【特別企画】
「真・女神転生IV」が本日で発売10周年! 数々の衝撃的な展開でプレーヤーの心を抉っていく物語が秀逸
2023年5月23日 00:00
- 【真・女神転生IV】
- 2013年5月23日 発売
アトラスが2013年5月23日に発売した3DS用ゲームソフト「真・女神転生IV」(以下、「メガテン4」)が、本日発売10周年を迎えた。
「メガテン」シリーズは基本的に全てが独立した作品で、ナンバリング同士の直接的なつながりはないものの、「メガテン4」においては、2016年に「メガテン4 FINAL」(以下「メガテン4F」)が発売されており、こちらは「メガテン4」の正統続編である(正確には「メガテン4」の途中から分岐した「異伝」とも言える)。
本稿では、「メガテン4」が大好きで仕方がない筆者によって、その思い出を振り返っていこう。なお、本稿には物語の重大なネタバレも含まれているので注意してほしい。
ロウヒーロー・ヨナタンと、カオスヒーロー・ワルター、ニュートラルヒロイン・イザボー、そして主人公フリン
本作はグレゴリ歴1492年、主人公フリンの住む「東のミカド国」が舞台となっている。この東のミカド国では、国民たちが上位階級であるラグジュアリーズと、下位階級であるカジュアリティーズの身分に分けられている。その国民は、18歳になると階級に関係なく、全員が「ガントレットの儀」を受ける。ガントレットの儀で「ガントレット」を起動することができれば「サムライ衆」に入隊し、秘密裏に悪魔退治を行なうこととなる。
……という、まずこのサムライ衆が非常にカッコよかった。どちらかというと中世ヨーロッパに近いような舞台だった東のミカド国の中で、「ザ・日本感」を醸し出すサムライ衆。武器はもちろん刀である。そして土居政之氏によるキャラクターデザインも秀逸。和洋折衷な世界観が最高なのだ。
また、ラグジュアリーズとカジュアリティーズという身分の落差を上手く描いていたのが、それぞれの身分の典型的なキャラクターとして描かれていたフリンの同期であるサムライの、ヨナタンとワルターである。ヨナタンは、誰に対しても平等に接する紳士的な性格で、規律を守る、真面目を絵に描いたようなキャラクター。一方のワルターは自由奔放で、何事にも縛られない気ままな性格。対照的なふたりは意見の相違で割れることも多い。簡単にいえば、”ロウヒーロー”と”カオスヒーロー”の役割で、その間に立つニュートラル的な存在が、もうひとりの仲間の少女イザボーであった。
カジュアリティーズ出身のフリンに対して、ヨナタンは身分関係なく平等に、ワルターは仲間意識を持つ、というような関係性の対比の描かれ方も良かった。
カオス、ロウ、ニュートラルの属性値変動については、ストーリー中で基本的にヨナタンに付くか、ワルターに付くか、それぞれの中間を保つかで決まる。過去作のように戦闘や施設利用での属性値変動が行われず、それが賛否両論あったのだが、筆者にとってはワルターに味方するか、ヨナタンに味方するかだけでカオス・ロウが非常にわかりやすく、それぞれのキャラクターに感情移入もしやすかった。ニュートラルへ行くのが非常に難しいという難点は確かにあったものの、単純な感情移入の度合いでいけば、圧倒的に「メガテン4」に勝るものはなかったと、今でも思っている。
他にも、ニュートラルヒロインとも呼べるイザボーの存在が、非常に可愛かった。どちらかというと、悪魔退治に率先して出ていくような強気さが目立ち、ワルターからは「鉄仮面」などと呼ばれるイザボーだったが、守るべき対象へ向けられる優しさ、ミカド国には存在しなかった漫画にハマってしまう姿などは、18歳の年相応の少女らしさがあった。
そして、我らが主人公フリンについては、とにかく可愛い。黒い長髪、それをまとめるポニーテール。見た目がもう可愛い。ガントレットに向かって「バロウズ」と呼びかける以外ほぼ言葉を発することがなく、CV:梶裕貴さんの無駄遣いとはまさにこのことであるが、その「バロウズ」のひと声だけでも可愛い(その分、主人公の座をナナシに譲った「メガテン4F」では、めちゃくちゃ喋ってくれたが)。フリンと呼び捨てするだなんておこがましい。「フリン様」と呼ばせていただきたいほど、フリンのキャラクターデザインがツボにはまってしまった筆者であった。
これほどまでに筆者の心をイラストだけで揺さぶった土居氏には、ただただ敬服するばかりである。ありがとう、土居氏。ありがとう、フリン様。心の底からそう叫ばせてほしい。
「メガテン」らしいダークさと難易度にウキウキ、トホホ
「メガテン」シリーズといえばダークな世界観が魅力的だが、「メガテン4」でもその色が濃い。最初は、光に満ちた東のミカド国からスタートするが、ナラクと呼ばれる場所に向かってからフリンたちの日常が変わる。
ナラクは東のミカド国とは打って変わった暗い洞窟。ここから筆者の悪夢の始まりであった。最初のチュートリアル的なケンタウロスを仲間にして以降、悪魔がまったく仲魔になってくれなかった。メインクエストで悪魔を3体仲魔にしなければならないというのに、スカウトしてはふられ、スカウトしてはふられ、しまいに全滅。大分巻き戻されて、やり直し。次はきちんとセーブをしたが、相変わらず悪魔にはふられ続け、ゲーム開始から2時間もの間ナラクの1層から出られなかった筆者は、「うん、メガテンだな」と、しみじみ感じたものである。
ちなみに、ナラクの難易度は歴代「メガテン」の中でも高いほうだったように思う。筆者はデフォルトの「新人」でスタートしたが、早々に「候補生」に難易度を下げた(それでも2時間ばかり、ナラクの1層から出られなかったのである)。
さて、それでもなんとかナラクを脱した筆者であったが、ナラクの底にあったのはなんとナラクに天を塞がれて闇に包まれた東京だった。当時、この構造には相当驚いた。というのも、東のミカド国でもフリンの出身地が「キチジョージ村」であったように、筆者は東のミカド国そのものがかつて東京だった地だと思っていたのだ。それがまさかナラクの下に東京があり、フリンたちが天上人として過ごしていたとは想像もしていなかった。
事前情報で出されていたビジュアルも東のミカド国のものばかりだったこともあり、本作では大分ファンタジーに舵を切ったのだと思いきや、ファンタジー要素の東のミカド国と、現実的な東京の対比を描いていく物語作りは、非常に素晴らしいものであった。
そこから東京の地を進んでいくこととなるフリンたち一行だったが、次の衝撃は「逆さヒルズ」で行われていた、悪魔の好物だという「赤玉」作りだったかもしれない。逆さヒルズの内部では「え……この分娩台のような絵って3DSで出しちゃっていいの……?」となるほど衝撃のビジュアルもありつつ、さらに赤玉の正体が人間の脳みそ(正確には神経伝達物質)を吸い出して作っていたという事実、その元となる人間はさらってきた者だったり「種男」、「畑女」らに子供をつくらせているという、あまりに残酷な現実に、「こ、これぞ『メガテン』だ……!」と心の中でガッツポーズを作ったものである。
さらに「メガテン4」最大のトラウマといえば、ヒロイン・イザボーがロウかカオスルートに進むと自殺してしまうというイベントだった。それもこれもフリンの手を汚させはしないという彼女なりの優しさと決意の表れだったのだが、この衝撃的な展開は、全「メガテン」シリーズの中でも最大級の驚きだったのではないだろうか。(だがイザボー好きの筆者はまさかの目の前で自殺されるという展開に、本気で泣いた)
他にも、序盤でフリンの幼馴染であるイサカルが、サムライに選ばれなかったことから失意のままにサバトに参加して悪魔化してしまうというような展開だったり、「メガテン4」には極悪非道なストーリーがてんこ盛りで、それが筆者の心を強く突き動かしたものだ。
熱いバトル曲がもりだくさん!
また、小塚良太氏、小西利樹氏、土屋憲一氏によるサウンドたちも非常に秀逸で、「メガテン」らしいロックなバトル曲はいずれも非常に熱い。特に東京でのノーマルバトル曲「Battle - a2」は、エレキギターの唸りがたまらない。東京でのフリンたちの物語を盛り上げるのにひと役買ってくれている。
中ボス戦闘曲の「Battle - b1」では、バトルらしいロックな中に幻想的なメロディも盛り込まれ、重厚感溢れるサウンドに。大ボス戦闘曲の「Battle - b2」では、鐘の音を使うことで、悪魔との戦いという禍々しさを感じさせつつ、一時の静寂を彷彿させる展開からエレキギターが前面に出てきて嵐のようなうねりを見せてくれる。ラスボス戦の「Battle - b6」では、パイプオルガンのような音色と歪んだシンセサイザーのような音が織り交ざって、神々しさも感じられる音色と楽曲展開になっている。
だが、バトル曲だけではない。「メガテン」らしいなんともいえない重苦しい雰囲気を纏った「メイン・テーマ」を始め、何も知らない人々が暮らしているのだろうなという空気を感じさせる「東のミカド国」、「メガテン3」のバトルBGMが流れている「CLUB MILTON」、他にも「幻視」や「ターミナル」、「キヨハル」などは初代「メガテン」のアレンジとなっており、それだけで気分が高揚する。
3DSという端末での作品だったため、サウンド的にも様々な制限もあったと思うが、その中で上質なサウンドを届けてくれている作品だった。
賛否両論多き作品ではあるが……
悪魔のデザインには本作特有の外注イラストレーターが関わっており、それが統一感がないという批判もあったり、「メガテン」シリーズではお馴染みの月齢が廃止されたりと、他にも画期的な要素を様々取り込んだために、いわゆる「メガテン」シリーズのファンの間では賛否両論分かれる結果となってしまったタイトルだった。だが、悪魔合体が簡単になっていたり、主人公が倒されても即ゲームオーバーにならなかったり、と、ライト層に入りやすい作品になっていたのは間違いない事実である。
「メガテン」伝統の面倒臭さこそが作品の様々な部分に愛着を持たせていたというのもあるのだが、「ペルソナ」シリーズのようなカジュアル感を持たせつつ、それでいてストーリーはプレーヤーをどん底に突き落としていくというスタイルの本作が、筆者は大好きで大好きでたまらない。できれば「メガテン4F」とあわせてNintendo Switchなどに移植してほしいと願っている作品のひとつだ。
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