IGDA日本主催「福島GameJam in 南相馬」参加レポート
電光石火のゲーム作りで発する被災地・南相馬市からのメッセージ


8月27日~28日開催

会場:福島県南相馬市 市民文化会館

参加費:無料


福島県 南相馬市 市民文化会館“ゆめはっと”。南相馬市役所に隣接する建物だ

 国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)は、8月27日~28日にかけて、ゲーム開発イベント「東北ITコンセプト 福島GameJam in 南相馬」を開催した。東京や東北地方のゲーム開発者・学生、総勢44名が集まり、会場となった福島県南相馬市の市民文化会館にて30時間のゲーム開発を実践した。

 「GameJam」とは、参加者が即席のチームを作り、2日~3日程度の短い期間で1本のゲームを完成させるというイベントだ。かつては北欧を中心に盛んに行なわれていたローカルイベントだったものが、近年になって国際ゲーム開発者会議(IGDA)主催の産学連携イベントとしてワールドワイド化、年に1度「Global GameJam」として世界規模で開催されている。

 そして今回、「福島GameJam」の開催地となった南相馬市は、東日本大震災で最も深刻な被害を受けた自治体のひとつだ。沿岸部が津波で甚大な被害を受けたほか、福島第1原子力発電所の事故の影響で、主力産業のひとつである農業の継続的な経営が難しくなった。市民の大半が土地を離れ、残った人々も多くが失業状態にあるなど、物心両面で深刻なダメージが残る。

 「福島GameJam」は、そんな南相馬市が象徴する、東北地方の復興を応援する意図をもって開催されたものだ。東北地方のなかでも原発に近い地域では、これまで市民の生活を支えてきた農業や畜産の復活は極めて困難である。復興への鍵は、ゲーム産業を始めとする情報産業や、知的創造物を元とした産業の発展にあるのではないか。それがIGDA日本が提案し、南相馬市が強く賛同するビジョンだ。

 このような背景もあり、「福島GameJam」の開催にあたって、各方面から厚い支援が届けられた。IGDA日本とともに本イベントを主催した株式会社ユビキタスエンターテイメントの展開する投稿型ゲームサイト「9leap」を筆頭に、南相馬市とNPO法人イノベーションネットワークが共催、会場の提供や関連各社との調整に尽力した。また協賛企業として情報産業関連の複数社が名を連ね、会場に水やTシャツなどを提供。Unity TechnologiesとAutodeskはプロ向けの各種ツールを無償提供した。

 筆者はこのイベントに参加者として帯同してきたので、中からの視点から「福島GameJam」の模様をお伝えしていきたい。


■ ゲーム開発者、被災地の現状を見る

秋葉原から出発する東京組
現地ガイドを買って出てくれた但野謙介南相馬市市議
原発から20km、封鎖地点を見学する。ここから先、一般の立入りは認められていない

 「福島GameJam」には東京方面の参加者25名、東北地方からの参加者19名の、計44名のゲーム開発者および学生などが集まって開催された。このうち東京方面からの参加者は、現地への移動手段が車しかないこと、また一部の道路はいまだ交通規制のある区間も存在するということで、東京秋葉原から団体バスでの移動となった。

 東京組のひとりとして参加した筆者も、開催前日の深夜に秋葉原へ向かい、皆と一緒にバスに揺られて現地へ向かった。翌朝、現地に到着した参加者を待っていたのは、「福島GameJam」の開催実現に尽力した南相馬市市議、但野謙介氏だ。

 但野市議は若干29歳の、非常に活動的な人物。東日本大震災の発生直後は、甚大な被害を受けた地域に出向いて被災者の救助や、瓦礫の撤去などに不眠不休で協力したという。それも一段落し、次の仕事は復興の道筋をつけること。原子力災害によって風評被害や実際の汚染被害を受けるようになってしまった農業・畜産を元通りにすることは難しく、新しい産業の育成が急務だ。

 但野氏によれば、震災後から数カ月が経ち、市外に避難していた市民も徐々に戻ってくるようになったが、依然として人口は震災前から半減したままだという。また、震災の影響で職を失った人も多く、失業率がかつてない水準に達しているなど、厳しい現状が続いている。そんな話をしつつ、東京方面からの参加者を乗せたバスを、被災地域へと導いてくれた。

 そこで見た風景は壮絶の一言だ。沿岸部から数キロの地域は津波により大きな被害を受けており、ところどころに建っている家屋も多くが半壊状態だ。全壊したものは既にほとんど撤去されているため、沿岸近くともなれば見渡すかぎり荒地が広がっているという様相である。津波の最終到達点に近い沿岸数キロの地域には、流れ着いた大量の漁船が、撤去するすべもなく放置されていた。さらには、地盤沈下の影響か、水はけが悪く湖のような状況になっている土地もあった。

 津波による直接的な被害を受けていない地域でも、原子力災害の影響により、農地は放棄され、草が伸び放題だ。かつては水田や畑であったであろう場所が、いまでは一面、生い茂る自然の植物に覆い隠されている。所々、花などの非食用植物の農地だけはきちんと手入れがされているだけに、眼前に広がる光景がなおのこと痛々しい。あまりの光景に、帯同した25名のゲーム開発者も言葉がないという様子だった。

 これらの状況を見て、南相馬市の復興にかけて、但野市議がソフトウェア産業に注目している事情を痛いほどに理解することができた。ソフトウェアならば放射能汚染を受けることはないし、風評被害にさらされることもない。また、情報通信の発達した現在、東京一極にこだわる必要もないデベロッパーが多く出てきていることもある。オフィス賃料の安い地方のほうが、より良い仕事につながる余地もあるだろう。その最初のシンボルとして、「福島GameJam」が位置づけられている。


10メートルを超える津波被害を受けた原町区の沿岸、かつてサーフィンのメッカだった地域だ。北辺に位置するのは東北電力の火力発電所。津波で深刻なダメージを受け、操業不可能な状態にある

上記発電所の北側に当たる、かつて150戸あまりが並ぶ住宅地だった地域。見渡すかぎりの荒野となっているが、地面には無数の住宅基礎が並んでいる。かろうじて残った家屋も、ほとんどが半壊・全壊状態だ

内陸へ2~3kmほど進んだ地点には、大量の漁船が為す術もなく放置されていた。海に戻そうにも、肝心要の漁具やレーダーが失われているため、用をなさなくなっている。やがて解体されることになるのだろうか?

■ 超タイトスケジュール! 寝る暇を惜しんでゲーム開発に打ち込む

開会にあたって歓迎の意を述べた南相馬市副市長、村田崇氏
IGDA日本とともに本イベントを主催、スポンサードしたユビキタスエンターテイメントの清水亮氏
最後にIGDA日本代表の新清士氏が、作品のテーマを発表。8チームに分かれてゲーム開発が始まる

 開催当日8月27日の10時過ぎには東北地方からの参加者も合流し、いよいよ「GameJam」が始まった。まず、IGDA日本代表の新清士氏からチーム編成が発表され、続いて作品に関する実績(Achievement)とテーマが伝えられた。

 各チームは5~6人編成の合計8チーム。各チームにはプログラマー、ゲームデザイナー、アーティストがバランスよく配分されるよう配慮されており、筆者は第6チームに配属された。元プログラマーの筆者を勘定に入れると、プログラマー3名、アーティスト3名のチームである。うち、プログラマーの2名はIGDA日本の各種活動に深く関わってきた歴戦のベテラン開発者であり、仙台から参加の学生2名を含むこのチームを大いに引っ張ってくれた。

 各チームの作品に課せられたテーマは「つながり(Connection)」。これをどう解釈するかは自由だが、少なくとも何らかの「つながり」を感じさせるコンセプトを盛り込む必要がある。その上で、8種の実績(Achievement)をなるべく多く達成することが各チームの目標となった。実績は以下のとおり。

(1)子どもたちとの合作(Collaboration)
 福島の子供たちが作成した画像素材(ドット絵)を作品に取り入れる

(2)東北(Tohoku)
 福島をはじめとした東北地方の特徴・名産品を作品に取り入れる

(3)初体験(First Contact)
 「ゲームをしたことがない」という人でも楽しめる

(4)説明不要(No Instruction)
 ルール説明がいらない工夫をする

(5)5分(5min)
 5分以内で遊べる

(6)言語不要(Language Free)
 文字(日本語も英語も)を一切利用しない

(7)インターフェイス(Interface)
 操作にキーボード、マウス、ゲームパッド以外を用いる

(8)つながり(Link)
 FacebookやTwitter、Google Mapなど、Web上の実データを活用する



筆者が所属した第6チームの企画会議の様子
ブレスト後、筆者が描いた企画書(?)。ミニマムな中に一縷の冒険心が認められ、嬉しくも採用となった

 以上のお題が提示され、11時30分頃に各チームで「企画会議」が始まった。12時には本作業開始というスケジュールなので大わらわである。筆者が参加した第6チームでは、度々「GameJam」に参加してきた石川将光氏が全体をリードする役割を買ってくれたため、各人がスムーズにアイディアを出し合うことができた。まずテーマから連想したキーワードを次々に並べていき、次に各キーワードを結びつけてそれぞれのゲームアイディアを提案する。

 結果、筆者のアイディアが多数決にて採用されたのは、まさに僥倖だった。福島に名店の多い「あんこう」を主人公に、頭についた提灯を触手のように伸ばし、送電線の切れた電柱を飛び移り、南相馬市の主要な産業品目のひとつである「電力」を家庭に「つなげる」、というゲームである。使用するインターフェイスはマウスのみで、(7)、(8)を除く実績を獲得できる仕様だ。題して「Angry Angler(怒れるアンコウ)」。

 仕様を1枚の紙に書きだして、皆でゲームの動作イメージが共有できたらいよいよ開発開始。本開発には、チーム内のプログラマーが全員経験済みの「Unity」を採用した。会場では、Unity日本担当ディレクターの大前広樹氏も参加しており、参加者全員にUnity Proの期間限定ライセンスを配布していたため、まさに好都合である。

 他のチームも続々と本開発に入っていく。もっとも、筆者には他チームの企画内容を確認する余裕はなかったため、どんなゲームが出てくるかは翌日の完成発表会を待つ必要があった。「アイディアがかぶってなければいいなあ」などとボンヤリ思いつつ、配給されたお昼のお弁当を食べながらノートPCに開発環境をインストール。

 そこから先は、不眠不休の作業の始まりだ。15時の「企画案発表」にはじまり、20時の「おやすみアルファ」、翌朝8時の「おはようベータ」、続く10時には「ようこそプレイアブル」と、マイルストーンが矢継ぎ早に設定されている。それぞれのマイルストーンではUstream中継される放送席に顔を出して作品を紹介する必要もあるので、なおさら、実作業に割り当てる時間が惜しいという寸法だ。

 こうして会場は、皆が疲れ出す深夜からいよいよ「本番」の空気。適当なタイミングで仮眠を取る参加者も多いが、それもせいぜい1~2時間。重要なパートを割り当てられた参加者は早朝に至っても黙々と作業を続ける。筆者も「おはようベータ」近くには眠さのあまりヘンなテンションになり、「こう、いやこう」とゲームの挙動を脳内で確認しながら、ひたすら不思議なジェスチャーを続けつつ会場中をウロウロしていた。


各チーム5~6名のメンバーがアイディアを討議して、小一時間後には本開発が始まった

各マイルストーン発表の際にはUstream中継が行なわれ、海外にも同時通訳で様子が伝えられた。会場にはキューエンタテインメントの水口哲也氏も現われ、各チームのゲームを評価、応援していた。Ustream中継のアーカイブはこちらから閲覧可


■ 2日間でゲームを作るという、エクストリームな体験

深夜、早朝にかけて開発を継続するメンバー、休憩するメンバーに別れ、会場は独特の雰囲気を醸し出す
最後の仕上げ、プログラマー組は発表の瞬間ギリギリまでタスクをこなす
「ようこそプレイアブル」で遊ぶ子供たち
「ひも」の独特の挙動にも、あっという間に適応してくれた

 実のところ他のチームを取材する余力はほとんどなかったため、筆者の体験を中心に筆者の所属した第6チームの仕事ぶりについてもう少し書いてみよう。

 第6チームはベテランプログラマー2人、本職Webデザイナーのアーティスト1人、仙台の大学でメディアアートを専攻する学生2人、ゲーム開発者くずれのジャーナリスト1人(筆者)という構成だ。作成するゲームについて筆者のアイディアがメインで採用された手前、筆者はゲームのコアメカニクスとなる「あんこうの触手(ワイヤー?)の動き」を担当。その他の部分はベテランプログラマーの2人が担当する流れとなった。グラフィックアートを担当する3人はそれぞれ、キャラクターと背景を分業する。

 開発環境にUnityを採用したおかげで、まず画面が出る、音が出るというところはすぐに到達できた。しかし、ゲームの面白さの根源となる、触手の動きは難物だ。重要なパートであるだけに、開発開始から最初の6時間ほどは、プログラマー3人でひたすらこの部分だけを実験。当初の判断は、Unity組み込みの物理エンジンを使えば再現できるだろうというもの。しかし、ワイヤーであんこうを振り回すつもりが、物理エンジンの挙動に開発者が振り回されるという時間を過ごした。

 結果的に、物理エンジンのオブジェクトを組み合わせてそれっぽい動きを導き出すのは不可能と判断。物理オブジェクトを多数つなげてワイヤーを構成すると、物理シミュレーションの精度的限界から、接続点が引っ張られバラバラになったり、計算結果が拡散してむちゃくちゃな動きになってしまうことが多いとわかったためだ。

 仕方がないので、筆者はこのゲームのためだけの特別な「ひも物理」をなんとかでっち上げることを約束して、他のプログラマーはとりあえず仮組みのパーツを使って、他の部分をガシガシ作り進めるということになった。

 「ひも物理」の制作は、実験を繰り返しながら一進一退の攻防となった。イメージとしては、往年の名作「ヒットラーの復活」よろしく、ワイヤーでブンブンとスイングして大ジャンプ!という動きを再現したかったのだが、なおかつワイヤーに触手っぽい柔軟性をもたせるとなるとIK(Inverse Kinematics)的な演算が必要である。そこまで考えが及んで「無理!」と判断。何しろ時間が切羽詰っている。完全にフェイクとなることは覚悟して、それっぽく動くものを適当な演算で表現することにした。

 こうして、「フェイクひも物理」が形になったのが開発開始翌朝の午前3時頃である。どういう計算でそうなっているのか今となっては思い出せないようなシロモノだ。挙動も100%満足というにはほど遠い。ともかく、キャラクター制御を担当していたベテランプログラマーの島崎宗明氏に「ひも」を渡し、ゲームに組み込みこんでもらえるよう調整。その後1時間の仮眠を取り、午前8時の「おはようベータ」に備えるため、ひと通りゲームがクリアできるようになるために必要な他のパーツを作り込んでいった。

 この頃には、各種アートワークを担当していたアーティストの3人も概ね必要なアセット制作を終えている。仮眠前に「フォトリアルな電柱をよろしく」とお願いしておいた部分も、Webデザイナーの土屋たかよし氏が完璧なものを作っていてくれたので、なんとか「おはようベータ」にそれなりのものを提示することができた。

 しかし、まだまだ挙動調整が甘く、とても面白いとは言えない状況だ。ここから先は、ゲームをきちんと面白く思えるようにするための調整が続く。午前10時の「ようこそプレイアブル」では、南相馬市の子供たちが会場にやってきて、各チームが作ったゲームを遊んだり、開発風景を見学。子供たちの無邪気な審美眼に晒されて、「なにこれむずかしーい!」と、ストレートな一言を食らう。ますますクオリティアップの必要性に駆られるという塩梅だ。

 このようにハイテンションな時間が続き、完成発表会の1時間前にようやく全体の仕組みがFIX。チーム全員で1面づつステージを作ることになり、一気呵成に6ステージが完成した。完璧ではないが、それなりに遊べるし、おおむね満足できる出来だ。開発の途中で、無数の「できないこと」を判断し、切り捨てたことが、よかったのではないかと思う。また、「GameJam」を経験してきたベテランの方々と同じチームになれたという幸運にも感謝したい。


開発が大詰めとなる中、会場内には南相馬市の子供たちがやってきた。ゲームを遊んだり、開発風景を見て、目を輝かせてくれていたのが嬉しい

来場した子供たちが描いたイラストをドット絵化、イラスト化したもの。各チームはこれらの絵をゲームの一部として組み込むことが求められた。筆者所属の第6チームは、ゲーム中に集める「コレクタブル」としてなんとか実現。十分な準備ができず、図案をすべて使い切れなかったことが惜しまれる

■ 被災地の中心で「GameJam」を開催した意義

会期2日目の8月28日17時、各チームが完成作品の発表を行なった
但野市議をはじめ、南相馬市サイドで開催実現に尽力した面々。喜びと感謝の言葉がこぼれた

 こうして、各チームがゲームを完成させての完成発表会の時間がやってきた。1チームづつ、スクリーンにゲーム画面を表示して、特徴を紹介していった。なお、南相馬市会場の全8チーム、および全国3箇所で同時開催されたサテライト会場の完成ゲーム作品は、こちらのページからダウンロードしてプレイすることができるので、ぜひ1度お試しいただきたい。いずれも、一味違うアイデアが盛り込まれ個性的な作品ばかりだ。

 2日で仕上げたとは思えないほどスキの無い作品も出てきた一方で、画面が出るとか、オブジェクトが動くなどの基本的な部分を完成させるのがやっとで、ゲームとしては未完成なまま発表会に臨むチームもあった。こういった明暗が分かれるのも、GameJamの醍醐味、怖いところといえるだろう。しかし、失敗の経験こそ、より大きな糧になることもあるはず。うまくいったチームも、そうでなかったチームも、それぞれに得るものは大きかったのではないかと思う。

 糧になったといえば、今回、南相馬市の協力で、会場に子供たちが招待されたことも大きい。震災を経験し、今も不安な日々を過ごしているであろう子供たちは、「ようこそプレイアブル」で展示された、まだ未完成のゲームの数々を、目を輝かせて遊んでくれた。開発場所にもやってきて、PCの画面を興味津々と見つめては「これでつくってんのー?!」と驚きの声を上げた子供たち。その好奇心が将来、明るい未来の糧となれば素晴らしい。これは参加者全員の共通した思いであろう。

 また、南相馬市の協力で提供された会場の環境も非常に素晴らしいものだった。もともと、この市民文化会館は、震災後、ほとんど使用されていなかったのだという。但野市議によれば、震災被害の影響で辛い雰囲気が続くなか、「ハレ」の催しを忌避する心理的背景があったそうである。その静寂を打ち破るかのように、「福島GameJam」という、将来の産業育成につながるかもしれない「お祭り」が開催された。この意義は小さくないのではないか。

 自治体の全面的なバックアップを受けて開催された「福島GameJam」。今なお、震災被害の後遺症に苦しむ東北地方にあって、復興の道筋を見つけるためのヒントを提示することには一定の成功を示したのではないだろうか。また、ゲーム産業が社会に対して何を成せるかという点においても、面白いテーマを提示したように思う。このことが、東北地方の復興に向けて、小さくも重要な1歩になることを期待したい。



(2011年 8月 31日)

[Reported by 佐藤カフジ]