、ゲーム好きの管理人・ジュリオのいる受付に向かって走った。彼は管理人として郵便物を受け取る任務もあったのだ。管理人カウンターの前に到着した時、ちょうどジュリオが配達人から小包を受け取っているところだった。

「僕宛の小包ですよね?」

 ジュリオは僕達のほうを感情の読み取れない中性的な表情で見て、こう言ったのだ。

「いや、違います」

 ガーン! 僕とイスティがますます落ち込んでいく。ありえない! 僕達の「サンダーフォースIV」を今すぐ下さい! 僕達の拍子抜けした様子を楽しんでから、意地悪なジュリオは唐突に満面の笑顔に切り替わり、こう伝えた。

「冗談! ジョンちゃん宛だよ!」

 やっぱり勘は正しかったのだ。あの小包の中には僕達の「サンダーフォースIV」が入っていたのだ!

「渡そうかな? でも、後で絶対に僕にも見せてね!」

 ウインクしながら、ジュリオは僕達に宝物の入った小包を渡してくれた。“ザ・キング・オブ・シューティングゲーム”、テクノソフトの最新作を今、僕達が持っているよ! 前作より、ずっと楽しくて、速くて、すごい体験になるだろうと期待感を膨らませつつ、全速力で家に向かって走った。

 あの日は夜まで、イヤフォンを着けて「サンダーフォースIV」で遊びまくった。そして翌日、学校でノートが数学のメモではなく、宇宙を飛行する戦闘機でいっぱいになった……。

サンダーフォースIV

プラットフォーム:
メガドライブ
発売元:
テクノソフト
発売時期:
1992年
ジャンル:
シューティングゲーム

 テクノソフトは、このゲームで欧州でも大注目のゲームメーカーとなった。特にイタリアでは、テクノソフトは、“ハイクオリティなシューティングゲーム”の同義語として通じるほど、伝説的な存在になった。

 本作は、当時流行っていた「グラディウス」や「R-TYPE」とはまた違う独特なスタイルを持っていた。仕掛けの多い、バラエティ豊かなステージ。さらにテンポの速い展開。戦略的な要素もあったが、同時にゲーマーの反射神経や操作技術を要求していた。まさに「グラディウス」に「R-TYPE」を足して、2で割ったような絶妙なバランスを持った傑作シューティングゲームだった。

 難易度も完璧だった。パワーアップや強力な武器を失っても、ゲーマーの反射神経やスキル次第では難しいボスを倒すことも可能だった。パワーアップがあるからこそ進められるのではなく、パワーアップはアクセサリー的な存在で、それが無くても、頑張ればゲームがクリアできるようになっていた。

 難易度は非常に高かったし、前作のように仕掛けの出現が唐突ではなかったので、攻略パターンを覚えても楽にクリアできなかった。ゲーマーのスキルだけで差を付けられるような、プロのためのシューティングゲームだった。

 ステージの「パララックスエフェクト」(背景に複数の層があってそれぞれ違う速さでスクロールするエフェクトのこと)がすごかった。スーパーファミコンのシューティングゲームは、もっと鮮やかな色合いを誇っていたが、沢山のスプライトが画面に入っていた場合、処理落ちが目立っていた。

 それとは違いメガドライブのシューティングゲームは、たくさんの敵機が画面に入ってきても、どんなに巨大なボスが現われても、グラフィックスの速度はいつも安定していた。特に「サンダーフォースIV」ではその安定したスムーズさが大好評だった。

 また、テクノソフトのシューティングゲームは音楽も素晴らしいものだった。シューティングゲームのファンでなくても、音楽を聴くために「サンダーフォース」シリーズの作品を買っていた友達も多くいた。タフな音楽とテンポの速いステージ展開が、中毒度の高いゲーム体験を生み出していた。

 その後、テクノソフトが発売したシューティングゲームを次から次へと買っていった。テクノソフトのロゴを見るだけで、迷い無く財布からお金を出していたぐらいファンだった。

 現在は残念ながら、テクノソフトというゲームメーカーはもう活動していないようだ。ホームページは残っているものの、著作権関係の活動だけを続けているようだ。心のどこかでまた、「サンダーフォース」で遊べる日が来ることを願っている……。

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