「電遊道」~Way of the Gamer~ ジョン・カミナリの楽しいゲームライフ
ジョン・カミナリの楽しいゲームライフ【第29幕】
イタヲタのレトロなゲームライフ~ジョン・カミナリのハプニング満載オタク人生~
僕のゲーマーとしての人生を懐かしさたっぷりで語っていきたい。毎回、特定の時代をセレクトして、自分の記憶への冒険をしたいと思う。最終的には1つのストーリーになる。僕というオタクのストーリー。僕という和ゲー好きゲーマーのストーリー。文章だけでなく、クライマックスのシーンをもっとダイレクトに伝えるために漫画も使うことにした。とにかく、日本ではありえないシチュエーションについてたっぷり語っていくぞ!
- 今回の時代設定:
- 1999年
- イベント:
- ローマの出版社にドリームキャスト専門雑誌が誕生
- ハプニング:
- 「チュー」で宇宙を救うセクシーレポーターがローマに舞い降りる!
プレイステーションブームと共に、イタリアではゲーム雑誌の出版社がキノコのように増えていった。日本語の勉強を終えたばかりの僕は、プレイステーションの人気ゲーム雑誌「PSM」を出版していた会社に、日本のゲームを紹介する編集者として入社することになった。初めての仕事場。初めての僕だけの机やパソコン。ゲームが大好きな僕には果たして報道者としての仕事ができるのかなと、不安な気持ちもあった。しかし、先輩の温かい励ましや言葉のおかげで、僕はあっという間に、自分の人生初の仕事場になじむことができた。
セガなど日本の誇る有名なゲームメーカーとのコンタクトを担当していた僕は、少しずつ雑誌のコンテンツ向上に貢献していたことを実感し、それが今後も頑張る為の大きなモチベーションになっていた。初めての日本人とのメールのやり取り。どんな言葉を選べばいいか、最初は困っていたときもあった。しかし、試行錯誤しつつ、少しずつ相手から手応えを感じ、成果も確実に出始めていた。毎週、日本から画像やイラストがたっぷり入ったCD-ROMが届いていた。編集長はそれをすごく嬉しく思っていた。これで、イタリアの読者にほぼリアルタイムで日本の新作の情報を発信できるからだったのだ。
編集部での楽しい毎日が続いていた。雑誌が右肩上がりの販売部数を記録していた。僕もチームの一員として雑誌の成功に貢献できたことを誇りに思っていた。その後も新しいゲーム機が発売される度に新しい雑誌を作ることになった。セガのドリームキャストがマーケットに導入された時もそうだった。僕が当時携わったゲーム雑誌は「DREAMCAST ARENA」だった。ローマの出版社が作ったイタリア初のドリームキャスト専門雑誌。僕は特に日本のゲーム情報を紹介するコーナーやプレビュー記事を担当していた。
実は日本には、僕達の出版社の為にPR的な活動に集中していた頼もしい相棒がいたのだ。その人はリュウちゃんだった。僕は彼にメールでいろんな指示を与え、東京ゲームショウなどのイベントを取材したり、素材を集めたりしていた。僕はローマにいながら、リュウちゃんからもらった写真や素材で多くの新鮮なニュースを編集できたのだ。リュウちゃんがいなければ、あんな新鮮な情報が発信できなかったのかもしれない。だからこそ、今でも、リュウちゃんにはとても感謝している。
リュウちゃんから毎月、ゲームメーカーのゲーム素材や、ゲーム雑誌、日本のゲーム番組が録画されたビデオカセットなどがぎっしりと詰まったダンボール箱が編集部に届けられていた。僕は、編集部でも家に帰ってからも雑誌やビデオカセットで日本のゲーム市場を勉強していたのだ。東京ゲームショウでリュウちゃんがもらった名刺を借りて、ゲームメーカーに素材提供のお願いメールを送って、どんどん信頼関係を築き、特集記事を編集するための素材に恵まれていった。
1999年にドリームキャスト用のあるゲームに注目した。当時、日本の音楽ゲームに夢中になっていたので、そのジャンルに属するゲームに特に敏感だった。ゲームのタイトルは「スペースチャンネル5」だった。セクシーでポップな主人公のうららが、架空番組の視聴率を上げる為にリズミカルにモロ星人にさらわれた人たちを救出していくという、前代未聞のゲーム内容だったのだ。音楽ゲームとシューティングゲームの両方の良さを併せ持ったとても魅力的なゲームだと直感した。
「編集長!来月の表紙は『スペースチャンネル5』にしましょうか?」
僕は慌てて編集長に来月号の特集記事の提案をした。タイミングは出版社の命だ。「スペースチャンネル5」は新規性、意外性を併せ持つ注目を集められる絶好のタイトルのように思えた。結局、日本のゲームを愛していた編集長からOKがもらえた。「セガさんにすぐ連絡をとって!素材を提供してもらうように!」と命令された。
早速、セガさんのPRにメールを送信! 日本の最新ゲームを紹介していた「GAME REPUBLIC」の特集記事をうららちゃんに捧げる甲斐が十二分にあるのだ。さらに、ドリームキャスト専門雑誌の「DREAMCAST ARENA」にも特集記事を掲載しようという提案にも編集部のみんなが賛成していた。うららちゃんは今年のイメージキャラクターになるのではないか、みんな予感していたのだ。
セガさんから問題なく素材が届き、そのおかげで僕達は「スペースチャンネル5」の特集記事を編集できた。届けられたCD-ROMにはうららちゃん達の大きなイラストや多くの高解像度スクリーンショットが収録されていた。
「この素材では立派な表紙が作れるぞ!」
雑誌のグラフィックスを担当していたデザイナーが目を輝かせながらCD-ROMの中身をチェックしていった。本当によかった! 今月も僕は雑誌のコンテンツ向上に貢献することができた。そして、「日本のゲームをもう1つ、イタリア人読者に紹介することができた!」という、格別な達成感に浸ったのだった。
スペースチャンネル5
- プラットフォーム:
- ドリームキャスト
- 発売元:
- セガ
- 発売時期:
- 1999年
- ジャンル:
- ミュージカルアクションアドベンチャー
1970年代のスパイ・ムービー的な雰囲気の中、宇宙ステーションの看板レポーターのうららが、低迷する番組の視聴率を上げるため、モロ星人によって踊らされている地球人を解放する為に、踊ったり歌ったりしながらモロ星人をリズミカルに倒していく。
本作は音楽ゲームとシューティングゲームの良さを併せ持ちながら、サイモン・ゲームのようにプレーヤーの反射神経や記憶力といったものを試すパズル的な要素も持っている。
本作の見所の1つは、主人公のうららだ。世界の誰もが見た瞬間に好意を抱くような、とても魅力的なキャラクターだった。そのポップな動き、楽しい振り付け、明るい声に癒されたプレーヤーは数えきれないほど世界中にいるだろう。
ゲームでは、「アップ」、「ダウン」などのモロ星人の動きを十字キーとAとBボタンで再現し、返すことでうららが踊らされている地球人を解放していく。最初は覚えるコマンドの数は少ないが、ステージが進めば進むほどコマンドが増え、プレーヤーの記憶力が試される。
さらに少しずつ入力の速度が速まっていき、それと同時に難易度も上がる。言葉でうまく言い表せないほどの独特な中毒性を生み出すゲーム体験だった。僕は特にBボタンで繰り出す救出ビーム「チュー」が、とても気に入っていた。うららの「チュー」がキュートすぎて、聴く度に心がとろけてしまいそうだった。
本作は続編を含めてPS2など他のゲーム機で遊べるようになった。しかし、残念ながら、「パート2」からずっと沈黙が続いている。「スペースチャンネル5」のような斬新なゲームへの投資が激減した昨今のゲーム市場だが、うららちゃんがまた活躍する日が来ることを強く願っている。
(C)SEGA