インタビュー
eスポーツ映画「PLAY!」企画・プロデュース 広井王子氏インタビュー(後編)
「僕がやってるのが『サクラ大戦』の、“夢のつづき”なんです」
2024年3月8日 00:00
- 【PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~】
- 3月8日 全国公開
広井王子氏インタビュー後編では、ゲームメディアとして、レジェンドゲームクリエイターである広井氏に、「サクラ大戦」や「天外魔境」といった代表作への想いや、新作への意欲、そして現在開発中の新作「東京大戦」などについて話を伺った。
eスポーツ映画「PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~」についてはインタビュー前編で扱っているので、そちらを参照いただきたい。
広井氏「僕がやってるのが『サクラ大戦』の、“夢のつづき”なんです」
――GAME Watchはゲームメディアですので、広井さんにゲームの話も少しだけ伺いたいと思っています。まず、広井さんは今年、70歳、古稀を迎えられました。まだ現役のクリエイターなのはそれ自体がすごいことだと思うのですが、これまで「魔神英雄伝ワタル」、「天外魔境」、「サクラ大戦」といった作品を生み出しながら、ゲームクリエイター、マルチクリエイターとしてずっと活動しておられます。今後どのような抱負をお持ちですか。
広井氏: 多分、日本で唯一じゃないかな。マルチクリエイター。メディアミックスと言いながら実際単メディアの方が多いです。例えば、おまけを作ってるときも、バンダイの静岡工場までちゃんと行って、そこからどうしようって考えました。まず現場を見て、教えてもらって、それから手をつけます。刺繍のデザインも、アニメも、ゲームも、舞台も、作詞も、現場で教えてもらいながら身につけました。それの経験があって、マルチメディアのアイデアを作ります。そして最後に映画が来た。現場で教えてもらっているところです。
――最後というと、もう引退されるということでしょうか?
広井氏: いえいえ、違います。この間、気が付いたんです。1つだけ大事なものが抜けていました。歌舞伎です。
――おお、歌舞伎ですか。
広井氏: やりたいです。どうにかして。
――それはいきなりすごい抱負ですね。
広井氏: はい、どうにかしてやりたいです。三島由紀夫さんや宮藤官九郞さんも書いていますから。歌舞伎はいつかはやってみたいです。
――現在も「少女歌劇団ミモザーヌ」をプロデュースされていますよね。
広井氏: 少女歌劇団はもう5年。毎年入団してくるんです。その子たちを育成して舞台を作っています。
――他にお任せせず、陣頭指揮を取られているのでしょうか。
広井氏: もちろんです。土日は全部大阪行って、レッスンをやっていますので。僕が選んだ先生が14人いますから。14人のレッスンメニューを運営と相談しながらやってます。春と夏は一緒に合宿もしますから。
――「サクラ大戦」の歌謡ショウは、広井さんのこだわりだとうかがっていますが、歌劇団や歌謡ショウへのこだわりというのは、どこから来てるのでしょうか?
広井氏: うちのおばが、戦後SKD(松竹歌劇団)の1期生でした。国際劇場にずっと通っていました。その子供時代の影響みたいなのがあって。やっぱりそこが、自分の中に思い出として強く残っていて、僕もああいうショウを作ってみたいとずっと思ってましたから。だから歌謡ショウだけは、初めて自分でやりたいといって、やらせてほしいっていう思いがありました。
ただ、自分の中ではまだ完成してないんですよね。だから、それはずっと追い求めてて。ザ・レビューという考え方。宝塚のグランドレビューじゃなくて、もっとキャバレーみたいな、もっとちっちゃいんですけど。そういうものを作りたいと思っていて。それが「サクラ大戦」でも、完成しないし、もちろんできなかったし。それができない理由はいろいろありました。どうしたらいいか、考えながら、いま少女歌劇団をやっています。この少女歌劇団は20歳で卒業するんです。厳格なルールです。11歳から入れます。そこそこできるようになるのは15歳ぐらいですよ。「サクラ」と一緒じゃないですか。
――そうですよね。帝国華撃団っぽい感じはありますね。
広井氏: まさに“夢のつづき”なんです。僕の中ではちゃんとつながっています。ゲームの「サクラ大戦」から地続きでここまで来ました。僕は「大神一郎」になっている気分ですよ、本当に(笑)。
――なんならもぎりもやるぞと。
広井氏: そうそう(笑)。そんな気分ですよ。他にもみんなの相談を受けて「ああでもない、こうでもない」と悩んでる団員から「これどうしたら良いですか?」、「それは先生に聞きなさい」と。
――今後も体が動かなくなるまでやり続けると。
広井氏: そうですね。最初の広井王子のデビューが「ワタル」なんですけど、「ワタル」も「天外魔境」も歌舞伎がベースになっていたわけです。
――確かに、言われるとその通りですね。
広井氏: それなのに、その本家を1回も触ってないっていうのが、後悔するだろうと。最後にその本家に行き着いて、俺はやっと歌舞伎まで書けたぞっていうのが、自分の人生設計の中では、ピースがはまるかなと。
中学生の頃に8ミリを持って、大学も映画表現を蓮實さん(蓮實重彦氏)の授業を受けて、僕が、当時うちのクラブ(SPP)で面接したのが映画監督の黒沢清さんです。あれだけ「映画」って言っていたのに、結局実現しないわけですね。今回やっとこれで映画の中に片足ぐらいは入れたかなっていう。あと1本か2本作ったら「ああ、映画ってこういうことか」と、少しわかるかなっていう気はしていますけれども。
――旺盛な製作意欲は全く変わってないんですね。
広井氏: 意欲だけは。ただプロデューサーからの注文がないと頭が動かない。だからこれも歌舞伎っていうのも、松竹さんが「こういうのやりませんか」って来たら、「よし」ってなるかもしれないけど、自分で何やろうかなとは思ってないです。ただやりたいよなとは思っています。
――面白いですね。集大成としての歌舞伎は興味があるけれども、一から組み上げて、「松竹さん、お願いします」ではないんですね。
広井氏: ないです。注文を頂いてから頭が動きます。生来怠け者なんです(笑)。
代表作「サクラ大戦」に対する広井氏の想い
――広井さんといえば、原作を書いた「サクラ大戦」シリーズと答える方は多いと思いますが、今も「新サクラ大戦」をはじめ、いろんな形で続いてますけれど、原作者としてどのような想いでいますか?
広井氏: 何も思っていないです。「サクラ」の原稿は終わった時点で全部捨てました。グッズは1個も持ってないですし。痕跡がないんですよ、「サクラ」の痕跡がうちにない。「ワタル」もないです。「天外」もないです、一切ない。終わったものについては、一切うちの中に置いてないので。
――いやーすごいですね。なぜそこまで割り切れるのですか?
広井氏: 大事なのは「今」ですから。うちの机には、今、受けている仕事の資料が置かれています。
――広井ファンの1人として申し上げますけど、私は広井さんにもう1度「サクラ大戦」の新作を作っていただきたいという気持ちがあります。これは私だけじゃなくてもの凄い人数いると思います。この想いに対して、どう向き合っているのですか?
広井氏: 向き合えないです。応えられないから。注文がないかぎり頭は動きません(笑)
――つまり、セガからそういう依頼はこれからも来そうにないということですか?
広井氏: 今、何もない状況ですから「サクラ大戦」のことは考えられません。
――広井さんが関わってない「新サクラ大戦」に対しても、想いや感想などはないわけですか?
広井氏: ないです、ないです。
――そうですか。面白いと思ったことがあって、我々メディア側でも世代交代が起きていて、それはどういうことかというと、いわゆる旧「サクラ」シリーズを知らずに、「新サクラ」しか知らずにこれを「サクラ大戦」だと思っているゲームファンが一定数いるという事実です。広井さんは、そうした現実に対しても悔しいなとか、本家本元を見せてやりたいとか、そういう思いも、全くないと?
広井氏: 全然ない。
――なるほど。同様に「天外魔境」シリーズ、これも私の中ではすごく思い入れのあるシリーズなんですけれど、この新作を作りたいという、そういう思いもありませんか。
広井氏: ないです。
――「天外魔境」シリーズと同じハドソンでいうと、「桃鉄」シリーズが今すごく流行っていますよね。そういったムーブメントに対して、「俺もこんな作品いっぱい持ってたんだぞ、そろそろリメイク作ってやるか」っていう思いは、全然ないということですか?
広井氏: ないです。さくまさん(さくまあきら氏、「桃鉄」シリーズのクリエイター)は、やっぱり作家だから、すごく思い入れがあって、だから続編を作るけれども。僕は作家じゃないので。仕事としてプロデューサーがOKしたら終わりです。
――仮にコナミさんから、「天外」の新作を作ってほしいと言われたら、考えなくはないと。
広井氏: そうですね。その時は「プロデューサーは何をやりたいの?」って聞きますよ。こういう風にやりたいんだっていうのはなくて、ただ広井さんの名前使って「天外」出したいんですよねということであれば、「お断りします」って言うでしょうね。
――今、新しいゲームファンに対して、リメイク、リバイバルのブームが来ていますが、そこに対して自分の作品を、もう1度訴えかけたいとか、そういう思いは全然ないということでしょうか。
広井氏: そもそも作品だと思ってないです。
――何だと思っていらっしゃいますか。お仕事、パートタイムジョブみたいな感じでしょうか。
広井氏: 仕事です。職人として一生懸命作れば、いいお金を頂ける(笑)
――うーむ、特殊なクリエイターですね。
広井氏: クリエイターってのはどうかな。職人です。本当に。
――ご自身でずっとクリエイターと呼ばずに職人って言われているのはそういうことですか。
広井氏: 欄間を作る職人と同じです。「見事な欄間、誰?」、「左甚五郎です、これ」、「頼むか、ウチも」と。こういう左甚五郎になりたかったんですよ。
――名前で仕事するんじゃなくて、職人として作品を残していくと。
広井氏: 僕は原作プロットというパーツ職人です。これは俺の作品と言えるのはプロデューサーだけだと思っています。
――なぜそんなにこだわりがないんでしょう? 生み出した子供みたいな作品に対して。
広井氏: 言葉は悪いかもしれないけど、いい意味での排泄物だから。
――いやいやいや(笑)。これ炎上するかもしれないですけど、本心で仰ってそうですよね。
広井氏: その都度その都度資料を読み、何ヶ月も孤独の中で考え、原作プロットを作り、プロデューサーの考えに寄り添って書き直して、スタッフと何年もかかって生み出す。終わったときの開放感というか、スッキリした気分。もう全部出したって感じなんです。そして水に流して、次の仕事の資料を読みます。
――見返したらやっぱり後悔しちゃうから?
広井氏: そうかもしれません。もしかしたらそんなに、爽やかな話じゃなくて、すごく自己防御しているのかもしれないですね。逆になるかもしれない。もっとこだわっているのかもしれないです、心の中では。だからそれを断ち切っていかないと、前に進めないので。そんなに僕は強くはないので、だからそうやって、断ち切っていったのかもしれないです。自己分析する気はないですけれども(笑)
――なるほど、それは納得感があります。過去を振り返ると、例えば「サクラ大戦4」は、広井さんにとってあんまり納得のいく作品ではなかったと思うんですよ。誰がどう考えても。やっぱり会社の都合上、ああいう形にせざるを得なかった、ああいう形で出さざるを得なかったというところがにじみ出ていた。ファンとしてはじっくり時間を掛けてあの「サクラ3」と同等のものを、同等のボリュームで作ってほしかった。
広井氏: そうですね。その話を説明するのは難しい。会社側からの条件が「条件:予算これだけ、期間8カ月」。大場さんと相談して、「どうする、いやこれ、すごく短いの作るしかないよね」と。それでも出す意義があると。そういう話をみんなでして、スタッフ全員、出す意義があると。どんな非難を浴びても出そうと。
――その非難はご自身が受けると。
広井氏: 最後に米田(帝国華撃団総司令 米田一基)のセリフで書きたいものがあった。
――でも確かに今思い返すと、米田司令と広井さんは色々被りますよね。ご本人だったってことなんですかね。
広井氏: ありがとうございます。そうですね。忸怩たる思いがありますよね、本当に。女の子に戦わせて、それでいいのかとか。
――米田司令には名台詞がいっぱいありますが、あれはまさに広井さんの思いなんですね。
広井氏: 米田はずいぶん直しましたから、あかほりさん(あかほりさとる氏)に「こういう風にして欲しい」と注文出しました。
――広井さんが関わられた「サクラ大戦」は4までですか?
広井氏: 4までです。
――5以降はどうなんですか?
広井氏: 5もプロットは書きました。ニューヨークのここを使ってとか。ただ、5は取材でニューヨークは行ってないです。パリは3回くらい行きました。
――その意味では、今考えても贅沢な作り方ができていた「サクラ3」が広井さんとしてももっとも納得の行く作品だったのでしょうか?
広井氏: そうですね、CGも含めてあそこが集大成ですかね。
――だから私の世代だと、広井印の本気の作品っていうのをもう一度遊びたいっていうのは、ゲームファンだったら、みんな持ってると思うんですよ。
広井氏: ありがとうございます。でももう、自分がプロデューサーとしてやるのは嫌です。今の作り方がずいぶん変わってきちゃっていて。僕の思うようなゆるい作り方が出来ないです。
――それはプロデューサーやディレクターが権限を持っているという意味ではなく?
広井氏: それも含めてですけども。昔みたいにサムライプロデューサーはもういないんですよ。ちゃぶ台返しも出来ません。この期間でシナリオは、何ワード何ページくださいと。「なんですかそれ?」と。契約書に書かれちゃっているんです。そうやってきっちりした枠の中で作る時代です。むかしのように、このシーンは3ページかもしれない、ここは300ページかもしれなんて迷子になりながら見つけていくような作り方は古いんです。
――なるほど。そのエピソードで私思い出したんですけど、「ファイナルファンタジーXIV」の吉田直樹プロデューサーをご存知ですか?
広井氏: 知らないです。
――彼は元ハドソンで、広井さんのもと「天外魔境」シリーズの開発に携わって、広井先生の言葉はすごく勉強になって今のゲーム制作に繋がっているという話をされていました。「FFXIV」は細部に到るまでストーリーにこだわりがあり、吉田さんは、品質を守るためには時には延期も辞さない胆力がある。そういう部分は広井さんの影響を受けたのかなと感じましたね。ただ、そういうこだわりを持っているストーリーテラー、クリエイターはどんどん減ってますから。だからつまらないゲームが増えていると思うんです。
広井氏: 吉田さんのお話し、ありがたいです。でもそれはその人の能力と言うより、環境がそうさせているんですよ。
――「サクラ革命」のサービス終了も、いろんな想いがありそうですね。
広井氏: ないです。「うまく作ってね」とは伝えました。
――だけど、伝わりませんでしたか?
広井氏: それはわかりません。「革命という意味は考えてみて」と言いました。
――重い言葉ですね。ただ、飾り言葉だけの革命だったと。
広井氏: 少なくとも、高校生くらいまでは、革命ができると思っていた時代です。そういう世代なのでね。
――その言葉の意味を、考えなさいと伝えたつもりが。
広井氏: 考えて迷子になることが必要だと思います。
――クリエイター魂が全く揺らいでないのを知って、私すごく安心しました。
広井氏: そうですか?(笑)。ありがとうございます。
広井氏はいま思春期!? 旺盛な制作意欲の秘密
――70裁というと引退される方も増えますが、広井さんはまだまだ活動されそうだなとお話を伺って確信できました。
広井氏: 今後の人たちに言っておきたいんですけど、人間、長生きになりますから。大体120歳ぐらいまで生きるのが当たり前になって、もしかしたら500歳までいけるんじゃないかっていう。細胞を老化させないっていう方法が少しずつ分かり始めていて。それを今一生懸命研究してるらしいです。120歳まで生きるっていうと、40歳から45歳くらいで、思春期をもう1回迎えなきゃいけないんですよ。でないとおかしなことになるんですよ、大体。そうすると次は70裁くらいで3回目の思春期を迎える。僕にもついに思春期が来たと。
――なるほど(笑)。
広井氏: そんな気分なんですよ今。冗談ですけど(笑)まあでも、そんな気分で新しいことやらなきゃと思っていて、すごいワクワクしています。最近、若い新しい人たちにも出会えてるし。
――つまり、広井さんは今思春期なんですね。
広井氏: そういうことにしましょう。「3回目の思春期キター」みたいな。ははは(笑)。すごく新しいことにチャレンジもしたいと思ってますね。そういう時に映画が来た。
――広井さんは、昔から、“天才クリエイター”と言われていましたが、本当に天才肌ですね。発想が、奇想天外というか奇天烈というか、まさに天外魔境の住人という感じですね。
広井氏: 横尾忠則さんと「サクラ」の時から仲がいいので、ポスターを描いてもらっていて。未だにお付き合いしていて、年に1回ぐらいはお茶飲んだりするんですけれど。スタジオにおいでよなんて。この間、ちょうど行ってきたんですよ。
横尾さんが「耳が悪くなっちゃってさぁ」とか言って。トランシーバーで話すんですよね。耳入れてて「もしもし」と話すんですけど。「なんか、広井君と話していると、いらないなー」とか言って。イヤホン外して「広井君とはテレパシーで通じるな」と。相変わらず面白いなって思ってたら、「君は狂っているな」と言われました(笑)。横尾さん80過ぎてます。それで山田監督(山田洋次氏)は撮影現場で拡声器で怒鳴ってました。92才です。こういう方々が天才です。ぼくはまだまだ小僧みたいなものです。山田監督の映画「こんにちは、母さん」のとき、編集段階で電話かかってきて「タイトル書いてよ」って。あれは驚いたな。
――そんな裏話があったんですね。
広井氏: ロケハンからずっとお手伝いしました。それでタイトルを書けって注文が来て、一生懸命やりました。この前会って「次やるよ」って言われて。次やるよってことは、俺に来いってことかと思って「はい、行きます」と。そうやってやっていると、本当に思春期ですよ。20歳違うんですよ、山田さんと。小僧です。ははは(笑)。この前、森本レオさんとも遊びに行ったら「おまえ元気だな」って褒められました。レオさんも80歳超えてます。がっつりウナ丼食べてました。
――広井さんは思春期を迎えた“若手”クリエイターとして、お話さえあれば、ゲーム制作も全然OKだよっていう?
広井氏: もちろん。それはどういう注文か分からないですけれど、例えば、この前やったのは、シナリオの加筆です。ほとんどできてるんですよ。プロデューサーが友達で「広井さん、これ読んでくれますか?」、「何?」って。「僕、ちょっと違うと思うんですよ」と。で、それが分からないと。読んでくださいというので「ちょっと時間ちょうだいね」と言って。
明くる日に会って、「ねえ、こことこことここがねえ、違うの、これ。キャラクターの整合性があってないから気持ち悪いんだよ、これ」と言って。「直してくれますか?」と。「いやいや、それはギャラいるよ」って言ってたら「出します」と。「分かった、分かった。いくら出すの?」と言ったら、これだけって。「おお、すぐやるから」と(笑)。それでこんなに出るのねと。直しのほうがいいなって思って。ゼロからやること考えたら、直しをいっぱい受けたほうがよっぽど儲かる(笑)。
期待の新作「東京大戦」について
――今、お名前が出ている作品としてはCRETA(クレタ)さんの「東京大戦」があります。あれはまだタイトルのみが出ていて、コンポーザーが崎元さん(崎元仁氏)がやられるってお話だけで、この昨年7月のイベントで、続報が出るかなと思ったら、広井さんが体調不良で欠席されたので続報が見送りになって残念でした。今開発はどうなっていますか?
広井氏: まさに昨日も、お風呂入りながら奥さんに「もう『東京大戦』が厄介で書けなくてさぁ、もうここ1週間便秘だよ」とかという話をしていたところです。
――ということは、まだ脱稿してないんですね。
広井氏: 脱稿していないです。もともと今年の4月ぐらいに脱稿予定だったんですけれどもね。そもそも「東京大戦」は、CRETA(クレタ)さんに、レッド(レッド・エンタテインメント)の元社長の名越さん(名越康晃氏、元レッド・エンタテインメント代表取締役社長)がいるので、だから請け負ったんです。彼が久しぶりにゲームで戻ってきて、広井さんとやりたいっていうのと、それから「東京大戦」を久しぶりに思い出してくれた。あれって、実は元のタイトルは「ブラックマーケット」でした。
――「ブラックマーケット」ですか。「サクラ大戦」から来ているんじゃないんですね。
広井氏: 「サクラ大戦」の元ネタです。「サクラ大戦」の1を考える時に、一番最初にあったのが「ブラックマーケット」です。僕は「ブラックマーケット」、そのとき若手が「櫻」っていうシミュレーションスタイルのボードゲームを作っていたんです。僕はこっちで「ブラックマーケット」という、戦後の闇市の話を書いていたんです。その中から、美しい花が咲くんだ、みたいな。「光は新宿から」って看板が敗戦1週間後に立っていたという記事をキーワードにして。
若手に「一緒にやらない?」と声をかけて合体して、「サクラ」に変わっていくんです。この「ブラックマーケット」の話を、名越さんが覚えていたんです。「あれやりませんか?」って。
――本当に元々やりたかったものを、今後「東京大戦」として出していく?
広井氏: やりたかったのかは分からないけれど、名越さんがやりたいって言ってるから「じゃあいいんじゃない?」と。
――そうか、広井さんがやりたいんじゃないんですね。
広井氏: 「お前そんなやりたいの?」って言ったら、「やりたい」って。昔のを出してきて「これずいぶん変えなきゃいけませんが」って。30年くらい前の原稿なんだから当然ですけど。それで「なんでそれ持ってんの? うちにないのに」と言ったら、「いや、これ絶対面白いと思って保管してました」と。「じゃあやろうか」と言って。
――今どこまで進んでるんですか?
広井氏: キャラクターはほぼほぼ出来てます。原作プロットを書いてます。
――4月にいよいよプロットが脱稿するわけですね。
広井氏: といっても春の段階ではまだ1章だけでしょうね。
――久々の新作ゲーム、楽しみですね。
広井氏: はい、僕も楽しみです。
――ゲームクリエイター広井王子として、久々の表舞台に出ますか?
広井氏: いやいや、表舞台に出る気はないです。「天外」のころはゲーム業界にメディアでしゃべる人がいなかったので白羽の矢が立っただけです。表舞台に出るために苦労しました。滑舌のレッスンやったり、しゃべる訓練したり。
――話はそれますが、それにしても「天外」はおもしろいゲームでしたね。
広井氏: あんなこと、もうできないですよね、面倒くさくて。みんな嫌だって言うと思いますよ。大仏が歩くんだとか。「歩く? どうしてですか? 」みたいな。「いいんだよ、歩くんだよ。面白いだろよ、大仏に乗れたら」とか言ってね(笑)。
「天外魔境」の時は、うちのスタッフが全員に「古事記」を読めと言って。来週「古事記」の発表会、と言って「どこが面白かった?」と。「桃を投げるとこです」、「桃を投げるとこね」と。それは入れようとか。だから初めて読んで、印象に残ったところって、絶対面白いところなんですよ、本当に。だって読んだことがないんだから。ましては古典なんかも好きじゃない、そんなやつらが読んで「面白かったとこはどこ?」っていうところが誰でも面白いところなの。「こんなくだらねえところ?」というところが、結構印象に残ってたりとか。そういうのをすごくみんなでやりましたね。メモして、ここは入れようとか。もうそんなことはできませんよね。
――そういうくちばしを入れるようなことは「東京大戦」ではやってない?
広井氏: やってない。それは「サクラ大戦」の1の時までです。それ以降はやっていないです。僕がちゃぶ台返しすると発表が遅れる(笑)。
――「東京大戦」でこだわっているのはキャラクターとストーリーですか?
広井氏: そうです。それでちゃんと期間に出すってことも大事です。
――でもご自身が描かれるのはゲームでは久々ですか?
広井氏: いや、そんなことないですよ。DeNAの「takt op.(タクトオーパス)」はずっと書いてましたからね。あれは僕が4年間書きました。その後はプロデューサーにお任せしました。少女歌劇団も夏と冬の台本や作詞を書いてます。
――クリエイターとしてはまだまだバリバリ現役ですね。
広井氏: 現役です。1週間のうちに書かない日はないですから。火、水、木が原稿書きです。土日は大阪に行くのでパソコンは一切持たない。携帯しか持たない。書きたくもないし、そっちの仕事は全部オフにして、歌劇団のことだけしかやってない。
――そんなレベルで直接指導されてるんですか?
広井氏: そうですよ。今、選抜7人いますけれど、選抜に入ると、僕と直LINEなので。いろいろな相談や今後の課題をメールで。
――リアルな「真宮寺さくら」を今でも育てている?
広井氏: そうです。
――面白い、楽しい人生を歩まれていますね、そういう意味では。
広井氏: そうですね。だから奥さんにも言われますね。「高校生とLINEできるんだよね」と(笑)
――誤解を招きそうな発言ですが(笑)。
広井氏: 仕事ですからね。なんだろうな、学校の先生とか、そんな感じですよね。あと、ショウを作る同志って感覚ですね。
――もう、少女たちから見ると、おじいちゃんですよね、年齢からすると。
広井氏: そう、だから思春期と言っているじゃないですか。おじいちゃん気分でいると、やっぱり伝わらないんですよ。
――じゃあ自分は70代のおじいちゃんの気分ではなくて、普通の少年の気分で。
広井氏: 少年というか、目線が同じなので。何度も言うけどショウを作る同志です。
――それが若さの秘訣なんですね。確かにとても70歳には見えないですもんね。
広井氏: いやいや、それはどうかは分からないですけどね。いつも夢中です(笑)。
――最後にゲームファンに向けて一言お願いします。
広井氏: 僕もゲームにずっと関わって、ゲームに救われたことがたくさんあります、本当に。僕は「信長の野望」をやらなかったならば、この業界に入ってなかったと思うんですよね。もちろん堀井雄二さんがいて、西洋スタイルのロールプレイングゲームを作らなかったら僕は絶対に日本の方に目を向けなかった。堀井さんが西洋をやったので、僕は日本を向いた。堀井さんの影響がすごく大きくて。その堀井さんも同い年で70歳。そういう意味で、ライバルじゃないけれども横にすごく強い方が立っていたっていうのは、僕にとってすごく良かった。
またそれが黎明期のゲーム業界だったいうのも幸運でした。まだルールはなかったから実験が出来た。いまゲーム業界は成熟しようとしています。AIも含め新しい技術を取り込みながら発展をしていくでしょう。若い人はどんどんチャレンジして、面白いものを作って下さい。そしてプレーヤーの方は、eスポーツも登場してプレーする環境も変化して行くと思います。ゲームというすべての環境が優しく面白くワクワクした未来へ向かうと信じています。
――楽しいお話をありがとうございました。
(C)2023 映画『PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~』製作委員会