インタビュー
【特別企画】フリーゲームデザイナー下田賢佑を知っているか?
「FFXI」のプランナー研修生から「Game Dev Heroes」クリエイターまでの長く険しい道のりを追う
(2014/12/12 12:00)
GAME Watchの読者は下田賢佑というゲームクリエイターを知っているだろうか? もし知っている人は業界人か、よほどのゲーム通で、おそらく多くの方はまだ知らないだろう。
下田賢佑氏は、日本ではまだまだ珍しいフリーのゲームデザイナーとして活動しているクリエイターの1人。1980年生まれの34才。2005年にプランナー研究生としてスクウェア・エニックスに入社し、その後、いくつかの会社を経て独立。独立後はフリーの立場を貫きながら、様々なプロジェクトに参画し、代表作には「バーコードフットボーラー」(リードゲームデザイナー)、「ファイナルファンタジー アギト」(共同ゲームデザイナー)などがある。
下田氏といえば、直近ではCEDEC 2014の講演「脱『プランナー』~ゲームデザイナーの仕事~」が話題になった。ゲーム開発における日本特有の役職“プランナー”の問題性を指摘し、現場のクリエイターやクリエイター予備軍に“脱プランナーの道”を説いた。
その下田氏が今何をやっているのかというと、CEDEC講演の結論のひとつである「とにかくゲームを作っていくこと」を愚直に実践中なのだという。今回、下田氏が新作タイトル開発を通じて一体何をしようとしているか取材したのでお伝えしたい。
「ファイナルファンタジーXI」プランナー研修生としての下積み時代
今回インタビューに前座として改めて下田氏のゲーム業界でのキャリアについて話を聞いてみたところ、あまりにおもしろくて、それだけでインタビューの半分の時間を使ってしまったほどだ。以下、簡潔に(それでもかなり長めだが)まとめてみたい。
下田氏は、最初からゲームクリエイターとしてエリート街道を踏み外した現場たたき上げの人物だ。もともとゲームは好きだったものの、手当たり次第遊びまくるというタイプのコアゲーマーではなく、「ファイナルファンタジー」シリーズや「エースコンバット」シリーズが好きな“ゲーム好きなバンドマン”だった。当然、プログラムも書けず、絵も描けないため、消去法で好きな音楽を仕事にしようと、新卒採用ではサウンドクリエイターを目指してセガやナムコ(現バンダイナムコゲームス)、タイトーなど受けたもののすべて落ち、その後、プランナー研修生を募集していたスクウェア・エニックスに応募し、アルバイト入社することになる。
研修後に配属されたのは、冒頭でも紹介したように「FFXI」の開発チーム。その中でも精鋭チームとして知られるバトル班に配属される。上司は松井聡彦氏(現「FFXI」プロデューサー)と伊藤泉貴氏(現「FFXI」ディレクター)だったという。
下田氏はもともと「FFXI」ユーザーで、コンテンツの内容や運営方針に不満があり、文句を言う方だったというが、実際に開発現場を目の当たりにして意識が変わったようだ。当時のディレクターは河本信昭氏(現「新生FFXIV」リードプランナー)で、河本氏の指示のもと、高いスキルを持つクリエイター集団が大きな情熱を持って日夜ゲーム開発に取り組んでおり、素直に尊敬の念を持ったという。
下田氏の担当は、伊藤氏や権代光俊氏(現「新生FFXIV」バトルディレクター)のもとで、マップにギミックを盛り込むためのパスデータの設定や、新しい武器やアニメーションデータの設定など単純作業がメイン。転機は2006年に実施された夏祭りイベント「アジマスサークルII」。一般フィールドを使った宝探しイベントで、2人1組になり、レベル1に制限された状態でアクティブモンスターを避けながら2人で協力して当たりポイントを捜すというもの。高レベルキャラクターやレア装備などは不要で誰でも参加できたため、非常に評判が良かったという。
下田氏は、途中、イベントのバグでサーバーを落とすというトラブルに見舞われながらも、このイベントを1人で作り上げたことで、スクリプトの仕事を任されるようになったという。その後、「アトルガンの秘宝」では、アシュタリフ号のアサルトミッションなどを担当。ゲーム作りの楽しさ、醍醐味を存分に味わうことができたようだ。下田氏は、この時期、「FFXI」の「5th Anniversary」イベントでコメントを寄せているが、ゲーム開発に手応えを感じている様子が伝わってくる。
しかし、下田氏は当時を振り返り「甘かった」と述懐する。理由はコスト感覚がまったく無かったこと。とにかく良いものを作ってユーザーや開発者に認めて貰うことしか考えていなかったため、今考えると信じられないほどの時間をコンテンツ制作にかけていたと話す。中には制作に2カ月掛けたクエストもあったということで、会社としては半分それを許しながら、半分はしっかり評価されていたということで、「この辺りのバランス感覚やセンスの有無が、大きいチームに入ってポジションを掴めるかどうかの違いだと感じた」と振り返ってくれた。
スクエニ退社後に独立、あらゆるゲームビジネスに手を出すも……
その後、下田氏は「FFXI」開発チームを離れ、新規プロジェクトに少し携わった後、契約を切られることになる。下田氏も、給料が安いためそろそろ辞めようと考えていた矢先のことだったという。
次にオンラインゲームの開発経験を買われコーエー(現コーエーテクモゲームス)の「三國志 Online」プロジェクトに携わる。ただし、配属されたのは開発ではなく運営で、あまり自分に向いた仕事だとは感じられず、わずか11カ月で退社する。この間も、将来、ゲーム開発に携わりたいと強く考えていた下田氏は、海外ゲームに興味を持ち、「Crysis」(Crytek)のマップエディターなどを見てデータ構造などを学んだという。
そしてたどり着いたのが、カナダのインディー活動だった。2008年当時は、パブリッシャー以外から資金を調達して自分たちの作りたいゲームを作って世に問うインディーゲームが北米を中心に盛り上がりつつあった。自分もそれにジョインして、ゲームクリエイターとして飛躍の第一歩にしたいと考えた。何か色々プロセスをすっ飛ばしているような気がしなくもないが、この辺りが下田氏のおもしろさだ。
しかし、その無謀とも思えるアイデアは2008年9月のリーマンショックで頓挫することになる。翌2009年のGDCで、インディーデベロッパーを直接会って話す手はずまで取り付けていたものの、実際に会って話してみると、リーマンショックの余波で、カナダの政府系投資機関やベンチャーキャピタルが一斉に資金を引き揚げ始めた結果、資金繰りが悪化し、人を取る余裕がないところばかりだったという。
下田氏はこの時期を振り返り、「甘かった」と再び述懐した。理由はゲームを作りたいと言いながら、自分にあるのはアイデアだけで、資金も開発環境も、すべて誰かを当てにしていたからだという。ましてや自分で会社を興してまでゲーム作る意思はさらさらなく、もし資金が潤沢にあったとしてもうまくいくことはなかっただろうと振り返る。
GDCから失意の帰国を果たした後、ゲームクリエイターとして食べていくために、様々なチャレンジを行なっていく。あるときは、GDCで繋がったデベロッパーから来た仕事を日本からリモートで手伝う仕事や、海外のインディータイトルの日本パブリッシャー探し、はたまた専門学校への人材育成プログラムの売り込みなどなど。ほとんどのケースは大きな成果に繋がっていないにも関わらず、大きな仕事をしていたつもりになっていた。下田氏は、2009年から2010年のこの時期を振り返り「迷走していた」という。
この低迷期から抜け出すきっかけとなったのはスマートフォンアプリ開発の代名詞的存在である「Unity」だった。元スクウェア・エニックスの宮川義之氏が興したゲーム会社から「レベルデザイナーがいないから手伝ってくれないか?」と声を掛けられ、iPhone用アクションゲームの開発に携わり、この現場で下田氏は、開発ツール「Unity 3D」と遭遇し、Unityによるゲーム開発の魅力に気づくことになる。
ただし、まだこの時点は「Unity 3D」を使ったゲーム開発が限られ、Unityを使わないゲームアプリの開発がメインだったため、プログラミングスキルのない下田氏にできたのは、画面仕様書を書いたり、簡単なスクリプトを書くだけであり、自分のゲームアイデアを自分でプログラミングして実装するという小規模開発のスピード感や要求スキルについていけず、挫折感を味わうことになる。
この時期、下田氏がもっとも注力していたのは、ガラケー用のソーシャルゲームだ。当時、Mobage/GREEがプラットフォームを開放したため、小規模なソーシャルゲーム開発プロジェクトがいくつも立ち上がり、下田氏もそれらに参画することになる。これもまたUnityを使わないプロジェクトばかりだったというが、小規模ながらリードゲームデザイナーとして仕事できたことが後述する「バーコードフットボーラー」に繋がったと考えているようだ。
2011年に入り、下田氏はUnityのスキルとガラケーでの開発経験を活かし、Unityを使ったスマートフォンアプリの企画などを考えていたというが、2011年3月に発生した東日本大震災の影響で、再び仕事を失うことになる。理由は当時手がけていたゲームが災害と関連するものだったことと、娯楽自粛ムードの中で新規プロジェクトの立ち上げそのものが減ってしまったため。
そこで下田氏は、1年以上にわたって疎遠になっていたUnityを本格的に学習し直すことにした。その結果、C#でのコーディングスキルも含め、イラスト以外はすべて1人でできるまでのスキルを身につけることになる。この時期、ノンゲーム系ながらUnityを使って1人でアプリを作りあげる実績も得たという。
2011年11月、ようやく下田氏の代表作のひとつであるスマホ向けサッカーシミュレーションゲーム「バーコードフットボーラー」の開発に携わることになる。当時、Unityを扱えるクリエイターを探していた開発会社たゆたうの担当者は、Twitterで下田氏を見つけ、Twitter経由で勧誘したという。決め手はUnity 3Dが扱えて、サッカーが好きなこと。非常にダイナミックなリクルーティングといえる。
下田氏は、リードゲームデザイナーとしてこのプロジェクトに携わり、試合のシミュレーションやキャラクターの成長システムなどゲームの根幹に関わるゲームデザインの設計に集中し、フレンドリスト、プレゼントボックスなどなど、細かい部分は他のスタッフに任せたという。
下田氏自身こだわったのは試合のシミュレーションにおいて“サッカーらしさ”を感じさせる部分だという。「バーコードフットボーラー」はバーコードやガチャによって選手を集め、集めた選手でチームを構成し、キャリアアップを図っていくゲームだが、強い選手を11人揃えれば必ず勝てるというバランスにはしておらず、運不運も含めた“サッカーの怖さ”を再現しているという。
その後、雨後の竹の子のように様々なサッカーゲームがスマホ向けにリリースされたが、サッカーゲームファンに「バーコードフットボーラー」の試合を好きだと言ってくれる人が多く、下田氏として大きな自信になったようだ。アプリランキングでは最高で4位で、実は日本より香港のほうが人気が高く、香港では1位を獲得し、コンビニでグッズが販売されるほどの人気を集めた。この「バーコードフットボーラー」には、現在も開発に関わっており、アップデートは下田氏が手がけているということだ。
続いて携わったのは「ファイナルファンタジーアギト」。たゆたうがスクエニから発注を受けた関係で、「バーコードフットボーラー」と同時並行して開発に携わることになる。下田氏は、「アギト」では戦闘システムの開発を担当し、リアルタイムバトルのプロトタイプを作り、基本はAI操作でキャラクターを動かしながら、ターゲットの指定やアビリティの使用など、プレーヤーがインタラクションできる要素を盛り込んだ。ちなみに「アギト」については、正式サービス開始以降は開発に関わっていない。
そして「Game Dev Heroes」へ……
そして今現在、下田氏は自宅で新作ゲーム「Game Dev Heroes」を開発している。下田氏はゲーム開発会社degGの代表を務めているが、degGがリリースする最初のタイトルとなる。
「Game Dev Heroes」は、その名の通り、ゲームデベロッパー自身を主人公にしたPC向けのマネジメントゲーム。自宅をオフィスに、外注スタッフを雇ってわずか2人で開発している。インディーの分野ではクラウドファンディングが人気だが、あえてクラウドファンディングを利用せずに小規模でスタートするのかというと、クラウドファンディングの成功率の低さが取り沙汰されているため、お金が集まりにくいと感じたことと、仮にお金が集まっても、お金を貰ったら様々なコミットをしなければならないことがイヤだったこと、そしてお金がなくてもゲームは作れることを証明して見せたいのだという。
この件について下田氏は、「資金を集めて失敗した場合は次がないが、受託開発の仕事を続けながら自己資金で作るスタイルならば、収入がある限りはずっと続けることができる。売れなくてもいい趣味の延長として作っているつもりはないが、時間がないデメリットよりもお金があるメリットの方がはるかに大きいと独立後の経験で実感している。とにかく作り続けたい」と語っている。
要するに自分はワガママなゲームクリエイターなので、自由な環境で自由にゲームを作りたいというわけだ。小規模ながら資金的に独立し、自分の責任で好きなゲームが作れることが理想だという。
開発のきっかけも非常にユニークだ。そもそもはCEDECの講演が採択されたことがきっかけだという。どういうことかというと、ゲームクリエイターはゲームで勝負すべきなのに、自分自身がイチから作り上げたゲームを持っていない。常にゲームというメディアで問題提起をしていきたいという思いがあり、いっそのことゲーム開発シミュレーションゲームを作って、それで説明するのはどうかと考えたわけだ。
おそらく「CEDECで講演するためにゲームを作らなければならない」と考えたのは下田氏が初めてのはずだが、その構想は開発が間に合わなかったことから実現には至らず、次のターゲットをIndependent Game Festivalと見定めている。IGFと略されるこのイベントは、毎年Game Developers Conferenceの併催イベントとして実施されているインディーゲームの祭典で、GDCのハイライトである「Game Developers Choice Awards」と並んで「Independent Games Festival Awards」も選出されるなど、世界のインディー界の登竜門と言っていい。IGFの出展権の獲得や受賞にはあまりこだわっておらず、IGFでの審査過程を通して海外のメディアやゲーマーに存在を認知してもらうことが目的だと語る。最終的な目標は商業的な成果を出すことだ。
現在の開発状況は30%ほど。開発上の大きな基本方針は、これまでの開発経験から、「超大事な物だけ取捨選択する」ことだという。スクエニ時代は、ベストなものを作りたい一心で時間とコストのバランスを考えられず、独立後も何でもできるから何でもやってみようというスタンスで、ゲームクリエイターとして本当にやるべきことを見失っていた。
それでは「Game Dev Heroes」において“超大事なこと”とは何だろうか?
下田氏は、「バーコードフットボーラー」と「ファイナルファンタジーアギト」の開発経験を通じて「それは絶対にストーリー」だと断言してくれた。
「Game Dev Heroes」の基本ストーリーは、主人公は名も無い日本人ゲームクリエイターで、正体不明の国のエリート軍人によって拉致され、“強制ゲーム開発収容所”でおもしろいゲームを作ることを命じられる。その国のためにおもしろいゲームを作り、おもしろいゲームが開発できたら帰国することができる。
プレーヤーには、ゲーム開発に必要な最低限のメンバーが与えられ、ディレクターとしてチームメンバーをマネジメントしながら、ゲーム開発を行なっていくことになる。完成したゲームのおもしろさに応じて追加の予算が与えられ、新たなチームメンバーを開発スタッフとして迎え入れることができたり、使えないメンバーを首にすることもできる。
今回下田氏が見せてくれたのはゲームメカニクスが実装されたばかりのプロトタイプで、特徴的なのはビジュアル表現だ。「Game Dev Heroes」におけるキモとなる“ゲーム開発”の表現は、極端に抽象化され、ワイヤーフレームのようなシンプルな世界観に、ゲーム開発の最小単位である「タスク」を単なる“ノード”として表現している。このノードに対してプレーヤーら開発スタッフが自らのリソースを使って開発し、タスクが完了すると新たなパァァッと光を放ちながらリンクが伸びて行く。リンクは1本の時もあれば複数本の場合もあり、ここがプロジェクトマネジメントのしどころになる。
抽象化の理由として下田氏は、キャラクターモデル以外のグラフィックス表現は『超大事』なことではないことと、グラフィックスが記号化されていた方が今後ゲームメカニクスを発展させる上で発想が縛られないため、だという。
スタッフには20種類以上の能力が設定されており、スタッフによって能力が異なる。意外性を好む下田氏のタイトルだけに、スタッフは突然キレて暴れ出したり、投げ出したりすることもあり、各タスクの負荷や調子を見ながら、マネジメントしていく必要があるようだ。
ちなみに筆者がゲームにおいて重視するのは「主題」とその内容だが、下田氏に聞いたところ、「そんなものはない」という。下田氏の価値観では主題などどうでも良くて、ストーリーを進めていくと、とにかく変なことが起きて、変なシチュエーションやどんでん返しが起こって、遊び手に対してストーリーを最後まで見たいと思わせることができればそれでいいという。
ストーリーを肉付けするために、主要キャラクターには「境界線上のホライゾン」等でキャラクターデザインに定評のある有限会社テンキーのデザイナーを起用。ストーリーに関連するメインキャラクターだけで10人おり、そのほかに数十名のスタッフが登場するという。
現在のスケジュールでは、リリースは来春を予定。ビジネスモデルは、Steamを通じたダウンロード販売を予定し、最初からグローバル展開を考えているという。価格については2,000円前後を予定。これを高いとみるか安いとみるかは内容次第だが、スマホ向けなら基本プレイ無料や99セントのゲームが当たり前の中で、2,000円払ってゲームをプレイしたいと思う人に遊んで貰いたいのだという。
下田氏の想いがたっぷり詰まった「Game Dev Heroes」だが、早くもフラッシュアイデアレベルでスマホ向けの次回作の準備にも着手したという。下田氏の今後の展開に引き続き注目したいところだ。最後に下田氏のコメントを掲載して本レポートの締めくくりとしたい。
「超低予算の開発で時間も限られていますが、自分で何でも決められる言い訳の聞かない状況で自分にしかできない表現を追求できる喜びがあります。絶対に大手パブリッシャーのゲームでは見られないような驚きを提供することをお約束するので、ちょっと変わったゲームをやりたい人は楽しみにして下さい。また、一緒に作りたいって人もいたらTwitterで気軽に声かけて下さい」。