【特別企画】

「ゼビウス」稼働から40周年! あらゆる文化に大きな影響を与えた不朽の名作シューティングゲームの軌跡を振り返る

【ゼビウス】

1983年1月 稼働開始

 今からちょうど40年前の1983年1月。ナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)が開発した、縦スクロールシューティングゲームの傑作中の傑作「ゼビウス」が、全国各地のゲームセンターで稼働を開始した。なお、1984年にアルファレコードから発売された「ビデオ・ゲーム・ミュージック」のライナーノーツによると、本作の稼働開始日は同年の1月29日と記載されている。

 プレーヤーは自機のソルバルウを8方向レバーで操作し、対空用のザッパー、対地用のブラスターの2種類の武器を発射して敵を攻撃する。マップは全16エリアで構成され、敵の空中物は出現場所は決まっているが、プレイ内容に応じて変動する難易度によってその種類が変わり(※毎回同じ敵が出る場所も一部ある)、地上物は同じ場所に現れて同じパターンで動くのが大きな特徴だ。

 本作は、稼働直後から多くのプレーヤーを魅了し、瞬く間に大人気となったが、何せブームになったのは40年も前のことであり、今となってはその盛り上がりぶりを実際に体験した人は非常に少ないと思われる。以下、筆者の知り得る限りではあるが、稀代の名作シューティングに関するエピソードや、文化面に及ぼした影響などをざっとご紹介する。

【「ゼビウス」ゲーム画面 ※Nintendo Switch版を使用】

プレイするたびに謎が深まり、プレーヤーの度肝を抜いたシューティングゲームの金字塔

 本作の登場がどれほどまでに衝撃的だったのか? その理由はいろいろあるが、20種類を優に超える、豊富な敵キャラクターが出現することがまず挙げられるだろう。敵の空中物は、きれいな編隊を組んで現われたかと思えば、まるでこちらの攻撃を察知したかのように向きを変え、画面外へすっと飛び去るなど、華麗な動きを次々と披露。地上の敵も、ソルバルウの位置に向けて正確に弾を撃ってくるので実にスリリングだ。

 自機の前方に表示される照準を利用して狙いを定め、そんな手強い敵たちをうまく倒せたときの爽快感は格別。空中物にザッパーを当てた場合は「キシッ」という甲高いSEが、地上物にブラスターを命中させたときには「ドカーン」と爆発音が鳴ることも相まっていた。

 マップも含めたビジュアルの美しさも本作は図抜けていた。ソルバルウおよび各敵キャラは、グレーのグラデーションを利用して描かれたことで、今まで見たことのない、まるで本物の金属のような質感と立体感を生み出していた。エリア4などに出現する敵の浮遊要塞、アンドアジェネシスは当時としてはかなりサイズが大きく、その威圧感もハンパなかった。森林、飛行場、海、砂漠など、エリアを進むごとにいろいろな場面が登場し、中でもエリア7の砂漠地帯に描かれた、神々しさをも感じさせるナスカの地上絵はあまりにも有名だ。

 全16エリアに及ぶマップは、当時としては破格の広さで「この世界はどこまで続くんだろう? 世界の果てにはいったい何が待っているんだろう?」と、プレーヤーは好奇心を大いにそそられ、何度も何度も遊びたくなってしまう魅力にあふれていた。

 大人気を博した本作は、後にあらゆるメーカーの、あらゆる機種のPC用に移植されたのも当然の成り行きであった。PC版は主に電波新聞社が開発、発売したものだが、本家ナムコが発売したファミコン版も売れに売れ、数あるファミコン用ソフトのシューティングゲームの中で唯一、ミリオンセラーとなる127万本を売り上げた(※本数は「CESAゲーム白書」より引用)。

「ゼビウス」のパンフレット(※筆者私物。以下同)
かの有名なナスカの地上絵。エリア7の砂漠などに描かれている

 本作のプログラムと、マップ以外のグラフィックデザインを担当したのは、現ゲームスタジオ相談役の遠藤雅伸氏。上記のような画期的なアイデアを発案しただけでもすごいことだが、同氏は今のゲームには当たり前に存在する、壮大なバックグラウンドストーリーをいち早く取り入れたことも特筆すべき点だ。

 「ファードラウト」と名付けられた本作のストーリーには架空の言語、その名も「ゼビ語」が登場し、例えば自機のソルバルウはゼビ語で「太陽の鳥」を、敵キャラのザカートは「魔法」を意味していた。隠れキャラのソルは、地下に潜んだメモリータワーとして、またエリア9などでソルバルウに合体するシオナイトは、敵軍の中枢にあたる生体コンピューター「ガンプ」の反乱分子としてストーリー上に設定することで、各キャラクターが実際のゲーム中に存在する意味もきちんと持たせていた。

 ここまでこだわって作られたからこそ、プレーヤーはまるでソルバルウのパイロットとなって未知の世界での戦いに挑む、テレビアニメのヒーローや特撮番組の主人公になったかのような気分で、本作を思う存分に楽しめたのだろう。

 一見すると何もない場所に、ブラスターを投下するとソル、およびスペシャルフラッグの隠れキャラが突然出現する裏技を仕込んでいたことも、当時のプレーヤー間では大きな話題になった。ソルは、出現地点に照準を合うと照準が点滅するので、これを利用して探し出すことができたが、スペシャルフラッグは照準に反応しないので、自力で発見するのは至難の業だった。「プレイするたびに謎が深まる!! ゼビウスの全容が明らかになるのはいつか」という本作のキャッチコピーは、けっして誇大広告でも何でもなかったのだ。

 なおスペシャルフラッグは、元々は1981年に発売されたアクションゲーム「ラリーX」に出てきたキャラクター(得点アイテム)であったが、「ゼビウス」とはまったく無関係の作品に登場したものを、そのまま隠れキャラに流用したのも驚愕のアイデアだ。

 ちなみに遠藤氏は、当時から実名かつ顔出しで「ログイン」などの雑誌に積極的に登場しては、「ゼビウス」や「ドルアーガの塔」など、自身が手掛けた作品についてたびたび語っていた。昔は引き抜き防止などのため、業界内では開発者の名前や顔出しをNGにするのが当たり前であり、遠藤氏のようにメディアへの露出を盛んに行なっていたケースは極めて珍しい。そんな事情もあったので、傑作を開発し、なおかつ群を抜いて知名度の高かった遠藤氏は、俗な言い方をすれば「スタークリエイター」の先駆け的存在でもあった。

特定の地点にブラスターを投下すると、地下からニョキニョキとタケノコのように姿を現わすソル
姿を現わしたソルに、さらにブラスターを当てると破壊できる。出現、破壊時にそれぞれ2000点の高得点が加算される
スペシャルフラッグは発見しにくいが、取るとソルバルウが1機増える特大のメリットがあった

ゲームの世界を飛び越え、あらゆる文化に波及

 「ゼビウス」が生み出した遊びの要素と世界観は、後発のゲームの作風にとどまらず、ゲーム以外のあらゆる文化に影響を及ぼしたことも特筆に値する。

 とりわけ有名なのが、1984年にアルファレコードから発売された、史上初となるゲームオリジナル音源をメインに収録したアルバム「ビデオ・ゲーム・ミュージック」になるだろう。本アルバムには、「ゼビウス」をはじめとするナムコのアーケードゲーム10タイトルの曲が収録されただけでなく、元YMOの細野晴臣が監修し、自ら作曲した「ゼビウス」のアレンジ曲を収録したことも話題となり、オリコンチャート初登場で19位にランクインするほどの人気を博した。さらに同年には、ゲーム音楽アルバム第2弾「スーパーゼビウス」が早くも登場し、こちらも細野氏が手掛けた「ゼビウス」のアレンジ曲が収録されていた。

 ゲーム音楽を聴いて楽しむ新たな文化とともに、今日まで続くゲーム音楽市場の誕生に「ゼビウス」が大きく貢献したことも、ゲームの歴史に残る極めて大きな出来事だ。また84年12月には、ビクターから純粋な攻略ではなく、見て楽しむためのプレイ動画を収録した「インテリア・ビデオ・シリーズ」の第3弾として「ゼビウス」のVHDのビデオディスクも発売された。

細野晴臣氏による「ゼビウス」のアレンジ曲を収録した「ビデオ・ゲーム・ミュージック」。ジャケットの通称「ゼビウス人」のデザインセンスも秀逸だ(※写真は2001年にサイトロン・アンド・アートから発売された復刻版のCD)
こちらは「スーパーゼビウス」のアルバム(※同じく2003年にサイトロン・アンド・アートから発売された復刻版)

 ゲームメディアの発展にも、本作は多大な影響を与えた。当時は高校生だった「うる星あんず」こと大堀康祐氏と、中金直彦氏が書いた同人誌「ゼビウス10000000点への解法」(通称「ゼビ本」)は、稼働開始からわずか3カ月後に発行され(※編集後記に「1983年4月3日」の日付がある)、しかも全16エリアの詳細な攻略法が掲載されていたことから、全国各地のプレーヤーから大評判となり、初版は5000部、重版されたものは15,000部も売れたと言われている。ちなみに本書は、田尻智氏(そう、後に「ポケモン」の生みの親となる、あの田尻氏だ!)が主宰していたサークル「ゲームフリーク」でも委託販売されていた。

 「ゼビ本」には「バキュラは256発撃つと破壊できる」と書かれていたことから、ザッパーを跳ね返す特徴を持つ敵キャラの一種、バキュラが実は破壊できるとのデマがあちこちに拡散され、長年にわたり破壊できる、できないの論争が続く事態に発展したのも有名なエピソードだ。

 大堀氏はこの件について、拙著「ゲーム職人第1集」のインタビューで「せっかく遠藤さんがファンサービスで『ゲーム中に不思議なことが起こるかもしれない』ということをお話してくださったのに、正確にみなさんに情報を伝えられなかったことを今でも悔いています」と証言している。また、特定の条件で「ゼビウス星に行ける」というデマも拡散されたが、こちらのエピソードは1990年に発行された田尻氏の著書「パックランドでつかまえて」に詳しく書かれている。

 後に大堀氏は、電波新聞社の雑誌「マイコンBASICマガジン」の大橋太郎編集長にスカウトされ、同誌の付録「スーパーソフトマガジン」の「ゼビウス」特集をはじめとするアーケードゲームの攻略記事の執筆も手掛けるようになった。「スーパーソフトマガジン」には、前述した「ファードラウト」も掲載され、やがて同誌では新作アーケードゲームの紹介記事や、全国のゲームセンターと連携したハイスコア集計コーナーも毎号掲載されるようになった。

 さらに同社は、1985年に当時のアーケードゲームファンにとってはバイブル的存在だった、「ゼビウス」などのナムコ作品をあまねく紹介した「オールアバウトナムコ」を発行し、その部数は何と20万部を超えた(※2020には復刻版も発売されている)。ほかにも、本作のタイトルロゴやイラストをあしらった、おもちゃの飛行機やカイト(凧)などのグッズ類も玩具メーカーから発売されていた。

伝説の同人誌「ゼビウス10000000点への解法」。今読んでも極めてレベルの高い攻略記事が書かれ、冒頭のページでは「ファードラウト」の一節も紹介されている
縦回転しながら飛来する板状の敵、バキュラ。極めてシンプルなデザインだが、デマが流れたこともあり知名度は非常に高かった

 1985年には、サイコロ2個を用意して遊ぶ、文庫本サイズのアドベンチャーゲームブック版「ゼビウス」が、1991年には「ファードラウト」をベースに遠藤氏が書き下ろした「小説ゼビウス ファードラウトサーガ」が発行された。また宗教学者の中沢新一氏は、本作を「神話の生成力」と評し、1984年に「ゲームフリークはバグと戯れる:ビデオゲーム『ゼビウス』讃」と名付けた論文を発表するなど、本作の影響は文芸や評論の分野にまで及んだ。

 近年もプラモデルやフィギュアなどの関連グッズが登場し、昨年には本家バンダイナムコエンターテインメントでも「NAMCO MUSEUM OF ART 復刻ナムコレジェンダリーポスターシリーズ ゼビウス01」と題した、本作の稼働当時ゲームセンターに掲示されていたポスターが復刻販売を開始した。同じく、昨年にはハムスターが「ゼビウス」の移植版をNintendo SwitchとPS4で配信するなど、いまだにファンに愛され続けているのは驚き以外の何物でもない。

 ゲームセンターの範疇を超え、ビジネスと文化の両面で裾野を大きく広げた「ゼビウス」は、お世辞抜きに今遊んでも本当に面白い。ビデオゲーム史上に残る、後世まで永らく語り継がれるべき傑作であることは間違いないだろう。

こちらはゲームブック版「ゼビウス」(東京創元社/1985年)。年代貴重物ゆえ、カバーがひどく傷んでいるのは何卒ご容赦を……
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