レビュー
映画「グランツーリスモ」レビュー
ゲーマーはレーサーになれる! ゲーム史に残る偉業「GTアカデミー」を見事に映画化
2023年9月14日 00:00
- 【グランツーリスモ】
- 9月15日公開開始
映画「グランツーリスモ」のレビューに先立ち、返す返すも「GTアカデミー(GTアカデミー by 日産×プレイステーション)」はゲーム史に残る偉業だったと思う。「ゲーマーは、果たして本物のプロになれるのか?」という問いかけは、これまで幾度となく様々な機会で重ねられてきたが、「その問い自体がすでにプロに失礼」というタブー視する雰囲気が未だ根強い中で、「ゲーマーはプロレーサーになれる」ということを、これ以上無い形で実証した事例だからだ。
この映画を観た方、あるいはこれから観る方は、主人公のヤン・マーデンボロー選手は、GTアカデミーにおけるほぼ唯一の奇跡的な成功例であり、それをクローズアップしたものだと思ったかもしれないが、そうではない。「GTアカデミー」は2008年から2016年まで、実に9年間に渡って毎年季節ごとに世界中で実施され、20名近くのゲーマーを、レーサーとしてサーキットに送り込んでいる。マーデンボロー選手はそのチャンスを掴み夢を現実にした1人であり、実際には彼以外にも無数の挑戦と失敗、そしてサクセスストーリーが存在する。
ゲーマーが本物のレーシングドライバーになることの難しさは、レースゲームファンなら誰もが知っている。ゲーム後半、高難易度のチャンピオンシップに参戦するレベルになると、1レースは数十分にもなり、長い場合で一時間以上走り続けることになる。ワンミスでレースが台無しになる高速走行の緊張感、ライバルカーとの絶え間ない駆け引き、ダイレクトドライブのコクピット環境なら、腕や脚の疲労も蓄積してくる。レースを終えると、やりきったという心地よい疲労感に包まれるが、その一方で、“こんなこと”を実車で現実世界の重力と環境で戦い続けるレーサーにますます尊敬の念を深めていくわけである。
レースゲームの発表会では、スーパーカーの助手席に乗って、その加速を体験できる余興が実施されることがある。筆者も何度か体験したことがあるが、本音を言うと二度と参加したくない。毎回死ぬほど恐ろしい強烈な体験をすることになるからだ。絶叫系ジェットコースターを数秒に煮詰めた感じというか、心臓から何から全部後ろに置き忘れて顔だけ大砲のように打ち込まれた感じというか、レースゲームとは、ともかくもの凄い世界をシミュレーションしているということを容赦なく体でわからせてくれる。
そういう筆者が、「GTアカデミー」の活動をメディアの立場から眺めながら学んだのは、レースゲーマーには、筆者のような現実とゲームを完全に切り分けて愉しむレースゲーマーや、あくまでゲーム内で世界最速を目指して真剣に取り組むeモータースポーツアスリート以外に、“本物のレーサー”になるつもりで、あるいはそのステップの1つとして「グランツーリスモ」をプレイする層が一定数、しかも少なくない割合で存在するということだ。
ご存じのように現実世界のレーサーになるためには、実力だけでなく莫大な資金が必要になる。小さい頃からカートレースやレーシングスクールで学び、大会で頭角を現わした後も、世界を転戦する資金をスポンサーやクラウドファンディング等で集めながら戦って行くことになる。そのハードルの高さ、門戸の狭さをチクリと揶揄する表現が映画にも散見されるが、現実問題として今なおモータースポーツは“貴族のスポーツ”であり続けている。ただ、それでは無数の才能、可能性を見逃すことになる。そうしたモーターレースの閉鎖性に風穴を開けるべくスタートしたのが「GTアカデミー」というわけだ。
「GT」が巧ければ本物のレーサーになれるチャンスがある。降ってわいたまさに夢のようなチャンスに、多くのゲーマーが参加。しかし、そもそもオンラインレースで勝ち抜くことすら難しいのに、その後、GTアカデミーに参加しても、現実の壁に直面し、フィジカルの壁に直面し、次々に離脱していく。そうしたなか、ヤン・マーデンボローは、持ち前の“直感”とゲームから学んだレーステクニックを武器に、過酷なフィジカルトレーニングをなんとか乗り越え、プロレーサーの夢を一歩ずつ掴んでいく……。これが映画の基本的な流れとなる。
映画は常に明快な対比で描かれていく。持つモノと持たざるモノ、ゲーム業界とレース業界、ゲーマーとノンゲーマー、素人とプロフェッショナル、そして“ライン”が見えるものと、見えざるもの……。筆者は必然的にゲーム側の視点に立って見てしまうため、映像やセリフの細かい部分に「これはちょっと誇張しすぎかな」という表現もあったし、ゲーマーに対する偏見や罵詈雑言もまさに全部入りと言っていい。ただ、その分だけわかりやすい作品になっており、「グランツーリスモ」シリーズはおろか、日頃ゲームを遊ばない層にも充分リーチできるスポーツエンターテインメントに仕上がっている。
ゲーマー視点だと、ゲーム内で走り込んだ経験からレーシングカーの異常に誰よりも早く気付いたエピソードや、ゲームからリアルへ、リアルからゲームへ、シームレスにシフトするようなCG表現、ドローンを駆使したゲーム顔負けの立体感のある迫力ある映像表現、ゲーム同様のこだわり抜かれたエンジンサウンド、そして勝負所で彼だけが見える“ライン”表現などなど、ゲームファン、「GT」ファンだけが楽しめるようなエピソードがふんだんに用意されている。極めつけは「GT」クリエイター山内一典氏のカメオ出演だろう。一瞬なので見逃さないようにしたいところだが、逆に堂々と出過ぎていて「あれ? 今のひょっとして山内さん?」ってことになるかもしれない。不意の遭遇をお楽しみに。
上映時間は2時間14分。時間だけ見ると少し長めだなと思ったが、その分だけ単純なサクセスストーリーでは終わらない。マーデンボロー選手がGTアカデミーを突破し、夢を掴むところまでが前半なら、彼がプロレーサーとして世界を転戦する後半にも一山も二山もドラマが用意されている。そして物語も終盤に差し掛かろうかというところでまったく想定外の出来事も発生し、物語の行く末が一気に見えなくなる。
GTアカデミーへのチャレンジ自体が間違っていたのか、ゲーマーをレーシングカーに載せたことは正しくなかったのか、そもそもこのような取り組み自体やるべきではなかったのか。マーデンボロー選手以下、GTアカデミー関係者に様々な想いが去来する。
彼らが最終的に救いとなったのは絆だ。「誰も期待してない」から始まり、GTアカデミーとレース活動を通じて「お前ならやれる」まで高め合ったチーフエンジニアとの絆、「ゲームばかりするな、現実に向き合え」とまったくゲームに理解のなかった父親との絆、同じ夢に向かって苦楽を共にしたGTアカデミーメンバーとの絆、そしてゲーマーにレーサーへの門戸を開いてくれた「グランツーリスモ」との絆。
それらの想いを胸に、マーデンボロー選手はル・マン24時間レースに挑んでいくことになる。見事なアンダードッグ(負け犬)ストーリーであり、最後の最後まで手に汗握る展開を堪能できた。「栄光のル・マン」を筆頭とした歴代のレース映画に連なる存在として、ぜひ多くの方に見て貰いたい作品だ。