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【devcom 2018】新生「Wolfenstein」のカットシーンが追求するドイツらしい描写
ストイックなWW2ウォーシミュレーションもドイツ風のこだわりを解説
2018年9月6日 07:00
devcom1日目から、2つのセッションをご紹介していきたい。ひとつ目は、1対1のトークセッションで「Wolfenstein」関連リブート2作品のカットシーンを題材にしたものだ。今やすっかり当たり前になった感のあるパフォーマンスキャプチャだが、本作開発中の2013年当時、ことゲームにおいては、まだまだ先進的なカットシーン制作手法であったように思う。
もうひとつは、WW2を題材にしたシミュレーションゲーム「Military Operations」で、作戦級に相当する作品だ。いわゆるRTSといっても、近年のスポーツ化著しいそれとは異なり、もっとレガシーなシミュレーションゲームの延長線上に位置するタイトルだ。
どちらも必ずしも最新作ではないが、セッションの内容自体は、ご当地ドイツに絡めた内容となっていたので、この機会にご紹介しておきたい。
「Wolfenstein」そのものについて、多くを説明する必要はあるまい。誰もが知るシューター黎明期のタイトル「Wolfenstein 3D」は、2001年に「Return to Castle Wolfenstein」としてリメイクされ、2009年にはその続編「Wolfenstein」がリリースされた。
「Wolfenstein」の世界観を引き継いだリブート作品として、Bethesda Softworksから2014年にリリースされたのが「Wolfenstein: The New Order」で、2015年にはその前日譚「Wolfenstein: The Old Blood」がリリースされた。これらリブート作品を開発しているのが、Bethesda同様ZeniMax Media傘下のMachineGamesで、登壇したクリエイティブディレクターのJens Matthies氏も聴き手役を務めたシニアゲームデザイナーのAndreas Ojerfors氏もMachineGamesに所属している。
ちなみに「Wolfenstein」は“ドイツにあるウルフェンシュタイン城”が舞台とされているが、ドイツにウルフェンシュタイン城は実在しない。実は「Wolfenstein」シリーズ独自の架空の城で、そのモチーフはナチスオカルトの総本山であったWewelsburg(ヴェヴェルスブルク)城のようだ。パーダーボルン リップシュタット空港からほど近く、devcomとGamescomが開催されたケルンとハノーファーの中間くらい位置することから、ケルンからは電車でも1時間30分~2時間くらいで“聖地”に赴くことができそうだ。
加えて1968年の映画「Where Eagles Dare」(邦題「荒鷲の要塞」)もまた、「Wolfenstein」のモチーフのひとつだと言われている。舞台となったSchloss Adler(ワシの城)は、オーストリアのHohenwerfen(ホーヘンヴェルフェン)城で撮影されたことから、こちらもまた“聖地”というべきだろうか。ホーヘンヴェルフェンには、ドイツとオーストリアの国境の街ザルツブルクを起点にすると、電車で1時間ほどで行けそうだ。
講演そのものは、Ojerfors氏がMatthies氏に対して、シネマティクス製作の舞台裏を聞く形で進行していた。前述した通り、本2作のカットシーンは、パフォーマンスキャプチャを最大限活用して製作されている。
パフォーマンスキャプチャ自体は今やそれほど珍しくないのだが、本作のカットシーンの特徴は、他の多くのファーストパーソンビューのゲームと同様、ゲームプレイとの間でカメラを継承するお約束で製作されているという点にある。
例えば冒頭からカットシーンが展開し、ある程度プレイの予備知識となるストーリー展開を見せた後、そのままのカメラ位置から自由なゲームプレイが開始する、といった演出や、反対にゲームプレイ中に一定の条件を満たした際にカットシーン開始位置のカメラと今までプレイしてきたプレーヤーカメラを補完アニメーションさせてからカットシーンにシームレスにつなぐといった演出は、ジャンルや視点にかかわらず、ごく標準的に行なわれている技法だ。
本作のパフォーマンスキャプチャでは、常に“プレイヤー役”の俳優がシーンに混じって演技している。この人物は、ゲームシステム的には、ゲームカメラというかカットシーンカメラと等価であるため、自然に受け取ってしまいがちだが、これは非常にユニークなことだ。
通常のパフォーマンスキャプチャでは、バーチャルカメラ、つまりレンズやフレーム、ズームをエミュレートする上に、マーカーでカメラの位置や回転を検出できるようにして、まるで光学カメラで撮影しているかのような装置を使用する。これはひとえに映像プロダクションのカメラマンに今までの撮影と同一のフィールを与えるためのもので、カメラマン向けのUIまたはUXと言える。
本作ならではのユニークな話題は他にもある。Matthies氏は、Irene Engelのキャラクターにリアリティを持たせるために、真にリアルなドイツ語にこだわった。アメリカには多くのドイツ系移民の子孫がいるため、ドイツ語話者は必ずしも少なくない。ところが、Matthies氏はドイツ系アメリカ人女優は真にリアルなドイツ語話者ではないと考え、パフォーマンスキャプチャ自体はアメリカはLAのスタジオで行なうにもかかわらず、ドイツ人女優を招聘することにしたのだ。
そのためのオーディションはわざわざドイツまで赴いて行なっている。オーディション用のシナリオを単に読み合わせるだけでなく、オーディションの際には、女優に自由なEngelのイメージで演技させて、それを自らのスマートフォンで撮影して、イメージを確認している。
Engelの薄気味悪く妄信的でタチの悪い醜悪なキャラクターは、こうした部分で妥協しないから誕生したとも言える。シナリオに書いただけ、3Dモデルを作っただけではキャラクターは誕生しない。動いてみて初めてゲームキャラクターに生命が吹き込まれる。それを現実の人間が持つ魅力に委ねたのが本作の演出手法を言えるだろう。
最後の大きなトピックは、シーンの登場人物の規模に関する話題だ。多人数でのパフォーマンスキャプチャは本当に複雑で、常に大きな困難が伴ったという。特に大変だったのは、プレーヤー役を含めて総勢9人もが同一シーンに登場するシークエンスで、Engelの長台詞があるなか、9人が演技し続けるということを考えると、確かに一筋縄ではいかない部分があるのだろうなと思う。
かといって1人ずつ個別にキャプチャして、後で全員分のアクションをひとつに統合すれば楽ができるのかというと、そんなことは全くない。9人もいるならなおのこと、コンタクトの有無にかかわらず、一堂に会しての一発撮りがいい。本作では、ベストな選択をしていると考えられる。
という訳で、この話題に関しては、何と比較して大変だった、という話題なのかしっくりこなかった。人数が多くなれば段取りは大変だろうし、セリフやアクションのミスなどでNGの回数は増えるだろうが、相手にしているのはプロの役者で、みなシーンの段取りやセリフが頭に入っているのだから、撮影の時間は長くなるかもしれないが、そこまで難しい話になるとは思えない。
一方で、技術的な制約に起因する問題は、たしかに増える。関節と関節の交錯、人と人との交錯は確実に増えるから、Xcenseのような加速度センサーを使ったものか、PhaseSpaceのようにアクティブLEDを使った方式ですべてにユニークIDを持たせられるものが良さそうだ。写真を見たところごくオーソドックスなパッシブ光学式キャプチャ環境のようで、困難の主な要因はキャプチャスタジオに最新鋭の環境が整っていなかったからかもしれない。
いずれにしても、こうしたパフォーマンスキャプチャで普通のドラマや映画の撮影に近づけて撮影されたカットシーンのクオリティは秀逸だ。キャプチャしたアクションは、もちろん後で人手をかけていくらでも好きなように直せるし、それがメリットでもあるのだが、キャプチャ後の大幅な直しを前提にしてしまうと、キャプチャ現場での役者の演技の質も監督の演出の質も低下する。そのうえ、現場での監督の演出意図や、その俳優ならではの演技を完全には理解できないオペーレーターによる修正では、いくら現場風景を撮影したビデオがあるとしても、パフォーマンスキャプチャで完結させるべく撮影されたもののクオリティを超えることは困難だ。
映画のメイキングを見ているとよくわかるが、ハリウッドを中心としたフィルムプロダクションでは、俳優の演技に対して本当に心から敬意を払う。おおよそあらゆる演技の事後改変は、実際の人間では実現不可能な超人的な動きを実現するためにだけなされるもので、現実の俳優によってなすことができるものまで、ポストプロダクションに委ねるものではない。
この意味において、本作の一連のパフォーマンスキャプチャはフィルムプロダクションの流儀にならっており、実に合理的だ。インゲームのアクションの場合、ひとつのアクションはもっと細切れで、アクションをゲームソフト側でブレンドしてつないでいくため、まったく勘所は異なるが、少なくとも長尺のカットシーンに関して言えば、ほぼフィルムプロダクションの流儀でいいはずだ。
こうして製作された映画並みのカットシーンが効果的に雰囲気を盛り上げてくれることもあって、一連の「Wolfenstein」リブート作品が、モダンで大作感のあるゲームに生まれ変わったということができるだろう。競合するシューターのシリーズ作はいくつもあり、時代の変遷により、すこしでも気を抜けば忘れられ、時代に取り残される厳しいジャンルだ。
かつて一世を風靡した「Wolfenstein」IPに、John Carmackの最後の“遺産”id Tech 5エンジンという布陣でも、それだけではウリにならない時代だ。時代的に荒削りだったものの、オリジナルの持つ尖った残酷描写やオカルトミリタリーのエッセンスをシードに、他社によるリメイクをしっかりと踏まえ、その上で今では当たり前になっている濃密なストーリーラインと過激なシーン描写をしっかり取り込んでリブートに成功した好事例と言えるだろう。
さて、もうひとつ紹介したいセッションは、Military Operations BVが開発している、その名も直球すぎるシミュレーションゲーム「Military Operations」だ。このゲーム、何がすごいのかというと、大してすごく見えないのに、正確な兵器データに正確な地形データを活用して、内部で一生懸命大量のデータを真面目に計算しているところにあるのではないだろうか。
登壇したGeorge van Venrooij氏は、本作の開発要件として、5万の兵員、1千の戦車、1千の銃器、1万の車両、1万の軍馬、1万の命令、6万の報告、大量の弾丸、薬莢、爆弾、大量の爆発といった要素を、ロースペックのマシンでも、30FPSのフレームレートで30回のシミュレーションを行なうこと、つまり1フレームあたり1回のシミュレーションを実現することを設定している。
このシミュレーション結果に基づいて描画するAPIには、OpenCLを選択しているという。マルチプラットフォームを考慮すると機種依存性がないAPIの選択は妥当なところだろう。反面、速度を犠牲にすることになるが、OpenCLをハードウェアアクセラレーションするGPUなら、さほど問題ないように思える。
Venrooij氏は、ここでNVIDIAのCUDA最適化を代案として挙げて、速度が、速度が、とさかんに繰り言を言っていた。そこまで速度に敏感なら素直にCUDA向けにコードを書けばいいと思うのだが、そこはOpenCLに対する愛というか、惚れ込みというか、どうにもこだわりのようなものを感じる。仮に定量的な結果が出たとしても、こういった部分のプログラマのポリシーは揺るぎないものがあるから、好きにやるしかない。
「Military Operations」のデモを見るに、画面内に展開する、兵站を築き、車両を伏せる様にはリアリティを感じる。特に広大なヨーロッパの平原を一望するランドスケープは、なかなかに壮観だ。実際には見たことのない勇壮なシーンに歴史ロマンを感じる。
しかしながら、結果としての出力を見るに、率直に言って現在のビジュアルクオリティはかなり残念な印象を受ける。すでにベンチマークとしてSteamで公開しているバージョンがあり、そのベンチマークを公開するのはプロモーション目的だろうから、決してプロトタイプだから妥協しているというわけではなさそうだ。普通に考えると、あまり良好ではない結果を公表するのは得策ではないことから、Venrooij氏の第1優先はビジュアルクオリティにはないことがわかる。
ただし、必要以上にクオリティが低く見えるのは、兵器やランドスケープを構成するグラフィックスデータの品質に依存する部分が大きい。また計算コストを気にしてレンダリングに対しても光源や陰影に複雑さを与える各種テクニックを使用していないように見える。このあたりを担う開発者がプロジェクトに合流すれば一気に化ける可能性もある。
Venrooij氏のゴールは、視覚的な美しさで圧倒するところにはなく、またゲーム的な盛り上がりを優先してAIロジックに適度に嘘をつくようなこともせず、ただただ実直に、努めて正確なデータと妥当な行動ロジックに基づいて、適切なシミュレーション結果を導く、というところにあるのだろう。
こういった無骨なゲームには、数こそ多くはないものの、熱狂的に愛してくれるゲーマーが必ず付くことから、Venrooij氏たちMilitary Operations BVには、支持コミュニティと共に、是非このまま己が信じる道を突き進んで欲しいと願う。
取材をしていて、これらのミリタリー色の強いゲームにおいて、ひとつ奇妙な違和感を感じたのは、先の戦争に対するタブー意識が、あまり感じられないことだ。違和感の答えは簡単で、MachineGamesはスウェーデンのゲーム会社であって、欧州の企業ではあるがドイツ企業ではないからだ。一方のMilitary Operations BVも、やはり同じくドイツ企業ではなく隣国オランダのゲーム会社だ。
過去作品と同様、一連のBethesda版「Wolfenstein」リブートでも、ドイツ刑法に觝触する恐れがあり、ドイツ、オーストリア版では、改変を余儀なくされたという話があった。表現の自由をもってドイツの“戦う民主主義”と戦うのはいささか得策ではないように思えるが、アメリカのパブリッシャーに、スウェーデンのスタジオと、ドイツを糾弾する側の立場に属する企業だからこそ、躊躇なく挑戦が行なえるのだろう。
とは言え、下手に手を出しすと、意図せずナチス肯定と捉えられ処罰の対象になりかねない。非常に気を使うテーマだと思うが、それでも明確に、そして徹底的にナチス=悪が描かれる描写であれば、それに付随する意匠については当然に許容されるべきだとBethesda側は考えているようだ。
このあたりの認識については、Military Operations BVが、ドイツをEU最大のマーケットと捉えているからか、それとも隣国オランダの会社で肌感があるからか、若干温度感が違うように感じた。
もっとも、時代の変遷に伴って、10年ほど前から、鉤十字の使用意図によっては刑法に抵触しないと判示されたケースがあるほか、本年8月9日にはドイツのゲームレーティングを決定する組織USKが、一定の芸術性の認められるものには、映画と同様に表現の自由に配慮して、ナチスを想起しうる表現でも許容する可能性を示している。
このあたりは、今でも形式的にタブー描写を封印する向きのある日本とはずいぶんと事情が異なるようだ。文化、法律、歴史的背景、政府や社会の戦争認識といった事情を度外視して、戦後に置かれた立場の類似性からドイツに対して漠然と同一視しがちだが、ミリタリーゲームに限っても、日本とは市場を取り巻く環境や国民意識が大きく異なっており、非常に興味深い。