【特別企画】
一般誌の「FFVII REMAKE」“落胆評論”は、なぜまったく読む価値がないのか
ちゃんとプレイしたらわかる「FFVII REMAKE」の真の魅力とは?
2020年4月24日 00:00
先日、全世界累計販売本数の350万本突破が発表されたプレイステーション 4用RPG「FINAL FANTASY VII REMAKE」。話題作としてもヒット作としても間違いなく2020年のトップに入る1本だが、こうしたビッグタイトルになるほど見かけるようになるのが一般誌による「落胆した」、「失望した」といった“逆張り”のコラムである。
内容に納得感のあるものならまだしも、そのほとんどが「プレイしていないだろう」と思うものばかり。以前から、なぜか一般誌だけで起こる不思議な現象なのだが、今回の「FFVII REMAKE」に関する“落胆コラム”は特にわかりやすく「ちゃんとプレイしていたらその感想は出てこないはず」という内容に終始している。
いちゲームメディアとして看過できないのは、まっとうな評論ならまだしも、そうした表面的な意見が変な誤解を読者に与えていることだ。いい機会であるし、各コラムが「落胆した」とするポイントに反論する形で「FFVII REMAKE」の真の魅力を改めてお伝えしていきたい。
分作は本当に落胆するポイントなのか?
たとえば、コラムにあるのは「原作にあたる『FINAL FANTASY VII』を分割して発売する切り売り商法だ」という主張だ。「FFVII REMAKE」はその名の通り「FFVII」のリメイクなのだから、1本で完結させないとおかしい。ましてや、分作なのにフルプライスで売り出すのはいかがのものか。その姿勢に我々は落胆している、というわけである。
確かに、「FFVII REMAKE」は「FFVII」の内容を切り分け、ストーリーラインにおける「ミッドガル脱出」までを描いたタイトルだ。もともとは1本だった作品を分割しているのだから事実としては間違っていないが、実際に触れてみると「FFVII REMAKE」の本当のコンセプトは“「FFVII」世界を濃密に描き直すこと”とすぐにわかると思う。
クラウドをはじめ、ティファやエアリス、バレットといったキャラクターたちの息遣いや表情の細かい変化。追加されたセリフやエピソードによって、グッと理解が深まるアバランチメンバーの心理。埃っぽいスラム街の寂れ具合と、完璧に整備された神羅ビルとのコントラスト。あの頃、心をときめかせた「FFVII」の世界やキャラクターたちが、「ここまでリアルに迫ってくるのか」というほどの濃度で描かれ続ける。
少なくとも「FFVII」ファンを自覚し、「FFVII REMAKE」を“ちゃんとプレイ”したのであれば、そちらの感動が真っ先に来るはずではないだろうか。「FFVII REMAKE」に触れ、本作の濃度をしっかり受け取ったプレーヤーなら、分作という選択は決して間違いではないと感じられるはずだ。
「指輪物語」の映画三部作、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズを「切り売り商法だ」と怒る人がいないように(いや、いるのか?)、どちらかというと、分作せざるを得ないほど、濃密に濃密に「FFVII」を再構成していく作品が「FFVII REMAKE」なのだろうと筆者は理解している。
このポイントを踏まえずに分作がどうのと言ってしまうのは、映画を見ないでレビューし、料理を食べずに語っているのと同じではないだろうか。
落胆するほどシステムは変わったのか?
もうひとつの主な「落胆ポイント」は「原作からゲームシステムが変わってしまっている」というもの。不思議なことに「何がどう変わったのか」という具体的な指摘がコラム内にはないのだが、おそらくは、想像していた「FFVII」のイメージと実際のゲーム画面があまりにかけ離れているために、往年の「FFVII」ファンとしては見放された気がする、などといった主旨かと思われる。
確かに「FFVII REMAKE」では、アクション要素が大幅に増している。もともとはコマンドバトルを主体としたRPGだったので、クラウドたちが激しく動くプレイシーンを見て「アクションゲームになった」と思った方は多くいるだろう。かくいう筆者も、発表当初は「『FFVII REMAKE』はアクションゲームになるんだ」と思っていた。
しかし、これも“ちゃんとプレイ”したら少し様子が違うことがわかる。見た目こそバリバリのアクションゲームのようだが、戦闘の真の要は「コマンド」にある。ATBゲージが溜まるのを待ち、体力が減っているなら「ケアル」などを使って回復し、攻めるなら個々のアビリティをしっかり打っていく。
場面に合わせてリーダー(操作キャラクター)を切り替え、味方にも指示を出して徐々に有利な状況を作っていく。「FFVII」時の画面とはガラリと変わってしまっているが、手触りそのものはコマンドバトルRPGのそれに近い。
アクションが苦手であれば、アクション操作を自動化してコマンド入力に専念できるモード「CLASSIC」という救済もある。これらも、“ちゃんとプレイ”していたらわかることなのだが、「システムが変わった」とばかり言って具体的に何がどう不満なのかを挙げないのは、“エアプ”判定を食らっても誰にも文句を言えないだろう。
「FFVII REMAKE」の真の魅力とは
では、筆者が体験した「FFVII REMAKE」とはどんなものだろうか? 一言で表すなら、「リメイクであり新作でもある『FFVII』体験」だ。
リメイクという観点では、すでに知っているキャラクターが登場し、すでに知っている筋書きに沿って話が進んでいく。ところが実際にプレイしてみると、待っているのはまったく知らない新作としての「FFVII」世界だ。
等身大のスケールで立ち表われてくるミッドガルは想像以上に壮大で、ネオン街であるウォールマーケットのいかがわしさ、魔晄炉の爆発やプレート落下の恐怖がありありと伝わってくる。
あるいは、原作でのクラウドはもっとクールな印象だったが、「こんなにウブだったっけ」と思うほど「FFVII REMAKE」のクラウドは思春期のような反応を見せる。また、最初はソリの合わなかったクラウドとバレットは、物語が進むにつれてお互いを信頼するやり取りが雰囲気で伝わってくる。
もちろんビジュアルは圧倒的に綺麗になったが、それ以上に、あらゆる面で細かい演出を効かせることで「FFVII」をリアルな世界として構築しようとしている。そして、そこにまったく新しいエピソードを加えることで、「FFVII」世界に新たな光を与えようとしている。
リメイクであり新作。考え方によっては矛盾するような、そんなスクウェア・エニックス本気の挑戦を体験できるのが「FFVII REMAKE」の真の魅力だろう。
弊誌「FFVII REMAKE」レビューは“ちゃんとプレイ”して書いてます
「FFVII REMAKE」については、発売直前まで情報拡散をあえて控えていたところもあり、「分作」、「システム変更」といった不安要素を残したまま発売を迎えた感はある。ただ、少なくとも発売後、公的なメディアが雰囲気だけで作った(ように見える)コラムを発信するのはどうかと思う。その点で、今回の「FFVII REMAKE」に関する一般誌の落胆評論はまったく読む価値がない。
むしろ筆者は、「FFVII REMAKE」の制作スタッフに、単なるリメイク以上の新生「FFVII」を作り上げんとする高い志を感じてならない。「FFVII REMAKE」はその第1弾だが、プレイ後の感想は「そう来たか」だ。
2作目まで間があるからこそ、「このクオリティでいったら、あのシーンはどうなる、あのキャラクターはどうなる」と想像を巡らせることができる。2作目以降がいつ発売になるのかは気になるところだが、想像をいい意味で裏切られそうな予感がビシバシしている。ひとまずは座して待つしかないが、それもまたよしだ。
ちなみに、筆者は弊誌の「FFVII REMAKE」レビュー記事も担当している。本編をクリアし、バトルレポートをすべて完了(当然“あの召喚獣”まで入手している)するなど“ちゃんとプレイ”してから書いた。参考にするとともに、その点は安心してお読みいただきたい。
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