【特別企画】
「ストリートファイターII」が本日で32周年! 「ストリートファイター6」リリース前にゲームの一大転換点を振り返る!!
2023年3月7日 00:00
- 【ストリートファイターII】
- 1991年3月7日 一般稼働
1991年3月7日、カプコンのアーケードゲーム機「ストリートファイターII」の一般稼動が開始された。
本作は、稼働当初は静かな立ち上がりで、ゲームセンターに通うコアなユーザーがプレイするゲームの1つだった。その後、プレーヤー同士による対戦格闘ゲームという概念が認知されて徐々に人気が上昇し大ヒット作となる。1992年6月には家庭用ゲーム機のスーパーファミコンに移植されこちらも爆発的ヒット。続編も1992年4月の「ストリートファイターII'(ダッシュ)」から代を重ねて、2023年6月には最新作となる「ストリートファイター6」のリリースが控えている。
「ストリートファイターII」以後、他メーカーから「バーチャファイター」、「サムライスピリッツ」、「モータルコンバット」など数多くの後継作品がリリースされ、対戦格闘ゲームというジャンルがうまれた。
そして本作は、「対戦格闘ゲーム」というジャンルを築いたのみならず、ゲーム全般にプレーヤー同士の対戦という概念を根付かせたのだ。それによってゲームに競技性を持ち込み、現在のeスポーツの礎をも築いたといってもいいだろう。
また、1994年には劇場版アニメ「ストリートファイターII MOVIE」、実写映画「ストリートファイター」も制作された。その他様々なメディアミックスが行われている。「ストリートファイターII」はゲーム業界のみならず、オタク文化そのものにも多大な影響を及ぼした。
TVゲームは「ストリートファイターII」以前と以後に分かれると言っても過言ではない。本稿では、本日2023年3月7日で一般稼働日から32周年を迎えた「ストリートファイターII」、略して「ストII」の革新性とその影響を、ゲーム、ジェンダー、カルチャーに分けて語っていきたい。
「対戦」革命! 「ストII」がゲームに持ち込んだ新しい概念
まず、「ストII」以前のアーケードゲームとゲームセンターの状況を振り替えってみよう。
当時、不良のたまり場のイメージが強かったゲームセンターは、1978年に稼動が始まったタイトーの「スペースインベーダー」以後、TVゲームと呼ばれるアーケード機で遊ぶ場所となった。
そして1983年に任天堂から「ファミリーコンピューター」が発売。ゲームセンターで遊べないRPGのヒットもあって徐々にライトユーザーは家庭でTVゲームを遊ぶ様になっていった。1990年にはより高性能の「スーパーファミコン」が発売され、アーケード機と遜色のない移植も可能になった。
そこからゲームセンターは、ゲームのハイスコアに頭文字を入れて競い合う様なコアなユーザーと、アンパンマンなどの景品を目当てにクレーンゲームを遊ぶファミリー層の場所になりつつあった。かつて娯楽の王様だった映画の様に、アーケードゲームもTVゲームによって凋落するかと思われた時代。アーケード機の「ストII」が一般稼動した1991年3月7日はそんな日だった。
「ストII」は、1987年にスマッシュヒットした「ストリートファイター」の続編に当たる。1989年に「ストリートファイター’89」として発表された横スクロールアクションを「ファイナルファイト」に改題、改めて続編として制作されたのが「ストII」だ。
お互いに体力を削り合い、2本先取で勝利のステージ制や、レバーを反対に入れて立ちとしゃがみの2段階でガードするなどの基本システムは「ストリートファイター」を踏襲している。
本作からの大きな変更点としては、リュウとケンの2人だった(2P仕様の色違いなので実質1人)プレーヤーキャラクターが8人に増量している。
また、初代「ストリートファイター」においては、「昇竜拳」や「波動拳」などの必殺技は、当たれば強烈にゲージを減らせたものの、コマンドも伏せられていたかつタイミングもシビア。必殺技を出す難易度が非常に高かった。
「ストII」では、各キャラクターの必殺技は「連打」、「溜め」、「コマンド入力」とバリエーションを増やした上に出しやすくなった。さらに筐体に据え付けのインストで出し方を紹介。豊富な通常技と必殺技を駆使して相手の体力を削る、格闘に特化した操作感となった。
この変更は初代「ストリートファイター」ではオマケ的要素だった「乱入」(2P側にコインを投入すると、プレーヤー同士の対戦が始まる)が1部で盛り上がっていたことを重視したからである。
「ストリートファイター」は対戦「も」出来る格闘アクションゲームだったが、「ストII」は1Pと2Pのプレーヤー同士の対戦を前提にした史上初の「対戦格闘ゲーム」だった。
だが稼動当初は、対戦するには筐体で見ず知らずの相手が遊んでいる最中に横に並んで乱入する必要があり、中々ハードルが高かった。一方北米では1プレイが25セント(当時のレートが1$134円なので34円ほど)。陽気なプレーヤーも多かったのか、対戦が盛り上がり、北米版が先行してヒットした。
対戦の普及が遅れていた日本では、とあるゲームセンターのオペレーターが筐体を無断で改造、2台を連結させて対戦専用の仕組みを独自に起ち上げた。相手とコミュニケーションをとらず、反対側の筐体に無言で100円玉を投入、対戦のステージに上がれる。今となっては当たり前の2画面対戦用筐体が話題となり、カプコンでも対面式筐体を開発。これにより、各ゲームセンターがさながらストリートファイト場と化したのだ。
アーケード版の大ヒットを受け、翌1992年6月にスーパーファミコン版「ストII」が発売された。アーケード版にかなり忠実な移植作で、通算280万本を超える大ヒットとなったが、「ストリートファイターII'(ダッシュ)」が稼動していたアーケードでの対戦も並行して盛り上がりっていた。
家ではスーパーファミコンで練習をし、見知らぬ猛者と実際に対戦する為にゲームセンターへ通う。それがゲーマーの日常となったのだ。
「ストII」以前、TVゲームは、コンピューターのプログラムを相手に遊んでいた。攻略する相手はいわばプログラマーであり、高得点をマークする方法はプログラマーの組んだアルゴリズムを研究することでもあった。しかし「ストII」の対戦では、プレーヤーの数だけ闘う相手がいる。キャラクター同士の相性なども含めると無限とも思える展開があるのだ。
ゲームが2Dから3Dへと進化しても、ゲームを通じて誰か対戦するという概念は受け継がれた。現在のeスポーツも、ゲーマー同士が闘う対戦の競技性から発展したものだ。
また、誰かと通信してゲームを遊ぶという行為の楽しさは、「ポケットモンスター」の通信やオンラインゲームでの協力などにも拡がっていった。
「ストII」は、文字通りのゲームチェンジャーだったと言えるだろう。
春麗という特異点「ストII」のジェンダーフリー革命
ゲーム界に「対戦」という概念を持ち込んだ「ストII」にはもう1つの革命的要素があった。
それはキャラクター8人の中、唯一の女性キャラクター「春麗」である。
現代においてゲームのプレイキャラクターで男女いずれの性別も選べるのは当たり前だが、1991年の時点では決して当たり前ではなかった。今では信じられないが、TVゲームは男の子が遊ぶものという偏見は根強く、女性のゲーマーは可視化されていなかったのである。
また、社会的に今よりもジェンダーの役割は明確に分けられていた。日本は1985年に女性差別撤廃条約を批准したが、中学校では1993年、高校では1994年になってようやく「家庭科」が男女共通の必修科目になった。それまでは男子は「技術」と分けられていたのだ。
そうした時代背景もあり、1981年の任天堂「ドンキーコング」では、マリオがさらわれたピーチ姫を助けに行く。1992年発売の「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」における有名な「ビアンカか?フローラか?問題」から解る様に、多くのゲームでは当然の様に主人公は男性で固定されていた。
むしろ女性キャラクターが必要以上に多いと、それでゲーム性の低さをカバーしている、として批判の対象になる風潮さえあった。恥ずかしいから女子に興味が無いフリをする、中二病的な意味において当時のゲーマーは硬派だったとも言える。
ナムコが1989年にアーケード版をリリースした、可愛い少女「ワルキューレ」が主人公の「ワルキューレの伝説」の様な例外もある。しかし少女の主人公を「選んで」プレイしていたわけではない。
そんな時代に突然登場したのが「選べる」女性キャラクターである「ストII」の春麗だった。
さらに特筆すべきは、春麗は8人の中の紅一点、マイノリティではあったが、決して添え物でもイロモノでもなかった。
胴かと見紛う太い太腿、パンクロッカーも震える鋭利なトゲの付いた腕輪、キツい吊り目と、強さを前面に押し出したビジュアルは強烈だった。
そして春麗は見た目の印象をゲーム中でも裏切らなかった。
素早い身のこなしから繰り出す強烈な蹴り、ビンタや肘打ち、パンチなどの多彩な打撃、吸い込むような投げ技で、初心者でもそこそこ闘えるし、やり込めばかなり強かった。
男性がゲーム中の自らの分身に強い女性キャラを選ぶ。その選択肢がアーケードゲームという公の場で可能になった。その後の対戦格闘ゲームには必ず選べる女性キャラクターが登場した。
この事実は、ゲームに留まらず、創作物におけるジェンダー感の変化に多大な影響を与え、ひいては社会のジェンダーレスの流れに果たした役割も小さくはないと言えるだろう。
ゲームの方向が曖昧だった1990年代。「ストII」がゲームを踏みとどまらせた場所
これも今から思えば信じがたい話だが、1980年代末から1990年代初頭は、「おたく」バッシングが吹き荒れ、アニメファンとゲームファンが非常に肩身の狭い思いをしていた時代だった。大人になってアニメやマンガにうつつを抜かしていると犯罪者予備軍とさえ言われた。
ではTVゲームはどうかと言うと、社会的には子供の玩具という位置付けが強く、ややお目こぼしをいただいている空気があった。同時に、任天堂の好調な業績や「ドラゴンクエスト」シリーズの大ヒットもあって、ビジネスとして急成長している、無視できない分野でもあった。
そこで「オトナ」が考えたのが、TVゲームをお洒落なサブカルチャーにカテゴライズしようということだった。サブカル文化人だった糸井重里氏が手がけ、1989年に発売されたファミリーコンピューター版の「MOTHER」は象徴的だ。そんな流れに待ったをかけたのが「ストII」であり、あきまん氏が世に贈り出した「春麗」の、オタクの嗜好にどストライクなビジュアルだった。
ゲーム画面のデフォルメされた愛らしさ、ポスターやイラストではやや写実的ながらも、オタクが好きそうなエモーショナルな図案が全面展開されていた。当時はなかった「萌え」という言葉が当てはまるキャラクターが春麗だった。
1992年のスーパーファミコン版リリース時には、少林寺拳法の経験者だった水野美紀さんが、当時世間的にはなかった概念である「コスプレ」をして春麗に扮したTVCMが制作された。バックに流れる曲「バトル野郎~100万人の兄貴~」を「筋肉少女帯」が手がけるという「解った」作りだったのもオタク心を満足させてくれた。
同じく1992年には「残酷な天使のテーゼ」の及川眠子さんが作詞を担当した春麗のイメージソング「夢へのポジション」をアイドルの宮前真樹さんがリリース。宮前真樹さんも春麗のコスプレを披露した。
そして今では珍しくないTVゲームのアニメ化だが、「ストII」は1994年に劇場版アニメ「ストリートファイターII MOVIE」、1995年にTVアニメ「ストリートファイターII V」も制作された。1996年には水野美紀さんが再び春麗を演じた「ストリートファイターII TURBO」のTVCMも放送された。
特筆すべきは「ストリートファイターII MOVIE」で、小室哲哉氏が春麗をイメージして制作したというタイアップ曲「恋しさと 切なさと 心強さと」を篠原涼子さんが歌ってダブルミリオンの大ヒットとなったことだろう。
TVゲームがアニメやコスプレといったオタクが求めるメディアミックスを経て、さらに大きなビジネスになることが証明されたのだ。
「ストII」以後の格闘ゲームはコスプレを意識した様なデザインのキャラクターが溢れた。ビジネスモデルとしての「ストII」と春麗の成功があったればこその流れだったことは間違いない。
「ストII」に春麗がいなかったら、あるいは「モータルコンバット」の様な実写2Dだったら、ゲームはお洒落なサブカル路線を進み、今とは違う文化を形成していたかもしれない。
オタクカルチャーは1992年の「美少女戦士セーラームーン」、1995年の「新世紀エヴァンゲリオン」を経て完全に息を吹き返したが、「ストII」と春麗で萌えた1991年がなかったとしたら、その前に息絶えていた世界線があったかもしれない。
2023年6月。「ストリートファイター6」で、俺より強い奴に逢いにいこう!
「ストリートファイター6」稼動を前に、「ストリートファイターII」が起こした革命を振り返ってみた。「ストリートファイターII」が1ゲームタイトルに留まらず、多くのものを今に遺した偉大な先駆者であり、改革者でもあったという事に気付いて頂けたならば幸いだ。
実はゲーマーやオタクではない人には、「恋しさと 切なさと 心強さと」が「ストII」のタイアップ曲であるという事実はあまり共有されていない。
それは数多くの歌番組に出演し、紅白歌合戦にも出場を果たした篠原涼子さんが、カプコン広報の懇願にもかかわらず、「ストII」の劇場版アニメタイアップ曲であることに頑なに触れなかったからである。当時のMVにも、「ストII」を連想させる描写は全くない。
現代ではいかにアーティストとはいえ、ライセンサーの意向を無視した言動はあり得ないが、それだけ当時は「アニメ、マンガは恥ずかしいもの」というイメージが強かった証であろう。
実はカプコンサイドは当初、篠原涼子さんと同じ東京パフォーマンスドールのメンバーで、自他共に認めるゲーム好きの穴井夕子さんをに歌ってもらう予定だった。しかし「髪が長い方が良い」という小室哲哉氏の鶴の一声で篠原涼子さんが歌うことになった経緯がある。
ショートカットだった穴井夕子さんは、対照的にプレイステーションと同時発売された3Dゲーム「クライムクラッカーズ」のテーマソングを歌い、ノリノリでTVCMにも出演している。
もしも穴井夕子さんが「ストII」の楽曲を担当していたら、必ずタイアップ曲であることを広言してくれたのではないかと思う。また、それによって200万枚というセールスには到達しなかった可能性もある。
しかし2022年に篠原涼子さんがセルフカバーした「恋しさと せつなさと 心強さと 2023」のMVではしっかり歴代「ストII」の映像がサンプリングされている。28年目にして、ようやくオタクの無念が報われた感もある。
「勝った証」でもある「ストリートファイター6」を、ゲームが出来る喜びを噛み締めながら、大いに楽しんで欲しい。
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