ニュース

IEM Katowice「StarCraft 2」World Championship開催

祝「StarCraft」20周年! eスポーツとしてのRTSの魅力に改めて気づかされる

3月2~4日開催

会場:Spodek Arena

 IEM Katowice 2018最終日の3月4日、正式種目のひとつである「StarCraft II(SC2)」のグランドファイナルが開催された。

今年、RTSの金字塔「StarCraft」が20周年を迎える
「SC2」のセミファイナルとグランドファイナルは「CSGO」と同じSpodek Arenaで開催された
選手の後方は、使用勢力のイメージが表示されカッコイイ
試合に臨むROGUE選手。個人戦は孤独だ

 「SC2」は、日本では大会はおろか、日本語版すら発売されていないため、最新のRTSはどんなものだろうかと軽い気持ちで観戦し始めたところ、その魅力に引き込まれて最初から最後まで夢中になって観戦してしまった。改めてRTS(リアルタイムストラテジー)のゲームジャンルとしての魅力の高さ、eスポーツとしての潜在能力の高さに気づかされ、さらに今年は初代「StarCraft」誕生から20年ということで、筆者の古い記憶も呼び覚ましてくれたので、現地で感じた印象をレポートとしてまとめておきたい。

 「SC2」World Championshipでは、24名による予選リーグが実施され、ベスト16まで勝ち上がった16名中15名までが韓国勢という、初代「Starcraft」から続く、韓国の国技的なタイトルとなっている。本大会では、その唯一の“海外勢”となったSerral選手(フィンランド)が準決勝まで勝ち進む大健闘を見せたものの、決勝はROGUE選手とCLASSIC選手という韓国勢の対決となった。中でもROGUE選手は、7月のIEM Shanghaiで初優勝して国際大会デビューを果たし、11月のBlizzConで開催された「2017 WCS Global Finals」でも、韓国内のランキングでは8位止まりだったにも関わらず、本戦では韓国のライバル達を次々に撃破して優勝し、一躍韓国のトッププレーヤーの仲間入りを果たしたシンデレラボーイだ。

 11月のBlizzConでは、「オーバーウォッチ」と「ハースストーン」をメインに観戦したため、「SC2」はほとんど観戦できず、優勝者の名前だけを記憶した程度だった。今回、新進気鋭のニュースターがセミファイナルを戦うということで観戦してみたところ、その妙技に一気に引き込まれてしまったのだ。

 ROGUE選手は、「SC」を象徴する勢力であるザーグを用いて、MARU選手とのセミファイナルを0:2の状況から3連勝してグランドファイナルにコマを進め、決勝はプロトスを使うCLASSIC選手に対して圧巻の4連勝で初優勝を決めた。

 筆者の「SC2」の知識は、いわゆる「SC2」本編に相当する「StarCraft II: Wings of Liberty」止まりで、その後にリリースされた「Heart of the Swarm」や「Legacy of the Void」といった拡張パックは未プレイのため、見知らぬユニットがいくつもいたり、プロトスがワープを多用するようになっていたり、ザーグのいくつかのユニットの立ち回りが変化していたりしていたが、基本的なゲーム性は初代から変化しておらず、ザーグお馴染みのザーグリングラッシュも見ることができて楽しみながら観戦することができた。

 序盤の偵察による小競り合い、小部隊を編制しての奇襲、と見せかけて実は陽動で、別の所で本隊が攻撃を繰り出したり、それで決着が着かない場合は、総力を結集した決戦が行なわれる。最初から最後まで常に至るところで戦いが起こっており、見るものを飽きさせない。それをすべて1人で操作しているのだから驚くばかりで、無防備な状態で本拠地を奇襲されるとわずか10分程度で投了することもあれば、総勢200を超える大軍が何度もぶつかり合う大決戦が何度も繰り返されることもあり、観戦していて非常におもしろかった。

【セミファイナルROGUE VS MARU】
0:2という絶望的な状況から逆転勝ちを収めたROGUE選手。常にクールなROGUE選手だが、このときばかりは感情を爆発させた

 eスポーツとしてのRTSの魅力は、とても1人で操作しているとは思えない芸術的なユニットコントロールだ。最大200体のユニットを1人で操作し、リソースを集め、建物やユニットをアップグレードしながら部隊を編成し、そして軍団を率いて敵部隊を撃破する。これをすべて1人で、1つのモニターでやらなければならない。RTS経験者ならこれがどれだけ忙しいことかわかるはずだ。

 これを涼しい顔をして事もなげにやってのける韓国のプロ選手は非常にカッコイイ。ときおり映る、選手のプレイ中の画面は、コンマ数秒単位で次々に画面が入れ替わり、超高速でユニットを操作していることがわかる。マウス操作も非常に高速で、まさに目が回るような忙しさだ。

 当然のことながら観戦システムも初代「StarCraft」の時代から見違えるように進化しており、ユニット数やリソース量といった基本情報がわかるのは当然として、ユニットの生産状況や、アップグレード状況、激突時のユニット消耗状況までわかるようになっている。定期的に各選手の視点に切り替えて、視界ギリギリの攻防をレポートしたり、決戦直後の選手の表情を2つのカメラで同時に映したりと、知らない間に凄まじい進化を遂げている。

【グランドファイナル ROGUE VS CLASSIC】
オープニングセレモニー
ROGUE選手はザーグ、CLASSIC選手はプロトスを使う
プロトスの拠点に攻め込むザーグリングの群れ。このおぞましさを思い出してしまった
プロトスの大空中艦隊
プロトスはワープを駆使して部隊を瞬間移動させる
3戦目は200以上のユニットがぶつかりあう大決戦が発生
最終戦は序盤のラッシュであっさり勝負が決まった
ワンサイドゲームでROGUE選手が優勝した
優勝セレモニー

RTSの代名詞的存在である「StarCraft: Brood War」
韓国では大ブームとなった。これは2008年、釜山で行なわれた大会の模様
日本で人気を集めた「Age of Empires」
RTSのリバイバルがちょっとしたブームになっている。これは2月にリリースされた「Age of Empires: Definitive Edition」
2001年から2003年のWCGに出場したHalen選手。日本人がRTSの頂点を極めた時代があったのである
2017年のGamescomで正式発表されたシリーズ最新作の「Age of Empires IV」。個人的には、eスポーツを意識したマルチプレイモードを搭載してくれることを期待している

 以下余談となるが、「SC」シリーズは、日本とは不幸の出会いの連続で、ほとんど縁がない。1998年に登場した初代「StarCraft」は、日本でも、日本語マニュアル付き英語版、完全日本語版が相次いで発売されたが、誤字脱字誤訳のオンパレードで、のみならず日本語版にはアップデートパッチを当てられず、英語版と対戦もできないという、わけのわからない仕様で販売され、日本ではまったくヒットしなかった。「SC」が世界中で大ヒットし、とりわけ韓国で空前のブームを巻き起こしている中で、日本でヒットしたのが「Age of Empires」(Microsoft)で、「AoE」によって日本にもかろうじてRTSブームが到来した。

 その後、新たな日本の代理店としてカプコンが名乗りをあげ、ようやくまともなローカライズ版が日本で提供できる環境が整ったものの、虎の子の「Diablo II」や「Warcraft III」もBlizzardが想定するようなヒットに導くことができず、共同開発プロジェクトとして大々的に発表された「Starcraft: Ghost」も開発中止となり、その後日本とBlizzardとの間に長い断絶が起こる。この間にリリースされたのが「World of Warcraft」、「Diablo III」、そして「SC2」で、いずれも日本語版は発売されなかった。PS3版「Diablo III」以降、ようやく日本語版がリリースされるようになり、「ハースストーン」からはBlizzardによる自社パブリッシングも行なわれるようになったが、「SC」シリーズだけは日本は縁がないままだった。

 昨年リリースされた「StarCraft Remastered」がようやく日本語化されたが、「StarCraft II」は現在も日本語化されないままである。もし、不幸な過去がなく、日本にもキチンとした形で「StarCraft」シリーズがリリースされ、日本のRTSブームの一角を担っていたとしたら、日本におけるRTSはどうなっていたのか、当時FPSを上回る勢いで存在していたRTSプレーヤーにももう違った未来があったのではないか、目の前でスポットライトを浴びている選手はひょっとしたら日本人だったのではないか。試合を見ながらそんなことを考えていた。

 筆者は、1998年から2000年代前半にかけて、プレーヤーとして「Age of Empires」や「StarCraft」を大いに遊んだ世代だが、オンラインマルチプレイが普及し、戦術が開拓されてくると、そのスピード感について行けなくなったことをよく覚えている。当時は、オートマッチングなどという便利なシステムはなく、フレンドとIRC等で繋がってIPを直接指定したり、シリアルケーブルでPC同士を接続してマルチプレイを楽しんでいた。当然“eスポーツ”という言葉もまだなく、勝ち負けより楽しむことが目的で、「速攻は禁止」とか、「最初の15分は攻め込むの禁止」とか、「僧侶で転向するの禁止」、「ザーグリングラッシュは禁止」とか、そういう悠長な時代だった。

 日本で流れが変わったのは、ドワンゴがオンラインゲーム接続サービスをはじめ、その便利さに気づき始めた頃だ。不特定多数の相手と気軽にチーム対戦が可能となり、一気に競技性が出てきた。その流れの中で、対戦型FPSの代表格である「Quake」や「Unreal」のように、競技としてRTSに取り組むプレイスタイルが一般的となり、日本でも大小様々な「AoE」大会が開催された。そして2002年には「Age of Empires II」の世界大会で日本人のHalen選手が優勝するというエポックメイキングな出来事が起こった。この2002年が、日本のRTSシーンにおけるハイライトであり、後は坂を転げ落ちるようにブームは去った。この一連の流れは、見る人、見る時期によって多少の違いがあると思うが、「AoE」でRTSブームが起こり、「SC」はまったく盛り上がらず、その後急速にRTSブームは去った。この3点は揺るぎのない事実だ。

 なぜ日本でRTSブームが去ったのかというと様々な要因が考えられるが、大別して2つ挙げられると思う。1つは「Age of Empires II」以降、eスポーツを意識したRTSタイトルが生まれなかったこと。もう1つは日本のRTSブームを支えた「Age of Empires」シリーズの開発元であるMicrosoftがeスポーツにまったくといっていいほど関心を示さなかったことだ。これは今も同じで、Blizzardと比較して、Microsoftがeスポーツに極端に消極的な姿勢は変わっていない。「もし日本で『SC』がヒットしていたら……」というIFは、RTSファンなら誰しも考えることではないだろうか。

 昨今、モバイルプラットフォームも巻き込んで盛り上がっているMOBAもRTSに含めるなら、「Dota」や「League of Legends」の登場によって日本のRTSもやや復興したと言えるかもしれないが、純粋なRTSブームは、1999年の「Age of Empires II」か、せいぜい2002年の「Warcraft III」までで終わっている。

 どうも余談の方が長くなってしまったが、このレポートを通じて筆者が何が言いたいかというと、eスポーツの1セグメントとしてRTSは魅力的な存在であり、観戦向けコンテンツとしても非常に優れており、日本のプレーヤーも参加する形で、RTSの新競技がeスポーツの分野に生まれれば、日本でも盛り上がるのではないだろうかということだ。

 惜しむらくは、今のところ、日本でそのターゲットとなるタイトルが存在しないことだが、昨年のGamescomでは、「AoE」シリーズ最新作として「Age of Empires IV」が正式発表され、Blizzardも「SC2」に続く、新たなRTSタイトルをそろそろ発表してもおかしくない。eスポーツとしてのRTSの未来がどうなるのか、往年のRTSファンの1人として長い目で見守っていきたい。