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PS3「戦国BASARA4」

新武将「井伊直虎」など4人の武将が参戦決定!

発売日:
2014年初頭
価格:
未定

 カプコンは、2014年初頭に発売を予定しているプレイステーション 3用スタイリッシュ英雄(HERO)アクション「戦国BASARA4」の新情報を公開した。

 公開された新情報は、新武将「井伊直虎」、武田軍より「真田幸村」と「猿飛佐助」の参戦が決定したこと。さらに、武田軍総大将「武田信玄」が敵武将として登場することが明らかになった。

剛潔撫虎(ごうけつ なでしこ) 井伊直虎 声:坂本真綾 武器:巨剣

「これよりは、乙女が強く生きる時代! 世の男共、覚悟しておけッ!」

 世の男たちすべてに向けて敵意を燃やす、井伊軍の熱血女大将。戦で悲しむ乙女を救い、乙女のための世を作るため剣を振るう。特に、武田軍との戦が長引き祝言に遅れてしまい、許婚(いいなずけ)に逃げられた過去を根に持っており、憎むべき男たちの象徴として武田信玄を一方的に敵視している。

アクションは、その外見からは想像できないような巨剣を振り回す重い攻撃を主体としたもの。攻撃範囲が広いので、通常攻撃だけでも多くの敵を巻き込むことができる
固有技を繰り出す際の重心移動中に他の固有技を出すと強力な派生技が出る。この派生技は、通常の固有技よりもはるかに性能がいい
【スクリーンショット】

【史実では】

 戦国時代の女性領主。井伊氏の当主を務め、「女地頭」と呼ばれた。井伊直親と婚約したが、権力争いの的となったため、婚期を逸し生涯未婚を貫く。

 井伊家は今川家に仕えていたが、直虎が当主となってから徳川家康に仕えた。家康の力を借り、奪われていた井伊谷城を取り戻したが、南下してきた武田軍に井伊谷城を明け渡すこととなる。

 その後、元婚約者である井伊直親の嫡子、井伊直政を養子として育て、井伊家の家督を継がせた。

天覇絶槍(てんは ぜっそう) 真田幸村 声:保志総一朗 武器:二槍

「いくぞ、佐助ッ! お館様……いや、武田信玄に、挑戦状を叩きつけるッ!」

 炎のように燃えたぎる心を持った、武田軍の若き大将。総大将の武田信玄から軍を任され天下を目指しつつ、己にとっての“風林火山”を見いだそうと奮戦する。伊達政宗とは互いの実力を認め合う、良きライバル同士である。

通常技コンボのフィニッシュや、各種固有技のヒット時などにダッシュ攻撃を出すことができる。ダッシュ攻撃からさらにコンボをつなげれば、ひたすら攻め続けることもできる
空中で出せる固有技、固有奥技が豊富にあるため、いかなる状況にも対応できる
【スクリーンショット】

【史実では】

 甲斐の武田家の家臣。武田家の滅亡後は豊臣秀吉や徳川家康に仕えるも、関ヶ原の戦いの直前、石田三成の挙兵の報せを受け、西軍につくことを決意。終戦後、流刑となるが脱出し、豊臣方として大坂へ入城。その際、幸村の軍は、鎧を赤で統一(赤備えは甲斐武田軍団の代名詞とされる)していたという。

 大坂夏の陣にて徳川家康を追い詰める活躍を見せたが、最終的には徳川勢に敗れ、その生涯を閉じる。

蒼天疾駆(そうてん しっく) 猿飛佐助 声:子安武人 武器:手裏剣

「あれ、言ってなかった? 実は俺様、結構強いんだ」

 真田幸村を支え、武田信玄の命を受けて動く有能な忍。普段のひょうひょうとした態度とは裏腹に、その実力や主を想う心は揺るぎない。忍らしい非情な一面もあり、敵対する相手によっては冷酷さを垣間見せる。

威力の高い技は少ないが、敵を引き寄せる技が多い。攻撃動作が早く、機動力も非常に高いため、コンボを継続させやすいのが特長
影を出して攻撃する固有技を活用すれば、連携攻撃を仕掛けることができる。忍者だけに空中戦を得意とするのも見逃せない
【スクリーンショット】

【架空の人物】

 江戸以降の小説等で真田幸村に仕えたとされる真田十勇士の1人として数えられる“架空”の忍者。甲賀流の忍者とされるが、甲賀の里での修行はしていない。

 大坂夏の陣で徳川方に敗れた後、幸村と共に薩摩に落ちのびたとされる。

戦神覇王(せんじん はおう) 武田信玄 声:玄田哲章 武器:軍配斧

「幸村ァッ! 甲斐武田の行く末、おぬしに託す……! 軍勢を率い、天下統一を成せいッ!」

 「甲斐の虎」の異名を持つ武田軍の総大将。戦で苦しむ民を想い、乱世を終結させるため天下統一に向けて熱く心をたぎらせる。軍の采配は若き大将・真田幸村に任せているが、自らも戦場に立ち兵を鼓舞する。

【史実では】

 甲斐の戦国大名。「甲斐の虎」として恐れられる猛将であり智将。上杉謙信と5度に渡って川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ平定し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、自国の領土を拡大した。

 領地の産業や経済、農業を発展させ、また洪水を防ぐために「信玄堤」を作ったとされる。晩年、西上作戦の途上での三方ヶ原の戦いにて織田信長と徳川家康の連合軍を打ち破るが、その後持病が悪化し、信濃にて病没した。

(中野信二)