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“王は死に、すべてはプレーヤーの手に渡った”「ウルティマオンライン」

ロード・ブリティッシュら4人が振り返る「UO」初期開発秘話

3月19日~23日開催

会場:Moscone Center(アメリカ、ロサンゼルス)

「UO」の初期コードネームは「Multima」
Designer DragonことリードデザイナーのRaph Koster氏

 誰もが知るコンピュータRPGの始祖「Ultima(ウルティマ)」のIPを冠し、オンラインRPG黎明期に登場した伝説的なMMORPG「Ultima Online」(以下「UO」)。日本でも、Electronic Arts(以下、「EA」)がスクウェアと合弁でEAスクウェアを設立してサービスにあたっていたこともあり、当時、日本語で不自由なくプレイ可能な唯一の海外産MMORPGとしてPCゲーマーに幅広い人気を博した。

 GDC2018において、「UO」の開発着手からサービス開始後まで開発元のOrigin Systems(以下「OSI」)に在籍していた4人のメンバーが顔を揃え、「Classic Game Postmortem: 'Ultima Online'」と題して「UO」を振り返るセッションを行なっていたので、本稿でご紹介したい。2017年には、リリース20周年を迎えたとはいえ、「UO」がクラッシクゲームに分類される時代かと思うと、なんとも隔世の感がある。諸事情により掲載が遅くなってしまったが、たっぷりお届けしたい。

 Richard Garriott氏ひとりが登壇した昨年のDevcom2017とは異なり、GDC2018では「UO」にフォーカスして、リードデザイナーのRaph Koster氏を進行役にトークを進めていった。1997年~1999年当時、Koster氏はオリジナルの「UO」、最初の大規模エクスパンションパッケージ「UO:T2A」に加え、LIVEコンテンツをも含めたゲームデザインを行なっていたほか、“Designer Dragon”のハンドルを用いて、IRCのUOHoCを通じてプレーヤーと直接対話するといったことも行なっている。

 ご存じの通り、Raph Koster氏が直接ユーザーに語りかけ、向き合う姿勢は、オンラインゲーム運営の模範として、その後に生まれたオンラインゲームでも採用された。その後「UO」では分業が進み、ゲームデザイナーがプレーヤーと直接対話するケースはほとんどみなくなったが、Koster氏が真摯にプレーヤーとゲームデザインに対して意見交換を行なっていた様は、今なお記憶に新しい。

 戦闘、生産、ロールプレイが等しく重要であると位置付けるKoster氏は、本セッションで「UO」のゲームデザインのプロセスを披露した。「UO」のゲームデザインは、同氏の妻でもあるゲームデザイナーKristen Koster氏が発案した経済の循環モデルと、それに伴うリソースシステムを原点に設計が開始されている。消費者から生産者に対して供給される素材とその対価、生産者から消費者に対して供給されるモノやサービスとその対価といったサイクルが、ゲームプレイの基盤となった。

 世界に生息する生物のAIも、リソースシステムの思想を受けている。あらゆる生物のAIには、自身が何を生み出し、何を捕食し、安息地や欲望といった項目を設定して個性が付けられている。

【プロトタイプ開発プロセス】

 このあたりの需要と供給のバランス、そして運営期間が長くなればなるほど、世界に蓄積され続ける貨幣と素材、そして完成品のバランスは、オンラインRPGを開発する上で、非常に重要なテーマのひとつだろう。スタンドアロンRPGでは、貨幣もアイテムも他のプレーヤーとの間でやり取りされることはない。そこで、適宜ゲームのプレイ進行に伴って、NPCの商店で買い換えるアイテムに相応の価格を設定しておけば良い。エネミーが貨幣を無尽蔵に供給し続けるから、多少のバランス調整不足は許容される。

 これに対してオンラインRPGでは、スタンドアロン同様にエネミーが貨幣を無尽蔵に供給し続けるというRPGの不文律を採用しているせいで、プレーヤー間経済のインフレーションは避けられない。しかもインフレーションは後発組プレーヤーの初期参入障壁となるからやっかいだ。素材の採取よりも加工、加工よりもモンスター討伐の方がプレイに華があるから、人口比率的に、どうしても世界に対する貨幣の供給が過多になってしまう。

 「UO」はシステム側からのプレーヤー所持貨幣の回収手段が比較的少なく、エネミーとの能力差を見てドロップを抑制する仕様もないため、筆者の知る限り、この潜在的な課題は解決されないままだった。後に導入された家のカスタマイズは大きな消費ではあったが、いわばデポジットのようなもので、改装のたびに多額の貨幣がシステム側に回収されるようなものではなかった。

 オンラインゲームにおいて、これら貨幣経済のバランス取りを、すでにサービスを開始したゲームで断行することは難しい。全面的なドロップの変更では、富の蓄積を抑制したいベテランプレーヤーだけを狙い撃ちすることはできないし、反発と不満を招くだけという場合もある。人気システムのハウジングで、一時的にでも固定化させるのがやっとのことだったのだろう。

 もっとも、この問題は「UO」固有の問題というわけではなく、多かれ少なかれ、どのオンラインRPGにも内在するものだ。むしろ「UO」は、どんなにベテランになっても秘薬やポーションといった消耗品が必要であったり、武器防具や工具といったアイテムが永久に使い続けられるものではなく、あくまで耐久消費財であったりと、当初から常に需要を生み出す工夫がなされていた。必ずしもすべて計算ずくというわけではなかっただろうが、日常が繰り返されるオンラインゲームとして程よいレベルの分解能でゲーム世界が構成されていたこともあり、黎明期のオンラインゲームでありながら、後続の模倣タイトルより、はるかにバランスのとれた世界が成立していたと言えるだろう。

【初期ログイン画面】

Lord BlackthornことディレクターのStarr Long氏

 「UO」のディレクター、Starr Long氏は、QAの出身ながら「Ultima IX」のプロデューサー補も務めた人物で、OSIをEAに売却したRichard Garriott氏が、ほどなく同社を去ることになった時、同氏と行動を共にしている。その後、一時期は別の道を歩んでいたが、現在はふたたびPortalariumでGarriott氏と協調しながら「Shroud of the Avatar」のプロデュースをしている。

 Long氏の発言の中では、「UO」草創期のプロトタイピングの逸話が興味深かった。「Ultima」のオンラインプロジェクトが立ち上がった当初、チームメンバーは、Long氏とプログラマ1名の2人プロジェクトだった。その後、9人までメンバーを増やした“Multima”チームには、古参のアーティストMicael Priest氏やKoster夫妻が参画した。「Ultima VI」のゲームエンジンを流用して製作されたプロトタイプは、同時接続はわずか100人ほどで、できることと言えば、世界を駆け回る、オブジェクトを置く、キャラクターに攻撃するとドロップする、たったそれだけのことだったと言う。

 それでも社内テストの反響は上々で、次々と感嘆の声が上がった。とは言え、全社的な関心事は、次のナンバリングタイトル「Ultima IX」にあった。「UO」チームの置かれた境遇は、なかなかに不遇で、開発室は内装工事が未完了で壁と窓しかなく、エレベータホールはコンクリートむき出し、どれだけ寒くても、手袋をはめて膝下に置いたサーバーの熱で暖を取るという有様だった。逆境にもかかわらず、平均年齢22歳という若いプロトタイピングのチームメンバーは、最終的にゲームの90%を作り上げた。

【プロトタイプ初期開発メンバー】

Lord BritishことプロデューサーのRichard Garriott氏

 OSIの創立者にして、当時の「UO」プロデューサーのRichard Garriott氏も、ファイナンス面から当時のプロジェクトの状況を回顧している。前述の通り、1992年の段階でGarriott氏がOrigin SystemsをEAに売却していたことから、新規ゲームプロジェクトの起案は、親会社のEAの決裁を仰がなければならなかった。

 プロジェクト起案会議で、Garriott氏らが前代未聞のグラフィカルなオンラインRPGを提案すると、5千人から1万人、いいとこ1万5千人といったピークユーザー予測で、パッケージの販売が1万5千本のオンラインRPGを開発するより、スタンドアロンの「Ultima」の続編を開発すれば、パッケージは100万本のセールスすら見込めるという反論に合い、プロジェクトの立ち上げは難航した。

 2度目の起案会議では、前回会議の2倍の3万人のユーザー予測で、当時ベストセラーのオンラインゲームの2倍の収益が見込めるというアウトラインを描いて臨み、3度目にはさらに3倍に上方修正して、ようやく承認されている。

 難航の背景には、OSIのプロジェクトは予算超過が常で、年間25%~50%のオーバーは当たり前といった状況もあった。Garriott氏は「UO」のプロトタイプ開発に際して、25万ドルの予算超過厳禁の誓約書を書いている。

 ところが現実はというと、はたして「UO」の開発予算は超過しており、苦肉の策として、5ドルの有料ベータテストを実施した。ものは言いようで、5ドル支払えばベータテスターになれる“権利を保証”するといった触れ込みで、参加者を募ったのだ。

 今で言うところのアーリーアクセスに相当するこのベータテストには、有料にもかかわらず、数日で5万人が応募するという嬉しい事態が起こった。なお、当時のネット環境では、クライアントソフトをダウンロード配布するのは現実的ではなかったため、ベータテスターに対してCD-ROMを送付している。

 5万人という数字が見えたところで、EAの態度も豹変する。それまで最重要に位置付けられていた「Ultima IX」のプロジェクトを解体して、「UO」の開発に合流させると、プロジェクトメンバーは一気に50人を超える大所帯となった。そう、一夜にして「UO」が最重要プロジェクトになったのである。

 EAの心変わりや、急に増員されたメンバーのマインドに対しては、皮肉たっぷりにLong氏は語っていたが、実際のところ、ベータテスターからもたらさせた参加費では、CD-ROMのプレスと送付のコストを差し引くと、オリジナルのプロトタイプメンバーのみで開発を続行したとしても、3カ月程度の予算増にしかならなかったと思われる。心情的な部分はともかく、EAが予算増に同意するばかりか、積極的にプロジェクトを推進する側に回ったことが、「UO」を誕生させた大きな要因であることに違いないだろう。

【有料ベータテスト】

DupreことLIVEプロデューサーのRich Vogel氏

 RVogelというUOHoCでのハンドルや、自身のメインキャラクター名のDupreを名乗って、たびたびコミュニティに対してコメントを発信しており、「UO:T2A」にプロデューサーとしてクレジットされているRich Vogel氏からは、「UO」のアカウント管理や課金といった、サービス継続に欠かせない部分を中心に語られた。

 一言で“オンラインゲーム”といっても、「UO」登場までのタイトルはすべてパッケージゲームの延長戦上にあり、パッケージ購入者が、いわばそのおまけとして無料でオンライン対戦なり、協力プレイなりができる、といったものがすべてだった。通信方式も、マッチングロビーを除けば、それぞれのPCが相互に通信を行なうP2Pモデルで、「UO」のように、あらゆる情報をサーバー上にあるものを正として、PC側にインストールされたクライアントは、あくまでサーバー情報の写しであるとするクライアントサーバーモデルではなかった。

 一見地味だが、オンラインゲームのサービスモデルに、普遍的で固有のアカウントの概念や、アカウント認証を経て接続するゲームワールド、ワールドごとに従属するキャラクターといった仕組みを提供した「UO」は他のオンラインゲームと一線を画していた。

 月額で一定の利用料を支払ってプレイする課金モデルに加えて、クレジットカードを持たないユーザーでも支払いができるよう、独自のゲームタイムという“利用券”を導入したのも、決済手段と流通の多様性をもたらした。これらはすべて、サービス開始にむけて新たに用意されたもので、後に、年間の利用料を前払いすることによるディスカウントや、電子マネーでゲームタイムを購入する繋ぎこみを行なうなどと、拡張されている。

 Garriott氏は、当初すべてのプレーヤーキャラクターが同一のワールドでプレイできる世界にしたかったのだが、「UO」のセールスが予想の10倍の30万本から、ついには100万本に達する状況で、それは不可能だった。

 そこで「Ultima I」のモンディン討伐の際に砕かれた宝珠の設定を活用して、各ゲームワールドを“シャード(破片)”と呼称すると共に、同一のゲームワールド空間が平行して複数存在することに物語上の説得力を与えている。このくだりは「UO」のオープニングデモで展開されていたため、覚えているプレーヤーも多いことだろう。

 このワールドの構成に関しては、一長一短がある。「UO」のように、ゾーンごとにサブサーバーがプロセスを担い、ゾーンをシームレスに結合させたワールドに対してキャラクターが紐付いている場合、プレーヤー同士が知り合う機会が増え、ゲームワールドごとに固有のコミュニティが形成されやすいメリットがある。反面、同一のアカウントでも、異なるワールドでプレイするためには、まったく別のキャラクターを作らなければならないということになってしまう。混雑を避けて別のワールドへ移動するといったこともできない。

 加えて、キャラクターをアカウント単位で管理すれば、キャラクターが特定できるため、「UO」ではキャラクター名がユニークではない。他のプレーヤーとの競合を気にする必要がないから命名の自由度は最も高いが、同名キャラクターが複数存在することよるメッセージングの制約や、同名キャラクターに対する“無実の罪”によるプレーヤー間のトラブルも避けられない。

 このあたりの仕様は、「UO」やその他の黎明期のタイトルを研究して製作された後年のタイトルの方が洗練されていると言えるが、それでもひとつの基準を打ち出した「UO」の功績は大きい。

【オンラインゲームの問題点】

 Vogel氏のローンチに関するまとめからは、3項目の学びを得ることができた。ひとつは、準備が整うまでローンチするな、というものだ。当時ローンチに漕ぎ着けることを、メンバーが口を揃えて目標にしていたが、それは必ずしも適切ではない。

 この言葉は、非常に共感できる。プレーヤー間の利害関係が如実に現れるオンラインゲームでは、ローンチ後の仕様変更には、慎重を期す必要がある。また、予期せぬ不具合やコミュニティ対応に忙殺され、落ち着いてゲームデザインを定めることが困難になることもある。また、フォーカスするポイントの異なる関係者から、無責任な意見が飛び出すこともあるだろう。予算や期間のことがあって、いらぬ忖度をしてリリースを急いでも、ろくなことはない。

 ふたつ目の学びは、人口コントロールが非常に重要だというものだ。これもその通りで、プレーヤーのプレイアクティビティの面でも、サーバー運用コストの面でも、過疎も過密も好ましくない。ただ、この人口コントロールに関しては、「UO」が黎明期のタイトルであるがゆえに難しくしている部分も多く、後年のタイトルでは、よりスケーラビリティの高いサーバー構成や、キャラクター名空間の管理を採用して、適切にコントロール可能としているものも多い。

 三つ目の学びは、エスカレーションの重要性を説くものだ。相当の問題は、ソフトウェアの実装でシステマティックに解決できるとしても、人的に解決しなければならない例外的な問題は必ず発生する。その際、ケース想定に基づいた手順と、対応スタッフの範疇を超える際の報告の流れを整備しておかないと、現場でのアドリブ判断で一貫性のない対応となってしまい、記録にも残らない。この問題は、サービスレベルを左右してしまうが、多かれ少なかれ発生してしまいがちだ。

 また、この流れで説明された通り、オンラインゲームには、30%に相当するゲームそのものに関する仕事のほかに、70%ものコミュニティサービスやサーバー運用、アカウントや課金のサポートといった“隠れた仕事”がある。比率については、プロジェクトの思想や、担っている役割によって、多少の異論はあると思われるが、オンラインゲームサービス全体をとらえると、Vogel氏の言にそれほどの違和感はない。

 ユーザーコミュニティに接することと、従来型のPRがまったく違うのは当たり前だし、適切なバランス取りとPR、コミュニティマネジメントが難しいのもその通りだ。

 プログラムや仕様の盲点をついた不正を扱うサイトを管理するのにも手を焼いたと言う。いくらテストサーバーでテストを繰り返しても、この手のプレーヤーにとって利益になる不具合は報告されないから、実際のサーバーに適用されて初めて顕在化することもある。Dr. Twisterは、不正情報を扱うサイトとして有名で、筆者も当時Dr. Twisterのサイトを見て、いくつかの不正を試した記憶がある。一方で、どこにも情報はないものの、不具合の再現方法がわかったものは、積極的にレポートしていた。

 こうした不正やPKの問題よりも深刻だったのが、ゲームアイテムや貨幣の現金化、いわゆるリアルマネートレーディングの存在だ。「UO」には、シャードが初めてブートアップしたときのみ固定されており、再生しないオブジェクトが複数存在した。これらの超レアアイテムを盗んでeBayで売却して現金化したり、果ては中国の安い人件費を利用したゴールドファーム(ゲーム貨幣の現金化のみを目的としたゲームプレイ作業)ビジネスが登場した。

 ゲームマスターによる不正も大きな問題だった。スタッフによる24時間サポートはOSIにとって大きな挑戦で、ボランティアのカウンセラーともども、不正の監視やコミュニティの育成といった部分に寄与した部分は大きい。その一方で、ゲームマスターの権限を悪用して、GM自身が不正に生成したアイテムをeBayで現金化するといった不祥事も起きた。

 結果的に、ゲームマスターによるサポートは、コストがかかる割にマイナス面の方が大きいということになり、ソフトウェア的に対応可能なキャラクターのスタックなどは、人的サポートに頼らないように変更が加えられていった。また、ボランティアによるサポートにも、プレーヤーモラルに依存した状態でのマネジメントの難しさがあったのだろう。権限の不正利用という意味で同趣の弊害が生じたせいか、カウンセラーやコンパニオンも北米では早々に姿を消している。

 その他、マネジメントの難しさでは、アップデートサイクルや、少人数で2年3カ月の長期間に及んだ「UO」の開発体制と50人100人体制のビッグプロジェクトを比較しての話題、OSI社内の「UO」ローンチ後の急速な人材流出にも言及されていたが、すべてはVogel氏のいうモメンタムという一言に集約されるように思える。

【コミュニティ】

 多岐に渡った「UO」リリース前後の振り返りだが、最後は明るい話題で締めくくっていた。コミュニティマネジメントは難しい反面、ファン自身が「UO」を題材にした多様なコンテンツを創作して、コミュニティを盛り上げてくれたという一面もあった。

 今や巨大インターネットメディアとして不動の地位を築いているIGNがホストする「UO Vault」や、「UO Stratics」に情報が集約されるとともに、コミュニティサイトに併設された掲示版では、さまざまな議論が日々活発に繰り広げられていた。今やウェブコミックサイトPvPで人気を博しているアーティストScott Kurtz氏も、「UO」にフォーカスした Tales by Tavernlightというコミックサイトを立ち上げて盛り上げてくれた。

 その他にも、それぞれがお気に入りのゲーム内で起こった珍事が次々と披露された。フライガイというキャラクターが無人の家屋を利用して、システムの職業に依らない方法で、“いかがわしい商売”を行なった逸話、銀行に飛ぶルーン受け取ってリコールすると絶海の孤島でスタックしてしまうイタズラ、クリスマスイベントで衣装を盗まれたサンタNPCを惨殺しまくったプレーヤーの話、サーバーラグやクラッシュが頻発した際に、抗議のために集まったプレーヤーがLord British城内で服を脱ぎ酒を飲み吐きまくった事件、ムーングロウの街で起こった一列に並んだキャラクターが後ろを向いてお尻を見せるパフォーマンス、トリンシックの街に家具を積み上げてプレーヤーが街を封鎖、慌てて次のパッチで封鎖できないように修正した事件、ハルクホーガンという名のキャラクターがLong氏のキャラクターLord Blackthornにレスリングの対戦を挑んだ話題などが、次々と飛び出した。

【UO珍事件】

 そして最後には、ベータテスト終了後も長く都市伝説になっていたLord British焼死事件で締めくくられる。ベータテスト終了を記念した演説を行なっていたGarriott氏が操るLord Britishのキャラクターには無敵フラグがセットされていなかった。そんなことを知る由もない一介のユーザーキャラクターRainzが、Lord Britishに対してファイアーウォールの呪文を放つと、Lord Britishのキャラクターを焼き殺してしまったというのが事件の概要だ。

 事件当時、Garriott氏は自身が無敵状態だと思い込んでいて、すっかり余裕をかましていたそうだ。ところがLord Britishは幽霊となり、ただ呆然と幽霊語を話すのみ。QAチームのメンバーは、死亡後のLord Britishの死体をルートから守るために、Lord Britishの死体を取り囲む。詰めかけた聴衆は、思わぬハプニングに騒然としている。OSI社内の内線電話で騒ぎを聞きつけて登場したLong氏が操るLord Blackthornが颯爽と登場し、情けない幽霊の姿を晒すLord Britishと対照的に悠然とした姿を見せた、というのがこの事件の内幕らしい。

【UO珍事件】

 ハプニングにすぎないこの事件を、Koster氏はこうまとめる。「王は死に、すべてはプレーヤーの手に渡った」と。計らずもこの事件は、オンラインゲームにおいて王、つまり運営側なる存在は脇役であり、ゲームシステムが提供する道具を活用して、ゲーム世界のすべてを楽しむのはあくまで主人公たるプレーヤー自身に委ねられている、という「UO」のゲームデザインのポリシーを象徴することになった。

 Long氏の「Richardを殺してくれてありがとう」という締めのジョークにも、Garriott氏への友情と等しく、「UO」を愛したプレーヤーへの感謝、そして会場に集まった若い開発者への応援の意味が込められている気がした。時代は変わり一時の熱狂は沈静化しても、新世代のオンラインゲームへの挑戦は終わらない。そう感じさせたセッションだった。