「Getting Over It」レビュー

Getting Over It

人はなぜ絶望的な冒険に挑むのか?
「栄光の神々の座」を目指し、崖にハンマーをたたき込み続けろ!

ジャンル:
  • アクション
発売元:
  • Bennett Foddy
開発元:
  • Bennett Foddy
プラットフォーム:
  • Windows PC
  • iPhone/iPod touch
価格:
820円(税込/PC版)
 
600円(税込/iOS版)
 
発売日:
2017年12月6日

 「Getting Over It」というタイトルをもうご存じの方も多いと思う。正式タイトルは知らなくても、ユーチューバーを中心にコアなゲーマーが「何じゃこりゃあああ!」と叫びながら“憎悪”とも言える感情をぶつけつつプレイしている「壺男ゲーム」といえばわかる人が多いのではないだろうか。それが、Bennett Foddy氏がリリースした「Getting Over It」である。Windows/Mac用のほか、iOS用もリリースされている。

 正直に言えば、筆者はこういうゲームが苦手だ。実際、筆者は本作をプレイして5分、前に進んでは目の前の木の障害物すら乗り越えられず、さらには前ではなく、なぜか後ろにばかり進んでしまい、スタート地点より更に手前に設置された巨大な貯水池に水没して2回死亡した。その後、数日に渡ってプレイした今の時点でも、崖の最下層部におり、一番進めたところも序盤と言っていいところまでしか進めていない。何度も何度も崖の最下層部に戻され、一向に先に進める気配が感じられない。

 しかし、それでも本作は面白いのだ。独特の味、絶妙に仕掛けられた意地悪さ、前に進んだときの達成感、そしてプレイをすることで浮かんでくる様々な思いや、自分の想いも寄らなかったつぶやきや、あまりの絶望に笑ってしまうなど、プレイ風景そのものが面白い。ゲームとは何だろうと、改めて考えさせられてしまう。

 今回はこの「Getting Over It」の世界に自分も飛び込んでみて、その中に何があるのかを探ってみたい。

【「Getting Over It」公式トレーラー】

シンプルな操作でやりすぎな難易度、イライラ促進要素も盛りだくさん

 筆者は実は、あまり難解なゲームを無理に進めたという経験がほとんどない。もちろん、筆者はファミコンの時代以前からゲームを遊んできており、エンディングにたどりつけずに封印したゲームも多い。しかし、それらをムキになって挑戦し続けたという経験がないのだ。なぜならば筆者には年の近い弟がいたため、誕生日やクリスマスなどのイベント時には常に2本のゲームがプレゼントされていたからだ。

 このため、1本目がダメでも、そちらは早々に諦めてもう1本に集中するという「安全策」が取れた。難しいことで有名なファミコン版「超時空要塞マクロス」や「アトランチスの謎」は避けて、パスワードでコンティニューできる「ボンバーマン」や、パターンさえ掴めば進めやすく、ステージも短めの「六三四の剣」をやるような、そういうゲーム人生を歩んできたのである。

 そんな筆者にとって、本作はかなりの“地獄”だった。何がどう地獄であるか? まずは本作の概要を説明していきたい。

 特に理由も語られずに唐突に壺の中から姿を現す、ハンマーを持った筋骨隆々の男(以下、壺男)が本作の主人公だ。下半身は一切壺から出る事はなく、移動したり衝撃が加わるたびに壺の中から謎の液体がこぼれる。このなんともシュールな壺男を操作して、崖をひたすら登っていき、頂上を目指すのが本作の目的であり、全てとなる。

 本作の操作は非常にシンプルだ。使うのはマウス1つのみだし、操作もマウスを使ってハンマーを勢いよく突き出す反動で飛び上がったりして移動する。高い場所などへは、ハンマーの先を足場になりそうな場所に引っかけて、ザイルのようにして掴むことで、その場所にとどまれるので、そこから再びハンマーを回転させてその反動でジャンプしていくなど、ハンマー1つで多彩なアクションが行なえる。

「Getting Over It」は下半身がずっぽりと壺にはまった、ハンマーを持った半裸の男を操作して崖をひたすら登っていくゲーム。操作性にかなり癖があり、筆者は最初の5分間、この最初の障害物の木すら越えられず悪戦苦闘した
本作ではどんなに高いところから落下しても壺男は死ぬことはないが、水没するとスタート地点からやり直しとなる。スタート地点にしか水没ポイントはないため、このように水没するビジュアルは本作をプレイしていてもめったに見ないシーンだろう

 文章で書くと簡単そうだが、このシンプルな操作が逆にツラい。上記のようなイメージを頭に描いてハンマーを回転させても、こちらのイメージ通りにハンマーは動かず、こちらの想定外の動作を行なう。むしろ壺男の野郎にはこちらの操作を邪魔するような意思があるんじゃないのか? と思うようなありえない動きを繰り返すため、操作に一向に慣れない。

 例えば、こちらは真下の地面を突き出す操作をして、真上にジャンプしようとしているつもりが、いつの間にかハンマーは予期せぬ方向に回転を開始し、その勢いで真横の壁をぶん殴ってしまい、こちらの行きたい向きとは逆方向にジャンプしてしまったりするのだ。「意識して操作している時はこんなに勢いよくジャンプした事ないだろ!」と思わず画面上にツッコミを入れてしまうくらい、意図しない時のジャンプは躍動感に満ちた華麗なジャンプなのだ。その結果、本来飛ぶべき方向とは逆の方向に勢いよく飛び出し、壺男は折角これまで登ってきた崖を真っ逆さまに落下し、最下層部に逆戻りとなる。

 崖の途中まで登っていき、あと1回ジャンプすれば次の場所に留まれそうな時でも、「ここで想定通りのジャンプができれば次に進める。でも想定通りに動いてくれないしなぁ……」と画面を見ながら唸ってしまう場面も多々あった。というのも本作の場合、更に上を目指そうとして失敗した時には、一気に最下層まで転がり落ちやすいマップ構成になっているからだ。前述の通り、操作が思い通りにいかない事も合わせると、どこまでいっても最下層に落下する恐怖と隣り合わせなのだ。

 しかしいつまで悩んでいても先には進めないため、思い切ってジャンプを試してみるが……やはり想定通りのジャンプは行なえず、壺男は落下してしまう。こんな時、さらに操作ミスに焦ってマウスを闇雲に振り回してしまうと、せっかく途中の足場で止まりかかったところで、ハンマーの先端が崖に当たってしまい、更に落下を続けてしまう。

 こんな時、人は無駄だとわかっていても「あー、待って! 待って! 」とか「止まれー! 」などなど画面に向かって口に出してしまうものだ。口に出してもどうにもならない祈りはやはり実らず、無情にも壺男は最下層にまで落下してしまう。そんな時でも画面内の壺男は特に表情を変えるわけでもなく、悲しんでいるんだか憤っているんだかわからない表情でこっちを見ている。

 こっち見んな! とやり場のない怒りをぶつけたくなる表情もイライラを増長させるのには十分だ。こうなってくるとハンマーが岩や物に当たるたびに聞こえてくる壺男の唸り声も、なんだかこちらの操作ミスに対して「そうじゃねーだろ」と言われてるような気がしてくるから不思議だ。

本作のオブジェクトは基本的には設置物が中心だが、たまに動くものも存在する。最初の崖の途中には謎のコーヒー用のコップがあり、ハンマーが引っかかると、弾かれて飛んでいってしまう
ハンマーで地面を叩きつけてジャンプし、崖の途中のオブジェクトを足掛かりとして、そこにハンマーの先を引っかけて留まる。ここから更にハンマーを回転させて、上へとジャンプしていくのが基本操作だ

 そんな絶望感マックスの状態のまま最下層に着地したタイミングで、追い打ちをかけるように、世界の偉人の名言の引用などが表示されたり、戦前にリリースされた名曲が突然流れたりする演出でこちらの神経を逆なでしてくる。しかも名言の引用も“失敗”に関する内容ばかりで、ゲームをしている筈が自身の人生の失敗をあれこれ思い出させられるという何とも精神的にツラい仕打ちまで仕込まれており、絶望感が更に高まる。

 もう1つ、本作の意地の悪さが感じられる点としては、オートセーブを備えているところだ。本作の場合、どんなに高いところから落下しても壺男が死ぬことはないため、基本的にゲームオーバーが存在しない。そのため、オートセーブは本来不要の筈だ。しかもオートはあるのに手動でセーブする方法は存在しない。ということは、途中まで進めて、攻略が難しい難所の手前でセーブして、そこで何度も挑戦するといった手法が取れないのだ。いいところまでいっても落下したタイミングでオートセーブが行なわれるため、失敗をやり直しさせないようにするために仕込まれたとしか思えない。

 筆者はアクションゲームが苦手だが、これまでも「Grand Theft Auto」シリーズや「Fallout」シリーズなど、いくつかのタイトルをクリアしてきた。当然、中には何度も死んで同じシーンを繰り返しプレイする事も多かった。ただ、そうしたタイトルの場合、何度も死ぬことでパターンが見えてきたり、操作のコツが見えてきたりと、プレイの蓄積に意味があった。

 だからこそ、何度もトライすることができたし、その繰り返しが苦になる事はなかった。ところが、本作においては失敗する時のパターンも毎回異なるし、何度プレイしても操作のコツが全く見えてこない。繰り返しプレイしていてこんなにも絶望感しか味わえないタイトルは初めてだ。

 昔のクソゲーと呼ばれてきたタイトルの場合、その多くがゲームを開始しても何をしていいかわからなかったり、難易度が高すぎて全然先に進めず、どうしてこうなった? と首をひねりたくなるような出来の悪いものだったが、実際にプレイしてみると容量不足が原因で十分な説明が入れられていなかったり、テストプレイもロクにせずにリリースしただけの単なる調整不足が原因であり、意図してプレイしにくいように仕掛けたものではない。

 それに対して、本作は難解な操作やマップの作り、こちらのやる気を削ぐような意地悪きわまりない演出など、そのすべてが意図的にプレーヤーが苦しむように仕掛けられたものだ。つまり、本作はプレーヤーに対する製作者からの挑戦なのだ。そう考えると、現在はまだ全然進められていないが、精神的なダメージが回復した後、再度トライしたくなる気持ちにさせられる。

 「つらいなら投げ出せばいい」。読んでいる人はそう思うのではないだろうか。そうではないのだ。このゲームは間違いなく面白い。その大きな理由はやはり「成功体験」にある。試行錯誤を繰り返し、ハンマーでものに引っかけられるやり方を学ぶ、さっきまで何度も登れなかったところの攻略法が見つかる、登れなかった場所を3回に1回くらいは登れるようになる……こういったうまくいった体験が、「俺このゲーム極めたかも」、「ひょっとして俺は天才なのでは?」という気持ちにさせる。難易度が高い、絶望的なゲームだからこそ、その喜びがたまらなく大きいのだ。このほんのちょっといい気になれる気持ちよさが、何度絶望に落とされても、筆者を崖に向かわせるのだ。

ちょっとした操作ミスで壁を突いてしまうと、すごい勢いで飛び出して、あっさりと最下層部に逆戻りとなる場合もある
画面下部には定期的に製作者からのメッセージが表示される。序盤では落下を繰り返す筆者のプレイに対して、慰めのメッセージが表示された

己のスキルが全て! 来たれ、挑戦者!

 そんなわけで数日間のプレイでは、まだ攻略できたとは言い難いが、自身の今後のプレイに役立たせるために、何点か気になった点を挙げておくことにする。

 垂直ジャンプは足掛かりが何もない場所で、次の足掛かりを目指す時には必須の技だ。ジャンプその物はハンマーをジャンプしたい方向とは逆に突き出すことで行なえるが、ジャンプした後、ハンマーをうまく回転させて目的の場所に引っかけないといけないため、ジャンプ操作の直後に回転操作が必要になる。ただ、このタイミングはかなりの練習が必要そうだ。このタイミングが掴めないうちは、ハンマーが引っかからずに、引っかけようとしたオブジェクトを突いてしまって、逆方向に飛ばされてしまう事になる。

 崖の作りは複数の種類の岩やオブジェクトが何層にも積み重なり、その重なった出っ張りや、岩の中間地点のくぼみなどを足掛かりとする。これらの足掛かりについてはジャンプする前に画面を眺めて観察すると割とわかりやすくなっている。

 オブジェクトには岩以外にも人口の鉄筋、家具、家、箱、公園の遊具など様々な物が岩の間に挟まったり、置かれている。ただし、崖を構成する物質にはそれぞれ特徴があり、特に人口建造物のオブジェクトはハンマーが引っかからずに滑ってしまうものが多い。こうしたオブジェクトには引っかける事を考慮せず、飛び越える事を前提にかんがえておく方がいいだろう。

画面下部には定期的に製作者からのメッセージが表示される。序盤では落下を繰り返す筆者のプレイに対して、慰めのメッセージが表示された
ステージの進行位置によって固定で表示される物もある。途中まで崖を登っていると、本作を製作した経緯や意図などについてのコメントも入ってきた

 文章で書くと簡単そうだが、これを実際に習得するのはかなり困難だ。筆者も実際、いくつかの攻略サイトなどを参考にしてみたが、そこで書かれているようにいくら操作しても思い通りには動かない。世界最短記録の動画なども見てみたが、あまりにも自在にハンマーを駆使していて、全く参考にならない。ただ、動画などで見る事で、足掛かりになるポイントは把握しやすくなると思うので、その辺りは大いに役に立ちそうだ。少なくとも、クリアできないわけではない、と言う事実は心強いものがある。

 本作をプレイし始めて2週間ほど、いくらプレイしても前に進まない焦りは、実生活にまで影響が及んだ。予定していた飲み会を何件もキャンセルせざるをえなかったり、より高解像度のゲーミングマウスを装着して試そうと思い、マウスを付け替えた途端にゲーミングPCの調子が悪くなって半日起動しなくなったりと、本作が筆者に与えた絶望はゲーム外にまで及んだ。ここ数年で味わったことのない絶望がこの2週間でまとめて降りかかってきた気分だ。

 ところが、これだけ絶望的な気分になっても、数日プレイから離れた今、筆者は再び本作をプレイしたいと思っている。なぜだろうと考えたが、やはりクリアできている人がいる以上、これだけ攻略のポイントが見えない状況であってもチャレンジしたい気分にさせられるのだ。

 あとはシンプルな話だが、想定外であってもうまく崖を登れた時の爽快感は実に心地いい。そのあとの失敗でたとえ更なる絶望が待っていたとしても、崖を登るというただそれだけの行為で、ここまでの爽快感を得られるタイトルはそうそうない。この爽快感こそが“ゲームの原点”であり、これを求めて人はゲームをしているのだと思わされるほど、言葉にならない快感がある。

 筆者の気持ちを支えてくれるのはゲーム実況者の動画も大きい。世の中にはすごい「ゲームの天才」がいるようで、このゲームをクリアしてしまう猛者がいるのだ。そう、このゲームはクリアできるのである。それならば筆者もいつかクリアできるのではないかという気持ちになる。断崖絶壁の登攀や、単独世界一周旅行など世の中には本当に困難な冒険に挑む人たちもいる。「Getting Over It」はそういう冒険家達に憧れるようなゲームである。そして成功した先人もいる。筆者もいつかその栄光の冒険者達に加わりたい。

一定時間が経つと、唐突に過去の偉人の格言が表示される事も多い。なんとも意味深なメッセージが多いが、こちらのプレイがうまくいっていない時に表示されると、なんとも精神的にダメージを受ける
突然BGMが鳴りだすこともある。20世紀初頭の名曲が流れてくるのだが、どういう意図でBGMをチョイスしたのかは不明。鳴りだすタイミングがたまたま、最下層部に落下した時ばかりなのはもちろん意図的だろう

 本作の動画配信などを見ているだけだと、筆者のこれまでの感想に、「こんな簡単そうなゲームで何をぼやいてるんだろう? 」と思う人もいるかもしれない。本作は従来のゲーム以上に動画や画像だけでゲームの全てが伝えきれないタイトルである。もちろんどんなゲームであっても、実際にプレイしてみないとその難しさや楽しさがわからないが、特に本作は操作してみないとその真の魅力は全く伝わらないゲームなのだ。

 これまで延々と操作が難解だ、意地悪なゲームだと語ってきたが、こうした記事を読んでむしろ難解な物にチャレンジしたくなる人や、「え? どういう事なんだろう? 実際に操作してみたい」と興味を持った人にこそ、是非本作はプレイしてほしい。そうすれば、おそらく実際に自分で操作した時に「あー、そういうことね、完全に理解した」と筆者と同じように苦笑交じりで呟いてしまうはずだ。

 そしてある程度進められるようになると、「あれ? 案外楽にクリアできるんじゃないか? 」と錯覚し、崖を登る途中で落下して筆者と同じ絶望が味わえることだろう。ここから先は本人の好みと努力次第だが、絶望に耐えられずにやめてしまう人もいるだろうし、不屈の精神とマウス操作のセンスのよさで難なくクリアしてしまう人もいるかもしれない。

崖は岩石や木などの自然物の間に、人工的な物が不規則に挟まって構成されている。人工物はハンマーがかからず滑りやすいため、オブジェクトの端に引っかける感覚で利用するよう心掛けた方がいいだろう。余談だが、各オブジェクトは物によって叩いた時の音がそれぞれ異なる
壺の中には何やら謎の液体が入っているようで、揺れている時や、落下した時など、何かの拍子に中の液体がこぼれる。なんでこんなどうでもいい演出が入っているんだ?

 本作はインディータイトルだが、ここまでプレーヤーに対して七難八苦を与える事を意図して制作されたタイトルは、なかなか存在しないのではないだろうか。クソゲーしか手元になかったような時代ならまだしも、現在は非常に幅広く、多くのゲームが遊べる時代だ。無理をして、操作が難解でプレーヤーが苦しむようなタイトルを選ぶ必要はない。気に入らなければ子供の頃の筆者のように別のタイトルを遊べばいい。

 そんな状況の中でリリースされた本作がここまで世間から受け入れられていることの背景には、動画配信者たちが自身の苦労をアピールするネタとして本作をチョイスしているのも1つあるだろう。しかし人気を集める動画はそれだけでない。やはりうまいのだ。この難解なゲームを進められるその実況者の腕前が素晴らしいのである。それはあこがれを生む。彼らのように壺男を自在に扱ってみたい。

 現代は、ゲーム配信など、動画でゲームの内容を見て満足してしまう人も多いだろう。うまい人のプレイを見て、自分までそのゲームを極めたような気持ちになっている人もいるのではないだろうか。しかし筆者は言いたい。「実際にゲームをやらなければ、本当にその人の凄さはわからない」と。プレイしていて実感したが、本作は「ゲームとは自身でプレイして体験するもの」という主張が強くあると感じた。プレイ動画では、本作の本当の面白さはわからない。悪戦苦闘し、絶望に染まり、そして這い上がってこそ見えてくる面白さ、それこそが「Getting Over It」の本当の楽しさだと、筆者は思う。

 本作における失敗は突き詰めれば全てプレーヤーのせいだ。逆にラッキーで本作をクリアできることはまずないと思う。つまり本作を進めれば進めるほど、その成功体験は全てプレーヤーの力によるものとなる。操作するプレーヤーの力が全て、この当たり前の話こそが、“ゲームの原点”と言えるポイントでもあり、本作の訴えたかったテーマと言えるのではないだろうか。ぜひこの超絶難易度を誇るゲームに挑戦し、いつかはこのゲームをクリアする「栄光の神々」の1人になって欲しい。

一見転がってきそうな樽はこの位置にガッチリ固定されており、どんなにハンマーで叩いても砕けない
この入り組んだ岩場まで最初に登ってこれた時は、あぁ、これで下まで落ちる事はないだろうな、と心の底から安堵したなぁ。数分後にそんな考えは甘かったと思い知らされるわけだが……