【特別企画】

「バーチャロン」のアーケード筐体が並ぶ「白馬バーチャロフセンター」がオープン! チャロナーの聖地となり、白馬の新たな観光資源を目指す

【白馬バーチャロフセンター】

6月9日 グランドオープン

施設利用料:3,000円(ワンメニュー付)

営業時間:10時〜17時(「木塵」宿泊者は8時〜22時)

 長野県白馬村に、アーケードゲーム「電脳戦機バーチャロン」(以下、バーチャロン)シリーズの筐体を揃えた施設「白馬バーチャロフセンター」が誕生した。

 「電脳戦機バーチャロン」は、1995年に登場した3Dロボット対戦アクションゲーム。アーケード向けでは「電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム」(以下、オラトリオ・タングラム)、「電脳戦機バーチャロン フォース」(以下、フォース)と3作品がリリースされている。

 ただし最後のアーケード向け作品となる「フォース」が登場したのは2001年で、その最終バージョンとなる「M.S.B.S.Ver.7.7」が投入されたのは2002年。以後はアーケード向けの新作が投入されていないが、22年経った現在になって「白馬バーチャロフセンター」が誕生したことになる。

 この話を聞くと、「なぜ今頃?」、「なぜ白馬?」と疑問を持たれる方が多いと思う。本施設が完成するまでにはさまざまな事件や出会い、そしてチャロナーと呼ばれる「バーチャロン」シリーズのファン達の熱意がある。

 本稿では、6月9日に開催されたグランドオープン記念イベントが開かれたので、その様子とともに本施設が完成するまでの経緯をお伝えしていく。

施設内には「バーチャロン」のアーケード筐体が並んでいる

アーケード筐体が送られてくるので受け入れていたらこうなった

 オープンイベントでは、本施設に併設されている旅館「木塵」のオーナーで、「白馬バーチャロフセンター」の館長を務める柏原周平氏が、ここに至るまでの経緯を語った。

手前にあるのが旅館「木塵」。併設する形で奥の「白馬バーチャロフセンター」が建てられている
柏原周平氏

 柏原氏はもちろんチャロナーなのだが、高校2年生だった1997年、「バーチャロン」にプラモデルがなかったという理由からガレージキットの製作を開始。現在も旅館経営の傍ら、ガレージキットメーカー「爆炎乳」のCASSYとして活動している。

 「木塵」は柏原氏の父が始めたもので、柏原氏は2005年から仕事をしている。そして2009年、それらの縁から「木塵」でプラモデル合宿が開かれる。ちょうどその頃、Xbox 360(Xbox LIVE アーケード)で「オラトリオ・タングラム」が発売され、合宿の合間に参加者達が遊び始めた。

旅館「木塵」。現在とは外観が異なる

 それからも合宿を重ねるうち、プラモデルではなく「バーチャロン」で人を集めてはということになり、「バーチャロンセンター」を名乗って、Xbox 360用のコントローラー「ツインスティックEX」を収集。各地から多数のコントローラーが送られてきて、「バーチャロン」シリーズをローカル対戦できる環境が整えられた。これが多くの「バーチャロン」ファンに知られて、全国からプレイヤーが集まり始めた。

Xbox 360で「バーチャロン」を遊ぶ環境が整えられる。「バーチャロン」シリーズのプロデューサーを務めた亙重郎氏のサイン入りツインスティックも

 しかし「バーチャロン」はアーケードゲームだけあり、ここで終わりとはならない。2017年に「オラトリオ・タングラム」のアーケード用筐体を「木塵」に譲りたいという人が現われる。柏原氏はこれを受け入れ、旅館内にアーケード版が置かれることになる。

アーケード筐体が運ばれてくる

 さらにその後、「フォース」や初代「バーチャロン」の筐体も受け入れ希望が入る。倉庫に眠っていたものが発掘されたというパターンもあれば、「オークションに筐体が出ているから、落札してそちらに送ってもいいか」という話まであったという。ちなみにオークションでは、チャロナーとして知られるタニタの社長・谷田千里氏が競合していたという話も。

その後も続々とアーケード筐体が増えていく

 こうしてアーケード版が全タイトルプレイ可能な環境が整ったことで、いよいよ手狭になって別施設を作らねばならなくなった……と普通なら想像するのだが、これもまるで違う事情がある。

地震災害やコロナ禍を乗り越えて実現した場所

 「木塵」でプラモデル合宿が始まって5年が経った2014年11月22日の夜、神城断層地震と呼ばれるマグニチュード6.7の地震が発生した。最大震度は6弱と計測されたが、「木塵」のある辺りには地震計がなく、震源の深さが約5kmと浅かったため、「木塵」の地域では震度7相当の揺れがあったのではないかとされている。

地震で大きな被害を受ける

 この地震で「木塵」は建物が傾くなど大きな被害を受け、地域にあった宿は軒並み廃業してしまう。また地震が起きた日はまさにプラモデル合宿を実施していた。

 地震で仕事と住居を失った柏原氏だが、ここで1年後に「木塵」を再建し、プラモデル合宿の参加者と再開することを決意。自ら木を切り図面を引くなど奮闘し、見事にちょうど1年後に営業を再開し、プラモデル合宿の参加者との再会を果たした。

地震の1年後に「木塵」の営業を再開

 「木塵」を「バーチャロンセンター」と呼び始めたのはこのすぐ後のこと。そしてアーケード版の筐体が集まってきた頃、タニタがプレイステーション 4用の「ツインスティック」をクラウドファンディングで作るプロジェクトを始める。こちらは1度は失敗するものの、紆余曲折を経て2度目のクラウドファンディングが成功。ちなみに筆者も出資し、最初の1,000台のうち1台を手にしている。

 この頃には、アーケード版を所有する柏原氏と、タニタのツインスティックプロジェクトのメンバーとの間に面識ができていた。柏原氏はその中で、クラウドファンディングで新たな「バーチャロンセンター」を作ることを決めた。なおこの時、さすがに「バーチャロン」という商標名を使うわけにはいかないため、バーチャル+オフ会のオフで「バーチャロフセンター」という名前になっている。

クラウドファンディングを実施

 このクラウドファンディングは目標額に達せずに終わる。さらに2020年にはコロナ禍で、旅館はほぼ営業できない状態に。ここでも柏原氏はクラウドファンディングを活用し、旅館の存続のための資金を集めることに成功する。

旅館本体の存続のためのクラウドファンディングも実施

 2022年、再び「白馬バーチャロフセンター」のクラウドファンディングを実施。クラウドファンディングはこの後にも新たに実施され、合計3度の実施となっている。これに加えて、国による事業再構築補助金にも申請。「白馬バーチャロフセンター」を旅の目的地となるサードプレイスと銘打ち、建設資金の獲得に成功している。

事業再構築補助金を申請し、採択される

 実際の建築が始まったのは2023年5月。コロナ禍を経て建築資材が大幅に高騰したことで、建築費用は当初の見通しのおよそ2倍となる約5千万円に膨らんだ。それもあってのクラウドファンディングと補助金申請だが、結果的にはそれでも足が出ているという。

 こうして2024年6月9日、「白馬バーチャロフセンター」がオープンすることになった。他にも様々なイベントが重なって今があるのだが、より詳しく知りたい方はイベントの動画をご覧いただきたい。柏原氏の軽快なトークとともに楽しめる。

【HVOCグランドオープン】

チャロナーの輪で作られた施設を、白馬の新たな観光資源にしていく

 「なぜ今頃?」、「なぜ白馬?」という話の答えはこれでおわかりいただけたと思う。ただ、これでもまだ説明は足りていない。

 本施設は一見すると、「バーチャロン」のアーケード版を全種類遊べる、ちょっと変わったゲームセンターができたと受け取られると思う。柏原氏も「最近はゲームセンターも元気がないから」と話しており、意味合いとしては間違いではないが、本施設の意義は他にもある。

 まずは旅館「木塵」の集客のためのプロモーション効果。「バーチャロン」やプラモデルのファンが集まる場所としての集客効果は、過去の実績から見ても明らか。「木塵」の唯一無二の魅力と言うべきものだ。

 以前は「木塵」の施設内に筐体が設置されていたため、「バーチャロン」も必然的に「木塵」の宿泊客だけが利用できた。しかしこれだと「木塵」の収容人数がそのままキャパシティとなり、受け入れられる人数には限界があった。

 今回、「白馬バーチャロフセンター」として別の施設に切り分けたことで、近隣に宿泊して、「白馬バーチャロフセンター」だけを利用することも可能になった。この地域は元々、春と秋の宿泊客が少ないそうで(冬はウィンタースポーツ、夏は避暑目的と思われる)、今後は季節を問わない観光拠点として活用できる。地域への貢献も果たしているわけだ。

 そして何より面白いのが、本施設に関わる人々だ。表向きには「木塵」がアーケード筐体を受け入れて、箱を用意して遊べるようにした、と見えるはずだが、アーケード筐体は日々のメンテナンスが必要。特に「バーチャロン」は発売から20年以上が経過しており、補修部品の入手が難しく、旅館のスタッフだけで手に負える代物ではない。

 そこへゲームセンターで「バーチャロン」の稼働経験を持つチャロナーが現われ、メンテナンス担当を買って出た。長野県のゲームセンターで店長を務めたこともある方で、柏原氏が昔プレイしていた「バーチャロン」の筐体を導入し、メンテナンスしていたという。その筐体はその後売却され、回り回って他県のとある倉庫で発見されて「木塵」にやってきた後、「これはあの時の筐体では?」と気づくという偶然もあったとか。

「オラトリオ・タングラム」から「フォース」へ置換された筐体。柏原氏もプレイしていた筐体が偶然やってきた

 ほかにも「バーチャロン」のライブモニタ(ゲームプレイ画面とは別に基板を用意して、専用のライブ映像だけを出力するシステム)を大型プロジェクタで出力できるようにするため、特殊な機材を持ち込んでセッティングする方など、各地のチャロナーが自分の得意分野を活かしてさまざまなことに取り組んでいる。

ライブモニタの映像をプロジェクタに飛ばして表示可能。初代「バーチャロン」のライブモニタはそれ自体が激レアで、現存するのはおそらくここだけ

 その様子は“大人の遊び場”とでも呼ぶべきもので、「自宅ではできない遊びを、ここでやらせてもらっている」という声も聞かれた。筐体を寄贈するのもまさにこれで、いい大人が技術とお金をつぎ込んで、ゲームセンターでは実現できない、あるいは当時は不可能だったことを次々とやってのけている。

 本施設をより良くしたい人が現われ、手弁当で作業していくことで、利用者同士の繋がりがより深くなっていく。「取り組みを応援したいからクラウドファンディングで出資した」というだけでなく、まさに自分達が当事者となって作り上げられている。

 そういった背景もあって、この日はオープンイベントだったにも関わらず、来場者はほとんどが知り合いの様子。筆者は取材という体で訪問したため、他の参加者からは邪魔をしないようにと気遣いをいただいたのが、ありがたくはありつつ、チャロナーとしては残念に感じるくらいだった。

オープン時の鏡割りには、プラモデル合宿を企画した「あおるか」氏(左)と、筐体のメンテナンスを引き受けた「もとしー」氏(右)も参加。なお酒蔵の佐々木酒造店もチャロナー

 柏原氏に本施設の今後について聞いてみると、「いろんなことに使えるプラットフォームのつもりで作っているので、私でも予想がつかないような使い方をしてほしい。ゲーム機を持ち込んでもらって、『バーチャロン』じゃないゲームを家族や仲間内で遊んでもらったり、配信したりもできる。新しい遊び場にしたい」と語ってくれた。

 また地域との繋がりについて、「白馬に来た時に楽しめる場所の選択肢になってほしい。白馬は雨が降ると行くところがなく、観光資源の価値がぐっと下がる。地域の方々は『雨が降ったらどこに行けばいい?』と質問されると困ってしまうので、『バーチャロフセンター』に行けば何かやっているかも、と紹介してもらえるようになれば、地域とのつながりも出てくるかなと思う」とも語った。

 本施設は「バーチャロン」専用のゲームセンターという顔を持ちつつ、チャロナーが集うコミュニティの場であり、地域の新たな観光資源であろうとしている。また筆者が印象的だったのはむしろ来場者の方で、全国から人が集まることと、密なコミュニケーションがあるというのが実にユニーク。全国各地のチャロナーが本施設で大会を開きつつ、地元のPR活動などに使っても面白いのではないかと思う。

 最後に本施設の写真を掲載していく。チャロナーに限らず、ご興味を持たれた方はぜひ本施設と「木塵」を尋ねてみていただきたい。

左側にある木製の階段を上がっていく
入り口は階段の先にある赤い扉
「木塵」から「白馬バーチャロフセンター」を見たところ
「白馬バーチャロフセンター」から外を見るとこの風景。中とのギャップがすごい
中には階段状になったスペースがあり、大勢でスクリーンを見られる
スペースから各筐体を眺める
スペース最上段にはソファも設置
「フォース」のターミナル筐体には、タニタの谷田千里社長のサインが
筆者が20年以上前に使用していた磁気カードはまだ生きていた。来場の際にはお忘れなく
初代「バーチャロン」のツインスティックは当時のものがそのまま使われている。その他の筐体は三和電子と「木塵」が共同開発した新型を採用
1階に設置された筐体には、「オラトリオ・タングラム」の初期バージョンである「M.S.B.S.5.2」が稼働
イベント終了後は閉館まで来場者同士で対戦が盛り上がっていた
インターネット配信が可能な環境も整えられている
1階にある別の入り口には、黒いテムジンの像が置かれている。タニタとフロンティアワークスの協力のもと寄贈されたという
クラウドファンディングのリワードとして用意されたネームクリスタルはこちらに設置予定
バーカウンターもある。こちらはラムネを白馬の炭酸水で割った「In the blue sky」
サイダーに特製イチゴジャムと生イチゴを合わせた「不永遠(ふえいえん)」
グッズも販売されている。オープン日を記したTシャツも用意
プラモデル合宿用と思しき塗装ブースも完備