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ハンゲームジャパン創業者が語る「ハンゲ」の目指すもの

ココネ会長、千氏を囲むメディアミーティング開催

11月8日 開催

 11月8日に、東京・六本木にあるココネ本社の会議室において、「メディアミーティング」なるメディア向けの集いが催された。これは8月にココネがゲームポータルの「ハンゲーム」を買収した件について、その中心となったココネの現取締役会長、千龍ノ介(千良鉉/Chun Yang Hyun)氏がその背景を語ることを目的としたもの。本稿では、そこで語られた千氏の言葉を再構成し、紹介する。

メディアミーティングが行なわれたのは本社内の会議室。記者会見的なものかと思いきや、囲み取材、というか、文字通りのミーティング。各メディアの質問にココネの現取締役会長 千龍ノ介(千良鉉/Chun Yang Hyun)氏が答えるという展開に。雰囲気は非常に和やか

2000年に韓国NHNグループのハンゲームが国内でサービス開始

 まずはことの経緯を改めて説明しておきたい。ココネは8月1日にゲームポータルの「ハンゲーム」を買収。完全子会社化した。運営していたNHNハンゲームは社名を「cocone fukuoka」、サービス名は「ハンゲ(hange)」とそれぞれ名前を変えた。

 すでにご存じのかたもいるかと思うが、もともと国内の「ハンゲーム」は、ココネの現取締役会長を務める千龍ノ介(千良鉉/Chun Yang Hyun)氏が日本で2000年に立ち上げたハンゲームジャパンが運営していた。その後、同社はNHN Japanと社名を変更。千氏は2009年6月に“卒業”という表現で同社を辞め、同年7月にココネの代表取締役に就任した。つまり、紆余曲折がありつつも、約19年という時間を経て、千氏は「ハンゲーム」を自分の手に取り戻したということになる。

ココネの創業は2008年9月。今年で丸10年となる。本社のロビーにはその10周年を記念し、社員たちの写真をコラージュして作成されたパネルが掲げられている

 すでに韓国で人気を得ていたハンゲームが日本でも稼働をはじめたのは、2000年。ネット環境がISDNからADSLへ、ナローバンドからブロードバンドへと移り変わる時期だ。Yahoo! JAPANや楽天市場がユーザー数を拡大していた頃で、DeNAはビッダーズというオークションサイトを運営していた。

 そんな状況のなか、WEBサイトの閲覧やメールでの利用が中心だったネットの利用において、ブロードバント化が進むことで今までと違うエンターテインメントを求める動きが出てくるだろうとはじまったのが、ハンゲームだ。それまでもJavaなどを使った比較的単純な内容のゲームはあったが、ハンゲームはより本格的なゲームを“無料”で提供。ユーザーの分身であるアバターによるコミュニティサービスも評価され、高い人気を得た。

 「一般的にはハンゲームがポータルサイトとして提供するサービスやゲームコンテンツが時代にマッチしていたことや、無料であったことがユーザーから愛されていた理由と理解していただていると思います。ある程度そういうこともあるでしょうが、それよりも、『インフラが変わることで最終的には顧客の嗜好が変わっていく』、そこにいかにアプローチしていくか? (それに成功したことが)大事なポイントだと思っています(千氏)」。

 当時のハンゲームがヒットした要因を、千氏はこう総括した。19年の歴史を刻んだ現在、完全無料タイトルが9、基本無料の部分課金タイトルが113と、計122タイトルを提供。累計登録ID数は5,938万にも上るそうだ。

ココネのオフィスが入っているのは、住友不動産六本木グランドタワーの42階。窓からは都内が一望でき、その景色を見るだけでも筆者はちょっと興奮気味。我ながら単純である

別会社の資本になり、創業者の手に戻ったハンゲーム

 ハンゲームジャパンが設立された当初において、「無料」は大きな武器であり、同時にサイトに人を集めることこそが目的だったと千氏は語る。Yahoo! JAPANは検索で、Hotmailはメールで、そしてハンゲームはゲームを無料にすることで集客を狙っていたわけだ。

 ゲームポータルとはいえ、人を集めることが目的であったため、ゲームのルールは誰にでも遊べるわかりやすいもの、そして、人と遊ぶことでおもしろさが増すものを当初のハンゲームは重視していたとのこと。さまざまなエンターテインメントのなかで、人と遊ぶことでおもしろさが増すことがゲームの特長のひとつ。韓国ではじまったハンゲームはそこに着目し、成功を収めていた。

 韓国で成功していたそのビジネスモデルをそのまま持ち込んだ千氏だったが、しかし「日本では通用しなかった」という。花札やポーカーといった遊びは韓国でこそ人気だが、日本ではさして注目を浴びなかったのだ。そこで麻雀やトランプの大富豪といった日本にマッチした遊びを盛り込んでいったのである。また、ユーザー間のコミュニケーションが活発であることに気づき、国内ではアバターによるチャットサービスを導入。2002年からはこのアバターを有料化するに至り、サービス、ビジネスモデルともに、国内のハンゲームは、韓国のそれとは違う道を歩みはじめたのだ。

 「韓国で生まれたものではありますが、国内のハンゲームは日本のお客様の心に響いて成長した“別物”です」(千氏)。

 前述のようにその後、2009年に千氏はハンゲームを離れることになる。外から見ると非常にわかりにくいのだが、その後、NHN Japanは社内の事業を分社化したり、商号を変更したりといったことが続く。その過程において、ハンゲームは事業部ごと東京から福岡へオフィスが移転するが、サービス自体はずっとNHNグループが持ち続けていたとのこと。今回、ココネが買収したことにより、ハンゲームは創業以来、はじめてNHNグループの資本から離れることになった。また、運営や今後のサービス開発もそのまま「cocone fukuoka」として、福岡で行なうのだそうだ。

 国内で19年続いたハンゲームは初めて別会社のものになり、同時に創業者の元で「ハンゲ」へと生まれ変わったのである。

撮影用の顔出しパネルはわりと見かけるが、衣装まで用意されたフォトブースがロビーに作られている会社はそうそうないように思う。今回参加したメディア陣は全員が男性。女性用の衣装しかなかったせいなのか、勧められはしたものの、さすがに応じる人はいなかった
せっかくお越しいただいたので、と、社内施設の見学会も開催。ここはロビー隣の「ココネデリ」で、とても"社員食堂"とは呼べないオシャレな雰囲気。このビルは火が使えないそうで、料理は前に本社があった恵比寿で調理してここへ運んでいるという。ちなみにシェフたちも社員なのだそうだ

ポータル内から独立したゲームサービスへの転換も?

 もちろん千氏の言葉は買収における動機についても及んだ。

 千氏は「今はPCよりもスマートフォンという時代かもしれないし、最盛期に比べれば確かにハンゲームのユーザーは減っている」と前置きしつつ、「そのなかでも頑張っているスタッフが140名もいる」と語った。そうした「やる気のある組織」と仕事がしたいという思いが千氏のなかにはあったという。もちろん、千氏は「19年間のサービスのなかでハンゲームを体験しているお客さんがどこかにいる。それは貴重な財産だと思いました」と、現在のハンゲームが持つ強みについてもきちんと考えている。

 同時に、「創業者としてハンゲームをもっと飛躍させたい」という思いもあったそうだ。ハンゲームが国内でサービスを開始した当初は無料で楽しめる点をはじめ、さまざまな「新しさ」がインパクトを生み、ヒットへとつながった。しかし、これだけの時間が経った現在ではその強みはもう失われている。そのなかで成長を考えるには、千氏が感じていたハンゲーム全盛期の強みである「顧客の嗜好へアプローチすること」が必要だと語る。

 「ネット企業で老舗という表現はどうかと思いますが」と断りながら、「19年の歴史を持つ老舗としての懐かしさを感じてもらいつつ、今にふさわしいものを足していきたい」と続ける千氏。ユーザー間でのコミュニケーションも図れるポータルサイトとして人気を博したハンゲームだが、千氏によれば、今はすでに「サイトに人を集める時代ではない」という。たとえばアバターサービスをハンゲームという“箱”のなかで提供するのではなく、もっとオープンな独立したサービスとして楽しめるようにしたり、将棋や囲碁、パチンコ、パチスロといった特定のジャンルに特化したサービスを作ったりと、今までと違うアプローチでサービスを提供する必要があるのではないかというのだ。

社員の建康を考えオフィス内にはフィットネスジム「ココネジム」も用意されている。登録をすればセルフトレーニングはもちろん、トレーナーによる各種のプログラムメニューのもとでエクササイズに取り組めるという

ハンゲが追い求める「3つの要素の接点」とは?

 ハンゲームはゲームポータルとして人気を得た。しかし、千氏の言うように、今はサイトに人を集客する、という時代ではない。スマートフォンでは基本的にコンテンツはアプリ単位で独立し、それを横断的に繋ぐようなものはApp StoreやGoogle Playストアくらいだ。新たなサービスを模索するというハンゲは、スマートフォンのポータルサイト的なものも考慮しているのだろうか?

 その質問を投げかけてみたところ、千氏は「スマートフォンはポータルに適していない」と断言した。URLを入力、あるいはクリックしてコンテンツに“アクセス”するPC文化と違い、スマートフォンではそこにコンテンツを“呼ぶ”ことで、自分だけの世界を構築する文化だというのだ。言ってみれば1台1台のスマートフォンが個人のポータルであり、不要なものコンテンツはどんどん消去していけるユーザーは、WEBマスターのようなもの。これが「現在のお客様が持っている感覚」だとのこと。

 千氏は自身の私物であるスマートフォンを指さし、「このなかに私の空間がある。このなかに私の友達がいる」とユーザーは感じているとも語った。GoogleやAppleを経由しない独自のアプリ流通を図った他社が失敗した背景には、こうした感覚も影響していると千氏は見ている。

 「モバイル端末自体が各ユーザーのポータルである以上、そこに新たに世界を作ってはいけないんじゃないかな、と僕は思います」(千氏)。

 インターネットがあまりにも身近なものとなった現代では、ゲームにしろサービスにしろ、オンラインかオフラインかという区別も意味をなさなくなりつつある。ライフスタイルもそれに応じて大きく変わってきているし、今後、「何が(あるいはどこが)さらにその変化を推し進めるのかを見ていかないといけない」と千氏は語る。

 一方、ゲームには、人間の本能に深く根ざした「普遍的なおもしろさ」があると千氏は考えている。「『普遍的なおもしろさ、時代的な需要、そして自分たちにできること』という3つの要素の接点を探し、新たなサービスを生み出そう」と千氏はcocone fukuokaのスタッフに語っているという。

話題は買収の件が中心となっていたため、会長と広報のかたに加え、コーポレート部門COOで取締役の弁護士、石渡真維氏(右)も同席してのミーティングだった
なんと社内にはバーカウンターも。窓からは目の前に東京タワーが見えている。個人のお酒をここにキープしている社員のかたもいるとのこと。ちなみにココネ社員の男女比率は、およそ3:7。圧倒的に女性の多い華やかな職場だった

拙速に陥ることなく変化を追求

 こうしてハンゲが目指す方向性についてのヒントを語った千氏だが、現状から性急に何かを変えるつもりはないそうだ。人は慣れた環境に親しみを覚える。今までハンゲームを支えてきてくれた人たちが感じる魅力を維持しつつ、新たなサービスを提供することで、自然に新たな姿へと生まれ変わることを目指しているとのこと。

 自分たちが作りたいものを作るのではなく、ユーザーが求めるものを探りながら、試行錯誤を繰り返す。もともとハンゲームジャパンはそういうスタイルで人気を得たという。ハンゲもまた、そうした企業精神のもとで改革を進めていくつもりだそうだ。

 「具体的に何をはじめるか、それはまだ考えている途中ですけどね(笑)」(千氏)。

 かつてハンゲームを楽しんだユーザー、さらに現代の若いユーザーに対し、千氏率いるハンゲがどのような“試行錯誤”を仕掛けるのか、ぜひ注視していきたい。

1966年生まれの千氏は慶應義塾大学大学院製作・メディア研究科を終了。ハンゲームジャパン(現LINE)を設立。2008年9月にココネ代表取締役社長、2014年7月に同社代表取締役会長、2018年3月に取締役会長に就任した