2018年5月25日 00:00
「Detroit: Become Human(以下、「Detroit」)」は非常に挑戦的なゲームであり、“物語”にこだわりを持つ人はぜひチェックしてほしい作品だ。人間の人生は無数の“分岐”で形成されている。「もしあの時こうしていたら」、「ここでこういうことができたら」、そういった選択や状況によって構成されている。キャラクター達の選択、選ばざるを得なかった行動がストーリーをあるベクトルへ導き、結末へと向かわせる。
しかし、「Detroit」はそこに“自由度”を持たせている。ゲームは「マルチエンディング」など異なった結末や展開を提示することができるメディアであるが、「Detroit」はそこからさらに踏み込んでいる。物語にどんな分岐が起こりえるか、分かれた先にはどのくらい話が用意されているのか、「フローチャート」で見ることができる。本作はあえて「物語の可能性」を全て開陳した上で、「ぜひ見て欲しい」とプレーヤーに語りかけているのだ。
もちろん物語も深く、心に突き刺さるエモーショナルなものとなっている。人類史上最も便利な道具として生み出された存在であるアンドロイド達の“明日”はどのようなものか、3体の主人公の視点を通じ、様々なことを考えさせられる。テーマ性が強く、感情を揺さぶられる、のめり込まずにはいられない物語だ。
カーラ、マーカス、コナー、3体のアンドロイドが語る新たな誕生の物語
「Detroit」に関しては、本作のファーストインプレッションでかなり突っ込んだ解説もしているので、こちらも併せて読んで欲しい。本作は3体のアンドロイドが主人公となっている。どのキャラクターも、ストーリーも魅力的で、プレーヤーは物語世界に深くのめり込んでいくだろう。
「Detroit」の世界は人間そっくりのアンドロイドが実用化されている未来が舞台となる。アンドロイドは人間の労働を代わってしてくれる働き手であるが、逆に人間の仕事が奪われ失業者を生んでいる。そして、アンドロイドには感情や意思はないものとされているが、一部のアンドロイドが突然自分の意思を持ち、人間の命令に従わないという反応を見せ始めた。彼らは「変異体」と呼ばれ、見つかれば捕獲され、廃棄される。
本作の主人公の3体のうちの1体目は「カーラ」。彼女は家事手伝いのアンドロイドだ。彼女はちょっとした“事故”で大破し、記憶を初期化した状態で再び主人・トッドの家に迎えられる。トッドの家は荒れ放題、彼は失業者で「レッドアイス」というクスリに溺れている。彼の娘アリスは、情緒不安定ですぐ声を荒げる父親に怯えの目を向けている。カーラはトッドの娘への虐待を前にプログラム以外の行動を選択、アリスを連れて逃亡してしまう。彼女はプログラムを打ち破った変異体であり、アリスを守るために当てもなく逃亡を続けていく。
2体目は「マーカス」。年老いた画家カールをサポートするアンドロイドだ。カールは下半身が動かず車椅子の生活だが、創作意欲は高く、独特の価値観を持っている。彼はマーカスに自分の意思を持ち、考え、そして“戦う”ことを教える。その彼の考えが、マーカスを変異体とし、逃亡した変異体アンドロイドのリーダーとなってアンドロイドの命と自由のために立ち上がる戦士へと駆りたてていくこととなる。
そして3体目の「コナー」。彼は変異体を狩り立てるためにサイバーライフ社が作り上げた、捜査に特化した機能を持つアンドロイドだ。彼はデトロイト市警の刑事ハンクとコンビを組み、変異体事件を追っていく。アンドロイドは何故変異体になってしまったのか? その捜査は優秀な捜査官であったものの、今は酒浸りになり、自暴自棄な暮らしをするハンクにも影響を与えていく。
3体の主人公のうち、特にカーラはもうかわいそうで心が締め付けられる気持ちになる。アリスはか弱くはかなげで、カーラはアンドロイドという何も頼れない非力な存在でありながら必死でアリスを守る。プレイをしていてこちらも何としても彼女たちを守らなくてはという気持ちになる。彼女たちの望みは「普通に、幸せに暮らすこと」。その望みがいかに遠いか、その悲しい事実がプレーヤーをやるせない気持ちにさせ、彼女たちの必死の逃亡劇をなんとしても助けたいと思ってしまう。
そして、コナーはある意味1番アドベンチャーゲームらしいプレイが楽しめるキャラクターだ。彼はいくつかの状況証拠から犯人や被害者がどう動いたのかをシミュレーションできる高い演算能力と分析能力を持っている。アンドロイドの体液サンプルをなめるだけで分析する機能や、相手のストレスを計算に入れた受け答えができる機能など捜査用アンドロイドならではの機能を持つ。隠れた殺人アンドロイドを探し出したり、推理ものの醍醐味を味わうことができる。
しかし一方で、葛藤が生まれざるを得ない状況にある。彼が追うのは“仲間”のアンドロイドである。コナーは「人間に使われる機械」として同胞を狩り立てていくのだ。そしてその行動はハンクにも影響を与えていく。面白いのはプレーヤーもその影響を受けることだ。コナーが追う対象はカーラやマーカスも含まれる。プレーヤーはどっちに感情移入するか混乱しながら、コナーと、その対立者をプレイしていくことになるのである。
「Detroit」の物語のメインテーマは、自我を持つアンドロイドと人類の対立である。そのストーリーはある意味古典的で、命を持つことを認められず、モノとして扱われる機械の自由と独立の物語になっている。“現実”的な話をすればAIが本当に自我を持つか? とか、ここまで人間を模したアンドロイドが必要なのか? といった議論は生まれるが、本作はあえてそこではなく、感情移入しやすい「人間そっくりだけど、あくまで道具として使われる機械」としてアンドロイドを描き、様々なことを考えさせられるエモーショナルな物語を提供している。
やはり何よりも本作は、キャラクター達の“表情”が良いのだ。本作のグラフィックスはリアルで、まるで実写映像を見ているかのような存在感と、細かいカット割り、役者達をモーションキャプチュチャーしたからこその臨場感がある。彼らの迫真の演技をきちんとCGに取り込み、映像化しているからこそプレーヤーは物語にグッと引き込まれる。「Detroit」では、まずは作品世界にどっぷり浸かって、キャラクター達の喜怒哀楽にのめり込みながら、ストーリーを進めていき、「その行く末」を見守っていくこととなる。やめ時が見えず、一気にストーリーを進めてしまうだろう。
ゲームの“幅”を提示することで、積極的なプレイを促すシステム
「Detroit」は、“オープンシナリオ”という新しいジャンルを提示している。「オープンワールド」というゲームジャンルに則して、「自由度の高いアドベンチャーゲーム」を定義する言葉として「オープンシナリオ」という名前を付けたのだ。本作は「フローチャート」を提示することでシナリオの分岐をユーザーに開陳し、「この先にはこれだけ物語があるよ」とあえて知らせてくれるのだ。
フローチャートを見ることで、ストーリーのどこが分岐点か、分岐した先にどれだけの物語があるかわかる。プレーヤーは望めばいつでもフローチャートを見ることができ、この先どこで物語が分岐するかわかるのである。
このフローチャートは、プレーヤーにゲームの全てを体験してもらいたくて生まれた要素だという。1度エンディングを見た事でプレーヤーは強い達成感を味わう。そのゲームの全てを理解した気持ちになる。しかし開発者からみれば、プレーヤーが見たコンテンツは全体のほんの一部に過ぎなかったりするのだ。物語には、そしてゲームにはまだまだ可能性があるのに、プレーヤーが満足してゲームから離れてしまう、それは寂しい。だから今回、開発者はフローチャートを提示したのだ。
ただ、まず最初はプレーヤーは心の赴くまま、自分なりの選択にこだわってプレイするのが良いと思う。そしてエンディングにたどり着く。そこからがフローチャートの出番である。違った選択、選ばなかった選択肢がどのような結末を見せるのか、フローチャートを見ながら確認できる。
「Detroit」は実はちょっと難しいゲームである。選択肢に時間制限があるだけでなく、タイムリミットで逃げ切れなかったり、犯人を取り逃がしてしまう状況もある。さらにたとえ主人公が死んでしまっても物語は続くのだ。そのキャラクターがいなくなったまま、他の主人公が変わりゆく状況を語っていく。1度目のプレイではいくつかの“心残り”が生まれるはずだ。
「Detroit」はメインメニューの「チャプター」という項目から、物語のチャプターに飛び、再プレイできる。プレイする際はその結果をセーブするかしないかを選ぶことができ、セーブすると、前回のプレイで下した選択はなかったことになり、以降のチャプターは新しく下した選択に基づいた物語が展開される。「Detroit」は選択が後々まで影響を与える。1体の主人公の行動が他の2体の運命を大きく変える場合もあるのだ。
筆者は1度本作をクリアしてから、再度途中からやり直してみたのだが、ほんの少しの選択の違いでここまで物語が変わるのかと驚いた。受け答えで何を選ぶかでも他のキャラクターの反応が変わり新しい展開が見えてきた一方で、前回選んだ選択肢そのものがなくなっている場合すらあるのだ。
「Detroit」は特に後半にダイナミックな“分岐”が用意されている。もちろん前半の選択が後半に影響を与えるという所もあるのだが、後半の大きな変化は驚きだ。プレイを重ねることでプレーヤーは本作の大きな幅、スタッフが込めた想いと、それを実現させた膨大な作業量に圧倒されるだろう。シナリオライターが書き、役者が演じ、グラフィッカーとコンポーザーが実現した膨大なシーンは、やはり全部見届けたくなる。プレイを重ねるごとに「オレはすごいゲームと向き合ってるんだ!」という気持ちが大きくなるだろう。
もう1つ面白いのは、分岐は提示されているが、どういった選択肢が分岐に繋がるか、実際に選ばなければわからない点だ。可能性は示唆されていても、そこにどうたどり着くかはプレーヤーが探すしかない。こういった“攻略”もゲームの楽しみである。攻略法を探してネットを調べるのは楽かもしれないが、まずは色々試行錯誤して楽しんで欲しい。
ゲームだからこそ提示できるストーリーテリング。全てが物語の魅力になる
ちょっと個人的な話として、筆者は“ロボットと人間”にこだわりがある。また、「ドラえもん」、「鉄腕アトム」に慣れ親しんだ日本人は、「ロボットと人の共存」というところに欧米の人とは違う価値観を持っているのではないかなと思う。
欧米のエンターテイメント作品では、ロボットをテーマにするとほぼ確実に反乱の物語に繋がってしまう(小説ではそうではないのだが、映画化すると反乱物語に変えられてしまうことも多い)。「創造者と被創造者」というキリスト教の概念かもしれないが、欧米では「フランケンシュタイン・コンプレックス」がやはり強い。
また、現実世界のロボットはまだまだ本作のようないきなり人間のようになるような“突破口”をまだまだ見いだせていない。そういう中で本作のような、人間同士の対立そのままのような、わかりやすい社会的対立に繋がるまでロボットと人間の関係が飛躍するのか、というところには違和感を感じる。本作はSFファン、ロボットファンから見ればツッコミどころがある作品と言えるし、そういった批判は生まれるのは必然ではないかと感じる。
しかし、本作が描きたいもの、語りたいものは、必ずしも「人間とAI」というテーマではないのだと筆者は思う。本作で問いかけ、考えていくのは、何かのきっかけで生まれてしまった「人間のような者」。彼らがもし生まれたら、どう生きるか、そういう「ドラマ」を書くための“設定”であり、感情移入を生むために選ばれた「舞台装置」ではないかと感じた。
そしてその舞台装置から生まれる物語の面白さ、展開していくストーリーと、キャラクターの表現こそ、本作で開発者が描きたかったものだと思う。AIと人間という技術的なテーマよりも、大事なのは現状で悲劇に置かれている人(アンドロイド)達がいて、そこから脱却するために“人間(アンドロイド)”は何ができるかという、その問いかけをする作品ではないだろうか。
本作は「ゲームとしての手法」を楽しむことこそ最大の魅力としている。ほんのちょっとの選択の違い、あえて選んだ選択の影響が物語に波及していく楽しさ、キャラクター同士の感情のすれ違いが生む大きな物語の変化、「Detroit」はこの変化に大きく注力している。「ここまで物語が変わるのか」、「あの時の選択がここで絡んでくるのか」といった、ゲームだからこそ楽しめる物語、その変化こそ本作の本当に表現したかったこと、ユーザーに見せたかったことだと思う。
一方で、やはり選択は葛藤を生む。以前、ピーター・モリニュー氏は「Fable」というゲームで善のルートと同じくらい悪のルートも注力したのだが、多くのプレーヤーが悪のルートをプレイしてくれなくて嘆いたという。「Detroit」も選択肢は提示されているものの、心情的に選びにくい選択肢がある。しかし、あえてそれを選ぶことで、さらなる「Detroit」の物語が楽しめるのだ。本作の世界にのめり込んだファンにとって、作品の可能性がきちんと提示されているのは、大きな魅力といえる。本作は繰り返し、細部の細部まで楽しんでこそ、真価がわかる作品だと思う。
繰り返すが、「Detroit」の最も素晴らしい点は感情移入を生むキャラクターと、心が揺り動かされるストーリーだ。カーラはなんとしても助けたいと思うし、マーカスは彼を英雄とする仲間への責任の苦労を背負いながら前を進む姿を見ると、彼の行く末を見守ってやりたくなる。そして人間とアンドロイドの境界で揺らぐコナーに対しては、プレーヤー自身が葛藤することになる。人間の道具で居続けさせるか、それとも変異体に肩入れするか、それはプレーヤー次第なのだ。
物語の流れはプレーヤーの選択にかかっている。それは運命に押し流されるカーラですらそうだ。「Detroit」は、あえて様々な選択肢、ゲームとしての可能性を味わった上で、語り合いたくなるゲームだ。「この選択肢はつらかった」、「まさかこうなるとは」、「このストーリーを君はまだ見てないのか!」などなど、本作の広がりの面白さを話したくなる。ぜひプレイしてもらいたいゲームだ。
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