【特別企画】
「ドリームキャスト」発売25周年! オンライン機能に特化して夢の世界を広げたゲーム機を振り返る
2023年11月27日 00:00
筆者思い入れの1本「クレイジータクシー2」。世界に名を残すため学生生活を犠牲に
筆者がドリームキャストで最もプレイしたゲームは何か? といえばこのゲームである。セガ・ヒットメーカーが制作したドライビングアクションゲーム「クレイジータクシー2」(以下、「クレタク2」)である。
「クレタク2」は、アーケードで人気を博した「クレイジータクシー」(以下、「クレタク1」)の続編である。しかし、この作品はアーケードからの移植作品ではなく、ドリキャスでのリリースが最初の作品である。その後もアーケードでの展開は「クレタク2」のみされていない。
ゲームルール自体は「クレタク1」と同じである。画面左上に制限時間が表示され、その時間中にタクシーを待っている客を見つけ、その付近に車を停車させることで客が乗車する。乗車すると目的地が表示されるので、客の近くに表示される制限時間(前述の制限時間とは別物で、こちらの時間を過ぎると客は降車してしまい、支払われるべきチップも支払われない)以内に目的地へ向かい停車し、チップを貰う。客を降ろしたらまた新たな乗客を探し、チップを受け取り、という流れを繰り返し、タイムアップまでに高い売上を叩き出すことがゲームの目的である。
「クレタク2」のステージは「クレタク1」とは違う街が2つ用意されているのも変更点だが、大きな変更点が2つある。1つ目は、新操作「クレイジーホップ」だ。これはボタンを押すと車がジャンプするというものだ。車をジャンプさせるということ自体は「クレタク1」でも可能であった。しかし、「クレタク1」ではジャンプ台に車を載せて勢いで飛んだり、高低差の激しいところに車を突っ込ませるといった「地形を利用すれば車をジャンプさせることが出来る」というもので、任意のタイミングで、どの場所でもジャンプを行えるものではなかった。これを自由に行えるのがクレイジーホップである。これにより、反対車線を走っている際、前方から現れる正面衝突しそうな車を回避したり、建物の屋根に飛び乗ることでショートカットを行うなど、攻略の自由度が一気に広がったのである。
そしてもう1つの変更点が2人以上の乗客が現れるようになったことだ。「クレタク1」では、乗客は常に1名のため、指定される目的地は1つしかない。だが、「クレタク2」では最大4名まで同時に乗車するようになったのだ。この場合、得られるチップは高額だが、最大4箇所の目的地を目指さなければならない。しかも制限時間は共通のため、1人降ろせば少し時間的余裕が出来るなんてことはない。制限時間内かつ迅速に乗客を全員送り届けるには、ゲーム内マップを把握し、どの順番で降車させればスムーズに目的地を回ることが出来るかまで考える必要があるのだ。
このように、ハイスコアを叩き出すための新要素が追加された上、クレイジーホップによるプレイヤーの創意工夫による独自の走行ルート開拓が大変面白いタイトルとなった。
正直「クレタク1」の方がゲームとして高く評価する方が多いイメージだが、筆者はこの自由度が大変好みであり、「2」にどっぷりとハマることとなった。
そして、このゲームはオンライン対戦は出来ないが、オンラインランキングは実装されており、制限時間内に高額の売上を叩き出したプレイヤーはその売上が公式HPに表示されるのだった。そのプレイヤー数は確か世界上位1,000名だったと記憶している。自分はこのゲームに熱意を持っていたので、当然この世界1,000名の頂に挑もうとしたのである。
が、そのタイミングが非常にまずかった。というのも、当時の筆者は高校受験を控えた身であったのだ。受験勉強をしながらスコアアタックは大変難しい問題だった。何せこのゲームのスコアアタックは1回あたりのトライが非常に時間を消費するものだったのだ。ハイスコアプレイをすると悪い結果となっても1トライ2時間ぐらいは当たり前、記録がつながれば3時間、4時間はゆうに経過する。夕方前に帰宅して、就寝時間を考えれば、平日に記録に挑戦できるのは2,3回だったと思う。
分別のある人間であればゲームを諦め、受験勉強に専念し、その後にトライするだろう。社会人であれば尚更だ。だが、当時の筆者にそんなメリハリの付いた生活をするのは無理だった。
筆者は「クレタク2」を選択した。周りの同級生は日本地図を広げ、そこにある有名な農作物、有名な工業地帯、カルスト台地や三角州といった地形を覚えていっただろう。自分はその時送迎ルートをゲーム雑誌に記載されていた「クレタク2」の地図から制作していた。
勿論成績は上がらなかった、極端に下がりもしなかったが、伸びはしなかった。そのため、当時のクラスを受け持っていた先生と筆者の母親を含めた3者面談を行った時、「クレタク2」への入れ込みようの話が親から教諭の耳へと入った。教諭は「今のままじゃお前の志望校には受からないぞ、ゲームは春休みからでもいいじゃないか」と言ったが、いいわけがなかった。ランキングは生き物だ、そんな悠長に時間を待っていたら1,000人の頂はもっと険しくなっている。なのでこう返した。「志望校を変えます。」隣町の高校へ通うことを決めた。ここならば多少成績が下がったとしても合格安全圏である。いわゆる「寝てても受かる」学校である。
教諭からは呆れられ、母親からは激怒された。だがそれで良かった。ランキング入りより険しい戦いなど当時の自分にはなかったのだ。
受験が迫る冬の時期、とうとう納得出来るスコアが出た。そのスコアを持って塾の近くにあるデパート内にあるPC体験コーナーでランキングを閲覧した。自分の名前が掲載されていた。世界1,000人の中に入ったのだ。ここで満足すればよかったのだが、結局まだ自分の限界はこんなものじゃないと高校入学直前までスコアアタックは続けた。高校は隣町の高校になった。だが決して嫌な進学ではなかった。ランキング入りするほうがよっぽど受験勉強より苦しかったのだ。
ここまで書いて思う、クレイジーなのはタクシーではなく自分だろうと。だが、人生をオールインするような行動に出たゲームはコレ1本ではないのが自分の業の深さである。それはまた機会があればお話できるかもしれない。
進化はしたが、さらなる進化に敗れたゲーム機。だが、完全な敗北ではない
インターネットを活かし、対プレステを掲げたドリキャスだが、同じようにインターネット機能を追加したプレステの後継機「プレイステーション 2」(以下、プレステ2)に大きく穴を開けられる結果となってしまう。プレステ2はオンライン機能を追加していたが、そこに重点を置かず、プレイステーション1との互換性や、当時最新の映像機器であったDVDの再生機能をウリにしたことが勝負の分かれ目だったのかもしれない。
セガは2001年にドリームキャストの新たな生産を停止。その後、家庭用ゲーム機事業から撤退し、他社ゲーム機へ自社のゲームソフトを販売していくこととなる。
現在までのセガを見ていればわかるが、家庭用ゲーム機事業から撤退した後も他のゲーム機で名作を生み出していく。それこそドリームキャストで産声を上げた「ファンタシースターオンライン」シリーズは大ヒットシリーズとなり、プレイステーション・ポータブルや、パソコンでも人気の国内産MMORPGの1つである。「バーチャファイター」シリーズも、「3tb」の後、しばらく雌伏の時を過ごしたが、「バーチャファイター4」では当時最新のデバイスであったガラパゴス携帯と連動したプレイヤーサイトの追加や、アーケードでは初であろう段位・戦績を記録するカードシステムの導入で再びバーチャ旋風を巻き起こした。
また、ドリームキャストでは「ソニック」シリーズ初の3D作品「ソニックアドベンチャー」が発売されたが、いわゆる「3Dソニック」作品は、2022年11月8日に発売された「ソニックフロンティア」へと受け継がれている。さらにセガは、「龍が如く」といった日本・海外ともに人気を博しているゲームシリーズも生んでいる。
これはセガの作るゲームの質が高いことの証明だ。ドリームキャストの作った「夢」は、今もセガを支えているのだ。
(C)SEGA