【特別企画】

吉田修平氏が語る数々の名作ゲーム誕生秘話【CEDEC2026】

フロム・宮崎氏とのすれ違い、「ブラボ」リマスターなどあんな話やこんな話

【CEDEC2026】
開催期間:7月22日〜7月24日
会場:パシフィコ横浜 ノース/オンライン

 コンピュータエンターテインメント開発者を対象とした、ゲームに関する技術や知識を共有する国内最大級のカンファレンス「CEDEC2026」にて、yosp代表取締役・吉田修平氏による基調講演「私が出会った素晴らしいゲーム、クリエイター、そしてその創造性について」が行なわれた。

 本講演では、吉田修平氏がソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)在籍時代からのキャリアを振り返るとともに、自身が携わってきた数々のゲームタイトル、そして世界中のクリエイターたちとのエピソードなどが80分にわたって語られた。

 本稿ではその内容を一部抜粋してご紹介。なお、「CEDEC2026」での講演はオンライン配信も実施されている。リアルタイムで視聴ができなかった人でも、受講登録を済ませている人であればタイムシフト配信を利用可能(利用可能パス:レギュラーパス、オンラインパス)。タイムシフト配信はセッション終了の後日に公開され、会期終了後でも8月3日10時まで視聴できるので、ぜひ利用していただきたい。

□「CEDEC2026」タイムテーブル / セッション一覧のページ

【講演者プロフィール】

吉田修平(株式会社yosp 代表取締役)
1986年ソニー株式会社に入社、1993年2月に現SIEに参画。以降、「プレイステーション」プラットフォーム向けに発売された数々のソフトウェアタイトルをプロデュースし、2008年よりゲーム制作部門SIE ワールドワイド・スタジオ プレジデントに就任。2016年10月に発売したPlayStation VRの開発にも携わる。2019年11月よりインディーゲームを推進するインディーズ イニシアチブ代表に就任。2025年1月SIE退社。2025年3月株式会社yospを設立、インディーパブリッシャー、ディベロッパーのアドバイザーを務める。

プレイステーション初期〜PS2時代。アナログスティック誕生や海外ゲーム業界との文化の違い

 吉田氏がSCEで最初に携わったゲームタイトルは1996年発売のプレイステーション用アクション「クラッシュ・バンディクー」。「マリオ」や「ソニック」といった、メーカーを代表するようなキャラクターが登場するゲーム作りを目的として開発がスタートしたという。

 当時ゲームを売り込むため集英社に出向いた際に、鳥嶋和彦氏に「日本では絶対売れない」とダメ出しをされたことを今でも覚えており、結果、これがとても良かったと語る吉田氏。これをきっかけにキャラクターデザインを作り変え、ゲームの難易度を下げるなど、より日本ユーザー向けに調整。今では世代を超えて愛される人気キャラクターとなった。

 その後に携わった「サルゲッチュ」は、開発途中でプレイステーションのコントローラーにアナログスティックが2本付いた「DUALSHOCK」の発売が決定し、これをフル活用する専用ゲームへと舵を切ったという。

 本作では左で移動、右でアクションを行う直感的な操作性を追求。今では当たり前となったアナログスティックを用いたコントローラーの操作感は、まさにこの1999年代辺りからはじまったというわけだ。

 時代は変わり2000年。新ハードのPS2が登場した頃、上田文智氏が開発チームに加入し、自作のプレゼン用映像からプロジェクトが始動したという「ICO」は、当初は初代プレイステーションで開発が進んでいたが、フレームレートの維持が困難となり、PS2へ移植して完成に至ったそうだ。

 PS2向けのタイトルとしては、「ラチェット&クランク」、「God of War」など、現在も新作が続々と登場する人気IPが誕生。

 この時期にアメリカで活動していた吉田氏は、日本のゲーム業界に比べ、海外のクリエイターはGDC(Game Developers Conference)などを通じた横の繋がりが非常に盛んだったことに驚いたという。

 今でこそこの「CEDEC」のように、様々なノウハウを共有することは当たり前のようになっているが、当時の日本はどちらかというと「秘密主義」な傾向にあり、「自分たちはこんなすごいことができるんだ」と誇らしげに自慢・発表しあい、業界全体で高め合おうとするオープンなアメリカの文化に衝撃を受けたとのこと。

 そうした欧米のオープンな技術交流・ノウハウ共有のサイクルの中から生み出されたのが、サンタモニカスタジオで開発された「God of War」だったという。SIEのファーストパーティとして初のGOTYを受賞するに至り、思い出深いタイトルだと語った。

PS3〜PS Vita時代。デジタル配信開始とインディーゲームの関係

 ゲームハードとしてPS3、PS Vitaが登場し、これに合わせPSNとデジタル配信がスタート。同時にPS Storeが開設され、ストアにユーザーを呼び込むことを目的に、大規模なAAAタイトルとは異なる「クリエイティブでオリジナリティ溢れるゲームを作ろう」という方針が立てられたという。

 その流れで「PixelJunk Monsters」、「リトルビッグプラネット」といった、いわゆるインディーと呼ばれる小規模なスタジオ開発のゲームタイトルに携わるようになったそうだ。

 「PixelJunk Monsters」を手掛けたQ-Gamesは日本最大級のインディーゲームの祭典「BitSummit(ビットサミット)」創設に関わる1社でもあり、こういった繋がり、経験から、現在の吉田氏による“インディーゲームを推進する”という活動に繋がっているということのようだ。

 吉田氏はインタビューなどで「自身のキャリアの中で最も誇りに思うタイトルは何か?」と聞かれた際、迷わず「風ノ旅ビト」の名を挙げているという。

 小さなインディーチームによる小さなゲームであっても、ゲームというメディアを通じて人の感情を揺さぶり、人生にポジティブな影響を与えられることを証明し、その開発に少しでも貢献できたことが一番の誇りだと語った。

フロム・宮崎氏とのすれ違い

 PS3時代でほかに気になったエピソードといえば、「Demon's Souls(デモンズソウル)」について。

 2008年に欧米から日本に帰国した吉田氏は、フロム・ソフトウェアと共同開発が進んでいた本作のテストROMをプレイしたが、「なんて難しいゲームなんだ」とネガティブな印象を抱いたという。これは吉田氏自身がアクションゲームとは「プレイヤーをスムーズに楽しませる導線設計」が必要という固定観念があり、クリエイターの宮崎英高氏(現フロム・ソフトウェア代表取締役社長)が狙う新しいユーザー体験の真意を開発中に見抜くことができなかったとのこと。

 吉田氏だけでなく、会社全体の評価が不透明だった「デモンズソウル」に対し、北米・欧州チームは自社発売を見送りに。しかし、発売後はSNS(当時の2ちゃんねる等)を中心に「神ゲー」として評価が爆発。海外展開を見送ったソニーを横目に、北米をアトラス、欧州をバンダイナムコがパブリッシングを担当し、結果として世界中で大ヒットを記録した。

 この件に関して吉田氏は、海外のファンやユーザーから「デモンズの良さが分からなかった吉田だよね」とよくネタにされたと明かしつつ、「開発者がどのようなユーザー体験を作ろうとしているのかを正しく理解しなければならない」という、強い反省と教訓を得たと語った。

 なお、「デモンズソウル」の精神的続編である「Dark Souls」の開発に関して、ソニー側も「ぜひやりたい」とアプローチしたが、フロム側からは「あの時サポートしてくれなかったよね」と断られたという。

 しかし、この時の反省を活かして再び宮崎氏と真正面から向き合い、PS4時代に共同開発として結実させたのが「Bloodborne」であったというわけだ。

 「Bloodborne」は世界中に熱狂的なファンが存在する一方、PS5版の登場やリマスター、PC移植、続編の開発が実現しておらず、ユーザーから「なぜ出さないのか」とよく聞かれるとのことだが、それについては「謎」と語った。一ファンとして「将来的に出たらいいな、続編が作られたらいいな」と、今でも切に願っているという。

 本稿では紹介しきれないが、吉田氏が携わってきた作品は、自身が注力するインディーゲームも含め、「Fall Guys」、「Stray」、「Ghost of Tsushima」、「Stellar Blade」、今後発売予定の「Beast of Reincarnation」、VR関連作品など多数。それぞれに関連するエピソードも本講演では語られているので、気になった方はぜひタイムシフト配信を利用してほしい。

 講演の締めくくりとして、吉田氏は「これからも世界中のインディークリエイターをサポートし、新しく素晴らしい体験を世に送り出すお手伝いをしていきたい」と語った。吉田氏の今後の活動にも注目していきたい。