【特別企画】

松本零士氏の旅立ちに。松本作品の要素が凝縮された「銀河鉄道999」の魅力と、“旅への強烈な誘い”を語ろう

 漫画家の松本零士氏が2月13日に急性心不全のため亡くなった。心よりお悔やみを申し上げたい。

 松本氏は筆者にとって思い入れが深いクリエイターの1人である。特に筆者は中学時代に彼の漫画を読んで大きな影響を受けた。松本氏の著作は膨大で、筆者が触れることができたのはその一部に過ぎないが、その中から筆者が一番思い入れが深い「銀河鉄道999」にテーマを絞って、松本作品の魅力を紹介したいと思う。

大宇宙へ繋がる旅情と詩情、泥臭く、ロマンあふれる松本世界

 筆者にとって松本氏の作品と言えばやはり「銀河鉄道999」が欠かせない。1人の少年・星野鉄郎が謎の美女・メーテルに導かれ、大宇宙を走るSL列車、銀河鉄道999に乗り様々な星を訪れるという作品だ。

 「銀河鉄道999」は大きなバックストーリーは徐々に進んでいくものの、各惑星で数話で完結するエピソードの集合体という物語構造になっている。当時の宇宙研究の先端を思わせる描写が入ったりもするが、降り立つ星は、下町あり、西部劇あり、未来SFありのイメージ豊かな惑星が次々に登場する。童話めいた、寓話めいたエピソードも多く、その雑多な雰囲気は本作の大きな魅力だ。

「銀河鉄道999」、1977年のコミックだが、その魅力は現代でも色あせない。松本作品のこれまでと、これからが詰まった作品だ

 本作は松本漫画の集大成という趣も強い。夢は大きくとも怠惰な日常に埋没してしまう若者の焦りを描いた「男おいどん」、昆虫世界を舞台とした様々な松本作品、リアルとロマンのない交ぜとなった戦記物「戦場まんがシリーズ」、そして「キャプテンハーロック」、「クイーンエメラルダス」……。「銀河鉄道999」はこれまでの作品の集大成であり、その後の松本作品の出発点でもある。作中の舞台で言えば、すべての旅人が立ち寄り、そして再び旅立っていく「トレーダー分岐点」のような作品なのだ。

 松本氏の作品の根底に流れる「生命への賛歌」は、逆境にも負けない、男らしく、強い意志を貫く“男の憧れ”が詰まっている。しかしそれだけではないところが松本作品の良いところだろう。「銀河鉄道999」の鉄郎に限らず、彼が描く主人公は、ずぼらでだらしなく、女性に支えてもらいたい、甘えたいという怠惰な面もある。

 悪役として登場する金持ちや独裁者は人の欲望を具現化したような存在だ。彼等はありあまる金と力にものを言わせて好きなことを何でもするし、結局他人が誰も信じられず1人の世界に閉じこもったりする。理想や希望を掲げながらも、正直な自分の欲望も見つめ、嫌悪を持ちながらも考えてしまう……各エピソードにはそんな松本氏の心情が見え隠れする。鉄郎は悪役をただ拒絶するだけでなく、共感したり、同情する場面も多い。そういった、ぶれつつも自分の理想を持ち続けようとする“あがき”は松本作品の大きな魅力であり、味だろう。

 松本作品の複雑な魅力が詰まった「銀河鉄道999」だが、根底にあるのは「ここではないどこかへ旅立ちたい」という強烈な、しかし実現が難しい強い思いだ。お金はどうする、旅先で体を悪くしたらどうする、何より旅だけでは生きていけない……。そういう不安を振り切って、目を背けて、どことなりあてどない旅をしてみたい。そんな憧れが松本作品には詰まっている。ハーロックや、エメラルダスも作品としては旅をする理由は設定されているが、その根底はあてもなく、終わりもない旅の中にいたいという、松本氏の願望が込められていると思う。

 実際、「銀河鉄道999」は、まず劇場版スタッフのアイディアも受けた上で、劇場版「銀河鉄道999」として原作に先がけて“旅の終わり”が描かれた。その影響を受けながら松本氏はコミックスで999を終着駅にたどり着くエピソードを描いた。しかし、松本氏はそれまでのエピソードを「アンドロメダ編」とし、新たなエピソード「エターナル編」を1996年から連載している。鉄郎が再び銀河鉄道999に乗り、宇宙への旅を再開しているのだ。新しいエピソードは個人的には“戦い”がクローズアップされ、旅情が少し薄くなってしまっていたと感じたが、謎めいた展開を繋ぐ手法でストーリーが展開しつつも、完結を迎えることなく松本氏は亡くなってしまった。

 現在電子書籍で入手できる全25巻で刊行されている小学館版を例に取ると、14巻までが1981年まで少年キングで連載されていた「アンドロメダ編」。その後1996年から1999年までビッグコミックゴールド、ビッグコミックでの連載と不定期掲載分での「エターナル編」が15巻から21巻まで収録されている。新しい物語、真の敵の存在をほのめかしつつ物語は進んでいたが、結末が描かれないまま休止となっていた。松本氏が亡くなってしまったことで、松本氏自身の手では結末は描かれることはなくなってしまった。

 「銀河鉄道999」は旅を再開し、その途上で物語は途切れてしまった。残念な気持ちもあるし、松本氏自身も未だ未だ描きたいエピソードはたくさんあったであろうが、この“未完”の終わり方は、「銀河鉄道999」に合っていると思う。実際、松本氏の作品は主人公達が旅の途上で終わる作品も多い。

 「何もかもを置き去りに、星の海へ旅立ちたい」。そういう想いや願望は多くの人の中に眠っているのではないだろうか。筆者自身は、「戦士の銃」の購入をきっかけにその熱が燃え上がった。筆者が購入したのはハートフォードのモデルガンでしかないのだが、生涯を通じて戦士の銃の実現を追い求めている企画者・高木亮介氏と、西部劇の世界を見つめ続けているハートフォードによって実現したモデルガンは、筆者の中にある“願い”を強烈に後押しした。

 戦士の銃を中心に、身につけるホルスターやガンベルト、999の乗車パスを入れるためのパスケース、それっぽい懐中時計、何かあったときに使える切れ味の良いナイフ、様々な道具が1つになったマルチツール、充電型のライター、コンパス、フラッシュライト、革の鞄……。「もし銀河鉄道に乗って旅をするときに必要なもの」を考えて、買いそろえてしまった。

 その一部をケースに詰め仕事机の隣に備え付け、それを見ながら仕事をしている。もし万が一、億が一、999が来たらこれだけ抱えて旅に出られるようにである。とても子供じみているが、そういう憧れは間違いなく筆者の中にあり、それを形にできたことに満足を得ている。筆者にとってやはり松本作品、そして「銀河鉄道999」は特別だ。

筆者の仕事机の隣には、銃とホルスターを中心に“銀河鉄道に乗るための道具”を詰めたケースがある。これを置いて2年以上だが、今でも見つめて感慨にふけってしまう

 人は誰もが旅の途上でその歩みを止める。しかしその血は、想いは受け継がれる。劇場版「さよなら銀河鉄道999」で描かれたテーマとして筆者は印象に残っているが、松本氏の作品あってこそのテーマであると思う。松本氏の強烈な想いは作品という確かな形で我々の前に提示されている。松本氏の作品には読むことで自分の中で眠り、くすぶっていた憧れや想いが再び燃え上がってくるエネルギーがある。そして彼の作品の旅情と詩情が好きだ。故人を偲んでまた読み返したい。