【特別企画】

「SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE」が本日で4周年! 葦名弦一郎にリアル3日を費やした、忘れられない戦いがそこにあった

【SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE】

2019年3月22日 発売

 フロム・ソフトウェアが2019年3月22日に発売したプレイステーション 4/Xbox One/PC用アクションゲーム「SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE」(以下、「SEKIRO」)が、本日発売4周年を迎えた。

 本作は「ソウル」シリーズをはじめとした高難易度ゲームを数多く手掛けるフロム・ソフトウェアとActivisionがタッグを組んで開発したアクションゲーム。敵の攻撃を受け流すという独特なゲームシステムから、フロム・ソフトウェアの「死にゲー」の中でも、歴代最も心を多く折られたプレーヤーがいるのではないだろうか。本稿ではそんな「SEKIRO」の思い出を振り返っていきたい。

【SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE Gameplay Trailer【2019.3】】

芦名弦一郎を突破するまでにリアル3日を費やした

 先日、「ダークソウル2」(以下、「ダクソ2」)の周年記事の中で、「歴代『ソウル』シリーズの中でも『ダクソ2』の難易度が最も高いと感じている」と書いたが、ここで注意してほしいのは、「ダクソ2」の難易度はあくまで「ソウル」シリーズの話。「SEKIRO」はソウルシリーズではないため、この中には含めないでいただきたい。

 さて、そんな「SEKIRO」だが、忍者が主人公の和風な死にゲーとあって、当時筆者の周囲ではフロムゲーを全くプレイしたことがない人たちも、多くが「SEKIRO」を購入していた。そして、その中の8割が序盤も序盤に登場する中ボス「赤鬼」に勝てず、プレイを諦め脱落していった。

 「フロムゲーを甘く見たな……ニヤリ」と性格の悪い筆者は当時そんな脱落者たちを横目に、そこそこ順調に、そこそこ厳しく、「SEKIRO」を進めていた。

 まず最初に立ちはだかるボス「鬼形部」についても、苦労はしたものの、まぁそれなりに早めに倒せたのではないかと思う(ちなみに一応告げておくと、筆者はアクションが大好きだが、大の下手くそである。好きな気持ちと腕前は一致しないのだ)。

「我、鬼庭形部雅孝なり! 大手門、この形部が通さぬ」この名乗りは最高にかっこよかった。なおどうでも良いが、「ぎょうぶ」は「刑部」と書かれることが多いが、本作の鬼形部は「刑」ではなく「形」である

 アクション大好き、腕前は超へたっぴ筆者は、寄り道も大好きである。まず先に平田屋敷へと進んでしまった筆者は、次にまぼろしお蝶と対峙することとなる。この手のスピードタイプは得意だ、任せろ。いいか、へたっぴは正攻法で勝とうとするのではない。とにかくステップステップで回避を主体、一撃だけお蝶に食らわせたらまたひたすらステップステップの繰り返しだ。もう指が痛い助けて。でもチキン戦法ながらもイケている。さすがわたし。略して”さすわた”だ。

あまりにもステップだけに頼りすぎたチキン戦法故に、まぼろしお蝶とのバトル中のSSが一枚も残っていなかったのであった

 という冗談はさておき、実際こんなチキン戦法で、アクションが苦手な筆者はまぼろしお蝶を撃破した。寄り道が大好きなので、葦名城 本城のてっぺんにいる葦名弦一郎が待ち受けているともつゆ知らず、行ける場所は全部行った。取れるものは全部取った。つまり葦名弦一郎戦を前に、できる強化は最大限にしていたということになる。

 そしてようやくいざ筆者は葦名城 本城を登り始めた。寄り道をあまりしない人ならばとっくに対峙しているであろうボス、葦名弦一郎との戦いが、ついに……ついに、始まったのだ。しかし、この時筆者はまさか、この葦名弦一郎戦に丸3日を費やすことになるとは想像もしなかった——。

葦名弦一郎戦。ちなみに二周目以降は1回で倒せている

 そう。筆者は「致命的に葦名弦一郎が苦手」だったのである。そもそもとしてアクションへたっぴ筆者は、これまでこのゲームで非常に重要となる「弾き」と「見切り」をほぼ使ってこなかった。正確に述べるならば、使えなかった。下手くそだからである。半ばゴリ押しのようなやり方で勝ってきた筆者にとって、弦一郎は正攻法で行くしかないボスであった。

 だが、上手く弾けない。上手く見切れない。1ゲージ目すらひぃひぃでクリアしたが、この時は2ゲージ目まで削れば終わると信じていた。それを信じて、丸2日が過ぎた。しかし、この時誰が思ったのであろう……この男に第二形態があることを……。

いえ、見せてもらわなくて結構です。と言いたかった当時

 本気で泣いた。ここまでで3日間である。何日もただ弦一郎に費やし、ようやく2ゲージ目を削り切り、もちろん回生も残っていなければ傷薬瓢箪も残っていない。ついにやり切ったのだと大声をあげようとしたそのとき、上半身裸になった弦一郎がまだ目の前にいる事実を、受け入れたくなかった。サラサラと筆者の心が崩れてゆくのを感じた。もちろん、このあと死んだ。

モウ……コロシテ……。実際殺されているのだが、そんな想いしかなかったことを今でも覚えている

 ただ、この頃には2ゲージ目まではなんとかそこそこ削れるようになっていた。突きだけは必ず見切れるようになった。見切って、返す。それ以外はガード。あとは雷返しだけである。正直よくわからないけれど、雷がきたらとにかくジャンプして雷返し。返して弦ちゃんがダウンした時だけ攻撃をいれる。相変わらず、それ以外の攻撃は全てガードボタンを押しっぱなしでガードする(もちろん体幹は適度に回復する)。この……これだけのことをやり切るのに、筆者は丸3日かかったのだった。

ついに巴流 葦名弦一郎を倒した瞬間だった。雄たけびを上げた
あまりの喜びからか、この弦ちゃんを倒した時の「忍殺」のSSが無駄に10枚くらいあった。恐らく喜びのあまりSSボタンを連打していたに違いない

 アクションへたっぴ筆者の「SEKIRO」大冒険は、後にも先にもこの葦名弦一郎戦だけであった。もちろん、他のボスもたくさん死んでいる。しかし、丸3日を捧げたボスは他にいなかった。筆者の死闘は3日(※数十時間)を費やして、ついに終わりを告げたのであった。

絶対にソロプレイでしかできないからこその達成感

 「SEKIRO」には、マルチプレイが存在しない。これが「ソウル」シリーズとかであれば、「このボス苦手だから白ファンさん(協力プレーヤーのこと)呼んじゃおう」といったこともできるし、呼んだ白ファンさんがうまく噛み合えばさっくり苦手なボスも倒せてしまう。だが、「SEKIRO」は全てを自分の手で成し遂げるしかない。そこが本作のしんどいところでもあり、素晴らしい達成感を得られる部分でもある。

 筆者のようにアクションがへたっぴでも、粘って粘って粘ればクリアできるというゲームバランスも絶妙で、”諦めずに努力すれば実を結ぶ”という現実でも言えることをゲーム内で見事に表してくれたとも言えるだろう。

 ちなみに、葦名弦一郎で苦労した話は前述の通りだが、プレーヤーによって得手不得手もあっただろう。実際、筆者の夫は破戒僧が異様なまでに苦手で、筆者の葦名弦一郎ほどまでではなかったものの、かなり苦労していたのを覚えている。

一方筆者は破戒僧は得意なほうで、1〜2回死んだだけであっさりクリアできてしまった。破戒僧とは作中で2回戦うことになるため、夫のように破戒僧が苦手な人も、相当な苦労を強いられたことと思う。

幻影のほうの破戒僧。筆者は回生もHPもかなり残したままクリアできている
破戒僧。やはり割と余裕でクリアができている。得手不得手も面白いものだ
筆者が他に苦手だったのは獅子猿。クリアした時も、満身創痍といった状態であった

 だが、だからこそ苦手を克服した時、得難い高揚感を得られる。まさに脳汁が出るとはこのことである。辛い、しんどい、もうやめたい、そこからの勝利は他のゲームではなかなかに得られない興奮が爆発するという、これの繰り返しが「SEKIRO」最大の魅力と言っていいだろう。

 もちろん、日本という地(を彷彿させる架空の地)を題材にした忍者という設定がフロムゲーと見事に融合した結果でもあるし、「SEKIRO」の魅力は他にも細かいところを語りだせば掘り返すほどある。しかし、これはあくまで筆者個人の考え方だが、結局フロムゲーに憑りつかれた人間の体は、闘争を求めるということなのかもしれない。

NPCや美しい景色らも紹介

 「SEKIRO」はフロムの死にゲーの中では類を見ないほどNPCが少なく、ストーリーもわかりやすくなっている。中でもプレーヤーから愛されたのは、「お米ちゃん」とも呼ばれていた変若の御子(おちのみこ)。

変若の御子。お米は大事

 その裏側には金剛山 仙峯寺の僧侶たちが人工的に竜胤(りゅういん)の御子を生み出そうとした末に生まれた変若の御子たちの最後の生き残りで、何故か手のひらからお米が出る。このお米が「使用すると一定時間HPが回復する」という非常に強力なアイテムな上、このお米から派生するイベントもある。

 それが、葦名に古くから続く異端の力・竜胤を身に宿した一族の末裔で、狼が仕える九郎との、おはぎイベント。

竜胤の御子・九郎。お米は大事。エンディングの分岐条件にも関わってくるイベントだ

 相変わらず、深く考察しようと思うとフロムゲーらしく考察のし甲斐もある裏側が色々とテキスト上で描かれているのだが、表面上の物語はシンプルで、NPCらしいNPCはほとんどいない(最終的にはほぼ対峙することになるから、とも言える)。

 NPC以外に紹介したいのは、「SEKIRO」に登場する美しい風景。戦国の世が舞台だけに、基本的には荒廃した地が多いのだが、「源の宮」などは美しい風景が広がる幻想的な土地となっている。

葦名城 本城から見える風景。遠くには雪山が見える
源の宮
源の宮。右側の桜と左側の寺のような建物のコントラストが美しい(なおあの左側の寺には敵がわんさかいる)

 以上、「SEKIRO」4周年にあたって、様々な思い出を振り返ってみたが、いかがだっただろうか。

 まだたった4年、とも思うが、あの死闘からもう4年、とも思う。RTAイベントなどで取り上げられることも多いため、プレイ動画を見たことがある、という人も多い作品だと思うが、もしもまだプレイしていない人はぜひプレイしてみてほしい。そしてどこかのボスで、憎しみを募らせながら、それでも立ち向かい、「やった!」という達成感を味わってほしい。完全ソロだからこその「SEKIRO」をクリアした、という称号を手に入れられれば、もうどんなアクションゲームも怖くない、と思えるほどだ。

これぞ真に「SEKIRO」をクリアした証!

 ちなみに、もちろんそれは気のせいで、「SEKIRO」の腕前が上がったところでアクションゲームそのものの腕前が上がったわけではなく、やっぱり他のアクションゲームでは同じようなへっぽこぶりを見せるのだが、それはそれ、これはこれである。ただ、アクションゲームの最高峰を目指すならば、超えたい頂きのひとつではある。

 「エルデンリング」からフロムゲーを始めた、という人に次にオススメしたいフロムゲーとして「SEKIRO」を挙げるファンも多くおり、本作がそれに相応しい内容のゲームだからに他ならない(ちなみに筆者は「ブラボはいいぞ」派ではあるのだが、もちろん「SEKIRO」もオススメしたい一本である)。

 ぜひまだプレイをしていない人は、この高みに挑んでみてほしい。

これぞ真に「SEKIRO」をクリアした証!