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呼び覚まされるメガドライブ魂! 大島直人氏と、安原広和氏が振り返る「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の誕生
2018年3月23日 14:43
「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」というタイトルは筆者のような“メガドライバー”には特別な意味を持つタイトルである。多くの人がスーパーファミコンを持っている中、あえてメガドライブを選び、メガドライブでしかプレイできないセガのゲームを愛していたちょっと特殊なファン達にとって、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」は自慢のタイトルだった。特に北米での大ヒットは、まるで自分がなにかを成し遂げたかのような誇らしさを感じた。
「CLASSIC GAME POSTMORTEM: 'SONIC THE HEDGEHOG'」は、その“伝説”を生み出した1991年に制作された初代「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」がいかに生まれたかを語るセッションである。登壇したのはキャラクターデザインを担当した大島直人氏と、レベルデザインを担当した安原広和氏である。
講義では当時の資料も紹介された。マニュアルだけでなく、メガドライブ系の雑誌にも使われた両氏のイラストや、開発資料はまるでタイムスリップしたような気持ちにさせてくれた。講演の内容を紹介していきたい。
セガそのものを表現するキャラクターを! 伝説はこうして生まれた
1990年、セガ、そしてメガドライブは「看板キャラクター」を必要としていた。当時、ゲームメーカーはキャラクターを使い捨てるかのように扱っていた。タイトルが売れなくなればキャラクターも終わり。複数のタイトルをまたぐような存在感のあるキャラクターはファミリーコンピュータのマリオくらいしかなかった。
8ビット競争で任天堂のファミリーコンピュータに敗れたセガは、次の戦場である16ビット機としてメガドライブを任天堂に先がけて投入、魅力的なゲームキャラクターを育て上げるべくセガの開発者達は頭をひねっていた。日本だけでなく、世界で受け入れるキャラクターを求めていた。そして生まれたのが「ヘッジホッグ(ハリネズミ)のソニック」である。
なぜヘッジホッグなのか? それはゲームのキャラクターが「丸まって攻撃するから」である。ハリネズミ、アルマジロ、ヤマアラシ、犬、ひげを生やしたオッサン……様々なアイディアが生まれた。どれがいいか? そのとき大島氏は驚くべき行動をした。個人的な用事でニューヨークに行ったとき、セントラルパークでプラカードに候補キャラクターを貼り付け、道行く人々に好みを聞いたのだ。そして選ばれたのがヘッジホッグだったのである。ちなみに2位はひげのオッサン。彼はソニックの宿敵「エッグマン」の原型となる。
大島氏はソニックをデザインするにあたり、シンプルで親しみやすいデザインを模索していった。そのときあれこれとうるさく注文をつけたのが安原氏だという。「子供が簡単に書けるデザイン」、「どこかで見たような安心できるデザイン」……そうして生まれたのが現在のソニックなのだが、大島氏はレベルデザイン用によりシンプルなソニックを描いており、それを大島氏も気に入り、広報資料やゲームのマニュアルにも使用した。
ソニックは親しみやすく、安心感があり、そしてちょっとただものではない雰囲気がある。大島氏自身が特に気に入っているのは「媚びないところ」だという。皆をにらみつけるような強い光を持つ目線が、気の強い性格を物語っている。そして丸まって攻撃するときは“青い火の玉”となって、敵や障害物を打ち破っていく。
なぜソニックは青いのか? それはセガのロゴが青だからだ。そしてセガは「クール(かっこよく)」、「挑戦者」であり、「歴史」を持っている。ソニックはセガそのもののイメージを背負う、セガを象徴するキャラクターとして生み出されたのだ。
そして雑誌などに紹介されるソニックのバックストーリーは大島氏のアイディアやイラストと共に、安原氏とで組み立てていった。ソニックは飛行機に描かれたノーズアートのキャラクターであり、童話作家であるマリーの夫、空軍のテストパイロットであった彼の機体に描かれていたキャラクターだったという。
そう、ゲーム「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」は、パイロットとマリーの間に生まれた娘・シェリーのために作り上げたおとぎ話なのだ。ゲームのタイトル画面のマークの中で笑みを浮かべるソニックは、飛行機に描かれたエンブレムなのだ。
ソニックは超音速で走り回り、仲間の動物たちをロボットに改造してしまったエッグマンに立ち向かっていく。ソニックがロボットを倒すとロボットにされていた仲間は動物の姿を取り戻す。機械文明に立ち向かい、自然を取り戻すエコロジーの雰囲気は、当時はやっていた世相と、大島氏達の考えを反映させたものだという。
そしてゲーム「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」が世の中に衝撃を与えたのが「技術」である。天才プログラマーとして社内のみならず世界にその名を響かせていた中裕司氏のプログラムにより、メガドライブはその能力の限界を超えて発揮し、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」ならではのスピード感、超高速のゲーム展開を実現した。レベルデザインを担当した安原氏はこのゲームの感触にセガの「体感ゲーム」の楽しさを求めたという。細かい攻略ではなく、初見でも凄さに圧倒され、ゲームの雰囲気に夢中になる、そういう間口の広さをゲームで実現するバランスにしたとのことだ。
安原氏は様々なマップアイディアを盛り込んでいった。公開されている企画書ではいくつか×で消されているものがある。これは技術的に難しいことを考え、後回しにされたアイディアだというしかし、結局中氏のプログラミングはそれら全てを実現させてしまった。×で消されたアイディアもきちんとゲームに実装されているという。
ボツネタとしては、大島氏入魂のソニックのダンスモーションがある。豊富なキャラクターパターンと同じくらいの量と、大島氏の熱を込めて作られたダンスデータは、スケッチブックの企画イラストだけでなく、ドットパターンまで作られていたが、カートリッジに納まりきらなかった。今でもセガのどこかにはこのデータは眠っているかもしれないということだ。
そして様々なクリエイターのセガへの想いを結晶化させた「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」は1991年の年末、北米版スーパーファミコンの発売時期に合わせて発売された。スーファミのマリオバンドル版が199ドル、メガドライブとソニックバンドルが149ドル。大島氏と安原氏が誇らしげに提示したのが、セガの勝利を伝える新聞記事である。会場からの拍手に応える両氏。まさにこの瞬間が、セガファン、メガドライバー達が今でも語り継ぐ「伝説」なのである。
両氏は最後に当時を振り返り「中さんがいたから」と言葉を合わせた。大島氏が、安原氏が考えたアイディア、想いを、中氏が全て実現してくれたからこそ「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」という今でも語り継がれる名作ゲームは生まれたという。3人の才能、そして3人のセガへの想いが“伝説”を作り上げた、そのことがしっかりと確認できた講演だった。